小説探偵

夕凪ヨウ

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Case90.悲哀④

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「質問の内容はこのノートに書いてある。ゆっくりでいいから、質問に対する答えを筆記してくれ」
「わかりました」
 実に奇妙な取り調べだった。お互い一言も発さず、ただ文字を書く音だけが響く部屋。海里はさっきまでの修羅場が嘘のように思えた。
 こうなった以上、私が残る意味すらない気がする。でも、九重さんはなぜ私を? 警察官ではない私がこの部屋に入ることすら難しかったのに・・・・普通に考えて玲央さんを残すべきじゃないのか? そうでなくとも、1人くらい警察官をつけるべきなんじゃ?
 噴出する疑問は留まるところを知らなかったが、海里は黙って奇妙な取り調べを見つめていた。別室に移動した龍たちの声は聞こえて来ず、生きている人間が自分たちだけになってしまったような感覚を覚えた。
 取り調べをしながら、浩史は何度か質問を書き加えた。小夜はその1つ1つに時間をかけて答え、終わった時には1時間以上が経過していた。
「これで終わりだ。協力ありがとう」
 浩史は穏やかな笑みを浮かべ、小夜に礼を言った。彼女は辿々しく頷く。
「いえ・・・・あの・・私が犯人でないことを、証明することはできますか?」
 証明も何も、犯人でないと海里は信じていたが、浩史は警察官として捜査次第であると答え、海里に龍たちを呼んでくるように伝えた。
 海里は部屋を出て、別室へ移動した龍たちを呼びに出て行った。数分と経たずに龍たちがやって来ると、浩史は伊吹にノートを手渡した。
「あまり強引なことはするな。今回は見逃すが、次はないぞ」
 普段より声のトーンを落として浩史は言った。伊吹はわかっています、と答え、洋治は胡乱うろんな視線を向けた後、頷いた。
 伊吹がノートを開くなり、海里たちは一斉に覗き込んだ。そこには本当に典型的な質問と、その答えが書いてあっただけだった。お手本のような小夜の字と、達筆な浩史の字が交差しており、教科書でも見ている気持ちになる。
「泉龍寺君にはアリバイがある。職場から家までの距離を調べたが、とても仕事を抜け出して戻れる距離じゃない。もちろん、怪しい人物と連絡を取っていたような痕跡も見つかっていない。
 どういう意味か・・・・わかるな?」
 浩史の言葉に対し、洋治は何かを考えるように険しい瞳をして俯き、すぐに顔を上げ、会釈をして取調室を後にした。伊吹は興味がないと言わんばかりにノートを閉じ、踵を返す。玲央の横を通り過ぎる際、彼の肩を軽く叩いて言う。
「過保護も程々にするのがいいかと」
 それは皮肉のようだったが、玲央は安堵したように息を吐いて答えた。
「その台詞、そっくりそのまま返すよ」
 2人の足音が聞こえなくなると、今度は浩史が長い息を吐いた。おもむろに小夜へ視線を移し、微笑を浮かべる。
「これで良かったんだろう?」
「ええ。助かりました。下手な証言は通じないと思ったので・・・・あちらが上の人間を出してきた以上、同じことをするしかないと思ったんです」
 海里たち3人は、まるで状況が理解できなかった。すると、浩史が海里の方を見て尋ねる。
「江本君。さっきの私たちのやり取りで、何か不自然な点はなかったかな?」
「えっ? 不自然な点・・・・ですか? でもあれは、普通に取り調べをしていただけでは?」
 海里の言葉に浩史は曖昧に頷いた。
「まあ、そうだな。私がノートに書いていた質問には、確かに答えてもらった。だが、初めから犯人じゃないと分かっている人間を本気で問い詰める必要はない。あの時、私たちは“別の話”をしていたんだよ」
「別の話・・・・?」
 首を傾げる海里に対し、小夜が口を開いた。
「私たちの手元を思い出してみたら、違和感に気がつくはずよ」
 手元、と海里は復唱した。顎に手を当て、先ほどの取り調べを思い浮かべる。
 九重さんが小夜さんにノートを渡して、彼女はノートに書かれた質問の答えを書き記していた。彼女はずっとペンを持ち、九重さんは腕組みをしていた。
 でも、質問や答えに応じて追加が必要になったのか、何度か九重さんもノートを取って、文字をーー
「・・・・あ」
 やけにはっきりとした驚愕の声に、龍は思わず怪訝な表情を浮かべた。海里は浩史と小夜の方を見ながら、言葉を続ける。
「どうしてお2人が、文字を書いていたんですか? お2人は、ですよね。
 あの時、お2人はずっと右手を隠していた。小夜さんは左肘の内側に、九重警視長は腕組みの下側に。そもそも・・・・ノートを開いた後、初めに文字を書いていたのは九重さんの方だった。日付が何かを書いたのでしょうが、あの時、小夜さんは少し驚いていました。大して気に留めませんでしたが、その後九重さんは、。そして、小夜さんは何の迷いもなく左手でペンを取り、そのまま文字を書いた。利き手と反対の手で文字を書いていたから、時間がかかったんですね?」
 海里の答えに2人は笑い、龍と玲央は言葉を失った。奇妙な取り調べの様子に気を取られ、細かいところまで目がいかないと、2人はわかっていたのだ。だからこそ、海里が見ている前で大胆な方法を取れたのである。
 龍と玲央は混乱する自分を宥めつつ、口を開く。
「ちょっと待ってください。そもそも、なぜ2人はそんなことを? 文字を書くなんて重要なことを、わざわざ利き手と反対の手でやるなんて・・・・」
「・・・・まさかとは思いますが、モールス信号ですか?」
 玲央の言葉に2人は頷いた。海里たちはいよいよ頭が痛くなって来る。対して、浩史は楽しげに笑って言った。
「モールス信号は正確さが求められるから、利き手の方がいい。字を書きながら手を動かしていても、見えなければ問題ないし、そういう癖だと認識させられる。現に、江本君も怪しまなかっただろう?」
「ええ、全く。しかし、なぜそんなことを?」
 その瞬間、小夜の瞳に影がかかった。彼女は声を潜めて言う。
「九重さんに過去の情報を共有する提案をされたの。私はさっきの取り調べの最中、モールス信号でそれに答えていた」
 途端に玲央の顔色が変わった。彼は少し身を乗り出して尋ねる。
「過去の共有って・・・・本気なの?」
「本気よ。
 もちろん、私だって“約束”は守りたかった。でも、ここまでされたら黙っているのが難しい。今回の1件で、警察内部を信頼しきれないこともはっきりした。裏切り者がいることははっきりしたわ。
ーー正直に言うなら、私はこの部屋にいる人間すら信頼できない」
 小夜の言葉に全員が険しい顔をした。彼女はため息をつく。
「こんな事を言って申し訳ないと思ってる。でも、どうか許して欲しい。私は、この1件で誰も信頼できなくなった。昔からの知り合いだろうと、内面を知る人間であろうと」
「・・・・それでも過去を話す気になったのは、俺たちの反応を見るためか」
「ええ。知りたいのでしょう?」
 海里と龍は、小夜の言葉を否定する気にはなれなかった。ただ、あまりに急な話で、すぐに答えを口にすることができない。玲央もまた、小夜の意思を尊重すると決めていたからか、何も言えなかった。
 しばらくして、浩史が沈黙を破る。
「場所を変えるぞ。ここでは誰かに聞かれる」
 全員の視線が浩史に浴びせられ、場所を尋ねていた。彼はすかさず答える。
「凪のバーだ。本庁にいるのは危険だからな」
 取り調べ室を出ると、いくつか部屋を挟んだ小会議室から洋治が姿を見せた。彼は海里たちの様子に何の感情も示さず、平坦な足取りで立ち去った。海里は不思議そうに彼を見つめていたが、すぐ龍に促され、彼と反対の方向へ歩き始めた。


 凪は開店前に現れた兄たちに驚いたものの、小夜の姿を見るなり個室へ通した。個室は6人分の席があり、全てソファーだった。1人席と2人席が二つずつあり、同じ席が向き合っている。
 龍と玲央に促され、浩史は最奥の1人席に腰掛けた。彼から見て右側に小夜と玲央、左側に海里と龍が座る。兄弟2人が下座につき、向かい合った。
「今日は開店時間遅めだから、ゆっくり話して大丈夫よ、兄さん」
「すまないな、ありがとう」
 凪が人数分の水を置いて出て行くと、沈黙が落ちた。やがて彼女が開店作業をする音が聞こえるなり、小夜は鞄からスマートフォンを取り出して操作し始める。
「え、小夜さん?」
 何をやっているんだとばかりに海里は声を上げた。小夜は彼の声には答えず、やがて手を止め、目の前にあるテーブルの中央に自身のスマートフォンを置く。画面は海里と龍の方を向いていた。
