蜩の軀

田神 ナ子

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16話

決意

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 医師室から出てきた義明は、深いグレーのサマースーツに着替えていた。

土曜の午前までの診察を終え、帰宅するところだ。


ドアロックに医師専用のカードキーを通しエレベーターへ向かう。
片手で携帯を操作しながら、すでに何件かの着信が届いているのを確認していた。

付属大学の教授から、医療関係の業社――
その中に、綾――菊千代からの着信も残されていた。

一階まで下りた義明は、総合ナースステーションへ向かうと、
手にしていた患者のカルテを看護師に渡しながら、

 「これを、お願いします。お疲れさまでした。お先に・・・・」



職員駐車場へ向かう彼の足音が周囲の建物に反響してくる。
結わえた漆黒の長髪が、雨を呼ぶ風にしなやかに揺れた。

車の鍵を開けながら、ふと空を仰ぐ。
微かな冷たい雫を感じ、車へ乗り込む。

深い溜息を吐きながらネクタイを緩めると、携帯を取り出して、
まず先にコールしたのは菊千代の携帯だった。

数秒のコール音の後に菊千代の声を確認すると、落ち着いた声で用件を聞く。

 「分かった。都合がついたら、また連絡するよ」

返答しながら車のエンジンを始動する。

しばらく携帯を見入っていた。

 (どうしているだろう・・・)

声が聞きたい。
昨夜のことを思って、気になっていた。
――会いたい・・・

携帯を持つ手に力がこもる。
それから車を走らせた。

いつの間にか、雨は降り出していた。



 降り出す前にに帰ってきた。

制服を着替えて、ジーンズのポケットに財布、携帯やらを押し込んで、
自分ちなのに、せかせかしながらまたすぐに家を出た。

昼間のこの時間帯は、母さんも仕事に出てて、家には誰もいない。
母さんと顔を合わす時間すらなくて、ごめん。


降り出した雨が夏の暑さを和らげてくれていた。
傘に落ちてくる雨の音が耳に響く。

炎々と熱せられたアスファルトのむせ返る匂いと、絶え間ない雨は
薄っすらと視界を霞ませていた。

遠くそびえる山肌は、雨を纏い霧雲のベールで滲んで見える。


いつもの慣れた歩道を歩きながら、そんな山々を、傘を傾けて眺めた。

桜並木の歩道を少し行くと、左へ細い道路が通ってる。

今日は、ここを通って行こう――
伯父さんの店へ行く道筋は幾通りもあって、その日の気分で通る道を替えてる。
それが日課とも言うべきか・・・そうなってた。
通い慣れた道はいつもと変わらない風景で、時々、吠えられちゃったりするけど顔見知り?になった犬がいたりして・・・

――この町が好きだ。


店の近くまで来ると、空気に漂って惣菜の匂いがしてくるんだ。

パートの従業員のおばちゃんたちが惣菜部を賄ってた。
こだわりは〝いつも温かい食材を〟って、昼や夕方の時間に合わせて、すべて手作りで一品一品、店に出してる。

俺も度々お世話になってる味なんだ。

ちょうど、店の裏口辺りになるかな、その付近の通りに出てくる。

裏の倉庫から店へ入ると右側に惣菜部があって、夕方の時間帯に合わせての惣菜が作られてるとこだった。

 「おつかれさんです!」
 「あら、保ちゃん、おかえり!」

おばちゃんたちの元気で明るい笑顔。
俺が小っちゃい頃からこの店で働いてくれてる。
信頼できる人当たりがいいおばちゃんたち。

 「保ちゃん、昼ごはんは?」
 「ん―、まだ・・・・」

俺は控えめな苦笑いをしながら事務所へ足を運んだ。


いつものように忙しそうに動き回る伯父さんの姿が、切なく見える。

 (この店を守ろうって、必死なんだ・・・)

そんな姿を見入ってた俺に気がついた伯父さんが父親みたいな笑顔して、

 「おう、保。おかえり」
 「・・・え・・・あぁ・・・ただいまぁ――」

伯父さんの声に、我に返る。

 「なに、ボ—っと立ってんだぁ?お前、メシは?」
 「・・・あ・・・まだ――」
少々、遠慮がちに応える。

「おう、そうか。まだなら、何か食ってけ!」

太っ腹というか、人当たりがいいというか・・・伯父さんの人の好さがその笑顔に浮かんでる。

 「・・・うん、ありがと。・・・あのさ、伯父さん、話があるんだけど・・・」
少し言い辛くて頭を搔いた。

 「なんだぁ?どうかしたか?」
 「二、三日、バイト休ませてもらえるかな?ちょっと、友達んとこ用があって・・・」

苦笑い。
また――誤魔化してしまった。

 「・・・そぉか、分かった。母さんには伝えてあるのか?」
 「う、うん。大丈夫。ほんっと、急に悪いんだけど・・・・」

母さんにも悪いって思ってるけど、うまく行動にして伝えられない。

 「母さんにだけはちゃんと連絡するんだぞ。店のことは心配するな。」

伯父さんは俺の肩を軽く叩いて、店内へ品出しに向かった。

ごめん・・・
友達んちなんて・・・ぜんぶ、嘘。
どうしても・・・
行っておきたいとこがあるんだ。

店内に向かった伯父さんの姿を送って、俺はさっきとは別の通路から店を出た。

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