華と毒薬

アザミユメコ

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第二章 乱れ桜に幕が下りる

二十六 最初の記憶 ※R18

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 自我が芽生えたときには、すでに路上で生活をしていた。

 だから、自分をこの世に生み落とした人間というのが必ず存在するらしい事実がとても不思議だった。
 もしかすると木の股からでも産まれたのかもしれないと、あながち冗談ではなくそう信じ込んでいた時期もある。
 それならそれで、桜の木だったらいいのにな、と思う。

 浮浪児たちの多くは立って歩ける年齢で捨てられているため、薄っすらと母親のことを憶えていた。
 顔も声も、なにひとつ記憶にない小幕こまくのほうが少数派だ。
 どちらがより苦しむのかはわからないが。

 ほとんどが私娼窟で生まれた子供だから、父親はもとよりいない。
 女児はそのまま育てられて酌婦となるか、特別に見目がよければ遊郭や花街に高値で売られていく。
 役に立たない男児は真っ先に食い扶持減らしの対象となり、路上で生きることになる。

 小幕が憶えている最初の記憶は、布製の天井だ。
 浅草公園内のいたるところには子供たちの隠れ家が存在する。いつからか、そのひとつで暮らしていた。
 天井をボロボロで色とりどりの布が交差し、橙や青が日差しに透けていた。

 小幕はその光景を長いあいだ眺めていたから、おそらく横になっていたのだと思う。
 薄っぺらい毛布が肩にかかっていて、寒いのに汗を流していた。

 傍らにはのぎがいて、なにか喋っていた気がする。会話の内容はあやふやだ。
 でも、食べ物を分けてくれた。ごみ捨て場から漁った残飯だったが、かびの生えていない部分をくれたのだ。

 芒は小幕より一回り体が大きかった。
 だから、彼のひとつ下から自分の年齢を数え始めた。
 獲物の選び方など掏摸スリの手ほどきをしてくれたのも、浅草で幅を利かせている本物のごろつきたちに目をつけられないようにうまくやる術を教えてくれたのも、ぜんぶ芒だ。

 では彼を信頼していのたかというと、そうでもなかった。
 芒は、小幕を徹底的に自分の所有物として扱ったからだ。
 
 自分のほうが年上だからと言って、芒はいつも小幕に掏摸の囮など、もっとも危ない役をやらせた。
 そのくせ、標的に怪我をさせられれば相手を半殺しにするまで叩きのめした。

 そしてあるとき、博徒の親玉が小幕を所望・・した。
 桜蒔おうじが浅草からいなくなって、しばらく経ったあとのことだ。
 
 大振袖を着せられ、化粧を施され、浅草花街の美しい芸者たちがたくさんいる高級な待合茶屋で、床の用意がされた一室に通された。
 最中ずっと部屋の隅に控えていた芒はとても苦しそうな顔をしていて、それから小幕に同じ行為をするようになった。


 ***


 頭の片隅で、荒い息遣いが聞こえる。
 目を開けると視界が明るくなったけれど、自分の意識が本当に目覚めているのかさえ不明だ。

 白い光がまぶしくてはっきりしないけれど、覆いかぶさっているのが芒だというのはわかった。
 今までに何度も見てきた光景だからだ。

「おい、こま」
「ん、あぅ……」

 漏れてしまううめきは快楽というより、苦痛だった。
 芒のものは、小幕が受け入れるには大きすぎる。ほとんど慣らしもしないからよけいに。

「起きたなら、腰振れ」

 両手で脇の下から抱えられ、今度は小幕が上にまたがる恰好になった。
 乱暴に腰を揺さぶられるせいで、痛みとかすかな快感から逃れようとして、腰が勝手に動いてしまう。

 朦朧とするなかで見おろした先で、視線がぶつかる。
 小幕を抱いているとき、芒の瞳にはいつも空虚と悲しみが宿っている。彼の親分に初めて差し出した日と同じ目だ。

 そこに小幕への激しい執着の色が混じっているのは、昔から気づいていた。

 ああ、一緒だなと、そう思った。
 好きな人に決して振り向いてもらえない自分と一緒だ。

 もしここで自分が彼を受け入れてやれば、彼が満たされることで、つらい想いをしている者はこの世から少なくともひとり減るのか。
 そうすれば独りぼっちの自分も、疑似的に救われるだろうか。

