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2話
1 思惑
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保は塾が終わるのを待っていた。
自転車のハンドルに上半身を預けて携帯を弄っている。
「・・・もう・・・迎え、いいって言ったのに・・・・。」
そう言いながら塾を終えた美緒が保の所へ歩み寄ってきた。
来年、高校受験を控えた大事な時期に差し掛かっているのだった。
ふっとした表情が、やはり何処となく保に似ている感じもする。口許の小さい、色白の可愛らしい子だ。黒髪をきしっ、と結んだその姿に清楚感が溢れている。
「伯父さんたちにはお世話になってっからな。お前の為じゃねぇよ!」
と、軽く美緒の後頭部を小突くと、意地悪げな笑顔を見せ自転車を押して歩き出した。
そんな保に視線を送りながら眉を寄せ、ぷっと頬を膨らませる美緒は急いで後を追った。
雨上がり、アスファルトの噎せ返る匂いが夏の訪れを感じさせていた。
二人の歩調が自然に合ってくる。
夏を知らせる風が二人の髪を揺らした。
「・・・最近、また、お父さん元気がないの・・・・」
美緒が少し俯き加減に呟いた。
「・・・また・・・・和弘兄さんのこと・・・?」
分かっていた――伯父を悩ませている事の原因は。
保は視線を変えることなく、じっと前を見据えていた。
「この間も店に来て、『どうしても店を明け渡して欲しい』って・・・・。」
美緒には八歳年の離れた兄がいた。
その兄が就職している大手企業会社《安藤コーポレーション》がこの町に進出し、美緒の父の経営する店を始め、商店街を買収し、その地に新しい街を造ろうという計画が進められているのである。
――都市化計画。
その企画の中心に美緒の兄が就いていた。会社側にとっては好都合の人物だったのだ。
(・・・汚ねぇ奴らだ・・・・)
幼い頃から兄弟のようにして育った。一緒に遊んだり、悪戯も沢山してきた。保の脳裏に、優しかった〝兄〟の姿が浮かぶ。
遣る瀬無い思いが胸を締め付けた。
自分で選んだ仕事。大切な家族・・・・その狭間で重大な結論を出さなければならない和弘の、悲痛な想いが伝わってくるようで、保には辛かった。
結局――和弘が出した答えは〝仕事〟だった。
「・・・伯父さんは、何て――?」
「『明け渡す気はない』って。でも・・・お父さん、凄く辛そう・・・・」
語尾は微かに震えていた。
俯いたまま歩く美緒の頭を、保はポンと優しく撫でる。
――子を想う親・・・・しかし、いつまでも大切にしたい故郷・・・・・。
それ故、意地を張ってしまう・・・・そんな父親の姿が、そこにはあった。
帰り道、保と美緒の足音がいつになく重かった。
車内は静かだった。擦れ違う車の音が僅かに聞こえる。
厳叡寺を後にして、咲弥は車を走らせていた。
山林を切り開いた道路は、両側を木々に覆われ長く左右に蛇行した道が続いている。その黒い高級車は、静かに緩いカーブを描きながら流れるように走って行く。
咲弥は軽く息をつくと、少しネクタイを緩めた。繊細な指先――
――ブーブブ・・・・・
突然、携帯のバイブ音が鳴り響いた。
慣れた操作でハンズフリーに切り替え応対する。
「はい、橘です――」
咲弥がそう名乗る。
〝橘 義明〟――それが咲弥の“宿魂体”の名である。
“宿魂体”とは、その名の通り魂を宿す身体――輪廻転生を繰り返すためだけに必要な肉体のことで、魂と身体は別物というわけだ。時に身体と魂が共鳴し合う不思議なこともあるらしいが・・・・。
『・・・橘君かね・・・?私だが・・・・』
相手は、やや歳のある深い声の主だった。
『今度の学会の件で電話したのだが・・・今度の学会には君にも出席してもらいたい。都合は・・・どうかな?』
「・・・私が・・・ですか?」
義明は少し怪訝な面持ちで応える。
『理事会の件で君にも是非、話を聞いてもらいたいのだが・・・いいかね?』
控えた言葉だが、その声音はどこか強引さを感じさせた。
「・・・分かりました。しかし、理事長――オペが入ればそちらを優先させて頂きます。」
何となく解せない感じではあったが、咲弥は、はっきりと意思を伝えた。
『・・・分かった。できる限りは出席するように頼むよ。』
理事長――そう呼ばれた声主は、それだけを伝えると電話を切った。
(・・・・何故だ・・・)
咲弥の両眼が不穏の念に揺らいだ。
橘 義明は、大学病院の専属医師である。外科を専門とするが、場合によっては内科にも配属されており、壮年の名医として信頼されていた。
何故、医師の一人であるだけの自分が、理事会に出席しなければならないのか―――?
