小説探偵

夕凪ヨウ

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Case60.鮮血の迷宮美術館①

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「殺人は芸術なんだよ」
 全身の血が沸騰しているように感じられた。
 人を殺しておきながら、反省の色を一切見せず、おまけにーー芸術?
「ふざけるな」
 自然と声に怒気がこもった。
「お前は人の命を何だと思ってるんだ? お前の好き勝手に壊して、弄んでいいとでも?」
 相手は龍の怒りに気がついていたはずだ。でも、それを気に留める様子は全くなくーー恐らく、その怒りすら馬鹿にしているーー恍惚とした表情を浮かべた。吐き気がするし、虫唾が走った。
「当然さ! 僕は選ばれた人間なんだから! 人に何をしようが、文句を言われる筋合いなんてない・・・‼︎ 僕の芸術は、僕にしか理解できないようにね!」
 誰かに殺意を抱くことなんて、家族を失ったあの日以来、2度と訪れないと思っていた。だが今、どうしても許せない人間が、目の前にいる。
 自然と両手の拳を握り、歯軋りをしていた。今にも飛びかかりそうな気持ちを抑えられそうになかった。
 視界の端で何かが鈍く光った。龍は気が付いていなかった。だから名前を呼んだ。
「龍! 待て!」
 銃声がした。
                     
            ※

「わあ~大っきい!」
 美希子は飛び上がって喜んだ。白い息が宙に吐き出され、美しい彼女の横顔が一層輝く。
 年明けからひと月ほど経ち、寒さはいよいよ厳しくなっていた。雪が降る日も多く、積雪量が発表されるのは日常と化している。
「喜んでくれて良かったわ。美希子ちゃんは来年受験で忙しくなるし、今のうちだもの」
「ありがとう、凪叔母さん」
 浩史の妹、凪は「どういたしまして」と言って微笑んだ。彼女は笑みを浮かべたまま振り返り、背後にいる人影に声をかける。
「わざわざ来てもらって悪かったわね。2人とも、仕事大丈夫だった?」
「うん。寧ろ休めって言われたくらいだよ」
 答えたのは玲央で、龍は頷きながら前方にある美術館を見つめていた。
 4人は、美希子の受験生になる前に思いきり遊びたいという願いを聞き、都内の美術館に来ていた。彼女はすぐに浩史と凪を誘ったが、浩史は仕事が立て込んでいて予定が空けられず、龍と玲央に話が回ってきたのだ。彼らは驚きつつ上司に相談すると、先ほどのことを言われたのである。
 凪は駆け足で美術館に向かう美希子を見つめつつ、2人と並んで歩く。
「そういえば、江本さんは誘ったの? 高校の事件で知り合って親しいわよね?」
「ああ。美希子が誘って欲しいって言ったから電話したんたが・・・忙しいみたいでな。何でも、水嶋大学の事件と立石家の事件を同時進行で執筆して、今はその修正に追われているらしい」
「同時に? すごいわね」
「江本君、一度始めたらとことんやるからね」
 ふと3人が揃って前に視線を移すと、美希子は早く、と言わんばかりの表情を浮かべていた。凪は慌てて口を開く。
「ごめんね、美希子ちゃん。行きましょうか」
「うん!」
 3人は早歩きで美希子に追いつき、まだ距離がある美術館を見た。
 すると、玲央が尋ねる。
「ところで・・・この美術館って有名なのか?」
「あら、2人は美術館とか行かないの?」
「芸術には疎いからな。説明してくれ」
 凪は笑って頷いた。
「この美術館は“迷宮美術館”っていうのよ。ここには『鏡の間』と呼ばれる部屋があって、四方八方に鏡が設置され、迷路のようになっているんですって。それが美術館の名前の由来で、人気なの」
 凪の説明を聞いて、2人は揃って相槌を打った。歩いているうちに美術館が眼前に迫り、その全貌が顕になる。
 美術館は3階建てて横幅が広く、白い外壁に整然と並んだガラスは病院のようでありながら、どこか自由さを感じさせた。入口の扉は自動扉だが、迷宮美術館という文字は曲がりくねって渦のようなフォントだった。
「しかしデカイな。これ半日で回れるのか?」
「できなかったら後日来るつもりらしいけど、俺たちは難しいかもね。今日中に大方、見た方がいいんじゃない?」
 美術館に入った龍たちは、改めてその大きさに驚かされた。
 広々としたロビーに、巨大な額に入れられた数々の絵画。膝下あたりのものから、身長をゆうに超える高さの銅像。白を基調とした壁が、色とりどりの作品を強調しているように見えた。窓ガラスの光は床に反射し、大きさの違う四角形を作っている。
「ロビーの床・・・これ、向日葵か。外観に比べて随分派手だね」
 玲央はロビーの床全体に広がった巨大な向日葵の絵を見て呟いた。かなり写実的に描かれており、中央の種は一粒ずつあるのが分かる。
「ああ。でも、何か引っかかる。大袈裟すぎるというか・・何かを・・・」
 龍はそこで言葉を止め、首を振った。玲央も頷き、2人は考えるのをやめた。最近事件が多いせいか、小さなことに極端に反応し過ぎていると感じた。


