小説探偵

夕凪ヨウ

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Case49.教授の遺した暗号③

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「私が宮前教授と犯人・・・の姿を見たのは、19時くらいだったと思います。図書館で勉強していて、サークルも行って、帰るのが遅くなったんです。」

 琴子は講義室の椅子に腰掛け、膝の上で手を組んでいた。視線は常に下を向いており、必死に言葉を選んでいる様子だった。

「私、宮前教授の講義を取っていて、座学も技術も教えてもらっていました。昨日、宮前教授の講義はなかったんですけど、渡したいものがあって、音楽室へ行ったんです。」
「渡したいもの?」

 海里が首を傾げた。琴子は頷く。

「はい。・・・これです。」

 そう言って、琴子は自分の鞄を開き、1枚の紙を海里に渡した。丁寧にジップロックに入っており、中の紙は小さなビニール袋にまで入れられている。几帳面な少女だと思いながら、海里は紙に視線を落とした。

「これは・・・・⁉︎」

 海里、龍、小夜は、彼女が差し出した紙を見て怪訝な顔をした。そこには、


 ①(4)①(2)①(9)⑤(7)⑤(5)       
 ②(7)❸(3)②(3)①(7)   (50)


「おいおい・・・・何だよ、これ・・」
「村上さん。本当に、これを宮前教授が持っていたの?」

 小夜は信じ難い、というような表情で尋ねた。しかし、琴子は躊躇う様子なく頷く。海里は何度も紙を見返したが、全く意味が分からなかった。

「事件の前日こことです。宮前教授と構内ですれ違って、その時、宮前教授の胸ポケットあたりから、これが・・・・。その場で拾って、その日は届ける時間もなく、教授も忙しそうで、仕方なく家に持ち帰ったんです。それで事件当日の昨日、返そうと思って音楽室に。」
「それで殺人を目撃したのですね?」
「はい。」

 海里は、長く息を吐いた。宮前太一が亡くなったのが、彼女の言う通り18時だとすれば、彼は、生徒がいる時間帯に殺されたことになる。

「しかし・・・犯人も危険なことをしますね。生徒に自分の顔が見られるかもしれないと言うのに、そんな早い時間に殺人を・・・・?」
「音楽科の生徒は、他の学科に比べて少ないんです。ですから、音楽室に用がある生徒もあまりいなくて。」

 琴子の言葉に、海里はなるほど、と言った。確かに、この学校の人間であれば、そのくらいの情報は誰でも知っている。殺すタイミングは、意外に多かったのだろう。

「この紙、お預かりしても?」
「どうぞ。もともと、宮前教授の物ですし、何か助けになるのでしたら。」
「ありがとうございます。お忙しいところ、すみませんでした。」
「いえ。あの・・・泉龍寺先生。」
「どうしたの?」

 小夜が琴子の顔を覗き込むように、少し屈んだ。琴子は目を泳がせながら、

「2人きりで、話がしたいんです。」
「・・・・いいわよ。別室に行きましょう。」

 小夜はその場では彼女に何も聞かず、黙って講義室を出て行った。その後ろ姿を見た海里と龍は、怪訝な顔をする。

「話って何だと思う?」
「さあ・・・しかし、数学教授の小夜さんに、音楽科に所属する村上さんが、勉強の質問をするとは思えません。恐らく、事件に関わる何かでしょう。」
「同意だ。が、今はこっちだな。」
「ええ。」

 海里は暗号を軽く睨んだ。訳の分からない、規則性など微塵もない。なぜ宮前太一がこんなものを持っていたのか、何の暗号なのか・・・・。暗中模索、の4文字が頭をよぎる。
 その時だった。

「難しい顔してるね。どうしたの?」
「玲央さん?」 「兄貴?」

 いつもと同じ笑みを浮かべ、玲央は講義室に入って来た。扉を閉め、海里の側に立ち、横から暗号を覗き込む。

「なるほど。確かに、意味が分からないね。ただ、色違いの丸や括弧に意味はあるだろう。そうじゃなきゃ、こんな面倒なやり方はしないし。」
「いや、それはそうでしょうけど・・・なぜここに? 東堂さんから、今日は来ないと聞いていたのですが。」

 よく知ってるね、と言いながら玲央は続けた。

「俺も来るつもりはなかったよ。江本君には悪いけど、上からの指示さ。どうやら、上層部は君を信用していないらしい。九重警視長が実績があると主張したけどダメだったから、兄で同じ警部の俺が引っ張り出されたって感じかな。」

