宵月桜舞

雪原歌乃

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第二章 恋情と真実

第一節

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 過去に一度だけ目にした光景が目の前に広がっている。闇夜に浮かぶ金の月、そして、月夜の下でゆったりと舞う薄紅色の桜の花弁。
 妖しいまでに美しいその光景は、南條の奥に眠るもうひとつの魂を強く揺さぶる。それは、恐怖心であり、また、自分の大切なものを奪われたことに対する嫉妬でもある。
(過去の俺はよほど、あいつが愛おしくて堪らなかったということか……)
 南條は、目の前の桜の木をジッと見据えながら口の端を上げる。
 と、桜の木の幹が不自然に歪み始めた。まるで生き物のようにぐにゃりと動き、そこから少しずつ、〈ヒトならざる者〉が湧き出てきた。
 南條は息を飲んだ。〈ヒトならざる者〉を睨みつつ、右手に気を集中させ、彼の分身である日本刀を出現させる。
 〈ヒトならざる者〉は、南條と刀を交互に見比べると、ほうと小さく溜め息を吐いた。
「全く懲りぬようだな」
 〈ヒトならざる者〉――鬼王はそう言いつつ、しかし、南條がこの場所に現れたことに対して不快な感情は持っていない様子だ。むしろ、呼び寄せたのは鬼王だと言っても過言ではないだろう。
「俺を呼んだ目的は何だ?」
 鬼王から発せられる強力な気に圧倒されながらも、南條は気丈に振る舞い、手にしている刀の切っ先を鬼王の喉元に突き付ける。
 鬼王はやはり、動じる様子は一切なく、それどころか、南條の行動にクツクツと喉を鳴らして笑った。
「あの頃と変わらぬな」
 南條が眉根を寄せると、鬼王はなおも笑い続ける。
「あれを我がものにしようと必死になるその目、昔から少しも変わっておらぬ。あれがどれほど拒絶しようとも、力で強引に手に入れようとする。――まこと、人間とは愚かで浅はかな生き物だ」
「――そんな戯れ言を言うために俺を呼んだのか?」
 南條は、刀を持つ手に力を込めた。だが、あと少しというところで、鬼王を貫けずにいた。いや、どちらにしても、今の南條の力では、鬼王を斃すのはおろか、致命傷を与えることすら無理だ。
 何も出来ず、刀を構えたままで立ち尽くす南條に、鬼王は口角を上げ、しかし、わずかに憐憫の情を込めながら見つめる。
「そなたの想いは私にも分かる。これでも人を愛する感情は備わっているからな。だが、だからこそ、私とてあれをそなたに奪われたくはないのだ」
「しかし、お前は肉体を持っていない。そんなお前が、どうやってあいつを愛することが出来る?」
「――なに……?」
 これまで穏やかだった鬼王の表情が一変した。南條にとってはさり気ない言葉だったのだが、鬼王にしてみたら、もしかしたら、目の前に突き付けられている刀よりも、鬼王の心に鋭く突き刺さったのかもしれない。
 それに気付いた南條は、しまった、と思ったが、一度出た言葉は戻すことなど出来ない。
「――だから人間は愚かなのだ……」
 鬼王の金の双眸がギラリと光った。とたんに、十年前、鬼王から受けた霊力を想い出し、南條は身構える。だが、鬼王は南條を睨み続けるだけで、あの時の力を発する気配がない。
「――そなたは、愛する者と身体を重ねることが全てだと、そう言いたいのか?」
 予想外の問いに、南條は呆気に取られた。瞠目し、口をわずかに開けたままで黙っていたら、「どうなのだ?」と、鬼王が南條に答えを催促してくる。
 南條はしばし考えた。鬼王の言う通り、人間は愚かで浅はかだ。互いの愛を、温もりを確かめるために身体を重ね合わせることもあるだろうが、南條自身、心から愛おしく想う者を抱いた経験が全くない。
 本来、性行為は子孫繁栄をもたらすことが目的だが、己の欲望を鎮める手段として女の身体を貪るのも事実だ。今まで抱いた女も、それを全て承知の上だったから、南條は性行為に関してあまり深く考えたことがなかった。
「――だが、身体を重ねなければ子孫を残せない……」
 そう答えるのが精いっぱいだった。唇を強く噛み締め、鬼王の視線を逃れようと、ゆっくりと俯いて瞼を伏せる。
 だが、鬼王の鋭い視線は全身に感じていた。恐らく、南條の考えを察したのだろう。明らかに、南條を侮蔑の眼差しで睨み続けている。
 肉体を持たないがゆえに、愛する者を温めることすら叶わない鬼王。しかし、だからこそ、ヒトよりも愛する者を大切に想っている。それを感じ取ったからこそ、南條は自らを恥じた。
(今の俺は、本当の〈愛〉を知らない……)
 不意に、桜姫(おうき)の魂を持つ少女――美咲のことが脳裏に浮かぶ。
 一見するとごく普通の女子高生。だが、内面から発せられる気は、並ならぬ強さがあった。ただ、そこにいるだけで南條を、いや、きっと他の誰をも惹き付ける魅力を持っている。
 思わずキスをしてしまったのも、美咲を大人しくさせる目的もあったが、何より、彼女に触れたくて堪らなかったからだ。非常に卑劣な手段なのは重々理解していたが、後悔よりも、直に触れた唇の感触にこの上ない幸せを感じていたのも確かだ。
「真実の〈愛〉を知らぬ、か……」
 唐突な鬼王の呟きに、南條はハッとする。弾かれたように顔を上げると、冷ややかに見つめる鬼王と視線が合った。
「愛を知らぬことほど不幸なものはない。どれほど身体を重ね合っても、そこに愛がなければ何の意味も持たぬ。
 私はそなたに興味を持っている。だが、女を〈道具〉としか見ていないそなたは好かん。――そなたは過去の記憶はほとんど失くしているようだが、私はあれが受け続けてきた屈辱を、一日たりとも忘れたことはない……」
「――屈辱、とは……?」
「答える義務などない」
 冷たく撥ね返され、南條はそのまま口を真一文字に結んだ。

 女を〈道具〉としか見ていない――

 そんなことはない、と否定したかったが、鬼王の指摘は的を射ている。
 美咲を愛したい。だが、過去の自分はどうやって愛したのかが分からない。現在もまた、美咲が特別な存在だという自覚はあっても、それが〈愛〉なのかと訊かれれば、はっきり、「そうだ」と首を縦に振れない。
「〈愛〉を知らぬ者は、決して強くはなれぬ」
 鬼王の言葉は重かった。胸の奥に冷たく突き刺さり、その痛みは、いつまでも消えることがなかった。
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