 美術館は日本美術が多く、水墨画の間や仏像の間などに別れていた。どうやら全ての部屋を“間”と呼んでいるらしく、美術館なりの個性なのだろうと感じられた。
「あれが鏡の間ね。行きましょう」
 鏡の間からは、感嘆の声が漏れていた。しかし行列になっているわけではなく、他の部屋同様、広々とした間取りだと分かる。
 中に入ると、予想以上に広かった。いや、正確には、鏡が四方八方にあるため、広く見えるのだろう。床は普通の板張りだが、壁と天井は全て鏡であり、多数の鏡に自分の姿が反射して、どれを基準にするべきか分からなかった。
「これはすごいね。美術館という括りからは少し外れるような気もするけど、人気が出るのはよく分かる」
 玲央は感心しながらそう言った。美希子と凪は笑い合い、あっちが出口だ、いやあっちだと言い合っている。周囲にいる人々も、日曜日だからか多くが家族連れで、鏡の前で写真を撮ったり、正解の道を探して辿ったりしていた。
 龍は歩きつつ床と鏡を交互に見つめ、呟く。
「出口は少なくとも5、6個あるみたいだな。複雑だからこそ、多く設けているってことか。現に正しい道が中々分からないし、明かりは足元にあるキャンドルだけで薄暗い。まるで森だ」
 玲央が頷くと、前を歩いていた美希子が勢いよく振り返った。
「2人とも冷静すぎじゃない? もう少し楽しもうよ!」
「これでも楽しんでるよ。30過ぎた叔父さんだし、分かりにくいかな?」
 玲央の冗談に美希子は笑った。彼女の笑顔を見て、龍と玲央は安堵する。
 3年前、母親を殺された直後、美希子はあまり笑わなかった。もし笑っていても、明らかに無理をしていた。学校で何かあったわけでもなく、寧ろ友人が多く日々慰めてくれていたが、自分が家に帰っても母親は2度と帰って来ないという現実に、昔も、きっと今も、苦しみ続けているのだ。
 しかし、最近の彼女は明るく、心から笑っている。それだけで、龍と玲央は満足だった。