 どれだけ黙って従っていても、決して彼のものにはならなかった。それを芒も理解しているから、躍起になって手に入れようとしてくる。
 明け渡してしまえば楽になるんじゃないかと、何度も思った。
 体だけではなく心も。

 だんだん思考がどこに向かっているのかよくわからなくなってきた。
 痛くて、苦しくて、ぼうっとする。

 体だけは動くのに、意識が途切れる。
 毎秒ごとに一瞬だけ目が覚めて、下半身の苦痛を思い知る。

「んなほうけてると、噛むぞ」

 伸びてきた手が、小幕の舌を掴んだ。

「は、んっ、ふぁ」

 人差し指と中指が挟んだ表面をこする。
 唾液がその指のあいだに伝っていくのがわかる。

 なにかがおかしい。いつもと違う。
 痛いのに、突きあげられるたびに体の芯が甘く痺れる。じっとりと熱く、内側からただれるみたいにうずいてくる。

 さっき吸わされた変な薬のせいだろうか。
 芒は『上物の媚薬』だと言っていたけれど、なんとなく正体は想像がつく。

 噂が本当なら、牢にぶち込まれた桜蒔の父親が関わっているはずだ。
 しかも、あのひとが愛した女性の身を滅ぼしたのも同じ毒薬なのだ。

 使われたことを知ったらきっと怒るだろう。怒りの奥底で、ひどく傷つくだろう。

 想像したら頭に血がのぼってきて、芒の太くて長い指を思いきり噛んだ。

「……っェな。まだ反抗する元気、残ってやがんのか」

 滴る血を舐めとり、小幕を仰向けに押し倒して、足首を掴みながら激しく突いてきた。
 どこまで深く抉るつもりなのか。挿入はいってはまずそうな最奥まで貫かれて、あまりの圧迫感に、喘ぎながら胃の内容物を吐いた。

「うぇ……」

 喉に詰まらせないように顔を逸らせて畳の上に出し、振袖の袖で口を拭う。
 それでもなお、毒薬の甘い快楽は脳を麻痺させ、生温かい液体を先端から滴らせる。

「はは、反吐へどを戻しながら気ィやってら。薬キメて、結腸責められて感じられんだから、おめぇの本質はやっぱり淫乱だな。あの鶴月座かくげつざが売り捌いてた代物だぜ。上物だろ。文士の先生が父親の作った薬でよがってやがるおめぇの姿を見たら、どう思うか──」

 芒が言い終わらないうちに、掴まれた足を振り払い、踵で顔面を蹴りあげた。
 ぬちっとした嫌な感触があって、ようやく不快なものが抜けた。

「……芒、テメェは絶対に殺す。オージさんに仇なす奴は、全員僕がブッ殺してやるよ」

 鼻から血を零しながら、青筋を立てた芒は懐から小刀を取り出した。
 小幕にふたたびしかかってきて、顎を掴んだ。
 怒りのあまりか、妙にゆっくりとした口調だった。

「こんだけ調教してやっても、まだ理解してねェのかよ。いっそのこと、手足の腱を斬ってやろうか? 薬漬けにして、この家で一生男娼として飼ってやろうか。おめぇを拾ってやったのは誰だ。毎日死にそうだった弱っちいガキを看病してやったのは誰だ。この街で生きていけるようにしてやったのは誰だよ。おめぇは誰のもんだ?」
「──はい、そこまで!! わしのでーす!!」

 突然木戸を開け放って現れたのは──
 赤茶色の猫っ毛、狐みたいな糸目、裾に桜の刺繍が入ったぶかぶかの羽織を着た姿。
 毎日捜し求めていた、大好きなひと。

「おどりゃあ、こいつをブチかまされたくなかったら、さっさとそこ退けや!! デカブツ!!」

 重そうな拳銃を無理して両手で構えながら、桜蒔が芒に銃口を向けて立っていた。
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