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米と麦

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12.遠足 レシーヌ湖(Ⅴ)

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「こおぉぉぉぉぉらあぁぁぁぉぁああ!!!!」

 遠くからつんざくような怒声が響いた、その声ではっと我に返る。どうやらもう雨は止んでいたらしい。ほっとしたのもつかの間、聞き覚えのある怒鳴り声に、クラリスは一瞬で蒼白になる。まずいと思った時にはもう遅く、ハワードがこちらに向かって全力疾走しているのが見えた。
 武術こそ苦手なハワードだが、運動神経は悪くない。むしろ脚の速さは学年トップクラスであり、カミラはともかく、運動音痴のクラリスが今更逃げようとしたところでもはや手遅れであった。

「貴様らああぁぁぁ!!いったい何事だあぁぁ!!先程からすごい音がすると思って来てみれば、これはなんだ!!なぜ湖が凍っている!!誰がこんなことをしたんだ!?どうして周りは止めなかった!?とにかく、今すぐ主犯はここに出てきなさい!!」

 ハワードが厳しい口調で一喝する。どうやら怒り心頭のようだ。それまで盛り上がっていた野次馬達も一斉に口を噤んだ。主犯って、完全に私たち二人じゃない。クラリスは恐る恐る前へ出る。カミラもそれに続いた。

「は…?な、な、クラリス……?それにカミラ嬢まで。いったいなんだって、君達みたいな優等生がこんな……」

 さっきまで怒りで真っ赤だったハワードの顔が、今度はみるみる青ざめていく。自分を信頼してたからこその失望だと思うと、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。どうやらカミラも同じらしい。いつもの凛とした態度は何処へやら、今は肩をすぼめて縮こまっている。

「湖は凍って、ここ一帯は魔法をぶっ放した痕跡だらけ、君たちはずぶ濡れで酷い有り様だし……いったいここで何をしていたんだ!?」

 ハワードが再び語気を強めてこちらに問う。

「カミラ様とお手合わせをしておりましたの。」

 しらばくれたとて、どうせ外野に聞くだろうと思い、正直に答える。カミラも無言で頷いた。

「手合わせ?君たちが?……確かにグレネル先生はここで魔法の練習をすると良いとは言っていたが、学年一位二位の君たちがそんなことをしたら、どうなるかくらい想像がつくだろう?磁気や粒子の話もしたというのに、何故そんな……怪我人が出なかったのが不思議なくらいだぞ!?」

 ぐうの音も出ない正論にうつむいてしまう。ゲーム進行の阻止、など言っても伝わるわけがないし、それだってクラリスの独善に違いない。

「……とにかく、この件は先生方に報告するぞ。君達もよく頭を冷やすといい。」

 ハワードがピシャリと言った、その時だった。

「ちょっと待ってくれよ!!」

 急に二人の男子生徒が前に出てきた。なんとなく顔に見覚えがある、確か二人とも魔法が得意なはずだ。

「……なんだね、君たちは?」
「あ、俺たち、ずっと二人の試合を観てたんだけど、それを止めに入らなかったことは謝るよ。でも、二人の戦いは見ててすごい勉強になったんだ!授業じゃ魔法の使い方を習っても、具体的な実践方法って教えてくれないだろ?テキストの内容ばかりで、他は各人任せだ。でも実際に戦っているところなんて、武道大会くらいでしか見れないし、あれだって客席からは遠目だし、教師陣の抑制もある。この試合では授業じゃ教えてくれないようなことをたくさん学べたんだよ!」
「そうそう、氷の盾とか、俺の水魔法じゃあ到底無理だけど、立地を活かせば水の盾くらいなら作れるかも知れねえって思った!」

「わ、私も、高火力の火を出したいときは、指先より手首と掌の間辺りからの方から出した方がいいって解ったわ!」
「相性の悪い水に一度電気を通して緩和してから炎魔法で対抗するのには感嘆したよ!僕も同じ属性を持つからぜひ試してみる!」
「あ、あたしも水の……」

 二人の言葉を皮切りに、周りの者達が口々に擁護を始めた。自分に火の粉が降りかかるのをきらい、てっきり足早に解散するかと思っていたから、この展開には意外だった。
 ハワードも、ここまで皆に言われてしまうと、流石に躊躇いが出てきたらしい。どうしたものかと考えあぐねている。やがて、やれやれと言った調子で大きくため息をついた。

「……解った。今回はみんなの意見を尊重し、教師への報告は無しにしよう。しかしクラリス、そしてカミラ嬢、今後はこのような騒ぎを起こさないよう、重々気をつけてくれたまえ。……では、これにて解散だ。」

 その場にいた生徒達から、わっと歓声があがる。クラリス達もホッと胸をなでおろした。やがて、ハワードの言葉通り、生徒達は散り散りになっていく。

「駆けつけたのがハワード様で良かったわ。」

 カミラが小さくぼやく。どういう意味か分からず首を傾げていると、だって彼、貴女に甘いでしょう?と少し茶化した調子で言われてしまった。

「そんなことありませんわよ!皆の意見を尊重した結果ですわ!」
「はあ……まあそれもあるとは思うけれど。それにしても、服が本当にずぶ濡れだわ…まだこの後サントミモザにも行くのに、どうしましょう。」

 そう言って歩き出したときだった、パキパキっと彼女の足元から嫌な音が響く。ちょうどそこは、彼女の炎魔法で湖面がだいぶ磨耗していた場所だ。危ない、と思った時にはもう遅かった。ぐわんと、彼女の身体が傾き、右足から一気に崩れ落ちる。

(やばい、凍らせたのはあくまで湖面だけだ……!!)

 魚や水中生物のことを考え、クラリスは水面だけを氷漬けにした。その為、割れてしまえば水中へ真っ逆さまだ。身体が反射的に魔法を唱える。途端、その場に小さな竜巻が起こりカミラの身体を持ち上げた。すんでのところで落下を免れた彼女は、緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んだ。

「……湖の上にいたことを忘れていましたわ、情けない。礼を言うわ、クラリス様。貴女の魔法がなきゃ今頃水の中だったわね。まあ、今もびしょ濡れだけど。」
「え……あの……」

 今のは私じゃない、という言葉をぐっと飲み込む。クラリスが唱えようとしていたのは土魔法だ。だが、それより先に風魔法を詠唱する人間を、彼女はしっかり目撃した。術者本人に目を向ければ、静かに首を振りそのまま連れと共に去っていった。どうやら本当のことは言わないでほしいらしい。彼が去った後も、その場所をしばらく見つめる。やがて、カミラから怪訝な顔をされているのに気づき、急いで草の生えた大地に足を下ろした。
「それにしても、この服、本当にどうしましょう?」
「私が風魔法を唱えるからカミラ様は弱めの炎を出してくださる?とりあえず、それでだいぶ乾くと思いますわ。えいっ!」
「随分雑な対応ですけれども、まあやらないよりは……はいっ!」

 少し熱めの風がその場を包む。友達の家にあった浴室乾燥機みたいだな、などと一花のどうでもいい記憶を思い出した。

「ふう、まあ思ったよりもましですわね。臭いもしてないようですし……してませんわよね?」
「大丈夫でしてよ。髪は少しパリパリしてしまいましたが。」
「あなたは直毛だからいいけど、私のくせ毛にはひどいダメージですわ、はあ…」

 カミラがため息をつきながら、手持ちの香水をつけなおしていた。後で貸してもらえないだろうか。。
そんなことを思いながら、しっかり湖の氷を溶かすのを忘れない。迷惑かけてごめんね、魚ちゃん、カエルさん。
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