小説探偵

夕凪ヨウ

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Case34.若女将の涙③

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「10年前の事件?」
「はい。渉さんはご存知ありませんか? 知り合いの話によると、10年前もこの旅館で人が亡くなり、雪美さんの父親である信良さんが逮捕されています。」

 渉は眉を顰めながら首を傾げた。

「・・・う~ん・・・・聞いたことがありませんね。お父上は子供の頃に亡くなったとしか聞いていませんし。幼い頃からの許嫁と言っても、お互いのことをよく知っていたわけではありませんから。」
「・・・・そうですか。」

 海里は再び考え込んだ。
 当然、榊家としては、事件のことを隠したかっただろう。しかし、幼い頃からの許嫁でも知らないとなると、相当隠されていたとみていい。旅館の評判に関わるというならもちろん分かるが、知られる可能性も無くはない。
 そもそも・・・・10年前に殺されたのはどこの誰だったのかすら、海里はまだ分からなかった。

「騒がしいですね、渉さん。お客様には部屋で待機してもらうよう言ったはずですよ。」
「お義母さん・・・!」

 短い白髪。固く結んだ唇。どこか疲れた、虚な瞳。山吹色の着物。海里は、女性を見て会釈をした。

「申し訳ありません。皆さんには、事情聴取のため、部屋には戻らず留まって頂いています。・・・梨香子さん。」

 名前を呼ばれた女性は目を細め、海里を訝しんだ。しかし、すぐに思い出したようで、息を漏らす。

「・・・・ああ・・海里さんですか。そういえば、泊まりに来ると雪美が言っていましたね。」
「はい。今回の事件の調査中です。警察の方から許可は頂いています。」
「そう・・・・。」

 海里は、梨香子を見て眉を顰めた。昔は、もう少し明るく、快活な話し方をする女性だった。夫と娘の死によって、変わったのだろうと思い、海里は思わず俯いた。
 梨香子は海里の気持ちを察してか、すぐに口を開いた。

「あなたが気に病むことではありません。夫も、娘も、不幸であっただけ・・・・。わたくしが望むのは、事件の真相を明らかにすることだけです。よろしくお願いしますよ。」
「もちろんです。」

 梨香子は会釈し、奥の部屋に入っていった。渉が首を傾げながら、

「過去の事件はお聞きにならないのですか?」
「後々、分かることですし・・・何より、傷心状態である方に、無理に話を聞くわけにはいきませんから。」

 海里は五十嵐から返されたメモ帳を開き、事件の情報を見返した。今のところ、捜査に進展はない。龍の調べる情報が、頼りになるかもしれなかった。

「江本さん。」
「五十嵐さん。何か?」
「捜査に進展がありました。榊雪美・・被害者は、昨夜の23時頃、仕事が終わった後にロビーに来ています。偶々起きていた客人が目撃していました。」
「23時・・・? 確か、ここの旅館は22時半には客室・御手洗いを除くすべての部屋の明かりが消える仕組みになっていたはずです。雪美さんは、真っ暗なロビーを徘徊していたのですか?」
「はい。話を聞く限り見回りですが、懐中電灯すら持っておらず、スマホの光で彼女であると認識したらしいです。」
「明かりを持たずに? 彼女はロビーで何を?」
「玄関へ歩いていったとのことですが。」

 海里はその言葉を聞き終わるなり、玄関へ歩き出した。扉を開け、辺りを見渡す。

「変わった様子はない・・・・ん? この鍵は・・一体・・・・?」

 まばらに埋められた石の側に、1つ、鍵が落ちていた。桃色のマスキングテープが持ち手に貼られており、差込部分は欠けてはいないが、持ち手が壊れかけている。海里はハンカチを出し、そっと鍵を包む。

「何かあったんですか?」

 駆け寄ってきた渉に向き直り、海里は尋ねた。

「渉さん。これ、どこの鍵か分かりますか? そこに落ちていました。」

 鍵を見た渉は少し考え込んでいたが、すぐにハッとして口を開いた。

「これは・・・雪美の部屋の鍵ですね。雪美は若女将と呼ばれていますが、お義母さんが体調を崩しやすくなったので女将に等しく、全ての部屋の鍵を所持しています。当然、自分の部屋の鍵も所持していますが、他の鍵と混同しないように、マスキングテープで印をつけていた・・・間違いなくそのテープです。」
「鍵・・・五十嵐さん!」
「何ですか?」
「雪美さんの着物の袖の中に、鍵はありませんでしたか? 1つや2つじゃない・・・・旅館の部屋全ての鍵です。」
「ちょっと待ってください。」

