小説探偵

夕凪ヨウ

文字の大きさ
33 / 237

Case33.若女将の涙②

しおりを挟む
 こんな時に電話なんてーー
 そんな苛立ちを掻き消したのは、画面に映っている名前だった。私は思わず息を飲み、通話ボタンを強く押す。
あずまさん・・・!」
 縋るように名前を呼んだ。電話の向こうからは、いつも通りの彼の声音が飛んでくる。
『また事件に遭遇したみたいだな。ニュースで見た。捜査は進んでいるのか?』
 心からの安堵を覚えた。私は、私が思っているよりも、東さんを信頼し、その存在が大きくなっていることを実感せざるを得なかった。
「正直言って、芳しくありません」
 後ろ向きな回答を口にしながらも、私の心を影が覆い尽くすことはなかった。

       ーカイリ『若女将の涙』第2章ー

            ※

「京都府警の五十嵐涼音いがらしすずねです。現場検証を行うので下がってください」
 五十嵐は、長い黒髪を団子にして纏め漆黒のスーツを着こなす、いかにも女刑事という装いだった。海里は五十嵐の姿を捉えると、ロビーの長椅子から立ち上がって彼女の前に行った。
「私も捜査に加わらせてくださいませんか?」
 海里の整った顔立ちには興味がないのか、五十嵐は他の宿泊客と同じ浴衣姿の海里に訝しげな視線を送った。
「あなたは?」
「江本海里と申します」
 京都府警が騒めいた。どうやら、他府県でも海里の話は通っているらしい。五十嵐は上司と顔を合わせ、少しの間考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「分かりました。ただし、亡くなった方が幼馴染みだからと言って、判断を見誤っては困りますので、慎重に捜査をお願いします」
「心得ています」
 海里は府警から手袋を受け取って現場に入った。鑑識が写真を取る中、五十嵐は雪美の遺体の前に屈む。
「それにしても酷い・・・・。ここまでの滅多刺しは、そうありません。
 犯人は、被害者に相当な恨みを持っていたようですね」
 それは一般的な回答だった。しかし、海里は静かに不思議なことを口走る。
「本当に刺殺なのでしょうか?」
「え?」
 予想外の発言に五十嵐たちは怪訝な顔をした。彼は静かに続ける。
「雪美さんがここで亡くなったことは間違いないでしょう。ですが、ここはただの事務室であって、包丁などは置いていない。
 そんな場所を殺害現場に選び、わざわざ大量の包丁を持って来て刺し殺した? しかも正面から? 抵抗した形跡もなく、悲鳴を聞いたという証言もない。・・・・不自然です」
「しかし、刺殺でなければ何なのですか? 絞殺された痕も、首の骨を折られた痕もない。当然、撲殺の痕すらありません」
 最もな反論に、海里は頷きつつ意見を続けた。
「それはまだ分かりませんが、この亡くなり方は不自然すぎる。目は微かに開いていますし、睡眠薬を盛られたわけでもないでしょう。もし手や爪に皮膚片が付着していれば、抵抗した証拠になります。調べて頂けますか?」
「・・・・当然です。それが仕事ですから」
 海里と五十嵐は気が合わなかった。五十嵐は、捜査は警察官の仕事であり、いくら有能な探偵であっても、不用意に事件の捜査に協力させたくなかった。
 一方、海里は探偵として事件を解き明かすという意志と、雪美の無念を晴らすという2つの意志が同時に存在し、警察官側の気持ちまで頭を働かせる余裕を持っていなかった。
「なぜ本庁はあの男を信用するんですか? 駆け出しの小説家でしょう」
「頭が固いな、五十嵐。例え小説家だとしても江本海里の頭脳は本物だし、評価は高い。協力してもらうに越したことはないだろ」
 上司の言葉に五十嵐は眉を顰めた。
「しかし・・・・我々警察の仕事を横取りされているようなものではありませんか。先輩は何も思わないのですか?」
「戦力が増えるに越したことはないだろう? ほら、捜査続けるぞ」

