ダークサイド・クロニクル

冬青 智

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現代篇

2話 依頼

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 「おかしい、写真と随分と違うのだが…。この情報、あきらか間違っていまいか。……ん?」

その建物を見た瞬間に視線を感じたような気がして、ソラは今日付で新居となる建物を再び見上げた。

「……いや、気のせいか」

別に気のせいならそれでいい。
思い込むことで「それ」を意識から除外してしまえば、後は慣れるだけで済むからだ。
しかし、この感知した時の「独特の感覚」は…どうにも引っかかる。
いま、私の真正面には打ちっぱなしのコンクリート外壁のマンションがある。
私の真正面に聳えるのが1号棟、その陰にひっそり佇むのが2号棟だ。
視線を感じたのは、奥の2号棟からである。
生きた者に、建物を貫通するほどの視力はない。
────つまり視線の主は死人…幽霊という事になる。
だがまあ、特に害意をぶつけられたわけでもないので、大方この建物に居着いている浮遊霊あたりだろう。
……私は、堕落者アン・シーリーの原型である幽霊の類が嫌いだ。というか大体の怪異は幽魂が苦手である。
情緒不安定な奴が大半だし、目が合えば蛾か何かのごとく延々と纏わり付いてきてウザったいことこの上ない。…が、今この身体(人格は別としても)の主導権は自分である。なんとか順応していく他に、解決策はないだろう。

「…これは仕方がない……仕方の無いことだ…」

吸収した魂魄イスナが呪術師であるために霊が見えてしまうという訳だが、はっきり言っておこう。
そんなもの見えても得なことがない。
起きる「何らか」の大体が厄介事である。

「……何かいるな」

巫覡(霊的なものを見る人間)にとって、視るという行為は日常で例えるならばラジオの波長チャネルを合わせるのと同じことだ。
 (生理的に霊が嫌いなので)撹乱が起きないよう日常的に意識しているが、念のため「あ、見てるな」程度には察知できるようにセンサーを張って精神統一は欠かさない。

……だが、いま自分の目前には視線云々がどうでも良くなるほどの絶望が聳えている。

新居になるであろうメゾンハイツ2号棟は物件のリストに掲載されていた情報に寄ると23年という築浅で、最寄り駅から北に向かって徒歩で5分と好条件で家賃も相場より破格で安く…清潔感ある白壁に蔦が這うお洒落な外装のデザイナーズ物件と資料上では謳われていたのに……灰色に薄汚れた白壁に、経年劣化かあちこち塗装が禿げて色褪せている青い屋根。
なんというか、見窄らしい外見に対して爽やかなネーミングが合っていない…この、残念具合が痛々しい。

「しかしまあ……くっそボロいな!」

見上げる体勢の所為か、肩にかけていたショルダーの紐がずるりと滑り落ちる。
イスナの記憶をなぞると霊的なモノの退治調伏、抹消を請負う職業柄のせいか、私生活でもごく自然に魑魅魍魎を引き寄せてしまうから…此処はただ寝に帰るだけの家にするつもりだったようだ。
そういう理由からの転居だっようだが、余計なワガママは言うなということだろうか?
だが、この「惨状」では溜息が出るのも致し方あるまい。

「むう……」

後悔先に立たず。どこに行っても変わらないというのならば、まずすべき事が1つある。
都内にしては格安の物件をウィンドー越しに見かけ、即決した世間知らずなイスナの浅慮を悔やむ。
そして、ガセネタを噛ませたボケナスをシバく。
これは列記とした詐欺事件だ。憚らず出るところに訴えてもいい。
そして、もっと環境の整ったマンションを紹介させる。それくらいして然るべきだろう。

◆❖◇◇❖◆  ◆❖◇◇❖◆ ◆❖◇◇❖◆❖◆❖


「おや」

怒りに胃を焼きながらスーツケース片手に件の不動産屋を訪ねると、店主である初老の好々爺が開いた新聞紙ごしにつぶらな目で笑った。

「いらっしゃいませ。またお会いできると思っておりました」

「な…っ、」

老爺の余裕綽々な態度に思わず毒が抜けてしまい惚けていると、「どうぞ」と席に促される。

「おい! あの物件はいくらなんでも非道ひどいだろう…資料とはえらい違いだぞ」

「御怒りはごもっともです。ですが……どうかこの老耄おいぼれに免じてお許し頂けませぬでしょうか…」

「はあ?ふざけるなよ貴様…」

あのクッソ古いボロ屋で寝起きしろと?
ふ ざ け る な !!
憤怒のあまり本来の魔力の3000分の1程度が(ついうっかり)漏れて空気を侵食し、可視化した毒色の魔力が、滲み広がり纏わりつく煙幕のごとく老爺に襲いかかる。

「ピャッ!?」

欧州発、始祖鬼の(微量のつもりだが)魔力をまともに浴びせかけられた好々爺は、一気に顔面蒼白になるや否や、見かけによらない見事な身さばきでテーブルセットから飛び退った。

「なっ、なななななななな何ですか、今のは!?」

「ふん。貴様がヒトの話を聞かないからだ」

「お嬢さん、いやあ驚きました。あなた、人間ではいらっしゃらない…?」

「“お嬢さん”か。ふむ……今の状態では致し方ないが、語弊だ。この“形”は元の持ち主のものを引き継いだだけで、私自体には性別はない」

人格は男寄りではあるが、私自身に性別を判然させる身体特徴はない。

「ええと…引き継いだ、といいますと?」

一体、貴方様はどういう種族のお方でしょうか、とズレた丸メガネを直し、小太りの老爺は鼻先に浮いた脂汗をハンカチで拭いながら首を傾げる。
再び本来の魔力の3000分の1程度を纏って右手のみを鬼梟に変えて見せると、老爺はずり落ちた丸眼鏡を元の位置に直してから愕然と目を瞠った。

