小説探偵

夕凪ヨウ

文字の大きさ
上 下
75 / 234

Case70.2人の探偵⑥

しおりを挟む
「皆さんもお気づきの通り、第2の事件は“殺人”です。残酷で、人間性の欠片もない。」

 小夜は吐き捨てるようにそう言った後、顔を顰めた。これ以上を語りたくないらしい。

「正直に申し上げて、第2の殺人で犯人はすぐに分かりました。自己顕示欲の強さが滲み出て、私たちに知られないと慢心していた。だからこそ、多くのミスを犯していました。」

 ミス、という言葉に、“彼”の喉が動いた。小夜は海里の方を見て、後を任せるといったようにマイクの前を離れた。海里はすぐに立ち上がり、マイクの前に立つ。小夜は海里の言葉を聞かぬうちに部屋を出ていき、どこかへ向かった。

「1つ目のミスは、片付けられていない食器です。確かに1つの机に置かれていましたが、時間が起きた時間は朝食の時間です。それなのに、昨夜の食器が残っているのは明らかにおかしい。
 2つ目のミスは、遺体と部屋の隅にあったナイフの欠片です。あのナイフの欠片を、厨房のナイフと合わせてみたら、欠けたナイフが出てきました。あそこまで簡単に見つかるとなると、犯人は焦っていたのでしょう。
 3つ目のミスは、昨夜、小夜さんの部屋に行ったことです。犯人は、彼女に意見を聞いて、“ある言葉”を引き出されてしまった。まあそのお陰で、私たちも犯人を特定できたのですが。」

 乗客たちがざわついていた。そこまでの“ミス”があったなど、自分たちに分かるはずがない。彼らは、改めて2人の頭脳に驚いていた。

「ここまで来たら、もう簡単です。食器片付けに携わり、厨房のナイフを使い、小夜さんとの会話で“ある言葉”を引き出される・・・・。」

 全員が、海里の言葉を理解していた。しかし、まだ分からない言葉があった。海里はその心情を察してか、ゆっくりと口を開く。

「私が先程申し上げた“あの言葉”。皆さん、何かお分かりになっていないことと思います。その言葉は、実に単純で、過去をよく覚えていないと、分からなかった言葉です。」

 まどろっこしい言い方だった。海里は、犯人に動きがないか、船内の監視カメラで確認しながら話していたので、刺激しないように慎重になっていたのだ。

「小夜さんが犯人から引き出した言葉・・・それは、“私の名前”です。」

 全員、意味が分からなかった。名前を言うことの、何が犯人特定に繋がるのか、まるで理解できなかった。海里は続ける。

「私は、この船に乗ってから1度しか名前を名乗っていません。第1の事件発生の前日・・つまり、この船旅の初日です。私は、甲板で小夜さん・六条船長と出会い、彼に名前を名乗りました。私の名前を知るのは、小夜さんを含めた兄弟姉妹と、六条船長のみ。他の方の前では名乗っていませんから、私の名前を知らないんですよ。」

 ここまで来て、何となく理解した人間も多かった。海里は少し声を大きくする。

「昨夜、小夜さんの部屋に来たのは六条船長です。彼女は、事件のことは自分ではなく私に聞けと言った。しかしその時、彼は私の名前を認識するのに時間を要したようです。おかしい話でしょう?前日に名前を名乗ったのに、翌日には忘れる・・・普通に考えてあり得ない。」

 海里は断言した。そして直後、海里は驚くべきことを口にした。

「つまり、昨夜彼女の部屋に来たのは六条船長ではない。“彼の姿をした犯人”なんですよ。犯人は小夜さんを殺すために彼女の部屋に行ったんです。」

 突如明かされる殺害予告に、誰1人として頭が追いつかなかった。誰も犯人の動機が分からず混乱していると、海里は淡々と続けた。

「動機は簡単。自分の殺人がバレているという自覚があったから。しかし、彼女は犯人の思惑を見抜き、上手く交わすためにも私の名前を出した。犯人の“殺意”を、自分ではなく私に向けるために。」

 小夜も策士だった。浅ましい犯人の思惑を見抜き、己の掌で転がしている。これは、彼女の父・和豊が自身の地位を守るための方法と同じであった。

「最後に第2の殺人の遺体です。あの遺体は、残虐さばかりに気を取られがちですが、よく見れば、犯人を指し示す手がかりが残っています。正直、犯人に語って頂きたいですが、名乗り出る気はなさそうですから、こちらからお話ししましょう。」