 
 海里は一通り現場を調べ終わると、渉の元へ行った。
「昨夜の雪美さんの行動を教えてくれませんか? 確か、18時頃に私と少し話し、18時半頃に渉さんが来られて、雪美さんは仕事に戻った」
「はい。その後、僕と江本さんが話し終わったのが19時半過ぎでした。途中雪美が話に混じりはしましたが、すぐに仕事に戻っていました。江本さんは早めに休むと言って、自分の部屋に戻られましたよね」
「ええ。夕食は済ませていたので入浴をして、すぐ床に着きました。あ、でも」
「何か?」
 渉が首を傾げた。海里は昨夜の雪美とのやりとりを思い出す。
「部屋に戻る時、雪美さんにお会いしました。恐らく・・・・20時前ですね」
「なるほど。確か、雪美が掃除を終えたのが20時半丁度。僕は21時頃に夕食と入浴を済ませ、先に休むよう言われたので、その言葉に甘えました。多分22時過ぎだったと思います」
「・・・・では・・・・死亡推定時刻は22時頃から・・・・長く見積もって午前5時頃ですね」
 海里がメモを机に置くと、五十嵐が手に取って内容を確認した。
「どうですか? そちらの意見と私の意見、合わさっています?」
「ええ。榊渉さん・・・・でしたね。この旅館、防犯カメラなどはないのですか? 不審な人物が目撃されていれば、捜査が早いのですが」
「生憎、ありません。先代・・・雪美の父がそう言ったことを嫌って、全て取り外してしまったのです」
「そうですか。それでは、犯罪が起こってもしょうがないですね」
 五十嵐の言葉に海里は眉を顰めた。体ごと彼女の方を向き、声を潜めて言う。
「・・・・五十嵐さん。言い方というものがあるでしょう。監視カメラのある場所で、必ずしも殺人が起きないなんて限りませんよ」
 五十嵐は不満の色を浮かべた。ため息をつき、海里を睨みつける。
「そういう意味で言ったわけではありません。今時、不用心だと言ったのです。事件解決の手がかりが減ったようなものでしょう」
「ですから、その言い方ですよ。亡くなった方と親しい人間がいるのに、なぜそんなことを平気で言えるのですか? 遠慮という言葉はご存知です?」
「失礼な。知っていますよ。
 私から言わせれば、警察の捜査に踏み込んでくるあなたの方が、遠慮という言葉を知らないように思いますが?」
 2人は睨み合った。渉は気まずそうに視線を泳がせ、どうしたものかと逡巡しゅんじゅんしている。


 険悪な雰囲気を打ち破ったのは、海里のスマートフォンの着信だった。
 こんな時に、と思いながら取り出して気怠げに視線を移した海里だが、画面を見てハッとし、通話ボタンを押す。
「東堂さん・・・・!」
 縋るような声に驚くことなく、龍はいつも通りの声を上げた。
『また事件に遭遇したみたいだな。こっちでもニュースになってる。捜査は進んでいるか?』
 海里はゆったりと五十嵐から離れ、再びロビーの長椅子に腰掛けた。
「正直言って芳しくありません。情報が錯綜しているせいか、犯人の検討も付きませんし」
 久しぶりに聞いた龍の声に、海里は心の底から安堵していた。現場に行けば必ずと言っていいほど龍がおり、共に事件を解決してきた。安堵と同時に、自分が思っているより龍を信頼しているのだと分かった。
「加えて、京都府警の五十嵐さんという方が私を嫌っているようです。目の敵にして来ると言いますか、探偵という職を嫌っていると言いますか・・・・」
『ああ・・五十嵐涼音か。京都府警じゃ、頭が硬いって有名なんだよ。真面目だが、度が過ぎることがあるからな』
「そのようですね。事件の概要をまとめたメモ帳、取られましたし」
 海里はため息混じりに言った。電話越しに龍が苦笑する。
『そりゃ災難だったな。
 それにしても、月影旅館か。、偶然と断言していいいものか』
?」
 何気なく発せられた言葉に海里は目を丸くした。彼は興奮気味に尋ねる。
「過去にも事件があったのですか? 雪美さんから聞いていませんが」
『公にならなかったんだよ。確か、10年前だったか。旅館で人が死んで、当時の女将の夫が逮捕されたんだ。その後しばらく休業したのは知っていたが、普通に営業していたとはな」
「・・・・女将の夫? 待ってください、それはつまりーー」
 海里が言葉を続けようとすると、誰かが彼のスマートフォンを奪った。驚いて後ろを振り向くと、誰もいない。
「お兄ちゃん、誰と電話しているの?」
「あなたは・・・・?」
 海里の側に1人の少年がいた。小学校低学年くらいだろうか。海里は長椅子から立ち上がって少年の前に屈み、優しい口調で話しかける。
「すみません。それは私の物なんです。返して頂けませんか? ぼく」
「僕の名前は榊秀! ぼく、なんて名前じゃないもん!」
「それは失礼しました。では、秀君。それを返してーーって・・・・え? 榊? 雪美さんの親族ですか? ご兄弟はいないはずですが」
「僕は渉兄ちゃんの弟だよ。お兄ちゃんがムコイリして、ゆいいつの家族だからって理由でみょーじが変わったって言ってた」
 改めて秀を見つめると、確かに渉に似ていた。弟と名乗っても、何ら不思議はない。渉は五十嵐と話を終え、弟の手に握られた海里のスマートフォンを見た瞬間、声を上げた。
「こら、秀! ダメじゃないか。江本さんを困らせて・・・・ほら、返しなさい」
「でも~」
「でもじゃない! すみません、江本さん。どうぞ」
「いえいえ。子供のしたことですから、お構いなく」
 海里はスマートフォンを受け取り、弾みで切れた電話をかけ直した。軽く事情を説明し、頭を下げる。
「すみません」
『謝る必要はないさ。それより、さっきお前が言おうとしたことは正解だ。当時逮捕されたのは、今回の被害者・榊雪美の父親・榊信良のぶよし
 最後まで犯行を否定していたから、犯人かは定かじゃない。ただ、刑務所に入った後、病気で亡くなってな。死んだ以上、何もできないってことで事件が追及されることも、榊家が控訴することもなかった』
 海里は考えた。父親が逮捕された過去、取り外された監視カメラ、刑務所で死亡した父親、事件の被害者となった雪美、訳の分からぬ死に方と、抵抗の跡がないという不自然さ。
 何かがおかしい。直感が、そう告げていた。
 少しの沈黙を経た後、海里はゆったりと口を見開く。
「東堂さん。10年前、月影旅館で起きた殺人事件を調べてくれませんか。今回の事件と無関係とは思えない。それどころか、大いに繋がっている気がします」
『本庁の人間である俺が出しゃばるのもどうかと思うが、状況が状況だからな。できる範囲で調べてやるよ。
 だが、無茶はするな。連続殺人の可能性も捨て切れない』
「ご心配ありがとうございます。
 でも大丈夫ですよ。私は、そう簡単には死にませんので」
 自信を取り戻した海里の言葉を受け、龍は電話の向こうで苦笑した。
『違いないな』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)

MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。 しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。 ​母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。  その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。 ​純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。 交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。

日本国破産?そんなことはない、財政拡大・ICTを駆使して再生プロジェクトだ!

黄昏人
SF
日本国政府の借金は1010兆円あり、GDP550兆円の約2倍でやばいと言いますね。でも所有している金融性の資産(固定資産控除)を除くとその借金は560兆円です。また、日本国の子会社である日銀が460兆円の国債、すなわち日本政府の借金を背負っています。まあ、言ってみれば奥さんに借りているようなもので、その国債の利子は結局日本政府に返ってきます。え、それなら別にやばくないじゃん、と思うでしょう。 でもやっぱりやばいのよね。政府の予算(2018年度)では98兆円の予算のうち収入は64兆円たらずで、34兆円がまた借金なのです。だから、今はあまりやばくないけど、このままいけばドボンになると思うな。 この物語は、このドツボに嵌まったような日本の財政をどうするか、中身のない頭で考えてみたものです。だから、異世界も超能力も出てきませんし、超天才も出現しません。でも、大変にボジティブなものにするつもりですので、楽しんで頂ければ幸いです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

コーヒーとCEOの秘密🔥他

シナモン
恋愛
 § コーヒーとCEOの秘密 (完) 『今日もコーヒー飲んでなーい!』意思疎通の取れない新会長に秘書室は大わらわ。補佐役の赤石は真っ向勝負、負けてない。さっさと逃げ出すべく策を練る。氷のように冷たい仮面の下の、彼の本心とは。氷のCEOと熱い秘書。ラブロマンスになり損ねた話。  § 瀬尾くんの秘密 (完) 瀬尾くんはイケメンで癒しの存在とも言われている。しかし、彼にはある秘密があった。  § 緑川、人類の運命を背負う (完) 会長の友人緑川純大は、自称発明家。こっそり完成したマシンで早速タイムトラベルを試みる。 理論上は1日で戻ってくるはずだったが…。 会長シリーズ、あまり出番のない方々の話です。出番がないけどどこかにつながってたりします。それぞれ主人公、視点が変わります。順不同でお読みいただいても大丈夫です。 タイトル変更しました

処理中です...