この青空の下を歩く夢

花崎有麻

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 静かな廃団地に、電子音が響く。痛む身体を引きずって瓦礫の隙間から顔を覗かせると、合人が携帯電話をとるところだった。
(・・・・・・聞こえない)
 なにかを話しているが、ここは六階だ。廃団地の外にいる合人の声はいくら静かでも聞こえてこない。だが表情は読み取れた。吸血鬼だから夜目が利く。
「合人・・・・・・?」
 彼はその電話をとって直ぐ、表情を凍らせた。そして電話を切る動作をするとすぐさま走り出し、闇の中へと消えていった。
 なにかがあった、というのは一瞬で理解した。
 出会ってひと月も経っていないが、それでも合人のあんな表情は初めて見た。
 気になり、心配になり、軋むからだに鞭打って立ち上がると、エミリーはいつもの何倍もの時間をかけて一階へと降りた。本当はこの羽で飛んで行けたらラクなのだが、どうも身体がうまく言うことをきかない。壁伝いになりながら一階へと降りた。
 だがそこに、当然だが合人の姿はない。
「合人」
 小さく名前を呼んでみる。しかし、もちろん返事はなく、そこでエミリーの身体は限界を迎えて崩れ落ちる。
 足に力が入らず、なんとか地面を這って壁際まで行ってそこに背中を預ける。
 身体の痛みに耐えるため、目を閉じてゆっくりと深呼吸する。
「・・・・・・ふぅ」
 どれくらいそれを繰り返したか、ようやく痛みが僅かに和らいで目を開ける。
 と、同時に声が聞こえた。
 一瞬、合人が戻ってきたのかと思ったが、そうじゃない。声の数は一つじゃない。少なくとも男女二人以上の声がするし、聞いたことがない声だ。
 声はだんだんと廃団地に近づいてくる。エミリーの姿は今、吸血鬼のそれだ。姿を見られる前に身を隠したほがいいのはわかっているが、痛みが和らいだとはいえ満足に動くことができない。
(・・・・・・もう、どうして、こんな)
 声を殺し、気配を殺し、見つからないように祈る。
 声はそれから直ぐに廃団地の敷地内に入ってきた。声の主の姿も窺える。
 入ってきたのは男女二人ずつの四人組。背格好からして合人よりも二つ三つは年上に見える。
 男の一人は派手な人工的な金髪、もう一人は茶髪。女の一人は金髪男と同じ色の髪で服装も派手だ。もう一人は黒髪で見た目は清楚そうに見え、この三人の輪の中にいるのが不思議に思える。
「ねぇ、本当に行くの?」
 黒髪の女が言う。その声にはわかりやすく怯えが感じ取れる。
「大丈夫だって、俺らがいるっしょ?」
 金髪男が軽く答え、茶髪もそれに続いた。
(そういえば、前に合人が言ってたなぁ)
 この廃団地は地元では有名な心霊スポットなのだとか。
 確かにここは不気味ではあるが、エミリーは合人に出会ってからここに入り浸ることが多くなったが、その噂に反して幽霊なんて見たことがない。というよりむしろエミリー自体が彼らから見たらその対象になるだろう。
 今は夏休み。彼らのような学生はその真っ最中だ。夏という時期的な状況も加味されて、彼らはきっとここに肝試しにでも来たのだろう。だとしたら、早く帰ってくれなんて願っても無理かもしれない。
 そして当然のように、四人にはそんなエミリーのささやかな願いなど届かず、一番手前の部屋の中へと入っていった。
「うおっ、なんだこれ!」
 彼らの入った部屋にはドアがなく、その声は外まで筒抜けだ。
「人の、絵?」
「なにこれ・・・・・・。上手、だけど・・・・・・」
「うん、なんかこれ、怖ぇー。キモい」
 部屋の中にある人の絵。言うまでもなく合人が描いてきた絵のことだ。
 それにしても怖いとかキモいとか、正直見る目がないとエミリーは思う。合人の絵は怖くなどない。ましてや気持ち悪くなど決してない。合人の絵には暖かさがある。まるで家族の団欒すら聞こえてきそうな絵だというのに。
「友達から聞いたんだけどさ、なんかここの絵、増えるらしいぜ?」
