リーリ・チノの弔砲

梅室しば

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クィヤル熱

病んだ街

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 赤竜はゆっくりと砂漠を進み、夕刻にはサネゼルの西門前に着いた。
 ぽつらぽつらと灯る街の明かりが間近に見え始めた所で、ユージンは赤竜を下りた。
赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が旅のともとするのは、護衛に選ばれた汞狼族の戦士ただ一人であると、クィヤラート王国の民であれば誰もが知っている。瞳の色も、髪の色も違う流れ者のユージンが乗っている事が知られたら、あらぬ誤解を招きかねない。
『サネゼルは大きな街ではないが、砂漠超えをする商人との交易が盛んで、賑わいがある。珍しい食材や香辛料を使った料理が食べられるぞ。散策がてら、この国について気になる事があれば、自分で調べてみるといい』
 そう言って、ルィヒはユージンが赤竜を下りる時に硬貨が詰まった袋を渡してくれた。
 別れた後に一枚取り出して、じっくりと眺めてみたが、形も意匠もユージンには見覚えのないもので、どのくらいの価値があるのか、さっぱりわからなかった。
 砂地を歩いて街に近づいていくと、チャプチャプと水の流れる音が聞こえてきた。白い石組みの西門の前に、小川が流れ、橋が架かっている。
(なるほど。水が湧く所に街を作ったのか)
 橋を渡って街に入ると、せせらぎに代わって、喧噪が一気に周囲に満ちた。ちょうど夕餉時に差しかかったのか、あちこちの店に明かりが点き、食欲をそそるタレのにおいや、脂のはじける音、賑やかな人々の話し声が流れてくる。
 街の中心に向かって歩いて行く途中で、何度か、浮き足立った様子で反対方向へ駆けていく住民達とすれ違った。街の外縁に向かっていく彼らは皆、示し合わせたように質素な黒の服をまとっている。
(どこかで、葬式でもあったのかな)
 喪服の人混みを避けるように、ユージンは路地を曲がり、くすんだ緑色の看板を出した料理店を見つけ、少し考えた末に、そこに入ってみる事にした。軒先に出されている品書きを読んで、自分の好みに合いそうだと思ったからだ。
 いかにも路地裏の店らしい、いがらっぽい煙が立ちこめた狭い店で、給仕を雇う余裕もないのか、ユージンが席に着くと、店主らしい髭面の男が直接注文を取りに来た。
「クィヤラート語はわかるか?」
 店主に訊ねられて、ユージンは、にやっと笑った。
「大丈夫だよ。サネゼルに来るのは初めてだけど。えっと、じゃあ、この『今日のおすすめ』をもらおうかな」
「あいよ。──酒は?」
「いや、いらない」ユージンはちらっと外に目をやった。「なんだか、の悪い時に来ちゃったみたいだね」
 店主は注文を書き取った紙を二つに折って腰巻きの間に挟みながら、ため息をついた。
「クィヤル熱で、また死者が出たんだよ。可哀想に、やっとこの間、立てるようになったばかりの子どもでなあ」
「クィヤル熱?」
 店主は、ああ、と頷いた。
他所よその国から来なすった方には馴染みのない言葉かもしれんが、建国以来、クィヤラートを苦しめ続けている流行はやり病だよ。ひどい熱が出て、何日も苦しんだ末に、息がつまって死んじまう」
 ユージンは顔をしかめた。「流行り病」という言葉が、彼にとって、決して忘れる事の出来ない凄惨せいさんな記憶と結びついていたからだ。
 しかし店主は、ユージンが単に、痛ましい幼子おさなごの死に心を痛めただけだと思ったらしく、神妙な面持ちで頷いた。
「ひでえ話だよな。だけど俺達おれたちゃ、まだ、恵まれている方さ。〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉に……、ルィヒ様にけがれをそそいでもらえるんだからな」
「なんだい? その、リーリ・チノっていうのは」
 ユージンが知らないふりをして訊ねると、店主は、待っていましたとばかりに身振り手振りを交えて話し始めた。
「この世のものとは思えないでっかい竜で旅をする姫様さ。クィヤル熱で死者が出た街に立ち寄っては、ロウミっていう神聖な薬草が入った粥を振る舞ってくださるんだ。そうして、〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が何百年もの間、献身的に民をやし続けてくださったおかげで、王国は滅びの危機から救われたってわけさ。
 クィヤル熱が蔓延まんえんし始めた頃は、病にかかる者も、それで命を落とす者も今よりずっと多かったらしい。王家も無事じゃ済まなかったって聞くが、〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉はこうして、下々しもじもの民にまで等しく手を差し伸べてくださる。ありがたい生き神様だよ」
「へえ……」
「粥が振る舞われる〈たますすぎの賜餐しさん〉には、親族しか加わる事を許されないが、遠巻きに眺める事は出来る。おまえさんも、せっかく立ち寄ったなら見ていくといい」
 死ぬ可能性のある病なのにのんきなもんだな、とユージンは冷めた心で思ったが、店主には黙って微笑みを返した。
 今でも人々にとって、クィヤル熱が恐ろしい死病であるのなら、彼らは自分のように素性の知れない流れ者など、真っ先に街から締め出そうとするだろう。料理を出す店の主人が、こんな風に近々と向かい合って話をする事などないはずだ。ユージンには、自らの体験を元にした、そういう確信があった。
 おそらく、〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が民を癒やし続けていたという数百年の間に、多くの国民がクィヤル熱に対する免疫を得たのだろう。そして、病から生きのびた者によって、少しずつではあっただろうが、経済と流通が回復し、辺境の街でも十分な量の食事が口に入るようになった。
 今でもクィヤル熱で命を落とすのは、些細な事でも命にかかわる赤子や、体力の衰えた老人、あるいは、生まれつき体に何か問題を抱えていて病と闘う力のない者などが大半を占めるのだろう。
(生き神、か……)
 どこか古風な言葉遣いをするが、いつでも溌剌はつらつとして、決して弱音を口にしないルィヒと、喪服に身を包んでいながら高揚を隠せない表情で駆けていくサネゼルの住民の顔が交互に頭をよぎり、ユージンは料理を待つ間、ぼんやりと頬杖をついて、くもった窓硝子の向こうに浮かび上がる暗い路地裏を見つめていた。
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