15 / 36
二章 銀箭に侵された地
槻本家の黒い車
しおりを挟む
数日後、槻本家から指定された時間、指定されたローカル線の駅に利玖と史岐が降り立つと、ホームからすぐ見えるロータリィに黒塗りの高級車が停まっていた。
構内踏切がまだ現存しているほど、時の流れに取り残されたノスタルジックな駅舎の外観にはまったく似つかわしくない。しかし、その食い違いがかえって、同系統の車種に対して抱きやすいイメージと馴染んで不思議な調和を生み出していた。
改札をくぐって車に近づくと、運転席のドアが開き、中から黒いスーツを着た男が現れた。土産物の木彫りのような厳めしい体格。さほど日射しは強くないのに、真っ黒なサングラスをかけている。
彼は、後部座席に回ってドアを開け、史岐達が乗り込んだのを見届けると運転席に戻った。後部座席の窓は、左右どちらにも白いカーテンが引かれ、外の様子が見えないようになっている。
運転手の男は、自分が槻本家に仕える人間であり、今日の送迎を担当する、という内容を簡素に述べてから、助手席に置かれていた鞄を開け、襷のような黒い布と耳栓を取り出して史岐達に渡した。
どういう理由からか、槻本家が所有する邸宅がどこにあるのか、といった情報は非常に巧妙に隠されている。今日、降りるように指示されたこの駅も、必ずしも屋敷の最寄りとは限らないのだ。
こういった拘束を受ける可能性がある事を、あらかじめ、利玖には説明しておいたが、彼女は両手で受け取った襷をすぐには着けずに、じっと膝の上で見つめていた。
かと思いきや、おもむろに顔を上げ、
「あの」
と運転手の男に声をかける。
「お屋敷までは何分くらいですか?」
「お答え出来ません」
「耳栓まであるんですね」
「この車は遮音性が高い構造になっておりますが、それでも外部から入ってくる音で、おおまかな現在地を推察する事は不可能ではありません」そういう文章がサングラスの内側にでも書かれているのか、と訊きたくなるような事務的な口調だった。「こちらの指示に従って頂けない場合、お二人をお屋敷までお連れする事は許可出来ない、と仰せつかっております」
「そうですか……」
利玖は再び襷に目を落とし、運転手の男は、元々強面の顔をさらに力ませて彼女を睨む。いくら食い下がられようとも、この少女を前にして、一片たりとも自分の使命を忘れてやる気はない、という強固な意志を全身で見せつけているようだった。
再び利玖が「あのう」と口を開いた。先ほどよりも、かなり、遠慮気味な声色になっている。
「初対面の運転手の方に対して、こんな事を申し上げるのは、大変、気が引けるのですが」
「なんでしょうか」
「お屋敷に着くまで、少し眠らせて頂いても良いですか?」
男の口がわずかに開き、そして、それよりももっと大きな振れ幅で両方の眉が跳ね上がった。それがまるで、サングラスの中から飛び出してきたように見えて、史岐は思わず笑いそうになり、すんでの所で踏み止まる。
「こちらから会ってお話がしたいとお願いしておきながら、本当に厚かましい事を言っているという自覚はあるのですが、ここ一週間ほど、期末試験の対策でまったく睡眠が足りていないのです。今朝は特別に濃いコーヒーを淹れてきたので、一時間くらいの距離であれば何とか、と思ったのですが、いつ着くかもわからない、しかも、目隠しと耳栓まで着けるとなると、たぶん……」
利玖は心の底から、それを不甲斐ないと感じているようで、最後まで言い終える前にうつむいて口を閉ざしてしまった。
一方、運転手の男は完全に虚を衝かれたらしく、もぞもぞと唇を動かしながら答えに窮している。
狙ってこんな芸当が出来るというのなら大したものだ。しかし、史岐は、利玖が演技をしているわけではなく、ただ本心に従って礼儀を尽くしているだけなのだとわかっている。
その事を考えていると、また笑いが込み上げてきそうになり、とっさに窓の方に視線を逸らして息を漏らした。
「その、着いた時に、きちんと、すぐに起きてくださるのなら、問題はないかと思いますが」
やがて、男は別人のように頼りない口調でそう答えた。彼は運転手だから、その辺りのタイムテーブルの進行で差し障りが出ると、後日、美蕗から制裁を受けるのかもしれない。
「たぶん起きられると思いますが……」利玖は自分が座っているシートの手ざわりを確かめ、車の内装を見回し、最後に、哀しげに肩をすぼめた。「ああ、でもちょっと自信がありません。こんなに乗り心地の良さそうな車で運んで頂く機会って、わたしは、そう多くないんです」
堪え切れずに史岐は声を立てて笑ってしまった。
運転手の男と利玖、二人から同時に睨まれる。
「いや……、すみません」史岐は、襷をぴんと横に張って、顔に近づけながら謝罪した。
「でも、大丈夫だと思いますよ。この車が見た目ほどには寝心地が良くない事も、彼女の起こし方もわかっています」
