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四章 待ち焦がれた彗星
空からの来訪者
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千堂は、利玖に対して、その場で待つように合図を送ってから裏口に向かい、梯子を取ってきた。
畳まれていた梯子を伸ばして、上端を天窓近くの窪みに引っかける。体重をかけても動かないようにしっかりと填め込んでから、下端を床に押しつけて固定した。そちら側の脚には、先端に滑り止めのゴムがついている。
千堂は梯子を上り、天窓のロックを解除した。
サッシと繋がっているワイヤがぴんと張って、窓硝子がゆっくりと手前に傾いてくる。その境界がスイーパのような役割を果たして、彗星の一部は見えなくなった。
利玖はわずかな隙間から、栗鼠のような身のこなしで店内に滑り込んできた。
「夜分に失礼いたします」
そう謝辞を述べて、優雅にお辞儀。昼間とは打って変わった出で立ちだった。髪は邪魔にならないように後ろで一つにまとめ、服装は、至る所にポケットがついたジャケットとズボン。どう見ても若い女性向けのデザインではない。足元も、無骨な編み上げブーツで、ズボンの裾を入れて靴紐を縛ってあった。千堂がすぐに思い浮かべるイメージとしては、登山家、そして次に、冒険家が近い。
彼女の首の辺りで、何か大きなものが月明かりを反射していた。目を凝らすと、ウィンタ・スポーツで使うようなゴーグルがぶら下がっている。これは、登山家だな、と千堂は特に利益にはならない修正をした。
「趣向を凝らして空から来てみました。方法はご想像にお任せします」
「おとぎ話の騎士みたいですね」千堂は頷く。「お連れの方はご一緒ではないのですか?」
「はい。試験勉強に集中したいと伝えた所、すんなりと帰ってくれました。こういう時、学科が違うと話が早くて助かりますね。学問を出しに使ったのが少々後ろめたいですが」
話しながら、利玖は背負っていたリュックサックを床に下ろしてジッパを開け、白っぽいプラスチックのケースを取り出した。かなり大きくて、重さもありそうに見えた。リュックサックの中身はほぼこれが占めていたのではないか、と千堂は考える。
側面のロックを外して蓋を開けると、こちらもプラスチック製と思われる、おもちゃの銃のような道具が現れた。しかし、全体的に平べったく、両手で支えなければ持てないくらいの大きさなので、見た目はどちらかと言うと拳銃よりもネイルガンに近い。
銃身部分には半透明のカバーがついていたが、利玖が手をかけて引っ張ると簡単に外れて、その下から、ぞっとするほど太くて長い針が現れた。おもちゃの銃を抱えている利玖の上腕とほとんど同じくらいの長さがある。
「こちら、刺さりますので」千堂が針を視認した事を確かめると、利玖はすぐにカバーを填め直した。「わたしが持っている時には、あまりそばに近づかれませんように、お願いいたしますね」
「えっと……、はい、わかりました。見慣れない道具ですね」トリガー付きの注射器か、と訊きたいのを堪えて、千堂は言葉を選ぶ。「何に使うんですか?」
「生物の体組織を採取する為に使います」
「体組織」思わず、意味がわからないまま言葉をくり返してしまった。
「そうです」利玖は頷く。とても真剣な表情だった。
「千堂さんは、わたしが過去の因縁にけりを付ける為に、今日、ここを訪れたと考えておられるかもしれません。その理屈では少し理解が難しいと思うのですが、わたしは大学で生物学を専攻しておりまして、色々と検討した末に、これが最も確実な方法だと結論づけたのです」
「ま……、待ってください」千堂は片手を額に当てて首を振る。「なんか、飛躍していませんか? 今のお話、後半がちょっと、意味が通っていないと思うのですが」
「わたしを差し出せば『彗星』が見られると教えられたのですね?」
千堂は、顔を覆った手の下で目を見開いて固まった。
