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11.第八部隊-3
しおりを挟むもっと色々話したくて、でもなかなか話題が見つからなくて、なんとなくそわそわしてしまう。そんな時、しかし非情にもその空気を破るかのように、川下からガサガサと茂みを掻き分ける音が聞こえた。
「うぃーす。副隊長すみません遅れましたー。はい、タオルですよー」
茂みからひょっこり顔を覗かせたのは藍鼠の髪の男だった。テオドアと同じ服を着ているから、おそらくこの人も騎士団なのだろう。左手には大きなバスタオル、そして右手にはなぜか食べかけのあんぱんを持っている。
「ジミルお前遅っいよ!!ていうか何だよそのあんぱん…」
「いや~すんません、ちょうどおやつ配ってたから副隊長の分ももらってきたんですけどね。気づいたら俺が食べてました。や~ほんと申し訳ない……って、んん??」
ジミルと呼ばれた青年と目が合う。やっとこちらの存在に気づいた彼は、ビアの顔を見るなり凍りついた。右手からあんぱんがぼとりと落ちる。地面に着地する寸前、腹減りテオ坊がそれをすかさず掠め取ったのは見なかったことにしよう。
「ゔゔゔん゛っ……ゲフンゲフン。……こんにちは、可憐なお嬢さん。僕の名前はジミル=ブナンダー。ローアルデ騎士団第八部隊所属の十九歳です。ところで、可憐なお嬢さんがこんなところに何かご用でしょうか?」
素早く姿勢をただしたジミルは、妙にかしこまった自己紹介を始める。この流れはローアルデ騎士団第八部隊の礼儀が何かかのだろうか。
テオドアはといえば、先ほど手に入れたあんぱんを呑気にむしゃむしゃ頬張っている。さりげなくジミルが口をつけた部分はちぎり捨てており、そこに野鳥たちがわらわら群がっていた。
「ちょっとアンタああぁぁ!!なんちゅー格好で、女の子の前に立ってんのおぉぉぉ!!??この変態!!てかメイドへの手出し厳禁!!こないだ第二部隊が派手に問題起こしたせいで、婦人会がブチギレて乗りこんできたばかりでしょーがぁぁぁ!!!」
先ほどまでの紳士的な態度はどこへやら、ジミルはくるりと振り返ると、今度はテオドアの胸ぐらを掴んで口汚く罵りはじめた。なんというか……忙しい人だな。
掴まれたテオドアの方は、ジミルの勢いに任せて身体をぐわんぐわん前後に揺らしている。そんな状態でも頑なにあんぱんを貪り続けるあたり、腹減りテオ坊の名は伊達じゃない。
なんだかコントを見ているみたいだ。ビアはテオドアたちのやりとりを傍観しながらそんな感想を抱く。おそらく上下、しかし実態は友人のような二人の関係性が微笑ましく、そしてたまらなく羨ましくなった。今のビアの周りにはそう呼べる人はいない。フェリクスやレーナはビアに優しく接してくれるが、友情と呼ぶにはまた違う。他の人々の態度といえば、まるで腫れ物を扱うかのようだ。友人のようにたわいない話を、笑い混じりに話せる相手なんて、今のビアにはいない。
「……お二人とも、とても仲が良いのですね。……いっそ、私も騎士団区画のメイドになれたらいいのに……」
そしたら、少なくともこの二人とは上手くやっていける気がする。それとも、彼らも自分の正体を知ればコロリと態度を変えてしまうだろうか――
無意識のうちに本音が漏れてしまった。まったく、我ながら何を馬鹿げたことを考えているのか。今だってお情けで与えられている立場だというのに、身の程知らずもいいところだ。ビアは小さく唇を噛む。
ふと視線を上げれば、テオドアたちは目を丸くしてこちらを見つめている。どうやら今の発言は、世間一般的にもおかしかったようだ。
なんだか急にいたたまれなくなったビアは、この時ついでに自分が仕事をサボって脱走していたことを思い出した。そういえば、あれからもうどれくらい時間が経っただろうか……
