小説探偵

夕凪ヨウ

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Case71.血まみれのお茶会①

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 彼女の言葉が耳にこびりついて離れなかった。
 今まで多くの人と出会い、多くの言葉を交わして来た。しかし今、そのほとんどの言葉が曖昧になっている。きっと誰もがそうだろう。記憶は風化するものだ。
 だが、彼女の言葉だけは、忘れることができなかった。私の価値観をひっくり返した彼女の言葉は、呪いのように、私を捕らえて離さなかった。


 ーーあなたの頭脳は、確かに素晴らしい。でも、先を見通す力がない。
 私はそれを身につけようとは思わなかった。だって、隣には東堂さんがずっといて、玲央さんも増えたから。2人がいなくても、解決できる時はできたから。
 ーー真相を告げるという“今”に囚われて、“先”が見えていない。
 小説を書く上で、“今”を見つめることは重要なことだ。訪れ続ける“今”の集大成が、小説だから。“先”は後で良かった。
 ーー今のまま突き進めば、あなたはいつか必ず大切なものを失う。失いたくなければ、変わらなければならない。あなたのためにも、あなたを想う人のためにも。
 未来なんて誰にも分からない。失うかなんて分からない。そうならないようにできるはずだ。・・・・きっと。


「正しい答えなんて、分かるはずがない。少なくとも私は、私の正しさを変えることなんて、できない・・・・」
 蚊の鳴くようなつぶやきは、誰の耳にも届かなかった。それでいい。届いてほしいなんて思っていない。
 その時、部屋の扉をノックする音が聞こえ、同時に名前を呼ばれた。義母ははだ。私はゆっくりとベッドから体を起こし、鍵を開けて扉を押した。
「休んでいる時にごめんなさいね。1週間後の“お茶会”の件なんだけど」
「ああ・・・心配せずとも、ちゃんと顔を出しますよ」
 できうる限りの笑みを浮かべて答えると、義母は安堵の表情を浮かべた。
「それなら良かった。
 それとね、お父さんと話したのだけれど、“お茶会”にあなたのご友人を呼びたいの。真衣たちは呼んだことがあるけど、海里はなかったでしょう? 誰か、思い当たる人はいらっしゃるかしら」
 その時、私の頭に浮かんだのは、東堂さんと玲央さんだった。彼らとは友人と呼べる間柄ではないが、家族以外で深い関わりを持っている相手であることは事実だ。都合が良ければ、来てくれるかもしれない。
 そして、もう1人ーー小夜さんを呼ぶべきだ。今一度彼女と向き合い、私なりの答えを返さなければ。このまま時間に身を任せているわけにはいかない。
「3人ほど、います。少し多くなりますが、構いませんか?」
「もちろんよ。名前と住所は分かる? 招待状を送るから、教えて」
 半ば無意識のうちに、私は3人の名前と住所を紙に書いて義母へ渡していた。
 己が迷う原因になった女性を招待するというのは、見た目に反して意地っ張りと言われる私にとっては意外なことだし、小夜さん自身も驚くだろう。でも、これ以上逃げるわけにもいかない。
 義母が出て行くと、頭痛が再発した。私はすぐにベッドへ横になり、深い眠りへ落ちていった。
                    
            ※

 マリーゴールド号の事件から、約3週間が経っていた。お花見のシーズンは終わりかけていたが、世間はゴールデンウィークに湧き立っていた。
 そんな折でも警察官に休みは少なく、東堂兄弟は忙しなく働いていた。そして、その忙しない時の中で、玲央は龍に1枚の開封済みの封筒を見せた。中には封筒と同じ白色の手紙が入っており、裏面には切手と差出人、宛名に当たる自身の名前が手書きで記されている。
 龍は頷き、鞄の外ポケットから宛名だけが異なる同じ封筒を取り出す。
「これだろ? 中身は読んだよな?」
「うん。でも、“お茶会”ってなんだろうね。江本君が幼い頃にご両親を亡くして、ご両親の友人夫婦に引き取られたのは知ってるけど、“お茶会”に対する詳細は、まるで書かれていない」
「そうだな。だが、招待された以上、断るわけにもいかないだろ。この間の事件のこともあるし、江本と話はしたい」
「そうだね。それに、お茶会は仕事の関係で日曜日以外にできないって書いてあったし、休みを取って招待に応じよう。家からだとちょっと遠いけど、車出したらいいし」
「確かにそうだが、出すのは俺だろ」
 どこか呆れの混ざった声で龍が言うと、玲央のスマートフォンが振動した。彼はすぐさま胸ポケットから取り出し、メッセージの送り主を確認する。
「小夜からだ。ん? 封筒? そうか、彼女にも届いたんだ。意外だね」
「ああ。マリーゴールド号の事件以来、仕事を休んでいると聞いていたから、関わる気すらないのかと思っていたがーー違うみたいだな」
「ちゃんと答えを示したいってことかな。江本君らしいね。
 取り敢えず、来週の日曜日、俺の家まで来てくれる? 小夜との待ち合わせ場所は少し話し合うから」
「分かった」


