小説探偵

夕凪ヨウ

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Case52.教授の遺した暗号⑥

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 どうぞ、と言った自分の声が普段より低く感じた。彼は重い足取りで木箱に近づき、蓋を開ける。
「手紙?」
 そんな物が入っていたのか。まあ、予想はついていた。入っている物も、内容もーー。
 彼に視線を移すと、驚愕の表情を浮かべていた。目尻に涙が見え隠れしており、溢れ出る感情を制御できないようだった。
「あなたはこれを見てもまだ、同じことが言えますか?」
 先ほどの言葉を繰り返す気はなかった。繰り返したところで意味はないし、口に出して気持ちのいい言葉ではなかったから。

    ーカイリ『教授の遺した暗号』最終章ー

            ※

「この事件は至ってシンプルです。宮前教授は背後から水嶋学長にピアノ線で首を絞められて殺害された。しかし、水嶋学長は自殺に見せかけようとしたんですよ」
「見せかける?」
 龍の質問に、海里は頷いた。彼はピアノから手を離し、天井の柱を指し示す。
「首吊り自殺は、主に高所に縄を吊るしていることが多いです。水嶋さんはそれを利用して、自殺に見せかけようとしたんです」
「なぜ?」
 玲央の問いに、海里は曖昧な答えを述べた。
「深い理由は分かりません。ただ、水嶋さんがそれを望んだ・・・・。動機を聞けば分かるかもしれませんが、一旦、飛ばしましょう」
 水嶋は笑っていた。彼は、穏やかな口調で尋ねる。
「なぜ私が犯人だと分かったのですか? 指紋は付けていない・・・付いている可能性も考慮して、念入りに拭き取りましたよ」
「ええ。確かに、あなたは指紋を残さなかった。指紋だけではない・・・ありとあらゆる、ご自分の痕跡を残していませんでした。しかし、その丁寧さ故に、あなたが犯人であると分かったのです」
 海里は手袋を取り出して嵌めた。そしてゆっくりと音楽室の隅にあるゴミ箱へ行き、中から“ある物”を取り出す。
「ビニール手袋・・・?」
 龍と玲央が同時に声を上げた。海里は頷いて続ける。
「はい。水嶋学長が犯行時に使った手袋です」
 突然現れた証拠品に、2人は驚きを隠せなかった。
「玲央さん、仰いましたよね。潔癖症の方が汚い物を触るなら、手袋か何かをしないと無理だろう、と」
「ああ・・・言ったね。そんなこと。でも、脚立は使われていなかったんだろ?」
「ええ、使ったのは脚立じゃありませんから」
 海里の言葉に、全員が目を丸くした。小夜が海里の視線を追って、ハッとする。
「まさか・・・冗談でしょ?」
「生憎、本当ですよ。水嶋さんが“台”として使ったのは、このグランドピアノと椅子です。彼は、音楽教授である宮前さんを、侮辱とも言えるやり方で吊るしたのですよ」
 海里はそう言い切った。水嶋は、穏やかな笑みを決して崩さない。
「いや待ってよ、江本君。確かに、グランドピアノもバランスは取れるだろうし、椅子を使えば高さは増す。でも・・あの天井はかなり高いじゃないか。龍が脚立に乗って、背伸びをして、やっと届いたんだよ? 失礼ながら・・・水嶋学長には無理じゃない?」
 玲央は、腰の曲がっている水嶋を見ながらそう言った。しかし、海里は首を振る。
「いいえ、可能ですよ。なぜなら、
「は?」
 龍たちは意味が分からないとばかりに声を上げた。
「そうでしょう? 水嶋さん」
 海里の言葉に水嶋は返事をせず立ち上がった。すると、海里の言った通り、水嶋学長の腰はまっすぐ伸びており、龍と玲央よりも頭1つほど身長が高かった。この身長であれば、遺体を吊るすことは簡単である。
「続けますね。水嶋さんは、1度遺体を吊るして、手袋を捨てて、音楽室を出ました。時間からして17時半頃でしょう。しかし、何事もなく仕事に取り掛かっていた時、音楽室で妙な物音がしたという学生の話を聞いた。まさかと思い音楽室に行けば・・・・予想は的中。首を括っている縄が千切れ、柱から遺体が落下していた」
 海里の言葉に水嶋はゆっくりと頷いた。
「・・・・ええ、焦りましたよ。幸い、人の出入りはありませんでしたから、急いで吊るさなければならないと思ったんです」
「そうでしょうね。しかしその時、運悪く宮前教授に会いに来た村上さんが、お2人の姿を目撃してしまった。彼女は被害者が誰かを理解して、そのまま家に帰ったと言います」
「私の顔は見えなかったのですか?」
「はい。嘘だと思うなら、試してみましょう。丁度、18時になりますから」
 海里はそう言って、龍にピアノの横に立つよう頼んだ。
「水嶋さんは部屋の扉の所に立ってください。そうすれば分かるはずです」
 水嶋は不思議に思いながらも音楽室の入り口に立った。おもむろに顔を上げ、龍の姿を見てハッとする。
「顔が・・・見えない・・・・」
「ええ。見えなかった要因は、このシャンデリアと太陽光です。近頃日が短くなっていますが、最近は少し長い。昨日も、18時頃に完全に沈み、最後の太陽光がシャンデリアに反射して、顔だけを隠したんです。そしてこれは、東堂さんと同じくらいの身長である人物しか顔が隠れない。よって、あなたの顔も見えなかったんですよ」
 水嶋はふっと笑った。
「幸運・・・と言ったところでしょうか」
