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17話
そのひと言さえも言えなくて
しおりを挟む俺にしては、めずらしく早くに眼が覚めた。
まだ陽が昇り始める前。
境内の庭木に羽を休めにきてる鳥たちの声が聴こえて、ゆっくりと起き上がって髪を掻いた。
昨夕、厳叡寺に来て、一晩を過ごすことにした。
厳叡寺に来て、全部が明らかになるわけでもなかった。
だけど、ただ、じいさんに会って話がしたかった。
この自分を知る人間と語り合うことで、少しでもモヤモヤした気持ちを解くことができたら・・・
そう思った。
障子を開けて静かな庭を眺める。
朝靄で少し視界がぼんやりしてた。
真夏のひとときの涼――
朝の清々しい空気が躰中に入ってくる気がした。
ふと、なんも考えずに俺は歩き出してた。
散歩にでも出かけるってな風でゆっくりと歩く。
その足は、いつか訪れたあの場所へ――
杉並を通る細い石段を歩いてくと、そのまた先に竹林が広がってくる。
そこを抜けると、小さな湖が視界に映った。
前にも来たことがある――
(・・・咲弥・・・・)
初めて出逢った、その男――
あの日の夜を思い出した。
『貴方が欲しい・・・・』
あの時、そう囁いた咲弥の痛いほど切ない眸が、どうしてか、心を縛る。
全身に痺れが奔るような震えを感じて、崩れそうになる自分の躰を両腕で抱えた。
直臣への想いは、痛いほど伝わってくる。
だからこそ余計に、苦しかった。
なにが・・・・・?
保は知らない直臣への想い――
その愛を向けられる保
両腕で躰を抱えたまま、空を仰いだ。
微かな風に柔らかな波紋が水面を流れていく。
低く垂れた木々がその水面に映る。
ひんやりとした朝靄が、薄っすらとこの風景に溶け込んでいた。
何も考えたくない・・・
何も考えることはない・・・
瞼を閉じてこの空気を吸い込む。
――直臣の想いは・・・・?
――保の想いは・・・・?
蜩の声が微かに耳に届いて、もう一度、今度は大きく息を吸い込んだ。
本堂の扉を開け、ろうそくに灯を点けていく。
「南無阿弥陀仏・・・・・・」
住職が朝の勤行を始める。
本尊の前に座して香を焚く――
静かに香の馨りが漂うと、低い嗄れた声の読経が聞こえてきた。
点された灯は静かに揺れて辺りを照らす。
その灯に浮き立つ阿弥陀如来像は、温かな優しさを放っている。
一定のリズムで流れる読経と、阿弥陀如来の温もり――
心落ち着く所だ。
その空気を乱すことなく静かに本堂の障子が開いた。
軽く一礼して、男は落ち着いた物腰で住職の後方へ座した。
そして、本尊を前に合掌し一礼する。
入堂してきた人物にことさら驚く様子もなく、住職はそのまま読経を続けている。
「南無阿弥陀仏・・・・・」
を数回唱え、朝の勤行が終了した。
住職はもう一度手を合わせ一礼すると、後方に座していた人物を見やる。
「朝早くに、ご苦労さまですのぉ、咲弥殿。心配されますな、直臣様なら昨夜からここにおられますよ」
何も語らなくとも、その想いは分かっている。
「・・・そうですか、やはりここへ・・・・」
そう、あの時以来ずっと気になっていた。
『お前が・・・分かんねぇ・・・・』
切なげに俯いていた保のことを想っていた。
どうしているだろう・・・?
会いたい・・・・
声が聞きたい・・・・
そう想って何度も保の携帯にリダイヤルしたが、あれから一度も応答はなかった。
あんなことをした自分を恨んでいるのだろう・・・
しかし、会って謝ったところで許してはくれないだろう、と分かっている。
欲望と後悔の波が行ったり来たりして、自分にも行き着く先が分からない。
正直、もう限界だ。
肉体的にも、精神的にも・・・・
――助けて欲しい・・・・
この想いを解いて、安らぎがあるのなら、もう迷うことはないだろう。
――救って欲しい・・・・
『何も心配はいらない』と、迷いの道から導いて欲しい。
咲弥は瞼を閉じると静かに息をついた。
半眼のその眼――
『いつでも私が見守っているよ、安心しなさい。』と、優しく見ていて下さる阿弥陀如来のその御姿に、心が穏やかになる。
「・・・咲弥殿、少し休んで行きなさい。たまには、自分にも気をつこうてやりなされ・・・・」
咲弥の疲れた様子を察してのことだろう、住職は優しく笑んで言う。
「ありがとうございます――」
それだけ応えると、一礼して静かに立ち上がった。
――こんな朝早くから、誰だろう・・・?
誰か参りに来た・・・?
(こんな早くに・・・・?)
朝の散歩?から帰ってきて、ちょうど、本堂に上がる階段のとこで足を止めた。
中から、
はっきりとは聞き取れない微かな声に耳を傾けながら、俺は階段に座ってた――
住職に挨拶をして本堂を出た咲弥のその視線の先に、愛しい人の姿が。
「・・・・・・・!」
一瞬、驚いた表情だったが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻って、
「・・・わざと、ですか――?」
抑えた口調の低く響くその声。
聞き覚えのある声――
振り向かなくても、分かる。
視線だけ動かして、
「・・・だったら、何だよ」
俺も抑えた口調で応える。
――そう、わざとの訳・・・・・
何度か咲弥からの着信が着てたのは分かってた。
でも、出なかった。
出たくなかった・・・。
あんなことになって、電話に出る気にもなれなかった。
きっと、声を聞けば、苛立ちと矛盾する気持ちで、自分が自分でいられなくなりそうだったから。
階段に座ったままで、両手をぐっと握り締めてた。
「・・・でも、安心しました。ここに居たことが分かって・・・・。」
いや――・・・こんなことが言いたいんじゃない。
なぜ・・・
“会いたかった”・・・と、その一言が言えない?
矛盾するその気持ちの狭間で、咲弥は想いを押し殺す。
そして、ゆっくりと階段を下りて来る。
「・・・お前、よくそんなこと言えんな・・・・」
背中を向けたままで、握りしめた拳に力が入る。
「・・・お前、偽善者だよ・・・・・」
顔を伏せたまま立ち上がる。
俺は、ここから去りたかった。
押し殺したその声は、震えている。
「・・・もう・・・放っといてくれ・・・・」
この場を去ろうとする俺の腕を、咲弥が強く、しっかりと捕まえた。
「いっ、痛ぇな、放せよっ!」
振り解こうとする腕を咲弥はさらに強く握りしめ、もう片方の腕で俺の躰を引き寄せた。
「できるのなら、許されるのなら、今、ここで・・・・貴方を組み敷いて、抱いてしまいたい・・・・・!」
真っすぐに見つめてくる咲弥の眼と、抑えてはいるけど、いつにない熱い声音に、
なんだろう、この痛さ。
胸が締めつけられる。
できることなら――、貴方を抱いて、抱いて、狂わせてしまいたい・・・
それが、できない。
貴方を失ってしまうのが怖いから・・・
純真な貴方を壊してしまいそうだから・・・
引き寄せた咲弥の腕から、力が解けていく。
(私は・・・・偽善者だ――)
荒いだ心を落ち着かせるように瞼を閉じてゆっくりとその手を放した。
しばらくおいて、俯いたままの保を見つめながら静かに告げる。
「迎えにきました。今夜は、送り火祭です――」
陽は少しずつ強さを増し、あの暑さが戻ってくる。
響き渡る蝉時雨――
もどかしい二人の時間は、輪廻する想いの中を彷徨っていた―――
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