「増えるって・・・・・・なにそれ・・・・・・」
「友達も去年ここに肝試しに来たらしいんだけどさ、そんなときに全部の部屋見て回ったんだってよ。んで、暫くしてまたきてみたら、前はなにも描かれてなかった部屋に絵が増えてたんだって」
「え、なにそれぇ、勘違いじゃなくて?」
「本人も最初はそう思ったんだけどさ、気になってまた暫くして行ってみたんだと。そしたらまた、増えてたんだ」
「でもそれって、誰かがここで絵を描いてるってことじゃ?」
「こんな廃墟で? なんでよ。描くなら紙にでも描けばよくね? それにさ、こんな噂もあんだ。ここってかなり古いのに全然取り壊されたりしないだろ? それはさ、壊そうとするとここの住人が怒るらしいんだわ」
「じゅ、住人・・・・・・て?」
「こいつらだよ」
 バン、となにかを叩く音がする。直前の言葉から察するに、男のどちらかが壁を叩いたのだろう。
「ここを壊そうとすると、この絵の住人が暴れるらしい」
(はは)
 その話を聞いてエミリーは笑った。
 そんなわけがない。この絵は合人の努力の結晶だ。確かに合人の絵からは家族の団欒すら聞こえてきそうだが、決して絵が動き出すわけではない。そんなことは普通に考えてありえない。
「・・・・・・まったく。心霊現象と合人の絵を、一緒になんてしないでよね・・・・・・」
 少し考えればわかることだが、真実を知らない人間の目にはそう映るのだろうし、それにそれならそれで都合が良い。ここが心霊スポットとして誰も近づかなくなれば、ここはずっと合人のアトリエ。個展会場で、聖域だ。
(でも、こういうお客さんがいることは、合人に伝えておいたほうがいいかなぁ)
「えぇ、なにそれ、怖いんだけど」
「ね、ねぇ。もう帰らない? なんか気味悪いし、なんだか凄く寒気とかするし」
「まあまあ、大丈夫大丈夫。今日ここへ来たのは肝試しでもあるけど、実はもう一つ理由がある。それは、これだ!」
「なにそれ、スプレー缶?」
「そ」
「それで、なにすんの?」
「要はここの絵の亡霊が心霊現象の大本だろ? だったら、ここの絵を全部俺らのアートで塗りつぶしてやればいいんじゃねぇかなって」
「――っ!?」
 男の声にハッとした。
 絵を、全部塗りつぶす? 合人の絵を、スプレーで?
「なるほど! あったま良いな、お前!」
 バカな、ありえない。
 合人の絵を塗りつぶすなんて。合人がこれまで頑張って描き上げてきたものを、そんな理由でダメにするなんて。
 ここは合人のアトリエだ。個展会場だ。
 だから百歩譲って他人が足を踏み入れるのは良しとする。合人の絵を見ることは良しとする。
 だけど、飾られている絵に手を加えるなんてありえない。
 それは侮辱だ。失礼なんてものじゃない。
 そんなことをしてしまえばもう、それは罪ですらある。
 到底、許せることじゃない。
「――っ」
「それじゃあ、さっそく」
 全身を走る痛みは消えていた。
 ふつふつと頭には憤りが湧き、苦しさなど忘れて立ち上がった。
 姿をさらしてはいけない。だがしかし、エミリーは真っ直ぐに彼らの元へと向かう。
 壊れたドアに辿り着き中を覗くと、金髪の少年が合人の絵に向けてスプレー缶を構えているところだった。
「――やめてっ!」
 とっさに叫んだ。
 その声に四人は身体を震わせ、一斉にエミリーへと視線を向ける。
「だ、誰っ!?」
 黒髪の少女が怯えたように男の後ろに隠れる。他の三人も驚いた顔をしていて、その視線がエミリーに。エミリーの赤い瞳と背中の羽に注がれている。
「その絵に、触らないで・・・・・・。今すぐここから出て行って・・・・・・」
 突然のエミリーの登場に四人は明らかに怯え、驚いた表情を浮かべ固まっている。しかし金髪の少年が真っ先に我に返ると、ゆっくりとエミリーへと近づいた。
「な、なに、キミ。もしかしてキミも肝試し? ていうかそれなに、カラコンとコスプレ?」
