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第八章 娼嫉と憂愁
第三節-01
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朝食を済ませ、身支度を整えてから、朝霞はいつものように学校へ向かった。
学校へ行っても友人などいない。だが、家で何もしないで燻っているよりは、多少は気が紛れる。勉学に励んでいる時間だけが、唯一、朝霞の心の支えとなっている。
途中、樹齢千年は優に超える一本桜が祀られている場所がある。その場所は代々、藍田家が管理しており、藍田の直系以外は決して足を踏み入れることは許されない禁域となっている。
朝霞は言うまでもなく、藍田の直系であり、名目上は次期当主でもあるから入ることは許されている。しかし、入りたいと思ったどころか、さほど興味も湧かなかった。
それなのに、最近は何故か気になって仕方がない。いつものように素通りして学校へ行こうとしても、無意識に足を止め、桜の木に見入ってしまう。
今はちょうど、満開の時季を迎えていた。薄紅の花びらは風に乗り、ふわりと朝霞の元へと舞ってくる。
呼ばれた気がした。
朝霞は花びらをそっと握り、一歩、また一歩と桜の木へ近付く。
まるで、見えない糸で引っ張られているような感覚だった。強くはないが、桜に囚われた朝霞を離すまいとしている。
桜の木の下まで辿り着くと、猛烈な睡魔に襲われた。朝霞は意識を保とうとするも、やはり、〈何か〉が朝霞の中に入り込んでくる。その正体は分からない。しかし、どこか懐かしさを覚える。
そのうち、朝霞の身体は桜の幹に凭れるように崩れ落ちた。
◆◇◆◇
目を覚ますと、辺りの景色は藍色へと変化を遂げていた。
意識を失った時は朝だった。ということは、夜になるまで眠り続けていたということだろうか。
朝霞は幹に背を着けたままの格好で座りながら、ぼんやりと辺りを見渡した。
「ここに〈夜明け〉は存在しないのよ」
凛とした女の声に、朝霞はハッとする。どこから聴こえてきたのかと、改めて周囲を見回すと、朝霞の眼前に、ほっそりとした白い剥き出しの脚が現れた。
突然のことに驚いた朝霞は目を見開き、ゆっくりと天を仰ぐ。
「いらっしゃい」
朝霞と目が合うなり、白い脚の主である女は満面の笑みを向けてきた。
「ようやく呼びかけに応じてくれたのね? 嬉しいわ」
「あなたが……、私を……?」
恐る恐る訊ねる朝霞に、女は、「ええ」と首を縦に動かす。
「でも、正確に言うならば私ではないわね。ここは鬼王が統治していらっしゃるから」
朝霞の中で急激に戦慄が走る。女は何気なく口にしたが、〈鬼王〉という固有名詞は畏怖の対象だ。むろん、朝霞も鬼王の存在を畏れている。
「いるの、ですか……?」
固有名詞を口にすることが出来ず、あえて主語を省いたが、女にはしっかり伝わったらしい。先ほどと変わらず、ニコリとしながら頷いた。
「いらっしゃるわよ、すぐ側に」
女の視線を辿り、朝霞は首を動かす。
とたんに、全身が硬直した。
地に着くほどの銀の髪、月の灯りを彷彿させる金の双眸。父親から伝え聞いていた通りの容貌だった。
恐怖で小さく震えている朝霞を、鬼王は無言で見つめ続ける。怖い、逃げ出したい。だが、やはり身体は相変わらず自由が利かない。
「なるほど」
それまで言葉を発しなかった鬼王が、ゆったりと口を開いた。
「この娘、確かにそなたと同じ、ナカダチのチカラを感じる」
「ええ」
鬼王と女の間では会話が成立しているようだが、朝霞は完全に取り残されている。
ナカダチのチカラ――
鬼王と桜姫にまつわる因縁は全て知り尽くしているつもりでいたが、今まで一度も耳にしたことがない。
