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17話
真っすぐに・・・
しおりを挟む「ねぇ、お母さん、まだ着替えなくていい?」
さきほどから時計と睨み合いをしている。
今夜の送り火祭での出演で、じっとしていられないのだ。
自分の部屋を行ったり来たりしながら、母に様子を伺っている。
「もう、美緒ったら・・・・さっきも聞いたわよ。」
そんな娘の姿に、呆れたような苦笑いを浮かべながら母は応える。
浴衣を着る予定でその着付けの時間を待っている美緒は、
少々、不安気な声音で母に訊ねる。
「ねぇ、お父さんきてくれるかな・・・?」
――そう、誰よりも一番に聴いてほしいと願っているのは、毎日仕事で忙しく動き回っている、
況してや、《都市化計画》問題の渦中にいる父親に、少しでも気を休めてほしいと、今夜の送り火祭で演奏することを決めた。
彼女の演奏会をみにきてくれたのは、
小学生以来で、それからというもの、娘の舞台での活躍をみることはなかった父だった。
「そうねぇ・・・早めに仕事切り上げてみにいくって、父さん言ってたわよ。」
不安気にまた時計と睨めっこをしている娘に、少しでも元気づけようと母は笑顔で応える。
「ほんと?!よかったぁ!あたし、髪整えてくる!」
娘の表情に明るさが戻った。
彼女は二階の自分の部屋へと急いで駆けて行った。
その姿に、母はまた苦笑いしながら娘の後ろ姿を眼で追っていた。
町は、気忙しい中にも賑やかさにあふれていた。
今夜の送り火祭の特設会場では、大掛かりなステージや放送機材の設備の調整が行われていた。
灼けつくような陽射しの中、祭り関係者や学生のボランティアの人々が、この暑さに負けないくらいの活気で準備を進めていた。
祭り会場広場の周囲や路上には、朝から荷物の出し入れで行き来きしている数々の露店が、所狭しと競い合うように店を連ねている。
様々な機材やトラックの出入りする音、最終確認に余念がない祭り関係者らの飛び交う声がこの〝送り火祭〟の醍醐味を感じさせていた。
夏の空が、青く高い――
山際からわき上がる真っ白な積乱雲は、祭りの威勢をさらに盛り上げんと、青い空に膨れ上がっていた。
男はゆっくりと席を立ち上がり、ガラス張りの窓際へ歩み寄る。
骨格のくっきりとした面立ちには、どこか私心的な笑みを湛えているようにも見えた。
「計画はスムーズに進んでいるようだな。今後の報告も期待しているよ。」
ガラス張りの外の景色に視線を置いたまま、男は同じ一室にいた部下を労う。
「では、失礼します。」
眼前の社長へ一礼すると、その部下は部屋を出た。
「――・・・やはり、お前が頼みの綱ぞ・・・」
彼は含み笑いを口許に浮かべ、眼下に広がる町を見下ろして言う。
この一室に、さきほどの部下とは違う別の人物が、テーブルを挟んで同席していた。
「・・・・お任せ下さい。」
もう一人の人物はそう応えると、口許に不気味な笑みを湛え、窓際の男を見やる。
その言葉に信頼を置く男は、穏やかではあるが念の込もった声音で、
「頼りにしておるぞ、雪彦。我が地蜘蛛衆の名を汚すでないぞ――」
雪彦――そう呼ばれた男は、その言葉に動じる様子もなく確と応える。
「御意。棕玄殿の命とあらば、必ず――」
声はないが、二人の間には不穏な笑みが漂っていた。
――ピ―ッ・・・・
『社長、商工会の方からお電話です。』
秘書からの連絡を受け、彼はゆっくりとテーブルに着き受話器を取り繋いだ。
「お電話かわりました――、はい・・・いえ、こちらこそ、この様な場を設けて下さり感謝しておりますよ。・・・はい、では後ほど・・・よろしくお願いします。」
応対する彼の口調は控えめな柔らかい物言いだが、その双眼には傲慢な鬼人が宿っているかのような光をくぐらせていた。
照りつける陽がゆっくりと和らいできていた。
夕刻を告げる蜩が、また切なげな啼き声を奏で始める――
風が、寺を囲む大樹を撫でながら軽やかに流れていく。
