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EpisodeZERO
01
しおりを挟むそれから─────子供のなかった遠縁の老夫婦は、厳しくも優しく惜しみない愛情を与えてくれた。
畑で刈った麦の束を抱えて、共に家路を歩く……そんなささやかな幸福を感じながらも、私は心のどこかで兄を忘れられずにいた。
そんな折だった。
肌身離さず携帯している賢者の石が夜毎に呻き声を発し始めたのだ。
兄を亡くした悲しみを、賢者の石に吸わせたのが悪かったのだろうか…。
病は気からというが、怪異の始まりもまた、やはり気からなのだろう。
きっと、死んだ兄が帰ってくる。
今思えばおかしな話だけど…そんな確信があって、私は20を目前に、開業医としての独立を理由に老夫婦の元を離れた。
彼らを、危険な目に遭わせたくなかったがゆえの転居だった。
医師として、研究者としてろくに鏡を見ることがない多忙な日々を過ごすうち…自分はいつしか賢者の石が消えたことさえ気が付かずにいた。
「先生はいつまでも若いね、忙しくしていると歳をとるペースも遅いのかねぇ」
「いやいや、私ももう歳ですよ。今年で56だ」
開業から30年近くの時間が過ぎ去り、人生の折り返し地点も間近という年齢になった私は、患者のある一言がきっかけで数十年ぶりに鏡を見た。
そこには、とても56歳を過ぎているとは思えない中性的な顔がなんとも間抜けな表情で佇んでいた。
「そうだ、あの石がない! どこにしまったんだ?」
デスクに山積みの書類をひっくり返し、抽斗の中身をかき出し、クローゼット、果てには寝床までもをひっくり返して探したが…兄の形見である賢者の石は影も形もなかった。
「これは、どうしたことだ…?」
石がなくなってから、私は五十年近く20代の姿を保ち続け…噂が拡がって二度と同じ場所では暮らせなくなってしまった。
有り余る長い時間の中でその“時代”を過ごすため、人の適正寿命と言われる年数を目安にして定期的に外見を変え、生活の場を移した。
方法は分からないが、賢者の石が同化してしまったとしか考えられなくて、人でなくなることを深く悩んだ結果…私は生国を去った。
…それから100年と暫くは、欧州圏の山奥の廃屋や洞窟を拠点に主な食糧源である堕落者を狩って生活した。
食いつぶし、吸収した存在の容姿・能力を具現化することができるのだと理解してから、私は“人間”の容姿をとらなくなっていた。
吸血鬼、切り裂き悪魔、鬼食い青月梟…時代によってさまざまな名で呼ばれた事もあったな。
たびたび休眠しながら500年ほどオーバーした頃、私は日本にいた。
時代は大正、天下のご一新とやらから更に百年が経った雑踏で人が行き交う様を眺めていた。
「今日も今日とて、賑やかなことだな…」
結論からいえば賢者の石は怨念の塊でしかなく、意図せず吸収してしまった私は“青鬼梟”と化してしまった。
すっかり他人との関わりに倦んでいた私は怪異になってからというもの頓着しない性格になり、今は橋の袂の影に潜んで生きている。
人間ではないのだから、人らしい暮らしなど必要ない。雨風を凌げて、尚且つ休める場所さえあれば言うことなしだ。
先の大地震のせいで、人界には非常に多くの犠牲者が出た。お蔭で人や獣の幽魂が悪質化した堕落者が大量発生し、私は闇に紛れて「いつもどおり」に堕落者を狩り、その血肉を啖う。
「やれやれ、また《出た》か…」
亡者というものは、大体執着を持っている。
そして厄介なことに執着を重ねる度に育ち、増長する。
増え過ぎた幽魂が祟り、人知の及ばない怪奇な事件が起きる処には必ず亡魂を貪り食いに堕落者…この国ではそれを“悪霊”または“悪鬼”と呼ぶらしい…が出没するので、その渦中に出向いて私は食事をするというルーティンを繰り返していた。
まあ、同じものを狩る当時の呪術師連中からはかなり煙たがられていたような気がするが、こちらも性なんでね。
こちらの言葉じゃ、そういうのを“しのぎを削る”と言うのだろ?
それからは津々浦々、東奔西走…ついには北の果てシベリアで堕落者を追い詰めて戦闘の果てに狩り殺し、捕食を遂げた。
……しかし(使っていた)肉体は相当のダメージを受けていたため、補修のつもりで凍土深くに埋めて私はシベリアを離れる事にした。
その後、そろそろ頃合かと思って肉体を回収に向かってみたのだが… 離れている時間が長すぎたのか温暖化で凍土が溶け、マンモス等と同じく体組織が腐敗してしまっていた。
意識はあるものの、腐った身はウンともスンとも儘ならない。
「ま、いいか。不便はないしな」
しばらく葛藤したが、堕落者さえ食えれば思念体でも何ら問題はないことに気づいた私は、腐り落ちた身体を離れて思念体のまま放浪生活を送ることにした。
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