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米と麦

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7.交渉(Ⅱ)

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 その名を聞くと、急にハワードの顔が曇った。

 「あのローゼンヴァルド公爵令嬢か?君もまた、随分難しいところを選ぶね。そもそも君達はあまり仲良くないのではなかったかい?」
 「確かに魔法学においてはライバル関係にあるわね。」
 「ライバル……随分柔らかく言ったものだね。はたから見ると冷戦のような殺伐とした空気が君達二人の間にあるのだけれども…………とにかく、僕は彼女はあまりお勧めしないよ。最近悪い噂ばかり聞くじゃないか。なんでもミアー嬢を苛め倒してるって…」
 「あれはフローラ様がエリオット様に手を出したのが原因よ。悪いのはカミラ様だけじゃないと思うけど…」
 「それにしてもやり方が酷すぎるぞ!顔を見かければ嫌味の一つをぶつけてるらしいじゃないか。それに、先日は頭の上から水を浴びせたと聞いたぞ。…相手は庶民から上がったばかりの少女だろう?ただでさえ心細いだろうに、少しは優しくしてあげてもいいんじゃなあないのかい?」

 心なしかフローラに対する評価が甘い。少し嫌な予感がする、もしやここにも補正が入っているのだろうか。
 ゲーム補正、いやこの場合は主人公補正といった方が良いだろうか。主人公であることを理由に受けられる様々な恩恵のことを一花の世界ではそう呼んだ。乙女ゲームの場合はヒロイン補正とも呼ばれ、これといった理由もないのになぜか攻略対象から盲目的に愛される、なんともご都合主義極まりない特性を意味する。

 「ハワードは随分フローラ様の肩を持つのね。」
 「いやいや、そんなつもりはないよ。勿論彼女にも結構に非があるだろう、元はと言えば彼女が蒔いた種だしね。婚約者のいる男に手を出すなんて、淑女のとしてあるまじき行為だ。今は学内だから生徒たちの揉め事で済まされるが、これを社交界でやってみろ、たちまちつまはじきにされるぞ!………とはいえ今は彼女ではなく、ローゼンヴァルド嬢の話だったろう?彼女のやり方も少し度が過ぎてるから、仲良くなりたいなら考えた方がいいと思うよ。」

 カマをかけてみたが、意外とまともな答えが返ってきて安心した。補正の線は捨てきれない気もするが、どうやら盲目的ということはないらしい。フローラにさしたる興味もなさそうだし、この調子ならおそらくハーレムルートもないだろう、良かった。

 「そういうことね。確かに、ハワードの言う通りだわ。」
 「そもそもなぜ急に彼女と仲良くなりたいなんて思ったんだい?クラスにはもっと話しやすそうな女子が他にたくさんいるだろう?……遠足が不安なだけなら僕のそばにいればいい、無理して友人を作らなくてもいいんだぞ。」
 「ありがとう、ハワード。でも私思ったの、今までずっとハワードに頼りきりだったなって。そしてこのままずっと依存してばかりじゃあダメだって!……だから今回の遠足では自分の力でお友達を作って自分の世界を広げてみたいの!」
 「く、クラリス…………っ!!」

 どうやらハワードは胸を打たれたようだ。まあ、嘘はついていない。ハワードの質問の答えにはなっていないのだが、まさか「私達は乙女ゲームの登場人物で、今はフローラ様がエリオットルートに入ったからカミラ様が危ないの。将来、国外追放や最悪死亡エンドが待ってるかもしれないわ。私も同じライバルポジションにいる人間だからどうしてもほっておけなくて、お友達になって少しでもそばにいたらゲームの進展を回避できるんじゃないかなって考えたの!」などと馬鹿正直に答えたところで、ハワードが信じるとは到底思えない。むしろまた黒魔術師の話を蒸し返されるのがオチだ。幸いハワードは感動してその事に気がついていないようなのでよしとしよう。

 「クラリス……君がそんな風に考えていただなんて……っ、ぼ、僕は感動したよ。少し前までは可愛い妹だと……いや、妹みたいな存在だと思っていたけど気がついたらこんなに成長して……っ!!兄とし…………友人として少し寂しい気もするが、僕は君を応援しよう!!」

 ところどころで本音が漏れているぞ。律儀な訂正が白々しい。

 「しかしまだ僕はローゼンヴァルド嬢を信用していないからね、遠足中も時々君の様子を見に行こうと思うよ。」
 「心配してくれてありがとう、ハワード。」

 先ほどのやりとりで色々つっこみたいことはあるが、それも含め彼の優しさだと思ってありがたく受け取っておこう。
 さて、問題はカミラの方である。未だ良い手立ては見つからない。こうなったらもう当たって砕けるしかないかもしれないな、そんなことを思いながらその日は帰路に着いた。


