リーリ・チノの弔砲

梅室しば

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クィヤル熱

〈魂滌ぎの賜餐〉

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 背の低いろうそくが、ぽつり、ぽつりと輪を描いて並んだ広場にルィヒが現れると、集まった人々の間からすすり泣くような声が漏れた。
 背後に付き従っているカルヴァートは、鍋とわんを乗せた荷車にぐるまを引き、死者への哀悼の意を示す黒装束に身を包んでいる。
 それに対して、ルィヒは、白地に赤い糸で竜の刺繍を施した王家の礼装だったが、顔の前には黒い薄衣うすぎぬを垂らしていた。
 群衆の中から一組の夫婦が進み出て、ルィヒの前で膝を折った。彼らは、おととい息を引き取った赤ん坊の両親だった。二人ともまだ若かったが、顔には、途方もない絶望が刻み込まれ、ルィヒを見上げるまなざしも、どこか、現実ではない所を見ているようにうつろだった。
 ルィヒは彼らの頭上に手をかざし、かすかに頷くような仕草をした。
 それから、背後を振り返り、カルヴァートに目線で合図を送った。カルヴァートはそれを見て荷車の後ろに回り、鍋の蓋を取って、中に入っていたロウミの粥を三つの椀に盛りつけた。
 さかずきのように小さな素焼きの椀が、ルィヒと若夫婦に配られた。三人は、それをさじも使わずに、すするように一口で食べ終えてしまった。
 粥を食べ終えると、若夫婦は椀を押し頂いて立ち上がり、一歩後ろに下がった。そして、ルィヒと三人で円を描くようにして並ぶと、無言で目配めくばせをかわし、次の瞬間、さっと振り上げた椀を地面に叩きつけて、割ってしまった。


赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が病で家族を失った者に施しを与える儀式──〈魂滌たますすぎの賜餐しさん〉の一部始終を、ユージンは、広場から少し離れた物影でうかがっていた。
 彼は、普通ではない生き方をしてきたために、気配を消してひと所に留まるすべを知っていた。
 食事をした店で、ルィヒが「生き神」と呼ばれるのを聞いた時から、ある嫌な予感が頭を離れず、〈魂滌ぎの賜餐〉が終わり、見物客があらかた引き上げた後も、身じろぎせずに広場を見つめていた。

 そして、周りにある商家や店から明かりが消え、扉に鍵をかける音が響き始めた頃、夜闇に紛れて奇妙な集団が現れた。
 人数は、全部で三人。三人とも、闇に溶け込むような濃い色の外套で、全身をすっぽりと覆い隠している。顔は見えなかったが、体格からしていずれも大人の男のように思えた。
 彼らはするすると音も立てずに広場の中央までやって来て、しゃがみ込んだ。ちょうどルィヒが立っていた辺りの地面に手をついて何かを探している。
 長い間、暗闇に留まっていたユージンの目には、彼らが素焼きの椀の破片を拾い上げて、大事そうに懐にしまうのが見えた。
「…………」
 こみ上げてきた苦い思いを押し殺すように下唇を噛み、ユージンは、そっと広場に背を向けて歩き始めた。


赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉は一つの街に長くは滞在しない。〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉としての務めを終えれば、例え真夜中であっても、再び赤竜に乗って次の目的地へ旅立つ。
 サネゼルでも、ルィヒは〈魂滌ぎの賜餐〉を終えるとすぐに赤竜に戻り、街をあとにした。──そして、夜の砂漠を進む彼らの後を、やや時間をおいて追いかける、一つの影があった。