「思えば、昼間は互いに嘘まみれでした」利玖はふっと息をつく。「わたしも史岐さんも、あんな名前の調査機関に属してはいませんし、ただの学生以上の身分は持っていません。あ、でも、史岐さんはそうとも言えないか……」利玖は首を傾げたが、そのまま話を続ける。「それに、わたし宛てに来ているオファーが物騒なものではないというお話も嘘ですね。わたしはずいぶん長いこと、銀箭に追いかけ回されているようで、彼の危険度も性質の悪さも身に沁みてわかっています。そんな相手と密約を交わし、復活に手を貸そうとしていると垂れ込まれた後では、うかうかと貴方のお話を信じるわけにもいきません」
「その情報、信用出来るんですか?」
「出来ますよ」利玖は人さし指を頬に当てて千堂を見据えた。「少なくとも、今の貴方の笑い方よりは、ずっと」
無垢だが、愚かではない、むしろ、わずかな隙をついて一気に自分を制圧する方法を探して、めまぐるしく頭を回転させているような、強靱な生命力を宿した瞳で睨まれた時、千堂は、銀箭がこの少女を自分のものにしようと執着する気持ちが、ほんの片鱗にしか過ぎないが、理解出来た気がした。
「おかしいな」千堂は口調を変えた。こちらの方が、本来の彼の性質に近い。「僕の調べじゃ、君達は彼の名までは知らないはずだったけど」
「つい最近までは、その通りでした」利玖は肩をすくめる。「千堂さんも、わたし達の事をよく調べておいでなのですね」
「銀箭が探している娘が君だと特定するのは骨だったけど、苗字が珍しいし、兄が同じ大学に通っているとわかってからはやりやすくなった」千堂は微笑み、腕を組む。
「だけど、一番助けになったのは、彼……、熊野史岐だよ。あれだけ人目を引く男と行動を共にしていたら、情報は方々から集まってくる。今は探偵を雇ったりしなくても、SNSなんて便利な代物があるからね。それに、彼の車、古いけど、マニアの間では今でも人気が高いから、その方面からも足取りを追いやすかった」
「心しておきます」利玖は簡素な返事をして、おもむろに自分がくぐってきた天窓を指さした。
「ところで、一つお伺いしたいのですが。あれは、彗星ではありませんね?」
畳まれていた梯子を伸ばして、上端を天窓近くの窪みに引っかける。体重をかけても動かないようにしっかりと填め込んでから、下端を床に押しつけて固定した。そちら側の脚には、先端に滑り止めのゴムがついている。
千堂は梯子を上り、天窓のロックを解除した。
サッシと繋がっているワイヤがぴんと張って、窓硝子がゆっくりと手前に傾いてくる。その境界がスイーパのような役割を果たして、彗星の一部は見えなくなった。
利玖はわずかな隙間から、栗鼠のような身のこなしで店内に滑り込んできた。
「夜分に失礼いたします」
そう謝辞を述べて、優雅にお辞儀。昼間とは打って変わった出で立ちだった。髪は邪魔にならないように後ろで一つにまとめ、服装は、至る所にポケットがついたジャケットとズボン。どう見ても若い女性向けのデザインではない。足元も、無骨な編み上げブーツで、ズボンの裾を入れて靴紐を縛ってあった。千堂がすぐに思い浮かべるイメージとしては、登山家、そして次に、冒険家が近い。
彼女の首の辺りで、何か大きなものが月明かりを反射していた。目を凝らすと、ウィンタ・スポーツで使うようなゴーグルがぶら下がっている。これは、登山家だな、と千堂は特に利益にはならない修正をした。
「趣向を凝らして空から来てみました。方法はご想像にお任せします」
「おとぎ話の騎士みたいですね」千堂は頷く。「お連れの方はご一緒ではないのですか?」
「はい。試験勉強に集中したいと伝えた所、すんなりと帰ってくれました。こういう時、学科が違うと話が早くて助かりますね。学問を出しに使ったのが少々後ろめたいですが」
話しながら、利玖は背負っていたリュックサックを床に下ろしてジッパを開け、白っぽいプラスチックのケースを取り出した。かなり大きくて、重さもありそうに見えた。リュックサックの中身はほぼこれが占めていたのではないか、と千堂は考える。
