昔夏の影送り

神谷 愛

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夏の少し前

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 じゃあ、どこから話そうか。ああ、つまらない茶々も相槌もいらないよ。そういうのは他の記者たちでもう食傷気味なんだ。あいつらと来たら、余計な相槌と茶々が使命だと思っている節があるからね。…そんな顔をしないでくれ、別に今のあんたに文句を言ったってしょうがないしな。
 簡潔に行こう、弟は俺が中学生の時に死んだんだ。何もなかったよ、事件でもないし、呪いだとかそんな類でもない。もちろんどこかの怪しい集団が弟を攫って何かの儀式に使ったとかそういうわけでもない。熱中症だったかな。まだ小学生だったからね。熱中症だから、なんて言っても話を聞くわけがないよな。渡された水筒に碌に口もつけないまま遊びまわって、疲れた、って言ってベンチに横になって、そのまま、だ。馬鹿だよな、少しぐらい兄の言うことを聞いてほしかったよ。今さら言ったって何にもならないんだけどな。
 可愛いやつだったよ、いや、そんな意外そうな顔をしないでくれよ。あんた、兄弟は?そうか、いないのか、じゃあわかりにくいかもしれないな。周りでも兄弟がいないやつは理解していなかったような気がするよ。とにかくそんんなもんなんだよ。生意気だし、言うことは聞かないし、俺のことをなめ腐っていたけど、それでも弟なんだよ、可愛くて仕方がないんだよ。頼まれたら文句言いながら、愚痴を言いながら、結局やってあげちゃうんだよ。弟ってだけでなんだか許しちゃうんだよ。ま、ここら辺は人に依るだろうけどな。
 それで、あー、何だ、あいつが死んだって言われた時はしばらく放心していたらしいよ。流石にそこまで詳しくは覚えてないけど。不思議そうな顔で棺を眺めていたそうだ。もうその時は中学生だったんだけど、それでもまだ一年生かそこらだったからな。理解するのは難しかったんだろうな。別に頭がよかったわけでもないし、泣き始めたのはだいぶ後になってからだったらしい。そこからは流石に覚えているよ。夜通し泣いていたよ。知ってるか?泣きすぎると涙も枯れるんだよ、本当に泣いてるのに、我慢しているわけでもないのに、涙が一滴も出てこないんだよ。泣き声だけが延々と出ている感じなんだ。いや、涙が枯れるほどだったし、声も枯れてただろうな。涙折れ声も尽きてってやつだ。あんだけ泣いたのはいまだにあの時だけだよ。去年に父親が死んだんだけどな、流石に弟の時ほどは泣かなかったよ。
 すまんな、話が逸れた。それで、弟が死んでからの俺は相当に沈んじゃったんだ。そりゃそうだよな。生意気なクソガキって言ったって血を分けた弟で毎日顔を合わせて話をしてたんだ。喧嘩だって数えきれないほどしたさ、殴り合いに罵り合い、どれだけしたのか見当もつかないさ。でもある朝からそれはもう一回だって増えなくなったんだから、そこからだろうな、本当に心が落ちてきちゃったのは。朝起きてから隣を見ても布団が無いし、一緒に隣の席で朝ご飯を食べることもなくてさ。学校から帰ってきたバカみたいなデカい声もなくなって、大騒ぎしながら一緒にゲームして母親に怒られたりとかもさ、全部だよ全部。ぜーんぶ無くなっちまったんだ。正直そのころの家の中のことなんて何も覚えてないよ。いなくなった弟のことで頭がいっぱいだったからね。ああ、でも家の中が異様に静かになったのは覚えてるよ。両親のどっちかだろうけど、少しぐらい賑やかそうと思ってテレビをつけたりもするんだけどね。誰も笑ったりしなかったよ、テレビを点けた本人も含めてな。あの静かさは本当にキツかったよ。今思い出すだけでもなんか嫌な気持ちになる。
 それでも流石に何か月かもすればそれなりにもとに戻ってくるもんさ。弟がいなくたって仕事はあるし、家事があるし、やらなきゃいけないタスクは消えたりしないからね。・・・その顔だともうわかってそうだね、そう、俺を除いて、少しづつ元に戻ったんだ。
 どうしても弟がいない生活に慣れることが出来なくて、両親にあたったりもしたさ。それでも多少は落ち着いたりしてね、暴れたり、物に当たったりもしなくなった。それだけでも随分とマシになったものだよな。それでもどうしても学校には行けなくてね。保健室に何回か行ったのが限界だった。
 中学校だから、別に留年とかするわけではないけど、両親的には気が気じゃなかったんだろうな。病院とかにも行って、ちょっとどういう経緯を辿ったのかは覚えていないな、すまないけど。それで、田舎に行くことになったんだ。母方の、あれ、父方だったかな、うーん、あやふやだな、まぁどっちかは忘れたけど、その祖母ちゃんがいる田舎に行くことになったんだよ。夏休みの間だけだったから、二週間とかそこらか?まぁそんなもんだろうけど。産まれた時に何回か行ったぐらいだって話だったから、全く記憶には無かった場所だったな。名前を言われても全くピント来なかったよ。今では年一で年賀状を出したりするけど、行ってないな。偶には顔を出そうかな、相当お世話になったはずだし。
 とにかく、それで田舎に行ったんだ。人よりも飼ってる家畜のほうが多そうな田舎だったよ。田んぼとかが広がってるわけじゃなくて、本当に山間って感じだったはずだ。どこ向いても山が広がっていてね、初めて行ったときはそれなりに興奮したよ。今じゃ億劫さしか感じない土地だけどな。なんで子供の時ってあんなに虫に抵抗がないんだろうな。素手で掴まえて放り投げて遊んだ記憶すらあるよ。あんた、知ってたりする?・・・ふぅん、へぇ、そうなんだ、確かに両親はどっちも虫を見たときはかなり嫌そうな顔をしていたっけな。あそこで何もない顔をしてたら今も俺は素手で虫を捕まえたりできたのかもしれないな。いや、それはそれで嫌だな。別に今のままでもいいか。
 すまん、また話がずれたな。えーっと、そうそう、祖父とか祖母って言ったってその時はまだ還暦も迎えてなかったかもしれないはずだ。それで孫がいるんだから、田舎おそるべしってか感じだよな。俺?結婚もまだだよ。仕事で手一杯で他人の人生なんて背負う余裕ないさ。友達が言うにはなんとかなるから大丈夫って言ってたけどね。まぁそいつは去年の暮れぐらいには離婚してたけどね。なんとかなってないよな。あんたはしてるのかい、指輪はしてないみたいだけど。ああ、一緒か、もうそろ周りがうるさくなってくる頃合いだよな。
 どうにも話が逸れるな。一回休憩してもいいかい。もうお茶もなくなったみたいだし。あら、あんたも空じゃないか。お代わりはいかがかな?ああ、じゃあ、少し待ってくれ。淹れてきたらまた話そう。
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