華と毒薬

アザミユメコ

文字の大きさ
2 / 91
第一章 狂い菊に祝盃を

一 寿志千

しおりを挟む
 時はひと月前にさかのぼり──

「ついにきたな……」

 寿ことぶき志千しちは浅草公園第六区の興行街に足を踏み入れた。
 八月も中旬を過ぎたというのに暑気が衰える気配はなく、薄物にパナマ帽という軽装だ。

 今年の夏は酷暑である。
 七月からすでに猛威をふるっていた熱気はいまだ色濃く、じりじりと地面を焼いている。
 活気に満ちた街は人の往来が多いせいか、よけいに蒸し暑く感じられる。歩いていると喧騒で息苦しくなるほどだった。

 にぎやかな通りの両端には、興行のための建物が所せましと立ち並んでいる。

 映画、歌舞伎、軽業、化物屋敷、寄席、見世物、新劇、オペラ──新旧の娯楽をすべてごった返し、まぜこぜにしたような有様だ。

 斜めに突きだしたのぼりがはためき、染め抜かれた文字が躍っていた。
 はるか高くにそびえる日本一高い展望塔、凌雲閣りょううんかく──通称・浅草十二階を見あげ、志千は胸を高鳴らせた。

 ──この浅草に自分の名が刻まれた幟を立てて、大勢の客を呼び込んでやる。

 青年は野望を抱き、生まれ育った横浜を離れ、帝都でもっとも大衆娯楽の盛んな浅草にやってきたのだった。


 ***


 十二階のふもと付近までやってくると、お祭り騒ぎのようだった空気が鳴りを潜め、街はがらりと形相を変える。
 縦横に伸びる細い路地の奥は妙に暗く感じられ、空までもが灰色になったかのようだった。

 塔の下では、銘酒屋めいしやなどの看板を掲げた売春宿が軒並みに暖簾のれんをおろしている。
 数千ともいわれる女たちが身を寄せる、帝都最大の私娼窟ししょうくつである。

 男一人で道を歩いていれば、数歩ごとに声をかけられる。
 紅い唇と白い胸元を見せびらかして、窓の向こうで焦らすように顔を隠した娼婦が手招きをしている。

 志千が帝都でもとくに治安が悪いといわれる十二階下の下宿屋を選んだのは、単純に家賃が安いからであった。
 小路が交差する土地に迷い、店先に立っていた娼婦に道を尋ねた。

「悪い、姐さん。この住所の場所を教えてくれねえか」
「どれどれ……」

 紹介状に書かれた住所を読みあげると、娼婦はおかしそうに噴きだした。

「なんだ、化物屋敷じゃないか」
「化物屋敷?」
「異人の幽霊がでるんだってさ。金色の長い髪をした女が窓辺にぼやっと現れるんだとか」
「そりゃ、ただの異人じゃねえのか?」
「家の外では見かけないんだよ。どちらにしても恐ろしいのは同じだろ。あんた結構いい男だからさ、女の霊に憑かれても知らないよ」

 礼をいい、教えられたとおりの道を進む。
 やがて、離れた場所にぽつんと佇んでいる家にたどり着いた。
 門柱に『牡丹荘ぼたんそう』という真新しい表札がかかっている。控えめにいって、ただの古びた木造二階建てだ。名前負けもいいところである。

 たしかに幽霊がでてもおかしくないほど建物は古いのだが、窓にステンドグラスがはまっていたり、レエスの掛け布を飾っていたりと、精一杯の遊び心が垣間みえる。
 花壇で囲われた庭も手入れが行き届いていた。

 なんにせよ、安くて仕事場に近ければ構わない。
 紹介状に書かれた名を見るかぎり、下宿屋を営んでいるのは女主人のはずだ。少女趣味の未亡人、または老婦人が思い浮かんだ。

 玄関の戸は半分開かれ、日除けのすだれが吊るされている。

「ごめんください」

 隙間から呼びかけると、薄暗い廊下の奥から人のでてくる気配がした。

「はあい。紹介の方かねえ。ちょっとお待ちよ」

 床に落ちた小さい影からして、非常に背丈の低い年配の婦人のようだ。
 意外にも機敏な動作であらわれた家主は、その年代にはめずらしく洋装を着こなしている。
 割烹着ではなくフリルをあしらった前掛けに、足元まで隠れるドレス、頭を覆うひらひらしたキャップから垂れたおさげ。
 まるで異国の絵本に登場する上品な老婆みたいだった。

