小説探偵

夕凪ヨウ

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Case5.鮮血の美術室①

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「白百合高等学校の皆さん、こんにちは。
 小説家のカイリです。本日は、このような場所にお呼び頂き、ありがとうございます。」

 海里は、都内の白百合高等学校に来ていた。ヒット作を次々と生み出す彼の、講演会を開いていたのだ。海里は素顔を晒すことに戸惑ったが、編集者からの厚い期待のもと、話をする決意を固めたのだった。

「本日は、私が今まで生きて来た経験から、語れることを話そうと思います。つまらない話かもしれませんが、何卒ご容赦くださいね。」

 海里の言葉に生徒たちから笑いが起こった。男子生徒も女子生徒も、皆、“カイリ”の美しすぎると言っても過言ではない素顔に驚いており、話を聞くというより、できる限り長時間、彼の顔を拝みたいという気持ちが強かった。海里自身もその気持ちを感じ取っていたが、別段嫌な気はせず、講演を始めた。

 1時間程度の講演会を終え、海里は会議室で一息ついていた。すると、学校長の楠木田幸恵がやって来て、彼に会釈をした。

「本日はありがとうございました。カイリさん。生徒たちも喜んでいましたし、充実した時間になったと思います。」
「こちらこそ、お呼び頂きありがとうございました。このような場は初めてでしたが、案外フラットにできるものなんですね。学生時代は聞く側だったので、分かりませんでしたよ。」

 海里の言葉に楠木田は笑って頷いた。

「私も教師になってから同じことを感じました。目線が違うと、違う世界が見えますよね。」
「本当に。」

 楠木田は、40歳くらいの女性だった。薄い化粧でも分かる整った顔立ちと、細身の体が印象強い。団子にまとめられた黒髪からは、花の香りがする。
 同時に、海里は、香りにつられて思い出したことを告げた。

「そう言えば、この学校に来てからずっと花の香りがしますね。楠木田校長からも、他の先生方からも、生徒たちからも、同じ香りが。」
「ああ、それは白百合の香りです。」
「白百合?」  

 海里は目を丸くした。楠木田は言葉を続ける。

「はい。ここは学校名に合わせて、白百合を植えているんです。あちら、見えますでしょう? あの花壇です。」

 そう言って、楠木田は校庭の端にある花壇を指した。確かに、白百合が咲き誇っている。何人かの女子生徒が花壇に集まり、香りを嗅いだり、水を与えたりしていた。

「なるほど。あそこまで人気だと、香りが移るのも納得ですね。」
「でしょう? 白百合は“純潔・威厳”、の花言葉がありますから、生徒たちにはぴったりかと。」
「へえ。そんな花言葉なんですね。私はあまり花を愛でる事がありませんから、勉強になります。」

 そんな軽口を叩いていた、その時だった。どこかで、女性であろう、甲高い悲鳴が聞こえたのだ。続いて男子生徒の、低い叫び声が聞こえる。
 海里は勢いよく立ち上がり、無言で会議室を飛び出した。

「あ・・・カイリさん!」

 楠木田が名前を呼んだが、海里は振り向かずに廊下を駆け抜けた。会議室を出てすぐに1人の男子生徒と出会い、蒼白な表情から悲鳴を上げたのが彼だと分かる。
 海里は男子生徒の呼吸を整えさせ、尋ねるた。

「一体何があったんですか?」

 男子生徒は海里の質問に答えなかった。本来、ただの小説家であるカイリに助けを求めるのも妙だと思いつつも、動揺が収まらない生徒は、顔色を変えないまま叫んだ。

「とっ・・・とにかく来てください! このままじゃ死んじまう‼︎」

 海里は男子生徒に連れられ、何かしらの事件が起きた美術室へ向かった。半分だけ開いた扉の前には、腰を抜かし、泣きそうな表情をした、1人の女子生徒がいる。周囲に誰もいないので、初めの悲鳴は彼女だと分かった。
 しかし今重要なのは、美術室の中だった。海里は女子生徒の視線を遮るように前に立ち、半開きの扉を開け放った。

 目の前の光景に、海里は思わず息を呑んだ。

「これは・・・!」

 そこには、床に座り込み、壁にもたれかかっている男子生徒がいた。しかし、彼は両目を閉じ、首から大量の血が流れていた。床は真っ赤に染まり、壁にも赤い斑点ができていた。男子生徒の右手にはカッターナイフが握られており、血がべったりと付着していた。

 海里は男子生徒に駆け寄り、血では汚れていない、左腕の脈を取った。まだ微かに打っており、薄く、荒いが、呼吸も聞こえた。だが、一刻も早く処置せねば、死んでしまう。余談を許さない状況であるのは確かだった。

「急いで救急車と警察を呼んでください‼︎ 誰でもいい‼︎ この際、校則は無視して構いません!」

 海里の怒鳴り声と共に、悲鳴を上げた女子生徒と、案内をした男子生徒がスマートフォンを取り出し、それぞれ電話をかけ始めた。海里はその様子を一瞥し、ハンカチを取り出そうとしてやめ、服の袖を破って男子生徒の首に巻きつけた。頸動脈を切ったのか、止血は意味をなさないほどの出血量だった。

