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76.神樹の泉-2
しおりを挟む山頂付近、しかし上へ向かう道から少し逸れた深い森の奥。切り立った岩肌にぽっかりと空いた洞穴を抜けた先に目的の地はあった。
「……ふう、いい汗をかいた」
クォーツが額を袖で拭いながら、野芝の上にどかりと座り込む。彼の視線の先には目を見張るような巨大な樹木と、それを縁取るようにして湧いた円状の泉があった。
「……なんかここだけ雰囲気が違えな」
テオドアが辺りを見回しながら呟く。
ここは泉の大樹をはじめどっしりとした巨木が群生し、日差しといえばわずかな木漏れ日が差す程度だ。しかし、そのわずかな光を余すことなく取り入れた水面が、鮮やかなターコイズブルーのきらめきを放つ。それはほのかな薄明かりとなって周囲を照らし、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
洞穴から運ばれた涼風が木々の合間を駆け抜け、ざあざあと葉擦れの音を立てている。ジミルが心地よい風をその身に受け、ぐっと大きく伸びをする。テオドアも周囲の警戒は怠らないまま、巨木の根に腰を下ろした。
「ビア様、あの日教会で見たのはこの場所ですか?」
しきりにあたりを見回していたビアに、フェリクスが声をかける。
「そう……ですね。確かにここみたいなんですが……」
ビアがもごもごと口籠る。残念だが今はこの歯切れの悪い回答しか出てこなかった。
そう、先日の白昼夢で見た場所は確かにここで間違いない。しかし、ただそれだけだ。今ここに、夢で見た時のエルゼリリスや一角獣の気配は感じない。
(ここまで来てどうして……!!)
歯痒さで唇を噛む。転移してきて数ヶ月、やっと見つかったそれらしい手がかりだ。無駄足だなんてそんなこと、意地でも認めたくなかった。
なにか見落としはないかと必死に辺りを探ってみる。しかし空間こそ幻想的であれど、あるのは何の変哲もない岩や植物ばかりで、泉の水ですらこれといった反応を示さない。
ここは神樹の泉という神聖な場所、ただそれだけだ。
(ちがう!!そんなはずは……)
頭に浮かんだ答えを必死に打ち消す。だってそうだ、何の意味もなければ、なぜあの日教会であんな白昼夢を見たというのか。
仮にあの白昼夢がビアの妄想だったとして、まったく知らないこの場所をビアが予見することなど不可能に近い。であればあれはやはり妄想ではないはずだ。
エルゼリリスはなぜこの場所を見せたのか。
やっとここまできたのだ。まだ諦めたくない。
(……決めたじゃない、救国の乙女を頑張るって)
少しでも平和な世界、ひいてはテオドアが過ごしやすい世界に近づけると。
揺るぎない決意に奮い立たせられた時、不意に眩しい閃光が視界の端を掠めた。反射的にそちらを見れば、金色の光が一本の軌跡を描くように舞っている。その軌跡はビアの胸元から始まり、泉の上をまっすぐ進んだ先、大樹の幹へと繋がっていた。
それに気づいた途端、ビアの視界がまるで地震でも起きたかのようにぐわんと揺れた。酩酊しているような、それでいて頭の中が冴え渡るようなちぐはぐな感覚に襲われる。
(……ああ、)
呼ばれている。
そう気づいた時には、もう足が動いていた。
「……ビア様?……ビア様いかがされましたか?」
ゆらりと歩き出したビアを見て、フェリクスが怪訝そうに問いかける。しかし彼女はこちらを見向きもせず、ふらりふらりとただ前へ進んでいった。かくつきながら左右の足を交互に前へ出すような所作は、歩くというより動かすという表現のほうが相応しく、その様子はまるで操られた糸操人形のようだった。
ビアのそのただならぬ様子に、フェリクスの身体が一瞬怯む。だから、すぐそこにいたにもかかわらず彼女を止めるができなかった。
「ビア!!」
デアドアが叫ぶ。おろしたばかりの腰を上げ、すぐさま駆け出した。が、しかし彼もまた間に合わない。
ビアはもう泉の淵まで来ていた。あと一歩でその足は水を踏まんとしている。身体を前のめらせ、何かに引き寄せられられるようにふらふらと歩く彼女がひとたび泉に足を滑らせば、そのまま倒れ込むようにして沈んでしまうだろう。その神聖から人は滅多に入ることのないこの泉は、それゆえにどれくらいの深さがあるかわからない。そんなところに運動音痴の彼女がひとたび溺れてしまえばどうなるだろうか?
テオドアの疾走も虚しく、ビアは緩やかな足取りで次の一歩を踏み出した。
「………っ!!??」
背けるように目をきつくつむる。しかしおそるおそる瞼を上げた時、テオドアは目の前の摩訶不思議な光景に息を飲んだ。
ビアが、水面の上を歩いていたのだ。
ふわり、ふわりと軽やかに水面を蹴る足には、水滴の一つも跳ねていなかった。ビアが一歩踏み出すたびに、幾十もの波紋が泉に広がる。穏やかな波のうねりが光を乱反射させきらきらと輝いていた。ゆらめくターコイズブルーに祝福された彼女はまるでお伽話に出てくる泉の女神のようだ。
彼女は小さなさざなみを立てながら神樹へと向かっていた。やがてそこにたどり着くと、ゆっくりと右手をあげ神樹の幹に優しく触れる。細い指先が苔むした木肌にそっと触れた時、突然大樹がまばゆい光を放った。
「ビア!?」
「ビア様!?」
テオドアとフェリクス、ふたりが叫んだのは同時だった。棒立ちになっていた足がやっと地面を蹴る。この異常な事態に飲み込まれた彼女を放っておくことはできなかった。神樹目がけて一目散に駆け出す。ふたりの足が泉の水触れようとしたとき、突如、泉の水が噴水のように天に向かって噴き上げた。
「!?」
「なんだよこれ!?」
噴き上がる水は神樹のまわりをぐるりと囲う大きな水壁となっていた。目を凝らせば水の向こう側でビアの姿が滲む。しかし、テオドアが水壁を越えようとその水に触れてみれば、水流の勢いで指先にちりりとした痛みが走った。まるで外からの侵入者を拒んでいるようだ。
「……っ!!クォーツ、いるか!?」
「ああ、ここだ!!」
「お前これ魔法で凍らせられるか!?氷になれば砕けば……っ!?」
テオドアがいち早く突破案を口にしたとき、しかし水壁にあらたな異常が現れる。真っ直ぐに噴き上げる水の一部が、ぬらりと形を変えてテオドアの方に飛び出てきたのだ。テオドアは咄嗟に後ずさる。
ぬらりぬらりと、水はそこだけ粘度を増したように重く、まるで生きもののように不規則で緩急入り乱れた気味の悪い動きを見せた。やがて、その水は完璧に水壁と分離する。
「な……!?」
テオドアたちがまたしても目を剥く。水壁から完全に分離した水は、角の生えた馬――一角獣をかたどってそこに自立していた。
「副隊長、こちらにも出てきました!!」
「俺の方もだ!!いったい何体出てくるつもりだ?」
テオドアの目の前の一体が姿を現したのを皮切りに、水壁から同じような水の一角獣がぽこぽこと生まれてくる。テオドアたちと見据え、角を見せびらかしながら蹄を鳴らす様子には、あきらかな敵意を感じ取れた。
「……まったく、思いがけないところで遭遇戦とはな」
クォーツが皮肉めいた笑いを浮かべる。テオドアも同意見だった。
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