儚き君へ永久の愛を

雪原歌乃

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Act.2

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 空き地を出てから、遥人は寄り道をせず、真っ直ぐ自分のアパートへと帰って来た。
 真冬ほどではないが、朝から留守にしていた室内には微かな冷気が漂う。
 遥人はまず、居間のハロゲンヒーターに電源を入れると、窮屈なスーツを脱ぎ、部屋着用のスウェットに着替える。そして、四畳ほどしかない狭い台所に立ち、雪平鍋に水を満たしてガスにかけた。今夜はインスタントラーメンと白飯だけで夕飯を済ませるつもりだ。
 湯が沸くまでの間、冷蔵庫にストックしていた缶入り発泡酒を一本取り出し、居間に戻りながらプルタブを上げて、ローテーブルの前に胡座をかいたのと同時に流し込んだ。
「ふう……」
 半分ほど呷ったところで口を離し、遥人は息を吐き出す。発泡酒の仄かな苦味が喉を通り、胃にじわじわと広がってゆく。
 一缶分をあっという間に空けて台所に再び行くと、ブクブクと音を立てて湯が沸いていた。
 遥人はそこに乾麺を放り、少し乱暴に箸を突き刺しながら掻き回す。硬かった麺は熱湯の中でゆっくり解れ、段々といい具合に柔らかくなってきた。
 出来上がったラーメンは丼に移さず、鍋ごと持って行く。洗い物を節約するためだが、これを実家でやっていた時は、家族から相当顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。一人暮らししているからこそ出来ることだ。
 ようやく本当に落ち着いた遥人は、ラーメンを豪快に啜ってから、少女のことを想い浮かべる。
 少女は、ずっと遥人を待っていたと言っていた。愛おしげに触れられた時に感じた少女の手の冷たさも、今でもしっかりと残っている。
「俺は、彼女の何なんだ……?」
 鍋の中のラーメンをジッと見据えながら、遥人は声に出して考える。だが、どれほど考えても何も想い出せるはずがない。
 ますます、自分の正体が分からなくなってきた。
 ごく平凡な家庭に生まれ、ごく平凡な家族に囲まれ、ごく平凡に友人が出来、ごく平凡に社会人になった。これからもきっと、〈ごく平凡〉なまま毎日が過ぎてゆく。そう信じて疑わなかったのに、あの少女と出逢ったことで、〈ごく平凡〉な毎日ではなくなった。もちろん、単なる予感ではあるが。
「彼女は、俺に何を望んでる……?」
 当然、答えなど出ない。少女に問い質しても、きっと答えてはくれない。
「悪いことひとつしたことない善良な男を騙そうとしてる、とか?」
 あの少女に、人を陥れて楽しむなどという悪趣味さはないと思いたいが、人は見た目では判断出来ない。一見すると儚げで可憐な美少女でも、中身はとんでもない食わせものかもしれない。
「俺にとんでもねえ約束をさせてくれたしな……」
 少女に押される形で、つい、また逢う約束をしてしまった遥人。逢わなくてはならない、と思ったのも、少女の気に圧倒されたからだった。控えめそうなのに、他人に有無を唱えさせない力が少女にはある。
「気が重い……」
 遥人は深い溜め息を漏らした。冷静になってみると、何故、自分が少女の暇潰しに付き合わないといけないのかという思いに至り、気が重くなった。だが、約束をすっぽかすような真似が出来るほど器用ではない。
「とんでもねえのに目を付けられちまったな……」
 考え込んでいるうちに、鍋の中のラーメンが伸びてしまったらしい。汁気がほとんどなくなり、その汁を吸った麺は、半分は食べたはずなのにまた増殖している。
 遥人は眉間に皺を寄せつつ、麺を箸でごっそり掴んで口に運ぶ。ふやふやになった麺は離乳食か老人食かと思うぐらい柔らかくなり過ぎて、よけいに虚しい気持ちにさせられた。
「怖いよな、女って……」
 ボソリと漏らしてから、遥人はふやふや麺を一気に掻き込み、口直しに新たに発泡酒の缶を開けて勢いよく飲んだ。
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