「不謹慎な言い方はやめてください。とにかく、あなたは村上さんに姿を見られたことを焦った。顔を見られていると思いましたが、確認すれば自分が犯人だと言っているのと同じになる。だからあなたは、急いで遺体の首の紐をピアノ線に変え、もう1度吊るし、音楽室を掃除した」
「・・・・そんなに掃除をしたのは、指紋ではなく、殺人の痕跡を消すためか」
 龍の言葉に、海里は頷き、しかし、と続ける。
「その丁寧さも上手くいかなかった。それが、あの床の凹みです。」
「凹み・・・ああ、椅子が倒れた時ですか。特に気にかけませんでしたが、さすが、探偵さんは目敏いですね」
 海里は露骨に嫌な顔をした。彼は息を吐いてから、少し早口で話を続ける。
「あの凹みは、確かに首吊り自殺の踏み台としても考えられます。しかし、この部屋で首吊りをするためには、わざわざ脚立を持ってきて、それに乗り、縄を括り付けてから命を絶たなければならない・・・・つまり、死んだ後に何かしらの物証が残るのです。今回はそれがありませんし、宮前教授の身長ではそもそも柱に届かない」
「だから殺人だと?」
 龍の問いに海里はすかさず答えた。
「極め付けは吉川線でしょう。あれは首を絞められる時に抵抗した痕です。だからーー」
「彼が死を望んだんですよ」
 突然、何の前触れもなく、水嶋はそう言った。薄い笑みを浮かべ、海里を見る。
「彼が死にたいと言ったのです。だから私は、その手伝いをした・・・死の見届け人になったのです。私は、友の望みを叶えたに過ぎません」
 海里は言葉を失った。彼は信じられない、という表情を浮かべ、わずかに体を震わせながら尋ねる。
「・・・・本気で言っているのですか? 宮前教授が死を望んだから、自分はそれに従って殺したと?」
「ええ。賄賂の話をしたら、彼がそう言ったんです。“そんな思いをしてまで、教授になりたかったわけじゃない。学生を騙しているのと同じことだ。このまま教授でい続けるくらいなら、死んだ方がマシだ。”、と。だから私は」
「いい加減にしろ」
 龍の声が静かに響いた。彼は早足で水嶋の前まで歩いていくと、彼の胸倉を掴み、鋭い目つきで彼を睨んだ。
「死を望んだから殺した? ふざけるな。そんな・・・そんな理由で、人の命を奪っていいわけがない。人の命を奪う権利も、理由も、この世には何1つ存在しない」
「望みを叶えてあげたのですよ?」
 なおも穏やかさを保つ水嶋に対し、龍は叫んだ。
「違う! 宮前太一は死にたいなんて思っていない。お前が首を絞めた時にできた、吉川線がその証拠だ。あれは宮前太一の、“生きたい”という願いだ! それを無視して、踏み躙って、都合の良いように解釈して・・・・聖人君子にでもなったつもりか?」
 龍の表情は怒りに満ちていた。彼は少し間を開け、怒鳴る。
「勘違いするな! お前は、ただの殺人犯だ! 勝手な理由で他人の命を奪う、最低最悪の殺人犯なんだよ!」
 水嶋は、一切表情を崩さなかった。玲央が龍の肩に手を置くと、彼も無駄だと思ったのか、黙って胸倉から手を離し、深い溜息をついた。
 水嶋は動じず、ゆったりと海里に視線を移した。
「そういえば探偵さん。暗号と仰っていましたが、あれはどういう意味ですか?」
 海里は無言で村上琴子から受け取った紙を取り出した。ジップロックから取り出し、紙を水嶋学長に見せる。
「これです。事件の前日、宮前教授が落としたそうです。村上琴子さんが拾い、届けようとした時に、あなたを目撃したと」
「なるほど。それで・・・暗号の意味は分かりましたか? 私には、皆目検討もつきませんがね」
「ええ、分かりました」
 海里ははっきりとそう言った。龍たち3人が驚いて彼を見る。
「難しく考え過ぎていたのですよ。これはシンプルな暗号です。宮前教授の職業が分かっていれば、自然と解ける」
 その言葉を聞いて、龍たち3人が目を見開いた。どういう意味か、理解したのだ。
「私が気になったのは、黒で塗りつぶされた3です。なぜこんな面倒な作りになっているのか色々考えましたが、答えは近くにありました」
 言って、海里はピアノを見た。水嶋はわずかに驚く。
「これは、鍵盤の色を表していたのですよ。白は白鍵、黒は黒鍵です。そして、宮前教授が受け持つのは音楽。鍵盤の謎が解ければ、簡単な話でしょう」
 海里は近くにあった小さな籠からメモとペンを取り出し、暗号を写した。
「まず、注目すべきはここにある(50)という数字です。年齢か何かかと思いましたが、これはもっと単純なもの、50音を指していたんです」
 海里は、心なしか早口になっていた。彼は紙を見せながら続ける。
「ここからはもう簡単です。①から⑤の数字は50音のア行、すなわち母音に相当し、括弧内の数字は50音を横に見た時の移動する数に相当する。そして、①から⑤と母音をド・レ・ミ・ファ・ソに置き換えるとーー」
 海里はペンを置き、紙を水嶋学長に見せた。そこには、
「宝物・・水嶋・・・・?」
 全員が答えを口にした。海里は頷く。
「はい。恐らく宮前教授は、この音楽室に“何か”を隠しているのでしょう。そしてその鍵は、あのピアノが握っています。なぜなら、あのピアノは宮前教授の私物。幼い頃から親しんだ、自分の体の一部とも言えるピアノですから」
 そう言って、海里はピアノに近づいた。鍵盤蓋を開け、鍵盤の上に右手を置く。“宝物・水嶋”の順に、彼は指を動かした。
 ドを4回、2回、9回。ソを7回、5回。“宝物”を叩き終わると、海里は1度手を止めた。少し間を開け、再びゆっくりと指を動かす。
 レを7回、ミのフラットを3回、レを3回、ドを7回。
 全ての音を叩き終えた時、鍵が開くような音がした。