 鏡の間は1階にあり、1階の展示はそれで終わりだったため、出口に辿り着いた龍たちはロビーのソファーで休んでいた。しかし、美希子は5分もしないうちに立ち上がり、2階と3階にも行こうと興奮した表情を見せる。
 龍と玲央は美希子の体力に感心しつつ立ち上がると、誰かが龍のコートを引っ張った。龍につられて玲央も振り返ると、そこには、小学校低学年くらいの少年がいた。
「君、どうしたの?」
「・・・・お母さん・・いなくなっちゃった」
 少年は泣きそうな声でそう言った。実際は少年が迷子になっているのだが、玲央は少年の言葉を受け入れた。
「そっか。お母さん、迷子になっちゃったんだね。どこでいなくなっちゃったか、分かるかな?」
 玲央は少年の前に屈み、優しい笑顔で尋ねた。龍もコートを引っ張られたままなので同じように屈み、「大丈夫」と言いながら頭を撫でる。
 少年は、こぼれかけた涙を拭いながら答える。
「鏡がいっぱいあるとこ・・・お母さんの手をはなして歩いてたら、いなくなっちゃった。手、はなしちゃダメって言ってたのに・・・約束、破っちゃったの。お母さん、ぜったい怒ってる・・・・僕、悪い子かなあ」
「悪い子なんかじゃないよ。君は、お母さんを心配してるんだから」
 玲央の言葉は短かったが、少年が安堵するには十分だった。玲央は立ち上がり、美希子と凪を呼ぶ。呼ばれた2人は少年を見てすぐ事情を察したらしく、駆け寄ってくる。
「2人はここでこの子を見てて。俺と龍で探してくるから」
 美希子は頷き、少年をソファーに座らせて尋ねた。
「ねえ、君。お母さん、どんな人? 髪の長さとか服の色とか、お母さんって分かる何かを教えてくれるかな?」
 少年は今日の母親を必死で思い出しているらしく、言葉を選びながら言った。
「えっと、えっと・・・お母さんは髪が長いの。きれいな黒い髪で、今日は、お父さんにもらった赤いイヤリングをしてた! けっこんする時にもらったって言ってて、いにしゃるが彫ってあるんだって!」
 少年が口にした特徴は分かりやすく、加えて子供を探している母親の挙動は見たことがあるため、龍と玲央は顔を見合わせて頷いた。
「ありがとう。じゃあ、君のお母さんを見つけてくるね」
 そう言って、2人は鏡の間へ駆け出した。走りながら、玲央は龍に尋ねる。
「どう思う?」
「妙だな。子供が母親の不在を分かっているなら、逆も然り。係員に話したら迷子のお知らせでも流れるはずだ。だが、それがまるでない」
「やっぱりそうだよね。でも、鏡の間って確かに複雑だったけど、ある程度の道順は書いてあったはずだ。子供はともかく、大の大人が迷うと思う?」
 龍は答えなかった。2人は再び鏡の間に入り、足元のキャンドルを頼りに少年の母親を探し始めた。他の客は不思議がっていたが、2人はそんなことを気にしている時間はなかった。
 探している最中、龍は“ある物”を発見したが、落とし物と考え、玲央には言わずに自身の上着のポケットにしまった。


 既に鏡の間を出たのかと、2人が思い始めた時である。
「きゃあぁぁぁ!」
 突如、甲高い女性の悲鳴が聞こえ、2人は急いで声を追って走った。そこには鏡の間を見ていた1人の女性が尻餅をついており、床にある“何か”を見て愕然としていた。
「どうしたんですか⁉︎   何がーー」
 それを見てはいけなかった。
 見てはいけないものを、2人は見つけてしまった。 
 キャンドルに照らされ、はっきりとした“何か”はーー人の首だった。まだ切られて間もない、真っ赤な血が夥しく流れている、人の首である。
 女性は過呼吸になるのではと思うほど荒い息を吐きつつ、言葉を吐き出した。
「こ・・この道を通ろうしたら、これが鏡に反射して、何かと思って屈んで見たら、これが」
 女性の声は震えていた。龍は転がっている首を見て、一瞬目を見開き、しかしすぐに溜息にも似た息を吐いた。玲央が何かを言おうと口を開いたが、意味がないと思い、首を横に振った。
 床にある首の両耳には、イニシャルが彫られた、赤いイヤリングが輝いていた。
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