利玖から向けられる物言いたげな視線しを、彼は柔らかな黒い布でシャットアウトした。
構内踏切がまだ現存しているほど、時の流れに取り残されたノスタルジックな駅舎の外観にはまったく似つかわしくない。しかし、その食い違いがかえって、同系統の車種に対して抱きやすいイメージと馴染んで不思議な調和を生み出していた。
改札をくぐって車に近づくと、運転席のドアが開き、中から黒いスーツを着た男が現れた。土産物の木彫りのような厳めしい体格。さほど日射しは強くないのに、真っ黒なサングラスをかけている。
彼は、後部座席に回ってドアを開け、史岐達が乗り込んだのを見届けると運転席に戻った。後部座席の窓は、左右どちらにも白いカーテンが引かれ、外の様子が見えないようになっている。
運転手の男は、自分が槻本家に仕える人間であり、今日の送迎を担当する、という内容を簡素に述べてから、助手席に置かれていた鞄を開け、襷のような黒い布と耳栓を取り出して史岐達に渡した。
どういう理由からか、槻本家が所有する邸宅がどこにあるのか、といった情報は非常に巧妙に隠されている。今日、降りるように指示されたこの駅も、必ずしも屋敷の最寄りとは限らないのだ。
こういった拘束を受ける可能性がある事を、あらかじめ、利玖には説明しておいたが、彼女は両手で受け取った襷をすぐには着けずに、じっと膝の上で見つめていた。
かと思いきや、おもむろに顔を上げ、
「あの」
と運転手の男に声をかける。
「お屋敷までは何分くらいですか?」
「お答え出来ません」
「耳栓まであるんですね」
「この車は遮音性が高い構造になっておりますが、それでも外部から入ってくる音で、おおまかな現在地を推察する事は不可能ではありません」そういう文章がサングラスの内側にでも書かれているのか、と訊きたくなるような事務的な口調だった。「こちらの指示に従って頂けない場合、お二人をお屋敷までお連れする事は許可出来ない、と仰せつかっております」
「そうですか……」
利玖は再び襷に目を落とし、運転手の男は、元々強面の顔をさらに力ませて彼女を睨む。いくら食い下がられようとも、この少女を前にして、一片たりとも自分の使命を忘れてやる気はない、という強固な意志を全身で見せつけているようだった。
再び利玖が「あのう」と口を開いた。先ほどよりも、かなり、遠慮気味な声色になっている。
「初対面の運転手の方に対して、こんな事を申し上げるのは、大変、気が引けるのですが」
「なんでしょうか」
「お屋敷に着くまで、少し眠らせて頂いても良いですか?」
男の口がわずかに開き、そして、それよりももっと大きな振れ幅で両方の眉が跳ね上がった。それがまるで、サングラスの中から飛び出してきたように見えて、史岐は思わず笑いそうになり、すんでの所で踏み止まる。
「こちらから会ってお話がしたいとお願いしておきながら、本当に厚かましい事を言っているという自覚はあるのですが、ここ一週間ほど、期末試験の対策でまったく睡眠が足りていないのです。今朝は特別に濃いコーヒーを淹れてきたので、一時間くらいの距離であれば何とか、と思ったのですが、いつ着くかもわからない、しかも、目隠しと耳栓まで着けるとなると、たぶん……」
利玖は心の底から、それを不甲斐ないと感じているようで、最後まで言い終える前にうつむいて口を閉ざしてしまった。
一方、運転手の男は完全に虚を衝かれたらしく、もぞもぞと唇を動かしながら答えに窮している。
狙ってこんな芸当が出来るというのなら大したものだ。しかし、史岐は、利玖が演技をしているわけではなく、ただ本心に従って礼儀を尽くしているだけなのだとわかっている。
その事を考えていると、また笑いが込み上げてきそうになり、とっさに窓の方に視線を逸らして息を漏らした。
「その、着いた時に、きちんと、すぐに起きてくださるのなら、問題はないかと思いますが」
やがて、男は別人のように頼りない口調でそう答えた。彼は運転手だから、その辺りのタイムテーブルの進行で差し障りが出ると、後日、美蕗から制裁を受けるのかもしれない。
「たぶん起きられると思いますが……」利玖は自分が座っているシートの手ざわりを確かめ、車の内装を見回し、最後に、哀しげに肩をすぼめた。「ああ、でもちょっと自信がありません。こんなに乗り心地の良さそうな車で運んで頂く機会って、わたしは、そう多くないんです」
堪え切れずに史岐は声を立てて笑ってしまった。
運転手の男と利玖、二人から同時に睨まれる。
「いや……、すみません」史岐は、襷をぴんと横に張って、顔に近づけながら謝罪した。
「でも、大丈夫だと思いますよ。この車が見た目ほどには寝心地が良くない事も、彼女の起こし方もわかっています」
利玖から向けられる物言いたげな視線しを、彼は柔らかな黒い布でシャットアウトした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる