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第二章 乱れ桜に幕が下りる
二十三 境界線
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桜蒔の背に揺られて、自宅まで連れていかれた。
お風呂に入れられ、なんと一緒に寝てくれた。
これだけ奇跡が起こったのに、怪我と薬で頭がぼんやりしていたのが悔しい。
小幕が夜明け頃に目を覚ますと、自分の腕のなかにふわふわの髪があった。
初めて見る桜蒔の寝顔。起きているときよりさらに童顔だなと、しげしげ見つめてしまう。
やたらと桃色がかった自分の肌とは違う、あまり血の気を感じない均一な象牙色の頬が、朝の薄い光に透けていた。
痛む体をゆっくり起こしながら、赤茶の髪を触った。
本人が眠っているせいもあるが、焦燥も渇望もなく、これほど落ち着いた気持ちで桜蒔の傍にいるのは初めてかもしれない。
あんなに遠かったのに、今は少しだけ近くに感じる。ちゃんと自分の手が届く範囲にいるのを実感する。
幼い頃からずっと見てきた桜蒔。
無防備な姿で隣にいてくれることが嬉しくて、慈しみたいような、とにかく大切にしたいような、優しく触れたい気持ちが湧いてきた。
ああ、こういう感じか。と、ひとりで納得する。
志千が百夜に接しているときは、きっといつもこんな感情なのだろう。形だけではない包容力。
必要なのは、駆け引きでも計算でもなくて。
愛されたいだけではなく、もっと自分を通した印象だけではない本当の相手を見て、心の奥底で繋がりたいという想い。
外が明るくなっていた。
牡丹荘の女中になって間もないというのに、先日も発熱で寝込んでしまった。
これ以上休むわけにはいかない。桜蒔を起こさないよう、そっとベッドを出た。
急いで牡丹荘に帰り、なんとか朝食の支度は間に合った。
食卓に料理を並べていると、仕事で早く起きてきた志千が居間に顔を出して言った。
「あ、小幕。おまえ、昨日の夕食……!」
雇い主に無断で外泊したのだから、叱られてもしかたない。
普段は優しい青年が、声を荒げた──ように感じただけだった。
「すみません。僕、用意して待ってるって言ったのに」
「それはぜんぜんいいけどさぁ、ちゃんと置き手紙もあったし。それより、カレー粉入りがどれかわかるようにしといてくれよ。辛ぇじゃん!」
と、想定と違う不満をぶつけられて、思わず目を見開いた。
「へ? ごめんなさい。いちおう別々のお皿に盛っておいたんですが」
「どっちかわかんねえよー。いい匂いだったからなにも考えずに食っちまった」
辛いものが好きな百夜のため、スパイスをふんだんに使ったコロッケをいくつか作っていた。甘党の志千にはつらかったようだ。
「でも、すげー美味かったよ。百夜はカレー味のほう気に入ってたぜ。無言でずっと食ってた。ああいうとき、無表情なのにちょっと幸せそうで可愛いんだよな」
「また今度作りますね。次は辛さ控えめのやつも」
「おう。つーか、頬なんか腫れてね? 大丈夫か?」
殴られたのはほとんど着物で隠れる場所だったが、地面に顔を押しつけられて片側に擦り傷ができていた。
そっと近づいてきた志千の指先が、頬に触れる。
「うう」
「わ、ごめん、痛かった!?」
気づいたら、涙が流れていた。
ずびっと鼻をすすりながら答える。
「ちがいます~。怒られるかと思ってたのに、みんなが優しいから~」
「朝帰りのこと? んなことでいちいち怒ったりしねえよ。桜蒔先生のところなら心配する必要もないし」
「それもですけど、いろいろ……」
割烹着のままその場にへたり込んでしまい、志千は隣にしゃがんで背をさすってくれた。
「小幕、先生にちゃんと気持ちを話してみるんだろ」
「はひ」
「俺と百夜も、周りからは、ただ呑気にべたべたしてるふたりに見えるかもしれねえけど」
「それは間違ってないんじゃ?」
「今はな! あいつと舞台で残菊を演じたとき、もうどうしようもないくらい好きだと思った。ただガキみてえに百夜が欲しかったんだ。でも、対話しなきゃ俺だってあいつのことはわかんなかったよ。どんなふうに見えてたって、実際は違うかもしれないよな。桜蒔先生は小幕がなにを考えてるのかきっと知らねえし、逆もそうだろ?」
小幕がどんなことをしても、桜蒔は意外にも拒否しないけれど。でも、一方的に欲しがるだけじゃだめなのだ。
それでは、ただ欲望をぶつけてくる自分の客たちとなにも変わらない。
いつも愛嬌の仮面で隠しているから、本来の自分がどんなだったかよくわからなくなっていた。
幼少時とすっかり違う性格になった自覚はあるが、今と比べてどちらが本当というわけではない。
古い知り合いと会えば、ときどき昔の自分が顔を出す。
しかし、あの口調に戻れば素直になれるかというとそうでもなくて、あれはあれで生き抜くための強がりである。
自分のことなのに、人というのは案外複雑だ。
どこにいても息がつけず、身を守る術が必要だった小幕にとって、仮面を剥がす行為は丸腰同然のとても勇気がいる行為なのである。
でも、今度こそ素直に想いを伝えないと。
***
数日後の夜。
家主たちが風呂に入っているあいだに、桜蒔がやってきた。
着物が動きにくそうだからと、着なくなった袴を持ってきてくれたのだ。
「ふへへ、オージさんのお下がり」
「そんな嬉しいか……?」
桜蒔が大事にしている家族と同じように気にかけてくれるのが嬉しい。
自分の心境もだが、桜蒔も変化しているような気がする。
ふとした反応や、一挙一動が少しずつ変わっている。
会話が自然に途切れ、押し黙ったまま静かに見つめ合った。
桜蒔の視線はすごくまっさらな感じで、まるでたった今、運命的に出会ったかのような錯覚に囚われる。
消えない過去や劣等感をすべて払拭して、あとに残った純粋な想いだけを伝えたい。
百夜に一旦ぜんぶ置いておけと言われたとおりに。
受け入れてくれると直感した。だから、そのまま唇を重ねた。
そっと触れて感触を確かめてから、ゆっくりと深く。
怪我のせいでやや熱を持っている自分の唾液は少し熱くて、桜蒔の舌がひんやりと感じる。
やがて交じり合って、同じ温度になった。
肩に手を乗せたまま唇を離すと、桜蒔が言った。
「……めずらしいな」
「なにがです?」
「おどれがへらへらもぺらぺらもしとらんと、落ち着いとるの」
「たまにはいいでしょ? ふたりきりなんですから」
上から順に、味わうみたいに舌を這わせていった。
いまさらながら緊張してきて、無駄に言葉数が増えてしまう。
押し倒して、耳元で囁く。
「じゃあ、抱かれた相手は僕だけ覚えといてくださいね」
袴を脱がせて、いつ仕事が入ってもいいように持ち歩いているぬめり薬を桜蒔の下腹部に垂らす。
指で優しく上下に擦ると、組み敷いていた桜蒔が声を漏らした。
「んっ……」
一瞬、手が止まってしまう。
歯を食いしばって赤面したその表情には、恥ずかしさと悔しさがどちらも詰まっている。
この反応を見ているだけで理性が飛びそうだった。
「かわい……」
どんなにつきまとっても、のらりくらりと躱されて、まったく手の届かない大人だと思っていた相手に、自分がこの顔をさせているのだという事実。
いつのまにか背丈も越して、このひとの肩が、腰がこんなに細かったなんて知らなかった。
もっと丁寧に、大事に触らなきゃと頭では理解しているのに、どうしても焦燥で手つきが荒々しくなる。
「も、いいけん、はよ挿れろ」
正常位で腰を掴んで浮かせ、ずっぽりと奥まで自身のものを埋める。その刺激で桜蒔の上半身がぴくっと跳ねた。
眩しいときみたいに両手で顔を隠していたが、一突きするごとに敷布のうえをさ迷って、快感に落ちていく表情が垣間見える。
前に抱いたときよりも、ずっと気持ちよさそうだった。
息も絶え絶えで、涙目で必死に耐えているのに絶頂が止まらない。
だめだ、理性が飛ぶ。
本当に壊しそう。
「そ……んな、に見んな……」
「だって、気持ちよさそうなんですもん。どうですか?」
「こないだよりはな……。な、んか、変わった気がする……」
そう言った桜蒔の意図が、小幕にはわからなかった。
なにがですか、って。
ちゃんと訊かないと。
あなたが好きだって言わないと。
気持ちが込みあげてきて、気づけばまた涙を流していた。
「な、なして泣く……?」
十二年間のこの想いをぶつけられる言葉が見当たらない。
持ち合わせているものでは足りなさすぎる。
「期待していいんですか?」
「なにを?」
「オージさん、あなたは……あなたは、僕のものになりますか?」
こんなときのために、もっとお勉強しておけばよかったと思う。本も読んでおけばよかった。
説明のない感情だけ押しつけて、結局泣いて眠ってしまった。
目を覚ますと部屋は薄暗かったが、それほど時間は経っていないようだ。
すぐそこに桜蒔の後ろ姿がある。
着物を着て畳に座り、腕を組んで考え込んでいるように見えた。
べつに最中じゃなくても、まだ間に合う。
不器用でもいいから少しずつ伝えよう。
そう決意しなおして、名を呼ぶ。
「オージさん……」
「起きたか。そろそろわし帰るで」
と、いつものあっさりとした口調で振り返った。
待って、まだ肝心な言葉を言っていない。
でも、なんだか嫌な予感がした。さっきまでの親密さが嘘のような、隔たりを感じる空気だ。
伸ばした手は虚空を掴んで、どこにもいけなかった。
「悪かったな。ガキん頃、中途半端に関わって」
「……なんで謝るんですか。あの頃の僕は、間違いなくあなたに救われたのに」
「他に優しくしてくれる大人がおらんかっただけ。ももと同じじゃ。心が折れんための心の糧みたいな。結局目の前から消えて、いらん期待をさせたなら悪かった」
「違う、そうじゃなくて……!!」
最初はそのとおりだったかもしれない。
生まれたはずの街は冷たかった。誰も存在を認識してくれず、路傍のごみと等しい価値しかない。どこまでも自分とは無関係の娯楽ばかりが並ぶ興行街。
桜蒔の存在は本当に奇跡だったのだ。
ふたたび会えることを夢見ていなければ、どこかでぽっきりと折れていた。
でも、今じゃそんな段階はとうに過ぎてる。
もうあの頃ほど無力ではない。ちゃんと生き抜いてきた。
そのうえで、あなたが好きだと伝えたいのに──
「ほれ」
枕元に、紙幣が置かれた。
「玄人相手に対価がないほうが失礼じゃろ?」
「……ふーん、線引きするんだ」
所詮は、ただの男娼。
気まぐれで残飯をやっただけの野良犬に懐かれて迷惑だったと、はっきり突き放されてしまった。
これだ。この立場を思い知るのが怖かった。
だから、今までどうしても言葉にできなかった。
「あーくそぅ。まったく腰立たん……!! 寄る年波……!!」
「ふっ、あはは。おんぶしてあげましょうか?」
境界線を引かれてしまったから、またへらへらと笑う仮面をつけるしかなかった。
お風呂に入れられ、なんと一緒に寝てくれた。
これだけ奇跡が起こったのに、怪我と薬で頭がぼんやりしていたのが悔しい。
小幕が夜明け頃に目を覚ますと、自分の腕のなかにふわふわの髪があった。
初めて見る桜蒔の寝顔。起きているときよりさらに童顔だなと、しげしげ見つめてしまう。
やたらと桃色がかった自分の肌とは違う、あまり血の気を感じない均一な象牙色の頬が、朝の薄い光に透けていた。
痛む体をゆっくり起こしながら、赤茶の髪を触った。
本人が眠っているせいもあるが、焦燥も渇望もなく、これほど落ち着いた気持ちで桜蒔の傍にいるのは初めてかもしれない。
あんなに遠かったのに、今は少しだけ近くに感じる。ちゃんと自分の手が届く範囲にいるのを実感する。
幼い頃からずっと見てきた桜蒔。
無防備な姿で隣にいてくれることが嬉しくて、慈しみたいような、とにかく大切にしたいような、優しく触れたい気持ちが湧いてきた。
ああ、こういう感じか。と、ひとりで納得する。
志千が百夜に接しているときは、きっといつもこんな感情なのだろう。形だけではない包容力。
必要なのは、駆け引きでも計算でもなくて。
愛されたいだけではなく、もっと自分を通した印象だけではない本当の相手を見て、心の奥底で繋がりたいという想い。
外が明るくなっていた。
牡丹荘の女中になって間もないというのに、先日も発熱で寝込んでしまった。
これ以上休むわけにはいかない。桜蒔を起こさないよう、そっとベッドを出た。
急いで牡丹荘に帰り、なんとか朝食の支度は間に合った。
食卓に料理を並べていると、仕事で早く起きてきた志千が居間に顔を出して言った。
「あ、小幕。おまえ、昨日の夕食……!」
雇い主に無断で外泊したのだから、叱られてもしかたない。
普段は優しい青年が、声を荒げた──ように感じただけだった。
「すみません。僕、用意して待ってるって言ったのに」
「それはぜんぜんいいけどさぁ、ちゃんと置き手紙もあったし。それより、カレー粉入りがどれかわかるようにしといてくれよ。辛ぇじゃん!」
と、想定と違う不満をぶつけられて、思わず目を見開いた。
「へ? ごめんなさい。いちおう別々のお皿に盛っておいたんですが」
「どっちかわかんねえよー。いい匂いだったからなにも考えずに食っちまった」
辛いものが好きな百夜のため、スパイスをふんだんに使ったコロッケをいくつか作っていた。甘党の志千にはつらかったようだ。
「でも、すげー美味かったよ。百夜はカレー味のほう気に入ってたぜ。無言でずっと食ってた。ああいうとき、無表情なのにちょっと幸せそうで可愛いんだよな」
「また今度作りますね。次は辛さ控えめのやつも」
「おう。つーか、頬なんか腫れてね? 大丈夫か?」
殴られたのはほとんど着物で隠れる場所だったが、地面に顔を押しつけられて片側に擦り傷ができていた。
そっと近づいてきた志千の指先が、頬に触れる。
「うう」
「わ、ごめん、痛かった!?」
気づいたら、涙が流れていた。
ずびっと鼻をすすりながら答える。
「ちがいます~。怒られるかと思ってたのに、みんなが優しいから~」
「朝帰りのこと? んなことでいちいち怒ったりしねえよ。桜蒔先生のところなら心配する必要もないし」
「それもですけど、いろいろ……」
割烹着のままその場にへたり込んでしまい、志千は隣にしゃがんで背をさすってくれた。
「小幕、先生にちゃんと気持ちを話してみるんだろ」
「はひ」
「俺と百夜も、周りからは、ただ呑気にべたべたしてるふたりに見えるかもしれねえけど」
「それは間違ってないんじゃ?」
「今はな! あいつと舞台で残菊を演じたとき、もうどうしようもないくらい好きだと思った。ただガキみてえに百夜が欲しかったんだ。でも、対話しなきゃ俺だってあいつのことはわかんなかったよ。どんなふうに見えてたって、実際は違うかもしれないよな。桜蒔先生は小幕がなにを考えてるのかきっと知らねえし、逆もそうだろ?」
小幕がどんなことをしても、桜蒔は意外にも拒否しないけれど。でも、一方的に欲しがるだけじゃだめなのだ。
それでは、ただ欲望をぶつけてくる自分の客たちとなにも変わらない。
いつも愛嬌の仮面で隠しているから、本来の自分がどんなだったかよくわからなくなっていた。
幼少時とすっかり違う性格になった自覚はあるが、今と比べてどちらが本当というわけではない。
古い知り合いと会えば、ときどき昔の自分が顔を出す。
しかし、あの口調に戻れば素直になれるかというとそうでもなくて、あれはあれで生き抜くための強がりである。
自分のことなのに、人というのは案外複雑だ。
どこにいても息がつけず、身を守る術が必要だった小幕にとって、仮面を剥がす行為は丸腰同然のとても勇気がいる行為なのである。
でも、今度こそ素直に想いを伝えないと。
***
数日後の夜。
家主たちが風呂に入っているあいだに、桜蒔がやってきた。
着物が動きにくそうだからと、着なくなった袴を持ってきてくれたのだ。
「ふへへ、オージさんのお下がり」
「そんな嬉しいか……?」
桜蒔が大事にしている家族と同じように気にかけてくれるのが嬉しい。
自分の心境もだが、桜蒔も変化しているような気がする。
ふとした反応や、一挙一動が少しずつ変わっている。
会話が自然に途切れ、押し黙ったまま静かに見つめ合った。
桜蒔の視線はすごくまっさらな感じで、まるでたった今、運命的に出会ったかのような錯覚に囚われる。
消えない過去や劣等感をすべて払拭して、あとに残った純粋な想いだけを伝えたい。
百夜に一旦ぜんぶ置いておけと言われたとおりに。
受け入れてくれると直感した。だから、そのまま唇を重ねた。
そっと触れて感触を確かめてから、ゆっくりと深く。
怪我のせいでやや熱を持っている自分の唾液は少し熱くて、桜蒔の舌がひんやりと感じる。
やがて交じり合って、同じ温度になった。
肩に手を乗せたまま唇を離すと、桜蒔が言った。
「……めずらしいな」
「なにがです?」
「おどれがへらへらもぺらぺらもしとらんと、落ち着いとるの」
「たまにはいいでしょ? ふたりきりなんですから」
上から順に、味わうみたいに舌を這わせていった。
いまさらながら緊張してきて、無駄に言葉数が増えてしまう。
押し倒して、耳元で囁く。
「じゃあ、抱かれた相手は僕だけ覚えといてくださいね」
袴を脱がせて、いつ仕事が入ってもいいように持ち歩いているぬめり薬を桜蒔の下腹部に垂らす。
指で優しく上下に擦ると、組み敷いていた桜蒔が声を漏らした。
「んっ……」
一瞬、手が止まってしまう。
歯を食いしばって赤面したその表情には、恥ずかしさと悔しさがどちらも詰まっている。
この反応を見ているだけで理性が飛びそうだった。
「かわい……」
どんなにつきまとっても、のらりくらりと躱されて、まったく手の届かない大人だと思っていた相手に、自分がこの顔をさせているのだという事実。
いつのまにか背丈も越して、このひとの肩が、腰がこんなに細かったなんて知らなかった。
もっと丁寧に、大事に触らなきゃと頭では理解しているのに、どうしても焦燥で手つきが荒々しくなる。
「も、いいけん、はよ挿れろ」
正常位で腰を掴んで浮かせ、ずっぽりと奥まで自身のものを埋める。その刺激で桜蒔の上半身がぴくっと跳ねた。
眩しいときみたいに両手で顔を隠していたが、一突きするごとに敷布のうえをさ迷って、快感に落ちていく表情が垣間見える。
前に抱いたときよりも、ずっと気持ちよさそうだった。
息も絶え絶えで、涙目で必死に耐えているのに絶頂が止まらない。
だめだ、理性が飛ぶ。
本当に壊しそう。
「そ……んな、に見んな……」
「だって、気持ちよさそうなんですもん。どうですか?」
「こないだよりはな……。な、んか、変わった気がする……」
そう言った桜蒔の意図が、小幕にはわからなかった。
なにがですか、って。
ちゃんと訊かないと。
あなたが好きだって言わないと。
気持ちが込みあげてきて、気づけばまた涙を流していた。
「な、なして泣く……?」
十二年間のこの想いをぶつけられる言葉が見当たらない。
持ち合わせているものでは足りなさすぎる。
「期待していいんですか?」
「なにを?」
「オージさん、あなたは……あなたは、僕のものになりますか?」
こんなときのために、もっとお勉強しておけばよかったと思う。本も読んでおけばよかった。
説明のない感情だけ押しつけて、結局泣いて眠ってしまった。
目を覚ますと部屋は薄暗かったが、それほど時間は経っていないようだ。
すぐそこに桜蒔の後ろ姿がある。
着物を着て畳に座り、腕を組んで考え込んでいるように見えた。
べつに最中じゃなくても、まだ間に合う。
不器用でもいいから少しずつ伝えよう。
そう決意しなおして、名を呼ぶ。
「オージさん……」
「起きたか。そろそろわし帰るで」
と、いつものあっさりとした口調で振り返った。
待って、まだ肝心な言葉を言っていない。
でも、なんだか嫌な予感がした。さっきまでの親密さが嘘のような、隔たりを感じる空気だ。
伸ばした手は虚空を掴んで、どこにもいけなかった。
「悪かったな。ガキん頃、中途半端に関わって」
「……なんで謝るんですか。あの頃の僕は、間違いなくあなたに救われたのに」
「他に優しくしてくれる大人がおらんかっただけ。ももと同じじゃ。心が折れんための心の糧みたいな。結局目の前から消えて、いらん期待をさせたなら悪かった」
「違う、そうじゃなくて……!!」
最初はそのとおりだったかもしれない。
生まれたはずの街は冷たかった。誰も存在を認識してくれず、路傍のごみと等しい価値しかない。どこまでも自分とは無関係の娯楽ばかりが並ぶ興行街。
桜蒔の存在は本当に奇跡だったのだ。
ふたたび会えることを夢見ていなければ、どこかでぽっきりと折れていた。
でも、今じゃそんな段階はとうに過ぎてる。
もうあの頃ほど無力ではない。ちゃんと生き抜いてきた。
そのうえで、あなたが好きだと伝えたいのに──
「ほれ」
枕元に、紙幣が置かれた。
「玄人相手に対価がないほうが失礼じゃろ?」
「……ふーん、線引きするんだ」
所詮は、ただの男娼。
気まぐれで残飯をやっただけの野良犬に懐かれて迷惑だったと、はっきり突き放されてしまった。
これだ。この立場を思い知るのが怖かった。
だから、今までどうしても言葉にできなかった。
「あーくそぅ。まったく腰立たん……!! 寄る年波……!!」
「ふっ、あはは。おんぶしてあげましょうか?」
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