 サネゼルに入る前に別れたユージンが、食べ物でぱんぱんに膨らんだ紙袋を抱えて戻ってくると、カルヴァートは物言いたげな様子で首を振ったが、ルィヒはからからと快活に笑った。
「金を与え、一人で出歩かせても約束どおりに戻ってきた。存外に誠実な男だ」
 ルィヒは笑みを収めると、ユージンを見た。
「〈魂滌ぎの賜餐〉を見たのか?」
「ああ。──クィヤル熱の事も聞いた」
 ユージンは紙袋の口を開いて、中から二枚の布と酒瓶を取り出した。
 荒くれ者の男達が手っ取り早く酔うために好んで口にする、度数の高い蒸留酒の瓶を見て、カルヴァートは露骨に鼻面に皺を寄せたが、ユージンはそちらを見もせずに酒瓶の封を切り、中身を布に振りかけた。
「体をぬぐった方がいい」酒をしみ込ませた布をルィヒとカルヴァートに差し出して、ユージンは言った。「刺激が強いから、顔は無理だろうが、せめて両手の指先くらいは」
 ルィヒは息をのみ、こわばった表情で布を見つめた。
 そのまま、長いこと微動だにしなかったが、やがて一つ息を吸うと、力を込めたまなざしでユージンを見た。
「君は、医術師なのか」
「違う」ユージンは首を振った。「俺の言っている事の意味がわからないのなら、無視してくれても構わない。だけど、少しでも、そうした方が良いかもしれないと思う気持ちがあるのなら、言う事を聞いてほしい」
「クィヤル熱の伝染を心配しているんだね」ルィヒは頷いた。「カルヴァートは大丈夫だ。見てのとおり、我々とは違う種族だから、クィヤル熱には罹らない」
「あんたは人間だろう? 俺にクィヤル熱の話をした男は、かつては王族にも死者が出たと言っていた。もしも……」
 ユージンは一瞬、言いよどむような素振りを見せたが、すぐに強い光をたたえた目で、睨むようにルィヒを見た。
「もしも、自分は神聖な血筋だから、穢れや災厄を免れると思っているのなら、それは大きな間違いだと思う」
 それを聞くや、カルヴァートが剣の柄に手をかけてユージンに詰め寄ろうとしたが、ルィヒがさっと手を上げてそれを遮った。
「彼の言うとおりにしなさい、カルヴァート」はっきりとした声でルィヒは命じた。「我々を介して、ユージンが罹患する恐れもある」
 カルヴァートはしばらく、剣の柄に手を置いたままユージンを睨みつけていたが、やがて、ふっと体から力を抜くと、ユージンに歩み寄って布を受け取った。
 カルヴァートから布を手渡されたルィヒが上衣を脱ぎ、袖をまくって、手首の先を拭い始めても、ユージンはまだ、その場に留まっていた。
「どうした? まだ、何か話があるのか?」
「俺は、王族だろうが、平民だろうが、病が感染する相手を身分で選ぶ事はないと思っている」
「わたしもそう思うよ」
「〈魂滌ぎの賜餐〉が終わって、かなり時間が経ってから、あんたが使った椀の欠片をこっそり持ち去った奴らがいた。黒い外套を着た、薄気味悪い感じのする連中だ」
 ルィヒの手が、ぴくっと震えた。
「あんたの髪と瞳の色は、嫌でも印象に残る。穢れをそそぐだとか、民を癒やすだとか、知ったこっちゃないが、自分達を苦しみから救ってくれるありがたい存在だと思えば、いびつな信仰心を持つ者が出てきたっておかしくないだろう。
 あんたは、自分の事を、はぐれ者だと言ったが、それでも正統な王家の血を引く人間なら、もっと他に出来る事があるんじゃないのか? こんな、わずかな慰めになるかもわからない旅を続けるよりも──」
「ユージン殿」カルヴァートが牙をいた。「どうか、その辺りにして頂けるよう。我らの情とは無関係に、貴殿を斬らざるを得なくなる」
「…………」
 ユージンは肩をすくめ、それ以上自分は立ち入った事を口にしない、という意思を表すように、一歩後ろに下がった。
「悪いね。君の言う事ももっともだ」
 ルィヒは最後に入念に指先を拭い、使い終えた布をカルヴァートに渡した。
「だが、これはただの慰安の旅ではないのだよ。王都に着けば、その意味もわかるだろう」
 そう言うと、ルィヒはふいに無防備な仕草で、ぐーっと体を反らして、軽やかに踵を返してユージンに体を寄せてきた。
 興味津々といった様子で紙袋の中を覗き込む、あどけない少女のような微笑みが目の前に迫り、ユージンは思わず憎まれ口を叩くのも忘れて身を固くした。
「いいにおいがするな。どこで買ってきたんだ?」
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