宵月桜舞

雪原歌乃

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第八章 娼嫉と憂愁

第六節

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 ◆◇◆◇◆◇

「美咲ちゃん、大丈夫かしら……?」
 美咲の気配が完全に消えてから、初めて江梨子が口を開く。
「あの子はまだ若いし、他人事じゃないものね。ショックも相当だったはずだわ」
 美咲とは二度しか逢っていないのに、必要以上に心配している。それだけ、美咲を気に入り、可愛いと思っている証拠なのだが。
 美咲がショックを受けた理由は、朝霞の出生の秘密を知ったことはもちろん、それ以上に自分が本家で襲われたことを想い出したからなのだろうと南條は察していた。
 本家から美咲を取り戻した晩、南條に泣き縋りながら全てを話してきた美咲。恐怖に震えている美咲を抱こうとして、結局は胸にそっと触れるのが精いっぱいだった。
 一瞬、美咲と藍田に起こった出来事を話すべきかとも思った。だが、そんなことは美咲は決して望んでいないだろう。むしろ、美咲の傷を深くするだけだ。
「和海君」
 名前を呼ばれ、思案に暮れていた南條はハッとする。気付くと、リビングにいる全員が南條に注目している。
「ちょっと、美咲の様子を見てきてくれない?」
 理美に言われ、南條はわずかに目を見開く。
「俺が、ですか?」
 躊躇いながら問い返した南條に、理美は、「そう」と頷いて見せた。
「一人になりたい、なんて強がりを言ってるけど、ほんとは和海君に側にいてほしいって思ってるに決まってるもの。あの子に限って変な気を起こすなんてないだろうけど、万が一ってこともあるしね」
 南條は少しばかり考える。だが、理美の言う通り、美咲が誰かに救いを求めていることも事実だろう。理美に似てちょっと強気で、けれども、ふとした瞬間に脆くなる。それが美咲だ。
「分かりました」
 意を決した南條は立ち上がった。自惚れかもしれないが、今、美咲が必要としているのは自分だと思っている。
 そのまま、全員に後押しされる形でリビングを出る。そして、そのまま階段を昇り、二階の美咲の部屋の前まで来た。
 南條は一呼吸置き、ドアをノックした。
 ちゃんと出て来るだろうかと心配したが、わりとすぐに美咲は顔を出してくれた。
「大丈夫か?」
 南條の問いに、美咲はゆっくりと首を縦に動かす。無理をしているのは明白だ。
「少し、いいか?」
 美咲は今度は肯定も否定もしなかった。しかし、ドアを広めに開け、身体をずらした。入って、という意思表示らしい。
 南條は促されるまま、美咲の部屋に入る。考えてみたら、この家を訪れたことはあっても、美咲の部屋へ足を踏み入れるのは初めてだった。
 室内には、シンプルな机とシングルベッド、服を収納するクローゼットとチェストが置かれている。ちょっとした本棚もあり、中には少女向けの漫画がぎっしりと収まっている。多分、これが一般的な若い少女の部屋なのだろう。
「座って下さい」
 美咲が静かに口を開いた。ベッドに腰を下ろし、南條にも隣を勧めてくる。
 南條はやはり、美咲の意思に従って並んで腰を沈めた。
「――ごめんなさい……」
 南條が座るなり、美咲が謝罪してくる。
 南條は怪訝に思いながら首を捻った。
「どうして謝るんだ?」
「だって、いきなりリビングを出たから……。みんな、嫌な気分になったんじゃないか、って……」
「誰も嫌な気分にはなってない。むしろ、心配してる」
「心配、ですか……」
 美咲は俯いた姿勢で、膝の上に自らの拳を載せる。キュッと口を結び、泣きたいのを必死で堪えているように南條には映った。
 考えるよりも先に、南條は美咲の肩を抱き寄せていた。強くあろうとする美咲が愛おしくて、また、柔らかな温もりを感じたいという気持ちもあった。
 美咲は黙って南條に抱かれている。それどころか、南條の胸に額を押し付け、まるで猫のように甘えた仕草をしてきた。
「南條さん」
 くぐもった声で、美咲が南條の名前を口にする。
「私のこと、好きですか……?」
 不意を衝く美咲の問いかけに、南條の心臓は跳ね上がった。だが、動揺を悟られまいと平静を装う。
「好きだよ」
「どれぐらい、好きですか?」
「難しいことを訊くな……」
「答えられないんですか?」
「そういうわけじゃ……」
「言葉にするのは難しい、ってことですか?」
「ああ、そうだな」
 美咲が頭をもたげ、南條を見上げてきた。茶味がかった澄んだ瞳が、真っ直ぐに南條を見つめている。
 南條の中で魔が囁く。ここは美咲の部屋だ。家には大勢の人間がいるが、しばらくは二階に上がってくることはないだろう。
 しかし、と南條は思い直す。このまま美咲を抱いて、本当に心が満たされるのだろうか。何より、美咲が傷付きはしないだろうか、と。
「また、何もしてくれないんですか?」
 南條の心を見透かしたように、美咲が鋭く指摘してくる。
 ズキリ、と酷く胸に痛みを覚える。
「南條さんは、狡いです」
 美咲はニコリともせず、南條をジッと見据えながら続けた。
「言葉に出来ないなら、どれほど私を好きでいてくれてるのか、行動で示してくれればいいのに。――やっぱり、一回り以上も離れた子供には興味がないってことですか?」
「そうじゃない」
「なら、今すぐここで証明して下さい」
 美咲は南條の身体を押し退けると、勢い良く立ち上がった。そして、何を思ったのか、着ていた制服を次々に脱ぎ捨ててゆく。
 その光景を、南條は呆然としながら眺めていた。あまりにも唐突で止めるにも止められず、気が付いたら、下着だけを身に着けたあられもない姿になっていた。
「何も、感じませんか?」
 強がりを口にしながら、身体は微かに震えている。感情の赴くままに制服を脱いでしまったことを、少なからず後悔しているに違いない。
 南條はゆっくりと腰を上げた。美咲の覚悟にどれほど応えたらいいか考えつつ、強く抱き締めた。
「無理するな」
 美咲の耳元で囁いた。
「俺も、怖がっている女を抱けるほど器用じゃない。大切に想っているならなおさらだ。理屈なんてない。美咲が美咲だから、俺はお前が愛おしくて仕方ない……」
 華奢な身体を抱いたまま、南條は美咲の頭に顎を載せる。
 美咲はやはり震えていた。そして、小さく嗚咽が漏れ出す。
「……め……なさ……」
「謝るな。俺が悪い。ここまでさせてすまなかった……」
 美咲はしばらく泣きじゃくった。
 南條は何も言わず、ただ、美咲の背中を擦り続ける。幼子をあやすように。
 不意に、鬼王の顔が脳裏を掠める。
 鬼王は、南條を通してこの一部始終を眺めているのだろうか。どんな理由であれ、美咲を泣かせたことに怒りを覚えているかもしれない。
(美咲を守りたい、愛おしいと想う気持ちに偽りはない、決して……)
 心の声で、鬼王に強く訴える。
 鬼王は真実を見抜く。だから、南條の想いが本物であると分かってくれるはずだ。
(美咲は誰にも渡さない、絶対にな)
 南條の美咲を抱き締める腕に、自然と力が籠った。
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