 エミリーの瞳と羽を少年はそう解釈したらしい。その言葉を聞いて他の三人もエミリーのことをそう理解して納得しようとしているらしいが、正直、今はどうでもいい。
「良かったらキミも俺らと一緒にやる? あ、もしかしてこの絵、キミが描いちゃったカンジ?」
 ここまで来ると彼らの言動、言葉の一つ一つが鬱陶しくすらあった。
 この絵をどうこうしていいのは合人だけなのだ。なにも知らない人間が、この作品たちに触れていいわけがない。
「わたしじゃない。わたしじゃないけど、お願いだから絵に触らないで」
「チッ、んだよ」
 エミリーの言動が気にくわなかったのだろう。金髪の少年の態度があからさまに変わる。目を細め、威圧するようにエミリーのことを上から覗き込む。
「別に俺らがここでなにしようと勝手じゃん? 別にここは誰かの私有地ってわけじゃねーし? つかさ、元々ここには落書きがあんだから、俺らがそれを上書きしたって別にいいっしょ」
「――――」
 ブチリと、なにかが切れるような音が頭に響いた。そしてそれがなんなのか理解する前に、身体は動いていた。
「黙って・・・・・・」
 許せなかった。
 土足でこの場所に踏み入り、しかも合人の絵を落書きだなんて。
 合人がどんな想いを抱いて。合人がどんな苦しみを背負ってこの絵を描いてきたのかなんて、まるで知らないくせに。
「え、なに――」
 この絵は軽い気持ちで触れていいものじゃないはずだ。
 この絵は軽い気持ちで貶されていいものじゃないはずだ。
 この絵は軽い気持ちで評されていいものじゃないはずだ。
「黙って!」
 叫んで、少年の瞳を見た。
 すると少年は不自然に言葉を中断し、生気の無い顔で、
「・・・・・・」
 黙り込んだ。
 その明らかにおかしな状況に、他の三人は身を固くする。
 少年は決してエミリーの迫力に気圧されたわけじゃない。エミリーの気持ちが通じたわけじゃない。ただ、そうさせられた。
 久しぶりに使った、この力。
 対象に簡単な暗示を掛けられる、吸血鬼の特性。
「お、おい、どうし――」
「あなたも黙って。あなたも、あなたもっ」
 矢継ぎ早に言うと、エミリーは残りの三人にも同じ暗示をかける。四人は自身に起きたことなど理解していないかのように黙り込み、どことも知れぬ虚空を見つめている。
 人間に戻りたかった。人間の生活に憧れていた。
 だからエミリーは、こうした吸血鬼的なことからはなるべく遠ざかっていた。吸血鬼の力を使ってしまえば、使った分だけ人間から遠ざかるような気がしていたからだ。
 でもその気持ちを曲げてでも、この少年たちを許せなかった。
「・・・・・・ごめんなさい。でも、あなたたちに合人の絵を見る資格はないから。合人の絵をどうこうする資格なんて、ないから」
 だから――。
「もう、出て行って。そしてここでのことは全て忘れて、二度とこの場所には近づかないで」
 悲痛な、絞り出すようなエミリーの言葉に、四人は「はい」と無機質に頷いて部屋から出て行った。
 誰もいなくなった部屋の真ん中で、エミリーは立ち尽くす。緊張の糸が解けたのか、今になって身体の痛みが彼女を襲い、エミリーは膝から崩れ落ちる。
「合人・・・・・・」
 冷たいコンクリートの床の上で、痛みに耐えながら少年の名前を呼び、そして壁の絵を見る。
 この絵が汚されなくて本当に良かった。
 合人を悲しませずに済んだだろうか。
 合人のことを、守れただろうか。
「・・・・・・そうだ。ねぇ、合人。ここの部屋、全部に絵を描いたら、二人でお祝いをしようね。それで――」
 ここは合人のアトリエ。合人の個展。
「全ての絵が完成したら、この場所をもう一度巡ろう。お客さんの・・・・・・ファンの第一号は、わたしなんだからね・・・・・・」
 この個展はもうすぐ完成する。
 そうしたら吸血鬼ではなく、人間としてこの場所を見て回ろう。
 暗い暗い夜ではなく、鬱陶しいくらいに照りつける夏の太陽の光の中で。
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