側面のロックを外して蓋を開けると、こちらもプラスチック製と思われる、おもちゃの銃のような道具が現れた。しかし、全体的に平べったく、両手で支えなければ持てないくらいの大きさなので、見た目はどちらかと言うと拳銃よりもネイルガンに近い。
銃身部分には半透明のカバーがついていたが、利玖が手をかけて引っ張ると簡単に外れて、その下から、ぞっとするほど太くて長い針が現れた。おもちゃの銃を抱えている利玖の上腕とほとんど同じくらいの長さがある。
「こちら、刺さりますので」千堂が針を視認した事を確かめると、利玖はすぐにカバーを填め直した。「わたしが持っている時には、あまりそばに近づかれませんように、お願いいたしますね」
「えっと……、はい、わかりました。見慣れない道具ですね」トリガー付きの注射器か、と訊きたいのを堪えて、千堂は言葉を選ぶ。「何に使うんですか?」
「生物の体組織を採取する為に使います」
「体組織」思わず、意味がわからないまま言葉をくり返してしまった。
「そうです」利玖は頷く。とても真剣な表情だった。
「千堂さんは、わたしが過去の因縁にけりを付ける為に、今日、ここを訪れたと考えておられるかもしれません。その理屈では少し理解が難しいと思うのですが、わたしは大学で生物学を専攻しておりまして、色々と検討した末に、これが最も確実な方法だと結論づけたのです」
「ま……、待ってください」千堂は片手を額に当てて首を振る。「なんか、飛躍していませんか? 今のお話、後半がちょっと、意味が通っていないと思うのですが」
「わたしを差し出せば『彗星』が見られると教えられたのですね?」
千堂は、顔を覆った手の下で目を見開いて固まった。
「思えば、昼間は互いに嘘まみれでした」利玖はふっと息をつく。「わたしも史岐さんも、あんな名前の調査機関に属してはいませんし、ただの学生以上の身分は持っていません。あ、でも、史岐さんはそうとも言えないか……」利玖は首を傾げたが、そのまま話を続ける。「それに、わたし宛てに来ているオファーが物騒なものではないというお話も嘘ですね。わたしはずいぶん長いこと、銀箭に追いかけ回されているようで、彼の危険度も性質の悪さも身に沁みてわかっています。そんな相手と密約を交わし、復活に手を貸そうとしていると垂れ込まれた後では、うかうかと貴方のお話を信じるわけにもいきません」
「その情報、信用出来るんですか?」
「出来ますよ」利玖は人さし指を頬に当てて千堂を見据えた。「少なくとも、今の貴方の笑い方よりは、ずっと」
無垢だが、愚かではない、むしろ、わずかな隙をついて一気に自分を制圧する方法を探して、めまぐるしく頭を回転させているような、強靱な生命力を宿した瞳で睨まれた時、千堂は、銀箭がこの少女を自分のものにしようと執着する気持ちが、ほんの片鱗にしか過ぎないが、理解出来た気がした。
「おかしいな」千堂は口調を変えた。こちらの方が、本来の彼の性質に近い。「僕の調べじゃ、君達は彼の名までは知らないはずだったけど」
「つい最近までは、その通りでした」利玖は肩をすくめる。「千堂さんも、わたし達の事をよく調べておいでなのですね」
「銀箭が探している娘が君だと特定するのは骨だったけど、苗字が珍しいし、兄が同じ大学に通っているとわかってからはやりやすくなった」千堂は微笑み、腕を組む。
「だけど、一番助けになったのは、彼……、熊野史岐だよ。あれだけ人目を引く男と行動を共にしていたら、情報は方々から集まってくる。今は探偵を雇ったりしなくても、SNSなんて便利な代物があるからね。それに、彼の車、古いけど、マニアの間では今でも人気が高いから、その方面からも足取りを追いやすかった」
「心しておきます」利玖は簡素な返事をして、おもむろに自分がくぐってきた天窓を指さした。
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