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米と麦

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02.異世界-2

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***

 凍りついた空気に耐えられず、弁解するようにこれまでの出来事を話して数十分。ビアのとりとめのない説明を、フェリクスが綺麗にまとめてくれた。

 「つまり、ビア様は先程の召喚の間に呼び出される途中、上空で一度目を覚ましているのですね。そして、そこでくだんの本を落としてしまった。」
「ええ、その通りです。…………申し訳ありません。」
「いえ、謝らないでください。元々こちらの都合で呼び出しているのですから、むしろ謝るべきは僕らの方だ。……それにしても、上空で目が覚めるとは一体………モール、このような前例はあるか?」
「いいえ、フェリクス様。そのような話は聞いたことがございません。古文でも、召喚されし乙女は皆、召喚の間で目を覚ますと伝えられております。………ビア様、他に何か思い出せることはありませんかな?なんでもよろしいので。」
「思い出せること、ですか……」

 ビアは目を瞑り、もう一度記憶を辿ってみた。見渡す限りの真っ青な空に、ぽんと放り出されたときのこと。あまりに突然の出来事で、周りを気にしていられるほどの余裕はなかったが、何か気になることはあっただろうか……

(そういえば……)

「…………赤い、光……」

 無意識に口から言葉が漏れる。
 ビアの小さな呟きをフェリクスは聞き逃さなかった。

「赤い光………?」
「えっ?あ、え、ええ……空の中で目を覚ます前に、一瞬だけ閃光のような赤い光を見たんです。……いえ、その光で目が覚めた、という方が正しいかもしれません。」

 大空に放り出される直前に見た、ピアの周りを取り巻くように火花を散らしていたあの真っ赤な閃光。その弾けるような痛みで彼女は目を覚ましたのだ。

「………妨害魔術」

 フェリクスの隣で、モールが険しい顔で呟いた。

「赤……となれば、おそらくガルムンドでしょうな。……あの国ならやりかねない……」
「滅多なことを言うな、モール。うちが中立国であることを忘れたか。」
「失礼、じじいの戯言が過ぎました。」

 モールは一つ咳払いをすると、今までの険しい表情から打って変わって、柔和な笑みを浮かべた。

「失くした本ですが、あれは救国の乙女しか見えない代物なので、誰かに盗られるなんてことはまずないでしょう。あの本には特別な魔力が備わっている。そのうち持ち主を探してあちらから何か引き起こす可能性も十分考えられます。なのでしばらくはそれ待ってみるのが良いかと。」
「は、はあ……」

 いまいち理解しきれなかったものの、ビアは戸惑いがちに頷いた。とりあえず、なんとかなりそう……なのだろうか。



「では、この話はそろそろ終わりにしましょうか。ビア様、貴女も随分お疲れでしょう。部屋を準備しておりますので、どうぞそちらでお休みください。」

 フェリクスがそう話を締め括る。これ以上の話を続けても仕方がない考えたのだろう。ビアも目まぐるしい変化にどっと疲れていた為、この提案は嬉しかった。二人が席を立つ様子を見届けると、そっと安堵のため息をついた。


***


 それから早一ヶ月、ビアはこの世界での生活に既に辟易していた。
 身の丈に合わぬ豪華な衣食住、何をするにもメイドに囲まれている生活、周囲から漂う好奇の眼差し……今までとは一変した生活に、ビアは心も体もついていくことができなかった。

(会社員だった頃は、「石油王と結婚して働かなくてもいい生活したいー」とか思ってたっけ……)

 案外向いてないかもなあ、そんなことを考えてはついつい苦笑がこぼれる。

 ふと、ノック音が部屋に響く。

「失礼。ビア様、少しよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。」

 すぐに返事をすれば、ドアの向こうから現れたのはこの国の王子フェリクスだった。

「料理人がクッキーを焼てくれたので、ぜひ一緒にと思いまして。」
「まあ、それは嬉しいです。ぜひこちらに。」

 お互い慣れた手つきで華奢なテーブルに着く。ビアお付きのメイド達がすぐさま紅茶と菓子を卓上に並べた。


 フェリクス=ローアルデ。この国の王子かつ、ビアの悩みの種の一つ。その彼が今日もまたここにやってきた。

 別に彼が何か酷いことをするわけでもない、不遜な態度を取られたり、邪な視線を向けられたりする訳ではない。否、むしろその逆だ。
 彼はいつも紳士的で誠実、優しさに溢れた人だった。彼は別世界から来たビアのことを慮り、度々この部屋を訪れてくれる。職務で忙しいであろうに、仕事の合間を縫っては息抜きと称し美味しいお菓子を差し入れてくれた。異世界生活に戸惑うビアの心を少しでもほぐそうと努めているのだろう。
 実際、彼とのティータイムでビアの気持ちが上を向くのは確かだった。彼はとても話し上手かつ聞き上手だった。ビアが黙れば面白い話題を提供し、彼女が話し出せばそれを笑顔で聞いてくれる。どちらかといえば口下手なビアでも、フェリクスと話している間は安心して会話を楽しめた。
 まさに絵に描いたような王子様、そんな彼に優しくされて勿論嫌なわけがない。

(でも、だからこそ――)

 ビアの胸にチリリとした痛みが走る。若草の目に濁った影が落ちた。
 そう、だからこそ申し訳なくなるのだ。果たしてこの完璧な王子の貴重な時間を割くほどの価値が自分にあるのかと。

(――聖女は愚か、何者かも分からない私に。)

 この世界に来てから一ヶ月の間、ビアだって何もしていなかったわけではない。いや、それは許されなかったと言ったほうが良いだろうか。
 ビアが職種不明と分かるや否や、ローアルデの役人達はすぐさまその解明に乗り出した。具体的に言うと、ビアに様々な課題を与え、それにより適性を判断しようと試みたのである。
 まずは魔術から始まった。各魔法のプロフェッショナルがビアに付き、魔法について手取り足取り教えてくれた。本命である聖女の得意分野、回復魔法については特に力を入れて教えられたのを覚えている。しかし悲しいことに、ビアが呪文を唱えてみても、魔法の杖はうんともすんともいわなかった。
 魔術が駄目ならと教わった武術でも結果は同じだった。ビアの身体はあまり運動は得意でないらしく、本格的なレッスンに入る前のウォーミングアップで息を切らしてしまった。
 魔術も武術も望み薄となれば、もう手当たり次第に当たっていくしかない。ある者が料理人じゃないかと言い、またある者が薬師かもしれないとのたまえば、ビアはたちまちその筋のプロに引き合わされ、何時間もみっちり教育を受ける。ではそれで結果が出るのかと問われればそれはまた別の話で、ビアは最悪からきし、良くてまずまずの結果しか残せなかった。
 試せば試すほど大きくなる失望感、募る疑惑の念。周囲から寄せられる眼差しが、期待から不信へと徐々に変わっていく。その冷ややかな視線は、ビアを静かに打ちのめしていった。

 ごめんなさい、すみません、申し訳ございません――もう何度この言葉を繰り返したことだろうか。結果が出ない度、誰かのため息が増える度にビアはずっと謝り続けてきた。

「いえいえ、気にすることはありません。あなたは悪くないのだから。」

 みな口を揃えてこう言った。口上だけはそうしてくれた。しかし、目は口ほどに物を言う。彼らの瞳には無能に対する落胆と苛立ちがはっきりと現れていた。
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