「あ、貴方様は……まさか、伝説の怪異と名高い青鬼梟ルノ・ステッラであらせられますか!?」

「…如何にも…」

「…いやはや…まさか本当に実在するとは…。失礼ですが、今は何故にそのお姿なのでしょう?」

「この姿でいるのは…元の持ち主からの依頼でね。彼女の死に立ち会い、この“容姿”を引き継いだのだよ」

暗に非力な人間の容姿にしか見えないという指摘を受けたソラは、老爺の動向に違和感を覚えながら麗しい双眸を眇めた。

「なあ店主よ。お前は、この容貌を覚えている筈だぞ。この私に“また会えると思っていた”と言っただろうに」

怪訝な顔をしていた老爺だが、かつての客であった女呪術師の記憶がふいに蘇ってきて息を呑む。
が、彼女の容姿を象って現れたという事は───。

「…まさか、彼女は…」

「ああ、そうだ。藤咲文音…イスナは、この日の国に残存する最古の呪術師一族の生き残りだった。堕落者アン・シーリーに一族郎党を殺された彼女と…私は偶然に行き遭い、この魂魄を譲り受けた…というワケだ」

「あの家は、人間にしては珍しく怪異に優しい家でした。…そう、ですか。あの一族も、結構長いこと続いていたのに、ついに絶えましたか…」

心底悼む口振りで、老爺は小さく鼻をすする。

「形があり、命あるものはいずれ壊れる…そういう摂理だな。成りすますのは本意ではないが、とりあえずは…彼女が「遺した」ものを守ろうと思う」

「ええ…」

「だからと言って、あの物件はひどすぎる。もう少しマシな場所は無いのか?」

「あれま、やっぱりダメですかねぇ…」

「当たり前だ。実際の建物と、資料の情報の齟齬が大きすぎる」

「…鬼の御大、貴方様ほどの御方ならば…この土地一帯の惨状から今、我々のような小さく雑多なモノが蒙っている「害」に気づいておられましょう」

ふてぶてしい老爺に苦情の一言でも浴びせてやろうとも思っていたが、彼の口から出た「我々のような」という台詞フレーズに、一瞬で思考が冷めた。
どうやっても一般人にしか見えないのに、彼は“普通ならば俄には信じ難い領域の話”に妙に詳しい。
オカルト好きのジジイかとも思ったが、それもどうやら違う。
自分を含めた「我々」と言った彼の本性も、つまりは怪異あやかしという事だろう。

「きさま、怪異あやかしか…」

「はい、貴方様の仰るとおりです…」

円テーブルの対岸に座した好々爺は、深々と白髪頭を下げると変化を解く。
その場に現れたのは、灰茶色チャコールの三角耳、尖って長い鼻先をもつ妖狐きつねだった。

「…ワタリギツネか」

「はい」

ワタリギツネとは境界を行き来し、暮らす領域を転々と変えながら生きる漂泊の怪異である。
時に人と関わりを持ち、知識と技術を習得しては子孫たちに伝え教えたりしていた。

「私のことは、ヒョーゴとお呼びくだされ。旦那、私があの建物に拘るのには…ちゃんとした理由があるんですよ」

「理由、だと?」

「あそこには、憎たらしいバケモノ…堕落者アン・シーリーが出るんでさ。あれは強靭で悪質なモノ。次々にワタシら小さい怪異を喰らうばかりか、毒気を出してソコに二度と近寄れなくするんです。そこを餌場にする我々は、このままだと絶えてしまう…」

異常に生前の執着が強い霊は、強度と知能を上書きしながら、やがて魂魄を好んで喰らう悪霊・堕落者アン・シーリーと化す。
その食欲は獰猛、かつ残虐で生きたまま人畜魔鬽の類をも食らうのだ。

「お頼み申します。どうか、どうか弱き故に叶わなかった我々の無念を、何とぞ晴らしてくだされ…っ」

頼み倒すヒョーゴ。しかし彼も必死なのだろう、なかなか引く姿勢はない。
血縁が集まって暮らしているのだろうか、彼の背後の部屋からは複数の気配がこちらを窺っている。

「おまえ、身内を食われたのか」

「…はいっ、られたのは…齢3つの孫娘でした。まだまだ可愛い盛りで…。あの子のことを思うとヤツが憎くて、憎くて…っ」

弾けんばかりに榛色の双眸を瞠ったのち、ヒョーゴは顔を悲痛に顰める。
耳を、肩を震わせながら嗚咽するヒョーゴに、私は居た堪れない気持ちを懐いた。

「辛いことを思い出させて申し訳ない」

「いえ、いいえ……弱いものからダメになっていくのが摂理だと、私らも頭じゃ理解してんですよ…」

「…ここから先は、此方で対処しよう。すまないが、もっと詳しく話を聞かせてくれ」

イスナの「最期の依頼ネガイ」を受け、祓魔一族である藤の代紋を背負うからには、役目はキッチリ果たさねばならない。
この「身体」を提供してくれた彼女の為にも、しっかりケジメはつけなければ…。

ヒョーゴから大体の話を聞いて次なる場を定めた私は、ふたたびメゾンハイツ二号棟に踵を向けた。


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