「あらまぁ、おにいさん。いい男っぷりだね。それに、声がいいよ。女好きのする甘い声だね」

 服装に似合わず、口調が軽妙なのは下町の人間らしい。
 しかし、印象の不一致はそれどころではなかった。

「はは、ありがとよ。おかみさん──」

 玄関先に差し込む陽光に照らされた女主人は、どこからどう見ても、せいぜい十歳前後の子どもだった。

「って、ガキじゃねえかよ」

 つい不躾な言葉がでる。
 少女はやれやれといわんばかりに、頬に手をあててため息をついた。
 息子にあきれたときの母親を彷彿とさせる所作だ。

「はあ。せっかくの美声に似合わず柄が悪いねえ。悪漢みたいな喋りかたをして。そういうの、ちょっとがっかりするねえ」
「そりゃ、すんませんでしたね」

 見かけによらないのはどっちだと言い返しそうになって、なんとか思いとどまる。
 他に下宿先のあてもない。追い返されて困るのは自分だ。

御前おまえさん、いい声をしているんだから、もっと紳士に喋りなさいな」

 べつに悪漢でもなんでもないのだが、肩まで伸びた散切ざんぎり頭に半端な無精ひげ、暑さゆえの着流しという身なりは、初対面の挨拶にふさわしいとはいえないかもしれない。

「……肝に銘じとくよ」

 ここは譲ることにして、早く話を進めたい。
 汗のにじんだパナマ帽を脱ぎ、多少は整えるつもりで髪を後ろに掻きあげた。
 記憶をたどり、手紙に書かれていた名を思いだす。

「あー、蝶子ちょうこさん? だっけか。どこかに親がいるわけじゃなくて、本当にこの下宿屋の主人?」
「うん、そうだよ」
「蝶子でいいか?」
「いいわけないよ。淑女に対して失礼な」

 小さな鼻を鳴らして、猛然と抗議してくる。
 子どもだという事実は一旦脇に置いて、相手が初対面のご婦人だと考えれば無礼といわれるのは当然である。

「……蝶子さん。ここに住まわせてくれねえか。紹介状は持ってきた」
「話は通ってるよ。今住んでるのはウチの他に一人しかいなくてね。部屋は空いてるんだ。まかない二食付き。洗濯掃除繕いものは希望がありゃ別料金でうけたまわるよ」
「じゃあ、遠慮なく世話になる。俺は横浜からきた──」
伊勢佐木いせざきの新星、寿志千だろ」
「知ってんのか?」
「もちろん。横浜には行ったことないけれどね。なんてったって、物心ついた頃から興行を観てるんだよ」

 だとしてもせいぜい数年ではないのか、とは口にしなかった。

「ウチはなんでね。才ある若手を応援したいんだ」

 ひっひっひという怪しい含み笑いで、少女は志千を見あげた。
 狐っぽい顔つきをしているものだから、なおさら化かされているのではないかという気分になる。
 馬車道に寄って買ってきた手土産の菓子ビスカウトを渡すと、このときばかりは年相応に瞳を大きくして喜んでいた。

「さっそく御前さんの部屋に案内しようかね。ついておいで」
「はいよ……」
 ちょこちょこと階段をあがるうしろ姿も、やはり幼い子どもだ。
 話は問題なくまとまったものの、何度も首をかしげてしまう。何者かに図られているのだろうかという疑いの気持ちは晴れなかった。


 一階には台所と居間があり、下宿人の部屋は二階となっている。
 奥の一室は空き部屋。短い廊下で隔てられた向かい側に先住人がいるらしい。

 志千に与えられたのは通りに面した四畳間で、あらかじめきちんと片付けられていた。家具も箪笥たんす、文机、布団一式が揃っている。
 男一人が暮らすには十分すぎるほどである。

 窓をあけると十二階が見えた。空はあいかわらず灰色に思えるが、塔を跳ね返ってくるのか、気持ちのいい風が吹いている。
 とうとう憧れの地にやってきたのだと実感が湧いてきた。

「地元じゃ多少知られていても、天下の浅草じゃ俺は新参だ。裸一貫からはじめるつもりで気合いをいれねえとな。ここで名をあげりゃ、いつかはあの人に会えるかもしれないし──」
「ももちゃん、ももちゃんや!」

 せっかく浸っていた感傷は、家主の間延びした声にかき消された。

「お隣さんが増えたんだよ。家賃が入ったから、今晩は奮発してライスカレーだからね。煙草ばっかりんでないで、ちゃんと食べにおりといでよ!」

 向かいの襖を小さな手でばしばしと叩いている。
 大きさは違えど、本当に母親みたいだ。

 一つ屋根の下で暮らす隣人の姿くらいは見ておこうかと、好奇心で廊下をのぞいた。
 だが、部屋からは物音ひとつ聴こえてこない。結局、蝶子が根負けした。

「ちっとも起きやしない。もう、何時だと思ってるんだい」
「隣のももちゃんとやら、どんな奴なんだ?」
「んー」

 少し考えて、困ったように顔をほころばせた。

「しようのない子だよ」

 どうやら隣人はあまり素行のいい人物ではなさそうだ。
 怪しい家主に、怪しい隣人。賃料が安いだけのことはある。

「……もしかして、おかしな家にきちまったか」

 幽霊は平気だが、生きた危険人物となれば別の話である。暮らしが落ち着いたら、早々に転居を考える必要があるかもしれない。
 意を決した門出のはずが、出鼻をくじかれた気分になった。