 五十嵐は急いで上司に鍵のことを聞いた。結果は、

「そんな物は見つからなかったらしいです。着物の裾の中に、確かに鍵を持っていたと思われる証拠・・・鉄の匂いや跡は残っていた。でも、鍵自体はどこかに消えてしまっていたと。」
「遺体が発見された部屋にも無いのですか?」
「らしいですよ。どうしますか?」

 海里は、ハンカチに包んだ鍵を見つめた。少しの間考え、鍵を握りしめる。

「渉さん。雪美さんの部屋に案内してください。彼女の部屋に何か証拠があるかもしれない。現在、私たちが調べられる部屋は現場と雪美さんの部屋しかありませんから。」
「分かりました。案内しますので、着いて来てください。」

            ※

 警視庁。

「龍。」
「何か用か? 今忙しい。」
「明日のこと、忘れてないよね? 予定・・・空けといてよ。」

 玲央の言葉に龍はすかさず頷いた。

「分かってる。それより、お前に聞きたいことがある。」
「ん?」

 龍はコピーした資料を玲央に手渡した。玲央はそれを見て、目を細める。

「月影旅館の殺人事件か・・・・この事件の被害者って、確か・・・」
「ああ。お前、この事件のこと調べてただろ。何か知ってることあるんじゃないのか?」

 龍の言葉に玲央は黙り、やがて声を潜めて言った。
 
「・・・・あれは冤罪だったんだよ。」
「冤罪?」
 
 龍の眉が動いた。

「ああ。榊信良は、誰も殺していなかった。京都府警は、誤認逮捕をしたのさ。」

 玲央は軽い溜息をついた。側にあった椅子に腰を下ろし、資料をめくり始める。

「彼らは当時別の事件を・・割と大きな事件を追っていて、他の事件に時間を費やすことができなかった。被害者側からすれば無茶苦茶な話だが、彼らにとっては別件の方が重要だったんだよ。そして彼らは適当な、けれど最もらしい理由を作って、榊信良を逮捕した。」
「なぜ起訴されたんだ? 家族でも客でも、アリバイの証明ができたはずなのに。」
「確かに、事件当日家族は彼と共にいた。その姿を宿泊客も見ている。でも、それを証明する証拠がなかったんだよ。当時から、月影旅館では防犯カメラが外された。それも、榊信良の指示でね。やましいことがあったわけじゃなくて、宿泊客が気にしてしまうっていう、配慮から外したらしいけと。」
「・・・・自分の取ったやり方に、足元を救われた・・・ってことか?」

 玲央は頷いた。龍は深い溜息をつく。

「家族はどうにかして無実を証明しようとしたが、そうこうしているうちに信良は死んでしまった。元々、体が弱かったらしい。本当・・・報われない話だよ。」

 玲央は俯いた。龍は海里との電話の内容を思い出しながら言う。

「今回の殺人事件は、10年前と関わりがあると江本は言った。お前はどう思う?」
「・・・・安易に話していいのか分からないけど、ゼロでは無いんじゃない?
 そもそも、同じ旅館で2度殺人事件が起こること自体、怪しい話だ。前回は旅館の主が犯人になり、今回は若女将が被害者になった。“何も無い”なんて、誰が思うだろう? 事情を知っている人間は、誰を怪しむべきかも分かっているはずさ。」

 玲央の言葉は、少しだけ意味が分からなかった。龍は曖昧な返事をし、資料を海里のスマートフォンへ送った。
                     
            ※

「ここが雪美の部屋です。」

 海里はゆっくりと鍵を差し込んだ。ガチャリ、と音がして、ゆっくりと扉を開ける。

「これは・・・⁉︎」

 部屋の中は、酷く荒らされていた。布団や襖は引き裂かれ、銃弾のような痕があり、壁には血飛沫が散っている。机にナイフが刺さり、机とナイフの間に、1枚の紙が見えた。

「江本さん、あれ・・・」
「確認して来ます。渉さんはここでお待ちを。」

 海里は出来るだけ現場を荒らさないように机まで歩き、ナイフを引き抜いて紙を取った。そこには、


『これ以上、私の芸術に手を出すな。もし踏み込むならば、“第2の犠牲者”を出す。再び死人が出ることを、探偵・・貴様は望むか? 望まないのであれば、手を引け。 R』            


「江本さん?」

 何も言わない海里に、渉が呼びかけた。海里は独り言のように呟く。

「面倒ですね。これは・・・・一刻も早く、犯人を見つけなければなりません。犯人の言う、“第2の犠牲者”が出る前に・・・。」


 深まる謎。正体不明の犯人・Rとは一体何者?
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