小説探偵

夕凪ヨウ

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Case10.悪魔再び

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「今日もいい朝ですね。」

 海里は部屋の窓を開け、晴天を見つめながら伸びをした。梅雨も終わり、季節は夏に移り変わろうとしている。遠くから、微かに蝉の声が聞こえた。

「さて、今日は編集者の方と打ち合わせがありましたね。準備しますか。」

 トーストを頬張りながら、海里はテレビをつけた。丁度、白百合高等学校の事件が流れている。

「・・・・久米美希子。」

 そう呟いた海里は、自分でも驚いていた。あの一件以来、妙に彼女のことが思い起こされる。
 教師を殴りつけ、怒鳴ったからだろうか? それとも、自殺未遂の理由をはぐらかされたからだろうか?

「急がないと。」

 海里は自分で全く違う言葉を発し、事件の記憶を仕舞い込んだ。朝食を終えて着替え、洗濯を済ます。
 家を出た海里は、急足で編集者との打ち合わせがあるカフェへ向かった。編集者は既に到着しており、海里の姿を見ると、スマートフォンから顔を上げた。

「おはようございます。」
「おはよう、江本君。次の話はどうするの? やっぱり、白百合高校の?」
「・・・・実は、少し悩んでいるんです。今までの事件は・・割と突発的で・・・・その、感情に浸ることがなかったんです。でも・・・・」
「今回は、感情に浸っている?」
「気がします。」

 自分の言葉が信じられなかった。かつて、龍と出会った時、彼から“不謹慎だ”と忠告されても、己のために・・・・小説家としての自分のために、何も考えず書き続けてきた。
 だが、今回は、違う。

「1つの事件によって1人の人が傷つき、傷を癒す術が復讐しかなかった。そして復讐を成し遂げるため、周囲を巻き込み、また人を傷つけた。単純ですが、重く、苦しいこの事件に、私は恐れを抱いているんです。なぜ今更そんなことを思うのか・・・自分でもよく分からないんですけど。」

 沈黙が流れた。編集者が何か言おうとしたその瞬間、店の窓ガラスが割れた。海里の背後だった。

「伏せてください!」

 何かしらの物体が落ちる音を耳にしなかったことから、海里は銃声だと推測し、従業員と客に向かって叫んだ。彼らは焦りながらも机の下に隠れる。
 海里は全員が隠れるのを見ると、鞄を持って机を離れた。編集者は目を丸くする。
 
「江本君、どこへ⁉︎」
「外の様子を見て来ます! 絶対にそこから動かないでください!」

 海里はなぜか的外れの方向に行く銃弾を通り過ぎながら、店を飛び出した。銃弾が飛んで来たであろう方向を睨みつけると、1つの高層ビルに行き着いた。20階以上はあるだろうか。海里は眉を顰める。

「あんなところから撃つなんて・・・・私じゃ対処できませんね。」

 海里は鞄からスマートフォンを取り出し、龍に電話をかけた。幸い、彼はすぐに電話に出た。

『朝からどうした?』
「発砲事件です。すぐに来てください。」

 電話の向こうで、微かな話し声と人が動く音が聞こえた。龍も準備をしているのか、しばらく応答がない。

『場所は? 怪我人はいるのか?』
「今のところいません。場所はN町2丁目です。」
『分かった。すぐに行く。』

            ※
                    
「あのビルから・・・か。遠いな。」
「はい。」

 現場にやって来た龍は、店の封鎖と周囲の人間の安否を確認した。海里はすぐに“探偵の顔”になり、彼と共に調査を開始した。

「・・・・妙だな。」
「えっ?」

 龍は、険しい目でボロボロになった店を見つめ、歩き回った後、そう言った。海里は意味が分からず、首を傾げる。龍は席に座ったり、厨房に立ったりして、犯人が居たであろうビルを見つめ直した。

「やっぱり・・・・犯人の目的は“殺すことじゃない”。」
「は?」
「到着した時からおかしいと思ったんだ。
 これだけ発砲していて、怪我人が0? あの距離から撃てる腕があるのに、1人も当たらなかった? 常識的に考えて、そんなことはあり得ない。」
「・・・・つまり?」
「虚仮威し。」
「はあ・・・⁉︎」