 当日、龍は玲央、小夜の順に迎えに行き、海里の義両親ーー言い換えるなら海里と真衣の実家ーーへ向かった。3人の自宅や警視庁からはかなり距離があるため、車でも一定の時間がかかった。
 微かな音楽が流れる車内で、玲央はバックミラー越しに後部座席に座る小夜を見て言った。
「腑に落ちないって顔だね」
 小夜は窓の外を見つめたまま、溜息をついて答えた。
「・・・・当たり前じゃない。私は江本さんに会う気はないわ。話がしたいのかもしれないけど、私に答えを提示する必要はない。
 言葉は自由だけれど、それで変わるとは限らない。行動で示さなければ、何も意味がないわ」
 小夜の言葉に玲央は苦笑いを浮かべ、穏やかな口調で言った。
「江本君なりの考えあってのことだよ。彼も色々思うところはあるかもしれないけど、君と話をするべきだって決めたから、招待したんだろうし」
「随分彼のことを理解しているのね。いつからそんなに仲良くなったの?」
 玲央はやれやれと言わんばかりの視線を鏡越しに向けた。事件以来、玲央は小夜と頻繁に連絡を取るようになったが、明らかに機嫌が悪く、笑顔もあまり見せなかった。
 龍は2人の間柄に踏み込むことも、連絡している内容を尋ねることもなかったが、言いようのない気まずい状態が続いていることは知っていた。そのためか、そんな2人を見兼ねて尋ねる。
「泉龍寺は、天宮家の事件の際、俺と江本のことを調べたんだよな?」
 なぜそんな話を、と言わんばかりの一瞥を投げかけた後、小夜は頷いた。
「ええ。味方かどうか確かめるために」
「じゃあ、江本の義両親が何の仕事をされているかは知ってるか? 手紙に記載された住所は、高級住宅が立ち並ぶ区域だったはずだ」
「会社経営らしいですよ。江本さんの義父が社長で、義母は副社長。義父の弟さんも別に会社を経営しているとか。江本さんと妹さんを除いた3人の子供たちも、義父か弟さんの会社の社員で、加えて名門校の出身です」
「会社経営・・・天宮家との関わりは?」
「ないでしょうね。父は歴史ある家柄しか信用しなかったので、一代で築いた家とは関わりを持ちたがりませんでした」
 龍はなるほどと言いながら赤信号で停車した。少し間を開けて、小夜が続ける。
「江本さんの妹である真衣さんが事故に遭った時、江本さんはもちろんのこと、義両親と子供たち、義父の弟さんは心の底から悲しんだそうです。いつか必ず目覚めると信じて、治療費を惜しまずお見舞いにも頻繁に行っているとか。
 2人が幼い頃に家族になったから、強固な絆ができているのかもしれませんね」
「幼い頃・・・というと?」
 玲央の質問に、小夜はすぐ答えた。
「詳しく分からないわ。小学校在学中くらい、としか。その辺りのことは曖昧だから、本当のところはどうなのかは、全く分からないのよ」
「そういえば・・・江本君の口から聞いた過去って、探偵業を始めてからのことだけだね。龍は何か、彼の子供時代の話、聞いた?」
「何も。そもそも、自分の子供時代のことなんて、よほど親しくなきゃ話さないだろ」
「・・・・そういうものかな」


 出発から1時間ほど走った後、3人は目的地に到着した。
 江本家は丘の上にあった。3階建ての洋館で、真っ白な外壁が庭に植えられた草花の中で輝いて見える。巨大な黒い門が立ち、とてつもない威圧感があった。
「手入れされてるね。さすが社長宅」
「そうだな。ん? 誰か来たぞ」
 玄関扉を潜って3人の方に歩いてきたのは、1人の青年だった。漆黒の髪に、黒い眼鏡をかけている。グレーのスーツを着ており、女性のように細い体をしていた。
「お待ちしておりました。東堂龍様、玲央様、泉龍寺小夜様ですね」
 青年の丁寧な確認に、玲央は頷いて答えたり
「ええ。あなたは?」
「江本あおいと申します。江本家の長男です」
 葵は深々とお辞儀をした。海里と容姿は違うが、丁寧な物腰がよく似ている。彼はどうぞと言って門を開け、3人を中に通した。
「1つ、お聞きしても?」
「何でしょう、龍様。」
「江本は・・・マリーゴールド号の事件以来、ここにいるんですか?」
「はい。部屋にこもっています。小説も全く書いていないようで・・・早く仕事に戻った方がいいと、両親も話してはいるのですが」
 葵は、心配しつつも困ったような顔でそう言った。彼は大きな玄関を通り過ぎ、廊下を少し歩いて右手にある部屋の扉を開けた。それは大きなホールであり、食堂として使用されているのか、白い大理石の長テーブルが中央に置かれていた。
「お連れしました、父さん」
「ありがとう、葵」
 椅子から立ち上がった男女は、明るい笑顔で3人を迎えた。同時に奥の扉が開き、車椅子に乗った女性と、それを押す1人の女性が入ってくる。2人の女性は瓜二つの容姿をしていた。
 2人の女性が自分たちの席の前に到着すると、男が前に進み出て口を開く。白髪混じりの黒髪はきっちりと整えられ、黒い瞳は優しげな色を帯びていた。葵と違い、シャツとジャケット、ズボンという比較的ラフな服装である。
「初めまして。江本一也かずなりと申します。こちらは妻の愛華あいか。長男の葵と、双子で次女・三女の知華ちか流華るかです。本日は“お茶会”にお越し頂き、ありがとうございます」
「こちらこそ、お呼び頂きありがとうございます。家族水入らずの場ではないかと思ったのですが、よろしかったのですか?」
「もちろんです。寧ろ、海里のご友人に会ってみたいと思っていましたから」
 玲央が3人を代表して挨拶をし、一也と握手を交わした。龍と小夜は改めて頭を下げる。
 その時、食堂の扉が開く音がした。全員が揃って振り返ると、海里がいた。事件から1ヶ月ほどしか経っていないが、いくらか痩せたように見えた。
 一也は微笑を浮かべ、柔らかい声を上げる。
「海里も早くこちらに来なさい。お客さんがいらしたよ」
「・・・・はい、義父とうさん」
 この時、彼らはまだ知らなかった。和やかな“お茶会”の遥か前より、犯人の殺意が爆発寸前まで来ていたことに。
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