 翌日、なんとクラリスはカミラとの接触を図ることに成功した。意外なことに、今回もまたカミラの方から声をかけてきたのだ。少し緊張しながら待ち合わせ場所に向かう。今日もまた空き教室だが、先日とは違う部屋だ。今回はクラリスの方が先に到着した。すかさず窓の外を確認する。この部屋は渡り廊下を挟んで中庭の反対に位置しており、特にこれといったものはない。この時間は渡り廊下の影になって、ひっそりとした空間があるだけだった。おそらく誰かが来ることはないだろう。ほっと胸をなでおろすと、ちょうど部屋の戸が開く音がした。

 「お待たせしてごめんなさい、すこし手間取ったわ。」
 「いえ、私もさっき来たばかりですわ。………ところで、今日は一体どんなご用事でして?」
 「それは……」

 カミラの顔がこわばる。ややあってからまた口を開いた。

 「…………この間のことを謝ろうと思ったのよ。先日はいくら不作法な態度を取られたからといって、手をあげるなんてのは淑女として非常にはしたなかったわ、ごめんなさい。」

 さりげなくこちらも貶められた気がするが、あながち間違いでもないので目を瞑ろう。まさかカミラから謝りに来るとは、少々驚いたが嬉しい誤算である。この機会を利用すれば、あるいは。クラリスは思わず笑みを漏らした。

 「顔をお上げになって、カミラ様。こちらこそ、言葉が過ぎましたわ。他人の私がとやかくいっていい問題ではなかったわですもの。…………でも、そうね。実はちょうどあなたにお願いしたいことがあったの。」

 カミラの顔が怪訝な顔をした、おそらく謝罪が終わればそれきりだと考えていたのだろう。あからさまに嫌な顔をされるが、構わず話を続ける。

 「来週、遠足の予定がありますでしょう?……実は私、恥ずかしながら一緒に回ってくださるようなお友達がいませんの。だから、一緒に回って欲しいのよ。」
 「……あら、貴女は確かスタンフォードのご子息と仲が良かったのではなくて…?」

 ハワードと仲が良いのを知っているとは意外だった。クラリス同様、他人には無関心な人間だと思っていたが、案外人を見ているのかもしれない。

 「そうね、いつもはハワードのところにいるわ……でも我ながら毎回彼一人に頼り過ぎだと思っていたところなの。幾つになってもあの人のお側にいれるわけじゃないでしょう?それに私、女の子のお友達が欲しいのよ。」

 カミラがいかにも胡散臭いと言いたげな顔でじっとこちらを見つめてくる。そりゃあそうだ。この一年いつもハワードの後ろに隠れて他人には見向きもしなかった人間が急に接触を試みてきたのだ。しかも、そこら辺の話しやすい生徒ならともかく、よりによって愛想もなけりゃ仲だって悪い自分に。何か裏があると考えるのが普通である。ただでさえカミラは公爵令嬢という立場から、家柄だけで人を見る薄っぺらな連中につきまとわれ易いのだ。今のクラリスの掌を返したような態度はひどく不審に見えるだろう。
 居心地がすこぶる悪いが、そんな気持ちはおくびにも出さずクラリスはにこにこと返事を待つ。随分長い間そんな時間が続いた気がしたが、やがてカミラが溜息を一つつき、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

 「……よく分からないけど、私でよければ一緒にいてあげて差し上げてもよくてよ。………どうせ私も一人ですし。」

 そう言い終わらぬうちに、彼女は向きを変え出口の方にゆっくり向かっていった。もう用が済んだと分かったのだろう。

 「え?………あ、ああ。どうも、ありがとうございますわ!」

 驚いたのはクラリスだ。まさか上手くいくとは。自分から提案しておきながら、こうもあっさり了承されるとは思っていなかったので、思わず目をぱちくりさせてしまう。遠ざかる背中に急いでお礼の言葉を投げる。やがてカミラの姿が見えなくなると、緊張の糸が切れたのか大きな溜息が漏れた。

 (ああ、良かった……上手くいったわ。)

 ハワードの話が出た時は、正直どうしようかと思ったものだ。彼と違ってカミラはそう簡単に騙せるとは思えなかったし。実際、最後までクラリスの言葉に納得はしていなかっただろう。

 とはいえ、一応了承はしてくれたのだ。なんだか今日の彼女は心なしかいつもより丸かった気がする。皮肉たっぷりの喋り方ではあったが、クラリスが予想していたほどつっかかってはこなかった。自分から謝りに来たということもあるからだろうが、それにしたってクラリスの提案にはもう少し疑ってかかってきても良さそうなものなのに、いったいどうしたのだろうか。

 (まあでも、とりあえず……)

 「一歩前進ってところかしらね。」

誰もいない教室でクラリスは胸をなでおろしながらひとりごちた。
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