 挑発するような口調だった。海里は何の感情もないような、冷たい声を出す。

「くり抜かれた内臓は、遺体の側に置かれていた。そしてその置き方は、“この船の名前と同じ置き方”になっていた。そう・・・マリーゴールドです。皆さん、覚えていますか?昨夜の夕食で出た肉料理の盛り付け・・あれはマリーゴールドでした。そしてあの盛り付けは、“料理長しかできないんですよ”。」

 全員が凍りついた。海里は、静かにその言葉を告げる。

「もう、言い逃れは不要です。六条船長・・・いや、常島料理長。あなたが、この連続殺人の犯人だ。」

 海里は、監視カメラに映った船長室を見て言い放った。常島は、不敵な笑みを浮かべており、それは、徐々に高笑いに変わった。

「素晴らしいよ、江本海里君。私が残した数々のミスに、君は気づいた。そして、私を追い詰めた!これは尊敬に値する!」

 常島は、追い詰められているとは思えない、堂々とした態度だった。彼は上着を脱ぎ捨て、机の中に閉まっていたナイフを取り出す。

「だが、甘いよ。君は、“事件を解決した後”のことを考えているかね?」

 その言葉に、海里の背筋が凍った。彼はすぐに部屋を飛び出し、ロビーへ駆け降りた。

「夏弥さん・・‼︎」

 常島の腕の中に、夏弥がいた。彼の首にはナイフが突きつけられ、夏弥は恐怖からか硬く唇を結んでいる。海里は、自分の息が荒いのが分かった。

「近づくなよ、探偵。分かるだろ?」

 海里は一歩ずつ退いていた。どれだけ手を伸ばしても、届かないナイフを睨みながら。
 常島は、そんな海里を見て笑った。しかし、彼が一歩下がった瞬間、彼の顔から笑いが消えた。秋平が、常島を蹴り飛ばしたのだ。

「汚ない手で弟に触んな。」

 常島は呻き声を上げながら床に倒れた。ナイフが転がり、春菜が横から秋平と共に体を押さえつける。彼女の腕には、いかだを吊るすロープがあった。2人は素早く常島を拘束し、柱にくくりつけた。

「あなたの行動を、私が見抜けないとでも思ったの?」

 ロビーに現れた小夜は、転がったナイフをハンカチに包んで拾った。その顔には、凄まじい怒りが滲んでいる。

「あなたのような人間の行動は分かりきっている。管理室を出た後、秋平と春菜に頼んで、あなたの拘束を手伝うよう頼んだ。夏弥は、自分から買って出てあなたに囚われたのよ。そうじゃないと、船長室のすぐ近くなんていう、都合のいい場所にいないでしょ?」

 小夜は淡々と述べた。直後、船内放送が流れる。

『まもなく、東京港に到着します。乗客の皆様は、下船の準備をお急ぎください。繰り返します。まもなく東京港に到着します。乗客の皆様はーーーー』

「・・・・は?東京港・・?まさか・・そんなはずはない!この船は、船長が操縦していないんだぞ⁉︎到着するわけが・・・!」
「本当、馬鹿ね。料理長だと、船の仕組みも知らないのかしら?」
「な、何のことだ・・・⁉︎」

 驚く堂島に対して小夜は溜息をつき、言った。

「この船、緊急事態に備えて目的地へ自動へ走る機能が付いているの。私は推理を始める前に監禁されていた六条船長に頼んで、その装置を作動してもらった。あなたは海の上で船が止まって絶望する様を見たかったんでしょうけど・・・残念。そんなくだらない手には乗らないわ。」

 小夜たち4人は、常島の前に立った。彼女はゆっくりと続ける。

「あなたに逃げ場はない。大人しく捕まって、刑務所の中で後悔しなさい。私たちはあなたを赦すことも、逃すこともしない。・・・・決して。」
                     
            ※

 東京港には、捜査一課が集結していた。龍と玲央は乗客・乗組員・従業員の安全を確保した後、常島を部下たちに任せた。

「秋平君。」
「玲央さん、お久しぶりです。わざわざありがとうございます。」
「礼はいらないよ。遅くなってごめんね。怖かっただろうに。」

 玲央の言葉に、秋平は笑顔を浮かべた。すると、乗客の安全を確保した龍が秋平に尋ねる。

「江本と泉龍寺はどこだ?今回はあの2人が事件を解いた当事者だから、話を聞いておく必要があるんだが。」
「あ・・・姉は、江本さんに話があると言われて、あちらへ。」

 秋平は人のいない方向を指さした。彼の指し示した先に、微かに2人の姿が見えた。秋平は短い話だと思うと言い、2人は礼を言って海里たちの元へ走った。

「江本・・・」 「小夜・・・」

 2人が声をかけた瞬間、海里が小夜に言った。

「私はあなたのやり方が正しかったとは思いません。」

 海里は小夜を睨んでいた。小夜は壁にもたれかかって俯いており、海里の言葉に苦笑した。

「だったら、あなたの“正しさ”は何?人に偉そうに言うからには、自分の“正しさ”があるんでしょう?」
「・・・・なぜ・・あんな危険な真似をしたんですか?下手をすれば、夏弥さんは怪我をしていた。自分の弟をあんな・・・信じられない。」

 海里は拳に力を込めた。小夜は呆れたように言う。

「質問には答えず、ですか。まあいいわ。でもその言葉、そっくりそのままお返しします、江本さん。」

 小夜は顔を上げ、垂れた髪を耳にかけた。

「あなたは、真相を告げることが正しいと言った。でも、今回はどう?真相を告げたことで犯人は逆上し、無関係の人間を手にかけようとした。私は家族と協力することで、犠牲者を増やさなかった。無茶なやり方だったけれど、ベストな選択だったと思っている。」

 海里は何も言えなかった。心のどこかで、彼女が正しいという思いがあるのだ。
 だが、海里は譲らなかった。

「それでも!自分の身内を危険に晒す方法は間違っている‼︎もっと他に・・・」
「やり方があったというの?だったら教えて頂戴。あなたは、私と違って“探偵”なんでしょう?真相を告げることが正しいのなら、正しいやり方を提示できるはずよね?」

 小夜の口調は挑戦的でも、嘲笑うようでもあった。今の海里に、その答えが提示できないと分かっていて、彼女はその質問をぶつけたのだ。

「江本さん。あなたの頭脳は、確かに素晴らしい。でも、先を見通す力が足りない。」

 その言葉に、海里は動きを止めた。微かに肩を震わせ、唇を噛み締めている。小夜は彼の様子に気付きながらも、言葉を止めることはなかった。

「真相を告げるという“今”に囚われて、“先”が見えていない。もし探偵を続けるなら、先を見通す力が必要になる。謎を解き明かして、他者がどう感じるか、犯人はどうするか、被害者以外の犠牲者が出ないか・・・。基本的なことだけど、あなたはそれを全く見通せていない。だから今回、あんな形で船にいる全員を危険に晒した。」
「・・・そんな・・こと・・・・先を見通すくらい・・私にも・・・・」

 海里が何か言おうとしたが、小夜はすかさず告げた。

「できてないから言ってるのよ。別に自分を過大評価するわけじゃないけど、私たちがいなければ、あの時必ず犠牲者が出ていた。船が止まるかもしれなかった。船にいる全員が、もっと危険に晒されていたかもしれない。あなたは謎を解く時、多くの人の命が失われる可能性を考えなかった?考えなかったなら、あなたは分かっていないわ。謎を解くこと、失うこととはどういうことか。」

 小夜は海里に背を向けた。玲央と目が合い、泣きそうな笑みを浮かべる。だがすぐにその笑みは崩れ、真顔になった。 
そして肩越しに海里を見て、淡々と告げる。

「私を悪だと思うなら、それで結構よ。あなたの価値観を否定したんですもの。でも、これだけは言わせて。今のまま突き進めば、あなたはいつか必ず大切なものを失う。失いたくなければ、変わらなければならない。あなたのためにも、あなたを想う人のためにも。」
「・・・あなたに、何が分るんですか?探偵ではないと断言したあなたに、探偵として生きている私の何が・・・!」

 海里は叫んだ。小夜は少し声を潜める。

「失ったから分るのよ。謎を解くことが、人を幸福にするわけじゃない。失う前に、やめるべきなの。だって、失ったものは、取り戻せないんですから。」

 潰れそうな彼女の声が、海里の耳に響いた。直後、海里は壁を殴り、歯軋りをした。
 それが怒りか、悔しさか。海里自身にも、分からなかった。
しおりを挟む

処理中です...