厳叡寺は、時の流れなどまるで感じさせない。
何の柵もなく、自然の流れゆくままにこの身をおける。
何も考えずに――。
今、生きている己と向き合って、これから先をどう生きていくのか、確とした解えを見つけ出そうと、保は厳叡寺を訪れたはずだった――
自分が請け負った宿命に眼を背けず、自分は自分として生きていくことを決意した。
ただ――
心の底につかえているものがある。
それが何なのか、その先に解えはあるのか・・・それすらも分からない。
静かに仏様の前に座ってた。
一人こうしてると、自分の悩みや迷いなど無に感じる。
――これでいいのかもしれない・・・
そう思う。
《ただ・・・何が大切なものか、それだけを見失わぬことですぞ・・・・》
じいさんが言った言葉が、心の中に刻まれてる。
――大切なもの・・・
――失ってはいけないもの・・・
「ここに、いらっしゃいましたか――」
障子を開け、じいさんがゆっくりとした足取りで座ってる俺の方へ歩み寄ってきた。
その後から静かに障子を閉めて咲弥が入って来た。
一瞬、ピクって眉が動いた。けど、
ちらっ、と横目に見ただけで意外と俺は落ち着いてた。
じいさんと向かい合って座る。
俺の後ろに回って咲弥も静かに座る。
「ゆっくり休めましたかな?」
穏やかに笑ってじいさんがそう言う。
「・・・・まぁな。」
呟くように応えて、俺もつられて穏やかに笑んだ。
そして、
「・・・なぁ、じいさん――俺、厳叡寺に来たときに言ったよな・・・・」
俺は仏様の方に向き直って続けた。
「俺だって普通の生身の人間だから、自分は傷つきたくないって、自分で自分をかばって、甘やかして生きてる。人間なら誰だってそうだろ?自分を守らない人間なんてこの世にはいねぇよな・・・それはそれでいいって思うんだ。俺はそうやって生きてきた人間だから・・・・・」
「だから・・・」
またじいさんの方へ向き合って、
「自分を守れる人間なら、自分の大切なもんも守りたい・・・てか、そんな人間になりてぇって思う。俺は、俺の生き方に悔いが残る生き方はしたくねぇ・・・そう思うんだ。」
なんか、言ってることだけはかっこいいつもりな俺、少し鼻先を掻いた。
そんな保の背中を、咲弥は眼を細めて見つめていた。
胸の奥を締めつけられるような、そんな痛みを覚えた。
(・・・保さん・・・・・)
この人は――
どこまでも真っすぐで、清らかな人なのだ・・・
純真であるがゆえに、自分の気持ちを真っすぐにぶつけてくる。
そんな彼のことを、自分は知っていたのではないのか――?
知っていたつもりだったのかもしれない。
知っていたつもりで眼を逸らしていたのかもしれない。
保の悲痛な言葉が脳裏に繰り返される。
《・・・お前、偽善者だよ・・・・・》
貴方を守る・・・・
そう言っておきながら、本当は貴方と向き合うことすらしなかった。
上っ面だけ見せかけて、怖さから逃げ出したかったのは、この自分ではないか。
助けてほしい――?
救ってほしい――?
どこまで自分は甘えて生きているのか・・・・・
この人は――
己を知らずしても、己の生きてゆく道を見定める強さを己自身で得たのだ。
そこに、逃げ道など無い。
迷いもあり、情もあり、欲もある。
それを全て棄てたのではない。
全ては己と受け入れて、生きていく覚悟を決めたのだ。
そんな貴方を――
(・・・私には、愛する資格も何もない・・・・)
保を見つめていた眸を伏せ、膝に置いた両手を強く握りしめていた。
「・・・てなわけで――、帰るよ。じいさん、ありがとな。」
で、なんか言いたいこと言ってすっきりしたかな?
そんな気持ちで俺は縁側に出ていった。
外はもう日暮れのベールが包み込んでいた――
中にいた二人も縁側へ下りてきてこの寺の庭を見てる。
「・・・俺、厳叡寺に来てよかったよ・・・。」
夕焼けに包まれる寺の庭を見つめながら、俺はそう呟いた。
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