 海里は、普段の表情から考えられないような驚きを示した。龍は溜息をつき、側にあった椅子に腰掛ける。

「店を歩き回って分かった。普通、銃弾が飛んで来たら体を低くするだろ? 高くすれば、どうぞ当ててくださいと言ってるようなものだ。
 だが、従業員と客の身長や動きを踏まえると、弾丸の着地点がおかしい。例えば・・・・厨房の壁。」

 龍はそう言って厨房を指し示した。確かに、壁に弾痕がある。しかし、不自然なほど高い位置に。日本人の平均身長では、男性が背伸びをしても届かない位置。

「厨房に立っていた男女4人は、俺とお前より背が低かった。つまり、175cm以下。その身長で背伸びをしても、絶対にあの場所には届かない。犯人は、“当たらない前提で発砲している”。一般人を驚かせ、怖がらせるためだけに発砲したんだ。」

 海里は怒りを通り越して呆れた。そんなことのために店を破壊し、一般人を怖がらせた? 何を思ってそんなことができるのか、まるで理解できなかった。そして同時に、不思議に思ったことを口にした。

「東堂さん。もしかして、このようなやり口に覚えがあるんですか? 警察官として非常に優秀であることは存じていますが、いくらなんでも状況整理が早すぎません?」

 龍は率直な海里の言葉に顔を歪ませ、溜息をついた。

「・・・・そうさ。これと同じやり口の事件を、過去に見たことがある。あれは、お前と出会った直後だった。」

 龍は少し間を開け、言葉を続けた。

「2年前の話だ。今回のように、虚仮威しの狙撃があった。通報したのは一般人で、酷く混乱していたよ。俺たち捜査一課はすぐに現場へ行き、確認した。
 だが、すぐに妙だと気づいた。かなりの数の弾痕があるのに、怪我人は0。建物を破壊するためだけに、行われたように見えた。」
「でも、当時ニュースで聞いた記憶がありませんよ。」

 数年前のニュースなんて覚えているのか、と半ば呆れつつ、龍は続けた。

「大々的に取り上げられなかったんだよ。銃弾は本物だが、怪我人はおらず、建物の修復だけで、その後は何も無し。悪戯だと思われたくらいだ。」

 海里は何と返していいか分からず、言葉に詰まった。龍は彼の気持ちを汲み取って言う。

「無理に言葉を探す必要はない。とにかく、俺たちはその事件で終わりだと思っていた。」
「思っていた? 1度だけではなかったんですか?」
「ああ。」

 突然、龍は呆れ気味の表情から真剣な表情に変わった。海里は眉を顰める。

「事件は約半年間、2ヶ月に1度の割合で起こった。俺たちはその度に出動し、壊れた建物を調べ続けた。銃弾が本物である以上、事件であることに変わりはなかったからな。ただ、怪我人・死人が出ないことが救いだと思っていたんだ。
 だが、ある日・・・・」

 龍はそこで言葉を切った。海里は事情を把握し、軽く頷いた。龍は苦笑し、言葉を続ける。

「失ったものは戻らない。失っていないものを、必死に守るしか、俺たちにできることはない。あの事件は、死人が出て以来、終わったことだと思っていた。」
「でも終わっていなかった。それどころか、犯人は性懲りもなく同じ手口で苦しめて来た。」

 海里の言葉に、龍は苦しげな顔をした。海里は見たこともないような苦しげな顔を見て、思わず目を背ける。
 龍は余計な心配をされたくないのか、すぐに言葉を続けた。

「江本。俺はお前のことも、お前が書く物語も、嫌いだ。だが、お前の頭脳と知識は認めている。だからこそ、何度も捜査に踏み込むことを許した。」

 落ち着いた口調だった。海里はゆったりと頷く。

「俺は命を奪われた奴のために、この事件を解決しなければならない。だが、失った過去がある以上、普段通りの捜査ができる確信がない。
 だから、お前の力が必要だ。江本、お前のその頭脳、俺に貸してくれ。俺と共に、この事件を解決してほしい。」

 海里は、自分でも無意識のうちに強く頷いていた。顔には笑みが浮かんでいる。

「もちろんです。私は、そのためにここにいるんですから。」
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