 スマートフォンには1枚の写真が表示されていた。1人の女性が中央に立ち、左右に2人の少女がいる。右側にいる少女は小夜であり、穏やかながらも楽しげに微笑んでいた。女性は上にある何かを指し示すように腕を上げ、もう1人の少女は左手でピースをしていた。よく見ると、背後に都内の遊園地の入口が見え、女性はそれを指しているのだとわかる。
「雫・・・・」
 龍の言葉に海里は驚いて顔を上げた。海里は写真を指し示して尋ねる。
「この、中央の女性ですか?」
「ああ。だが、もう1人はわからない」
 海里は話には聞いていたものの、初めて姿を知った雫を見つめた。
 長い黒髪をポニーテールにし、芯の強さと優しさが感じられる黒目が印象的な女性だった。筋の通った高い鼻や桃色の唇から覗く真っ白な歯が美しく、首も長い。右目の泣き黒子が、美しさに磨きをかけているように見え、立ち姿のため、身長の高さとスタイルの良さがよくわかった。
 対する小夜と少女は身長が同じほどで、少しだけ小夜の方が高く見えた。彼女の面立ちは今と変わっていないが、瞳の光の有無は大きく違う。対して、少女は程よく日に焼けた肌をしており、円らな焦茶の瞳や小さめの鼻など、童顔と呼ばれる顔立ちをしていた。ショートカットの黒髪が、活発さを表しているように見えた。
「東堂さんの言う通り、この女性が二階堂雫さんです」
 小夜は突然口を開き、そう言った。彼女は続けて写真を撮ったのは玲央だと言い、4人で遊園地に行った時のものだと明かす。
 驚く海里と龍、懐かしげな視線で写真を見つめる玲央を他所に、小夜は愛おしさに満ちた視線で、写真の中の少女を見た。
「この子の名前は月城由花つきしろゆいか。雫さんの、母親違いの妹です」
「は? 雫に妹? そんな話、聞いたこともないぞ」
 龍は驚愕の視線を玲央へ向けた。彼は「俺も知らなかったんだよ」と答える。
「雫のご両親、俺たちが幼稚園児の時に離婚したでしょ。君も知っての通り、雫のお母さんは再婚しなかったけど、お父さんは再婚した。で、再婚相手との間に生まれたのが由花なんだ。歳は小夜と同じだから、俺からすれば丁度一回り年下ってことになるね」
 龍は開いた口が塞がらない、と言うように言葉を失っていた。小夜は微笑み、言葉を続ける。
「今から9年前ーー高校1年生の時、私は由花とクラスメイトとして出会ったの。明るくて活発なあの子は私と正反対で、初めは、正直少し苦手だった。でも徐々に、正反対なあの子と過ごす時間が新鮮に感じられるようになって、楽しくなった。天宮家の令嬢という理由で同級生に距離を置かれてばかりだったから、あの子が私の、初めてのーー友達」
 そうつぶやいた小夜の声は、出会ってから最も優しかった。海里は、こんなに優しい声や表情を持つ人だったのだとわかり、目を丸くする。
 すると、隣に座る玲央が口を開く。
「同じ頃に、俺も雫から由花のことを聞いたんだ。本当に驚いたし、龍にも話そうって言ったんだけど、少しの間だけ秘密にしたいって言ってね」
「秘密に? 何でまた」
 龍は話を聞いていなかったことに対する苛立ちではなく、純粋な疑問から尋ねた。玲央は穏やかに笑って告げる。
「君の誕生日に、サプライズで話したいって言ってたんだよ。後で決まったことだけど、小夜のことも、って」
 龍はますます目を丸くした。9年前、兄や幼馴染みがそんなことを考えていたなど、知る由もなかったのだろう。
 海里は雫の性格を何となく理解しつつ、この先を続けることに躊躇いを覚えつつ、口を開く。
「でも、東堂さんは小夜さんや由花さんのことを知らなかった。つまり」
 海里は言葉を止めた。同時に、小夜が悲しげな笑みを浮かべて玲央の方を見る。
「1週間後ね」
 玲央は笑みを消し、悲しげな視線を送りつつ「そうだね」と返した。海里は1週間後に何かあったかと考え、七夕だと思い至る。
 やがて、小夜が長く息を吐いた。玲央、龍、海里、浩史の順に視線を流した後、改めて海里と龍を見つめる。おもむろに開いた口から出た言葉は、残酷なものだった。
「9年前の七夕の日、由花は死んだ。ーー私のせいで」
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