 玲央は苦笑した。龍も聞き飽きた言葉なのか、呆れた表情をしている。当の本人である海里は、玲央の言葉を聞いているのか分からないほど、暗号を凝視していた。
 玲央は海里らしいと感じたのか、思わず笑みをこぼす。しかし、すぐに温かみを含んだ目の光は消え、刑事らしい鋭さを露わにした。

「でも、今回の殺人犯は度胸あるよね。生徒が来ないかもしれないとはいえ、見つかれば殺人犯だと騒がれることは確実。おまけに手で締め殺してから吊るした? 随分な力仕事じゃないか。」

 玲央は、妙に“手で締め殺した”という言葉を強調した。当然、2人もその意味を分かっている。

「やはり、おかしいですか。」
「俺にはそう見えるよ。龍、君は?」
「おかしいだろうな。
 犯人は被害者を手で締め殺したのに、わざわざ吊るした。そのまま遺体を床に放置しておいた方が、犯人にとっての手間は省ける。だが、被害者の首に手の跡は残っていなかった・・・・。」
「ええ。被害者は“素手ではなくピアノ線で絞め殺された”・・・これは確実なんです。吉川線や爪から被害者以外の皮膚片等が見当たらないことが理由ですね。
 しかし、音楽科の生徒である村上琴子さんは、“手で首を絞められている”被害者を目撃しています。この矛盾を解決しないと、この事件の真相は見えません。」

 2人の見解を聞いて頷いた玲央は、軽い溜息をついた。

「口で言うと分かりにくいね。少し整理しようか。」

 そう言って、玲央は龍から受け取ったメモ用紙を1枚千切り、持っていたボールペンで時系列を書き出した。それは、以下の通りである。


〈昨夜〉
・18時前?
 宮前太一死亡。ピアノ線に よる絞殺。

・18時 
 生徒である村上琴子が、首を絞められ
 ている宮前太一と、犯人らしき人物を
 目撃。
 →犯人の顔は見えず

〈今朝~現在〉
・8時 
 学長・水嶋智彦が遺体発見。音楽室を
 封鎖し、警察へ通報。

・8時半 
 東堂・江本の両名が水嶋大学到着。水
 嶋からの指示のもと、調査開始。
 →同時刻に泉龍寺小夜と再会、共同捜
  査

・9時~14時 
 大学内部における被害者の情報収集。  
 →教授・生徒からの聞き取り調査。

・14時半(現在) 
 村上琴子に話を聞く。
 →暗号の紙を受け取る。意味は不明。


「こう見ると、穴だらけですね。今回、調べ物の時間が長い・・・・」
「仕方ないんじゃないか? 学長が徹底的に生徒と関わることを許していないんだから。」
「それにしても、だよ。水嶋学長は、何か隠している気がするけどなあ。彼、事情聴取に応じなかったんだろ?」
「はい。仕事があると・・・・」
「それ、嘘よ。」

 そう言いながら入って来たのは小夜だった。海里は思わず煩悶する。

「ええ。廊下ですれ違った生徒に、学長を見たか聞いたの。そしたら、学長室でお茶飲んでた、って。全く・・・呆れてものも言えないわ。」

 龍は呆れた顔をしながら言った。

「自分が設立させた学校の心配はないのか?」
「少しはあって欲しいけどね。」

 玲央は苦い笑みを浮かべた。だが、すぐに一転。優しげな笑みと視線を小夜に向けた。

「それより・・・久しぶりじゃないか。元気そうだね、小夜。」

 その言葉に、海里と龍は動きを止めた。小夜は優しく笑い、玲央に声をかける。

「ええ。あなたも元気そうで良かったわ。玲央。」

 小夜はゆっくりと玲央に近づいた。彼女は手に持っていたノートを差し出し、玲央に渡す。

「はい、どうぞ。“あなたに頼まれて調べた水嶋学長と宮前教授の情報”。」
「ありがとう。」

 玲央は笑ったが小夜は溜息をついた。

「本当、人使い荒いわね。もう天宮じゃない私にこんな話頼むなんてどうかしてるわ。」
「できると思うから頼んでるのさ。」


 不思議な信頼と、優しげな視線を交わす2人。隠された関係が意味するものとは・・・?
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