衍溢する潮 Toxicity order

梅室しば

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花筬喰

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 儒艮をそのままにはしておけなかった。体長は二メートルに届かないくらいで、さほど大型ではない。ここにいる全員が力を合わせれば、移動させる事は可能かもしれないが、死因がわからない状況ではそれも躊躇われる。
 藍以子は両手で顔を覆ったまま動かなくなってしまった。
 匠が杏平に近づき、囁くような声で話しかける。
「佐倉川匠と申します。このような形でのご挨拶となり、申し訳ありません」
「利玖さんのお兄様ですね」杏平は表情を変えずに頷いた。「貴方も、生物学に詳しいのですか? この状況について、何か意見がありますか?」
「これが幻ではないのなら……」匠は儒艮を見下ろして言う。「処分を急いだ方が良いと思います。気温が高いし、地面の上では腐敗も進みやすい。もしかしたら、人間にも感染する病原菌のようなものが、体内に潜んでいるかもしれません」
「本物ですよ」杏平は緩慢な動きで首を振った。「では、ビニルのシートでも被せておきましょうか……」
「それも必要ですが、下にも何か敷いた方が良いでしょう。山椒は、根が繊細な植物です。儒艮から漏れた体液が土に染み込むと、思わぬ影響があるかもしれません。すっぽりと全身を包める、気密性の高い袋のようなものがあれば良いのですが……」
 杏平は、少し考えた後、藍以子の方へ歩いていく。そして、小さな子どもに話しかけるようにしゃがみ込んで目線を合わせた。
「そんなに大きなごみ袋、ないわ」藍以子が顔を覆ったまま言った。「それに、重さで破けてしまうと思う」
「おっしゃる通りです」
 匠は頷き、杏平に向き直って携帯電話を取り出した。
「僕は、こういう事態に対処出来る人間に伝手があります。彼らを呼んでも構いませんか?」
「いいですよ」杏平はあっさりと頷いた。「役所の人間なんかを呼ばれると、面倒で困りますけれど……」
「ご心配なく」匠は首を振る。「彼らが所属している組織の名前は、花筬かせばみ。異形のもの達を相手に商売をしている連中です」


 匠は儒艮のそばで電話をかけた。
 幸い、すぐに目的の人物に繋がったようである。電話越しに指示を受けているのか、しゃがんで儒艮に顔を近づけたり、かと思うと距離を取って全体を眺めたり、細かくやり取りをしていたが、やがて携帯電話を仕舞うと、杏平と藍以子、そして利玖が座っている離れの縁側へ歩いてきた。
「都合はつくのですが、色々と調達しなければならない物があって、こちらで処理を始められるのは早くても夕方頃になるという事です」
「処理、というと……」杏平は無精髭をかきながら儒艮の死骸に目をやる。「持って行ってしまうんですかね、あれを」
「ええ、あとで、多少の費用を請求されるでしょうが、彼らなら揉め事にせずに上手く収めてくれますよ」
 杏平が、ぐっと眉根を寄せた。
「それは、困るな」
 匠も利玖も、驚いて彼の顔を見る。
「あれは、使い道が決まっているんですよ」杏平は低い声で言った。「着くのが遅くなるというのは、僕にとってもありがたい。外から人間が入って来る前に、もう一つの言い伝えを、皆さんにお話し出来ますから……」
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