疑問の念が咲弥を包む。
ハンドルを握る彼の指にぐっと力が籠る。細い縁どりの眼鏡の奥から真っ直ぐに見据える両眼が、静かに、そして、強く何かを想う――
自転車のハンドルに上半身を預けて携帯を弄っている。
「・・・もう・・・迎え、いいって言ったのに・・・・。」
そう言いながら塾を終えた美緒が保の所へ歩み寄ってきた。
来年、高校受験を控えた大事な時期に差し掛かっているのだった。
ふっとした表情が、やはり何処となく保に似ている感じもする。口許の小さい、色白の可愛らしい子だ。黒髪をきしっ、と結んだその姿に清楚感が溢れている。
「伯父さんたちにはお世話になってっからな。お前の為じゃねぇよ!」
と、軽く美緒の後頭部を小突くと、意地悪げな笑顔を見せ自転車を押して歩き出した。
そんな保に視線を送りながら眉を寄せ、ぷっと頬を膨らませる美緒は急いで後を追った。
雨上がり、アスファルトの噎せ返る匂いが夏の訪れを感じさせていた。
二人の歩調が自然に合ってくる。
夏を知らせる風が二人の髪を揺らした。
「・・・最近、また、お父さん元気がないの・・・・」
美緒が少し俯き加減に呟いた。
「・・・また・・・・和弘兄さんのこと・・・?」
分かっていた――伯父を悩ませている事の原因は。
保は視線を変えることなく、じっと前を見据えていた。
「この間も店に来て、『どうしても店を明け渡して欲しい』って・・・・。」
美緒には八歳年の離れた兄がいた。
その兄が就職している大手企業会社《安藤コーポレーション》がこの町に進出し、美緒の父の経営する店を始め、商店街を買収し、その地に新しい街を造ろうという計画が進められているのである。
――都市化計画。
その企画の中心に美緒の兄が就いていた。会社側にとっては好都合の人物だったのだ。
(・・・汚ねぇ奴らだ・・・・)
幼い頃から兄弟のようにして育った。一緒に遊んだり、悪戯も沢山してきた。保の脳裏に、優しかった〝兄〟の姿が浮かぶ。
遣る瀬無い思いが胸を締め付けた。
自分で選んだ仕事。大切な家族・・・・その狭間で重大な結論を出さなければならない和弘の、悲痛な想いが伝わってくるようで、保には辛かった。
結局――和弘が出した答えは〝仕事〟だった。
「・・・伯父さんは、何て――?」
「『明け渡す気はない』って。でも・・・お父さん、凄く辛そう・・・・」
語尾は微かに震えていた。
俯いたまま歩く美緒の頭を、保はポンと優しく撫でる。
――子を想う親・・・・しかし、いつまでも大切にしたい故郷・・・・・。
それ故、意地を張ってしまう・・・・そんな父親の姿が、そこにはあった。
帰り道、保と美緒の足音がいつになく重かった。
車内は静かだった。擦れ違う車の音が僅かに聞こえる。
厳叡寺を後にして、咲弥は車を走らせていた。
山林を切り開いた道路は、両側を木々に覆われ長く左右に蛇行した道が続いている。その黒い高級車は、静かに緩いカーブを描きながら流れるように走って行く。
咲弥は軽く息をつくと、少しネクタイを緩めた。繊細な指先――
――ブーブブ・・・・・
突然、携帯のバイブ音が鳴り響いた。
慣れた操作でハンズフリーに切り替え応対する。
「はい、橘です――」
咲弥がそう名乗る。
〝橘 義明〟――それが咲弥の“宿魂体”の名である。
“宿魂体”とは、その名の通り魂を宿す身体――輪廻転生を繰り返すためだけに必要な肉体のことで、魂と身体は別物というわけだ。時に身体と魂が共鳴し合う不思議なこともあるらしいが・・・・。
『・・・橘君かね・・・?私だが・・・・』
相手は、やや歳のある深い声の主だった。
『今度の学会の件で電話したのだが・・・今度の学会には君にも出席してもらいたい。都合は・・・どうかな?』
「・・・私が・・・ですか?」
義明は少し怪訝な面持ちで応える。
『理事会の件で君にも是非、話を聞いてもらいたいのだが・・・いいかね?』
控えた言葉だが、その声音はどこか強引さを感じさせた。
「・・・分かりました。しかし、理事長――オペが入ればそちらを優先させて頂きます。」
何となく解せない感じではあったが、咲弥は、はっきりと意思を伝えた。
『・・・分かった。できる限りは出席するように頼むよ。』
理事長――そう呼ばれた声主は、それだけを伝えると電話を切った。
(・・・・何故だ・・・)
咲弥の両眼が不穏の念に揺らいだ。
橘 義明は、大学病院の専属医師である。外科を専門とするが、場合によっては内科にも配属されており、壮年の名医として信頼されていた。
何故、医師の一人であるだけの自分が、理事会に出席しなければならないのか―――?
疑問の念が咲弥を包む。
ハンドルを握る彼の指にぐっと力が籠る。細い縁どりの眼鏡の奥から真っ直ぐに見据える両眼が、静かに、そして、強く何かを想う――
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