「カイリさん、何がっ・・・・あ!」

 駆けつけた楠木田に、海里は男子生徒の手当てをしながら叫んだ。

「楠木田校長‼︎ 生徒たちを教室に待機させてください! 職員は全員職員室へ! 今から警察と救急車が来ますから、美術室までの案内をお願いします!」

 数分後、警察と救急隊が到着した。男子生徒はすぐに運ばれ、警察は美術室への立ち入りを禁じた。

「またお前か。」
「東堂さん!」
「全く。お前の行く所、来る所は、事件が起きる決まりでもあんのか?」

 龍は心底呆れた様子で言った。海里はムッとして言い返す。

「酷い言いようですね。私も慌てたんですよ?」

 龍は落ち着いた口調で部下に指示を出し、自分は美術室の中へ入った。男子生徒がもたれかかっていた壁に近づき、血痕を見る。

「綺麗に真横へ切ったんだな。血痕が全く斜めになってない。迷いがなかったのか・・・・。」

 普通なら顔を顰めたくなる発言だが、海里はそのようですね、と同意するだけだった。龍は続ける。

「そう言えば、さっきの生徒の鞄に、これが入っていた。」

 そう言って、龍は懐から1枚の紙を取り出した。海里は受け取り、首をかしげる。

「これは?」
「読めば分かる。」

 紙を開くと、美しく、整った字で、こう書いてあった。

“もう耐えられません。僕は天国に行きます。お世話になった皆さん、ありがとうございました。”

「遺書・・・? あの男子生徒は自殺を図ったのですか?」
「もしそうなら、この部屋に入った段階でお前に言ってる。この写真、見てみろ。」

 龍が差し出した写真には、被害者生徒が美術の授業に取り組む姿があった。龍に示されて手元を見ると、左手にカッターナイフを持っている。絵筆も左手で持っていた。

「左利き・・・!」
「ああ。もし本当に自殺なら、わざわざ利き手の逆の手で自分を殺そうなんてしない。失敗する可能性も高いからな。
 これは、歴とした殺人未遂だ。」

 龍の言葉に海里は眉を潜め、しかしどこか安堵の表情を浮かべた。

「・・・・未遂・・・男子生徒は、一命を取り止めたんですね?」
「一応な。が、意識不明の重体だ。発見が少しでも遅く、お前の止血が無かったら、確実に亡くなってたよ。」

 その言葉には、酷く重みがあった。今まで、多くの命の灯火が消える瞬間を見て来たであろう龍。彼の言葉は、海里が経験し得ることのない経験から語られるものだった。

 海里は深く長い深呼吸をし、龍を見据えた。その瞳は、小説家としての瞳ではなく、“探偵”としての強い瞳だった。

「覚悟は決めたか?」
「はい。生徒・教員を体育館へ集めてください。この醜悪な事件の、謎解きを始めましょう。」
                   
            ※

 体育館に集合した生徒たちは騒ついていた。無理もない。急に授業を中断され、1人の生徒が救急車で運ばれ、その上、警察も来たのだから。

「静粛に! カイリさんから事情の説明がありますよ!」

 楠木田が手を叩きながらそう言うと、体育館は静まり返った。海里は登壇し、マイクのスイッチを入れる。生徒たちは、警察ではなく彼が事情を説明することに、首を傾げていた。

「皆さん、こんにちは。カイリです。先ほどお話をしたばかりですから、私の顔を覚えている方もいらっしゃるでしょう。本日は再び集まって頂き、感謝します。」

 海里はチラリと龍を見た。龍が軽く頷いたので、海里は事件の説明を始める。

「先ほど救急車で運ばれたのは、2年2組の御堂真也さんです。彼はカッターナイフで首を切り、血を流しているところを美術室で発見されました。」

 再び騒めきが起こった。怖い、という声や、苛立っている声が聞こえた。

「彼の鞄の中に、遺書のような物が入っていました。内容は省略しますが、自殺ではありません。彼は、右手にカッターナイフを持っていた。この一言で、意味が分かる方もいるでしょう。」

 海里は落ち着いていた。教員たちは愕然とし、彼のクラスの生徒も驚いている。

「彼は左利きです。本当に自殺であれば、利き手で首を切らないのはおかしい。すなわち、彼は何者かに殺されかけた・・・・ということです。」
「カイリさん‼︎」

 楠木田の悲鳴に近い声が聞こえた。しかし、海里は言葉を止めない。

「犯行時刻は12時40分~13時15分の間。この時間は昼休みに該当します。つまり、あなた方全員が、この事件の容疑者です。
 私は、今回の事件に腹を立てています。幼い命を奪おうとした、犯人に。私は、どんな手を使っても必ず真相を明らかにする。ですから皆さん、ご覚悟を。」
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