 だが、その夜──
 志千は、あっというまに掌を返した。

「いやぁ、人ってのは第一印象じゃわかんねえもんだぜ」
「いきなりなんの話だい」
「なんでもねえ。ライスカレー、もう一杯おかわりしていい?」
「たくさん作ってあるよ。いっぱいお食べ」

 蝶子の作ってくれる飯が、べらぼうに美味かったからである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

オークとなった俺はスローライフを送りたい

モト
BL
転生したらオークでした。豚の顔とかマジないわ~とか思ったけど、力も強くてイージーモードじゃん。イージーイージー!ははは。俺、これからスローライフを満喫するよ! そう思っていたら、住んでいる山が火事になりました。人間の子供を助けたら、一緒に暮らすことになりました。 子供、俺のこと、好きすぎるのやめろ。 前半ファンタジーっぽいですが、攻めの思考がヤバめです。オークが受けでも別に大丈夫という方のみお読みください。 不憫オークですが、前向きすぎるので不憫さは全くありません。 ムーンライトノベルズでも投稿しております。

夢の続きの話をしよう

木原あざみ
BL
歯止めのきかなくなる前に離れようと思った。 隣になんていたくないと思った。 ** サッカー選手×大学生。すれ違い過多の両方向片思いなお話です。他サイトにて完結済みの作品を転載しています。本編総文字数25万字強。 表紙は同人誌にした際に木久劇美和さまに描いていただいたものを使用しています(※こちらに載せている本文は同人誌用に改稿する前のものになります)。

振り向いてよ、僕のきら星

街田あんぐる
BL
大学4年間拗らせたイケメン攻め×恋愛に自信がない素朴受け 「そんな男やめときなよ」 「……ねえ、僕にしなよ」 そんな言葉を飲み込んで過ごした、大学4年間。 理系で文学好きな早暉(さき)くんは、大学の書評サークルに入会した。そこで、小動物を思わせる笑顔のかわいい衣真(いま)くんと出会う。 距離を縮めていく二人。でも衣真くんはころころ彼氏が変わって、そのたびに恋愛のトラウマを深めていく。 早暉くんはそれでも諦めきれなくて……。 星のように綺麗な男の子に恋をしてからふたりで一緒に生きていくまでの、優しいお話です。 表紙イラストは梅干弁当さん(https://x.com/umeboshibento)に依頼しました。

【完結】生まれ変わってもΩの俺は二度目の人生でキセキを起こす!

天白
BL
【あらすじ】バース性診断にてΩと判明した青年・田井中圭介は将来を悲観し、生きる意味を見出せずにいた。そんな圭介を憐れに思った曾祖父の陸郎が彼と家族を引き離すように命じ、圭介は父から紹介されたαの男・里中宗佑の下へ預けられることになる。 顔も見知らぬ男の下へ行くことをしぶしぶ承諾した圭介だったが、陸郎の危篤に何かが目覚めてしまったのか、前世の記憶が甦った。 「田井中圭介。十八歳。Ω。それから現当主である田井中陸郎の母であり、今日まで田井中家で語り継がれてきただろう、不幸で不憫でかわいそ~なΩこと田井中恵の生まれ変わりだ。改めてよろしくな!」 これは肝っ玉母ちゃん(♂)だった前世の記憶を持ちつつも獣人が苦手なΩの青年と、紳士で一途なスパダリ獣人αが小さなキセキを起こすまでのお話。 ※オメガバースもの。拙作「生まれ変わりΩはキセキを起こす」のリメイク作品です。登場人物の設定、文体、内容等が大きく変わっております。アルファポリス版としてお楽しみください。

シスルの花束を

碧月 晶
BL
年下俺様モデル×年上訳あり青年 ~人物紹介~ ○氷室 三門(ひむろ みかど) ・攻め(主人公) ・23歳、身長178cm ・モデル ・俺様な性格、短気 ・訳あって、雨月の所に転がり込んだ ○寒河江 雨月(さがえ うげつ) ・受け ・26歳、身長170cm ・常に無表情で、人形のように顔が整っている ・童顔 ※作中に英会話が出てきますが、翻訳アプリで訳したため正しいとは限りません。 ※濡れ場があるシーンはタイトルに*マークが付きます。 ※基本、三門視点で進みます。 ※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。

目撃者、モブ

みけねこ
BL
平凡で生きてきた一般人主人公、ところがある日学園の催し物で事件が起き……⁈

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか3歳の僕を、ひろってくれたのは、やさしい16歳の男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!

処理中です...