「これが暗号の答えです」
 全員の視線が、ピアノの目の前ーー何の飾り気もない壁ーーに集中した。広い壁が、半分辺りで横線を引いたようにゆっくりと動いていた。言うなれば、巨大な引き戸だった。よく見ると、壁の真ん中に小さな穴がある。金色の鍵も見え、暗号が解ければ、自然と開く仕組みになっていたのだろう。
「あの箱が・・・宝物、か?」
 龍の言葉に海里はええ、と言いながら、真っ直ぐに隠し部屋へ歩いて行った。小さな机の上に置いてある、小さな箱を手に取った。
「どうぞ、水嶋学長」
 木箱だった。丁寧に白い絵の具で塗られ、色褪せてはいない。水嶋はじっくり箱を見ると、鍵のない簡易な蓋を開けた。
「手紙・・・?」
 簡単な内容だった。そこには、水嶋に対する感謝の気持ちと、賄賂の件で責めたことへの謝罪だけが書かれていた。
「水嶋学長。あなたは、これを見てもまだ、宮前教授が望んだから殺したと仰いますか? もし違うならーーお分かりですね?」
 水嶋は静かに頷いた。倒れるように椅子に座った彼は、十数年も年老いたように見えた。
「龍」
「ああ、分かってる」
 龍は水嶋に近づき、手錠を取り出した。手紙を持つ彼の腕を手に取り、手錠を嵌める。カシャンと、小さな音がした。
「12月15日。午後18時30分。水嶋智彦。宮前太一殺人罪で逮捕する」
「・・・・はい」
 消え入るような返事が、静かな音楽室に虚しく響いた。
 持ち主に2度と奏でられないピアノは、夕日に照らされて光っていた。傾きつつある太陽は、友人だった2人の決別を表しているかのようだった。
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