不意に、父親は〈ナカダチ〉を知らないのかと思った。いや、あの男のことだ。知っていながら真実を隠していた可能性は充分に考えられる。
学校へ行っても友人などいない。だが、家で何もしないで燻っているよりは、多少は気が紛れる。勉学に励んでいる時間だけが、唯一、朝霞の心の支えとなっている。
途中、樹齢千年は優に超える一本桜が祀られている場所がある。その場所は代々、藍田家が管理しており、藍田の直系以外は決して足を踏み入れることは許されない禁域となっている。
朝霞は言うまでもなく、藍田の直系であり、名目上は次期当主でもあるから入ることは許されている。しかし、入りたいと思ったどころか、さほど興味も湧かなかった。
それなのに、最近は何故か気になって仕方がない。いつものように素通りして学校へ行こうとしても、無意識に足を止め、桜の木に見入ってしまう。
今はちょうど、満開の時季を迎えていた。薄紅の花びらは風に乗り、ふわりと朝霞の元へと舞ってくる。
呼ばれた気がした。
朝霞は花びらをそっと握り、一歩、また一歩と桜の木へ近付く。
まるで、見えない糸で引っ張られているような感覚だった。強くはないが、桜に囚われた朝霞を離すまいとしている。
桜の木の下まで辿り着くと、猛烈な睡魔に襲われた。朝霞は意識を保とうとするも、やはり、〈何か〉が朝霞の中に入り込んでくる。その正体は分からない。しかし、どこか懐かしさを覚える。
そのうち、朝霞の身体は桜の幹に凭れるように崩れ落ちた。
◆◇◆◇
目を覚ますと、辺りの景色は藍色へと変化を遂げていた。
意識を失った時は朝だった。ということは、夜になるまで眠り続けていたということだろうか。
朝霞は幹に背を着けたままの格好で座りながら、ぼんやりと辺りを見渡した。
「ここに〈夜明け〉は存在しないのよ」
凛とした女の声に、朝霞はハッとする。どこから聴こえてきたのかと、改めて周囲を見回すと、朝霞の眼前に、ほっそりとした白い剥き出しの脚が現れた。
突然のことに驚いた朝霞は目を見開き、ゆっくりと天を仰ぐ。
「いらっしゃい」
朝霞と目が合うなり、白い脚の主である女は満面の笑みを向けてきた。
「ようやく呼びかけに応じてくれたのね? 嬉しいわ」
「あなたが……、私を……?」
恐る恐る訊ねる朝霞に、女は、「ええ」と首を縦に動かす。
「でも、正確に言うならば私ではないわね。ここは鬼王が統治していらっしゃるから」
朝霞の中で急激に戦慄が走る。女は何気なく口にしたが、〈鬼王〉という固有名詞は畏怖の対象だ。むろん、朝霞も鬼王の存在を畏れている。
「いるの、ですか……?」
固有名詞を口にすることが出来ず、あえて主語を省いたが、女にはしっかり伝わったらしい。先ほどと変わらず、ニコリとしながら頷いた。
「いらっしゃるわよ、すぐ側に」
女の視線を辿り、朝霞は首を動かす。
とたんに、全身が硬直した。
地に着くほどの銀の髪、月の灯りを彷彿させる金の双眸。父親から伝え聞いていた通りの容貌だった。
恐怖で小さく震えている朝霞を、鬼王は無言で見つめ続ける。怖い、逃げ出したい。だが、やはり身体は相変わらず自由が利かない。
「なるほど」
それまで言葉を発しなかった鬼王が、ゆったりと口を開いた。
「この娘、確かにそなたと同じ、ナカダチのチカラを感じる」
「ええ」
鬼王と女の間では会話が成立しているようだが、朝霞は完全に取り残されている。
ナカダチのチカラ――
鬼王と桜姫にまつわる因縁は全て知り尽くしているつもりでいたが、今まで一度も耳にしたことがない。
不意に、父親は〈ナカダチ〉を知らないのかと思った。いや、あの男のことだ。知っていながら真実を隠していた可能性は充分に考えられる。
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