顔がさあっと青くなる。額に脂汗が滲んだ。
「…さ、さすがにそろそろ戻らないと、怒られちゃう!!……騎士様方、束の間でしたが楽しいひとときをありがとうございました。それではまた、機会がありましたら。では!!」
急いで場を締めくくると、ビアは踵を返し、そそくさとその場から退散する。茂みの中に入る直前、ふと何かを思い出したようにくるりと振り返った。
「……あの、今日私に会ったことは、みんなに内緒にしてください。」
そう言うと、彼女は口元に人差し指を当てて意味ありげに目配せをした。もちろんテオドアたちはその意味がわからずきょとんと首を傾げているが、あいにく説明する術も時間もない。彼らが言葉の真意を図り兼ねている間に、ビアは静かに奥へと消えていった。
「……なんか、変わった子でしたね。」
「そうだな。」
「……でも多分、あの子からしたら俺たちの方が遥かに変わった人っすよね。」
「そうだな。……え、そうなの?」
「いや、少なくともあんたは確実にそうだよ。」
***
森を抜けた先、広い平野に出た第八部隊の隊員たちは皆、己らが後にした緑の地を静かに見つめていた。
迎撃の準備は整っている。あの男の見立てが正しければ、標的は鉤爪犬。俊敏さこそ厄介な相手だが、開けたこの場所ならニ体同時でも難なく屠れるはず。……もっとも、問題はそれ以前なのだが。
一向に姿を現さぬ魔犬に、ジミルの顔には苛立ちの色が浮かんでいた。しきりにつま先を鳴らし待ち侘びるのは、獲物か、はたまた……
――――――がさり。
陰鬱とした森の中で、何かが動いた。木の枝が不自然に揺れる。
「総員、構え!!」
そうジミルが声を上げた時だった。
「待て、俺だ。」
樹々の間から聴き慣れた声が響く。次の瞬間、ぐっしょりと血濡れた剣先がにゅっと飛び出してきた。白銀の刃の面影はもはや無く、かわりに真っ赤な鮮血がぼたぼたとが滴っている。
「副隊長……っ!!」
誰かが安堵の声を漏らしたのも束の間、次の瞬間、その場にいた全員が目の前の光景に凍りついた。
剣に続いて姿を現したテオドアは、彼自身もまた、頭からペンキを被ったかのように全身血みどろであった。血を吸いすぎた媚茶の上着は真っ黒に染まり、生成だったズボンは真っ赤なシミをこさえすぎて、今や元の色が分からない。鮮血と共に跳ねたのであろう、獲物の肉や体毛、さらには内臓までもが身体のあちこちにへばりついている。
それはまるで、死肉で着飾る鬼のようであった。
しかし何より――
そう、何より不気味なのは、その眼だ。普段から特徴的な柘榴石の瞳は、今や燃えさかる業火のように爛々と輝いている。いっそ不自然なほどの眼光を放つ双眸は、鬼というよりも飢えた獣に近いかもしれない。
「安心しろ、全部返り血だよ。」
彼はそっけなくそう言うと、悠々と歩きながら忌々しそうに剣の血を振り払う。青々とした芝生の上を一筋の紅が駆けた。
その言葉が、仕草が、より一層周囲を恐怖させるとは知らずに。
ふと、彼は顔を上げるとジミルの方を見た。
「おお、ジミル。悪りぃんだけど、タオル貸してくんね?」
ふわりと笑う男。その笑顔といでたちがあまりにもちぐはぐ過ぎて、見た者はその歪さに、内臓を掻き回されるような不快感を覚えるだろう。
(ああ、それでも――)
そう、それでも。その不快感を超えてジミルの中に芽生えるのは、さらなる羨望と憧憬の念であった。
「……ほんと、化物っすね、アンタ。」
タオルを手渡すついでに、皮肉めいた賛辞を贈る。ジミルなりの心からの賞賛を、しかしテオドアは苦笑混じりに「サンキュ」とだけ受け取った。
(越えられない、“血”の壁――)
ジミルが憧れてやまない、才能。
テオドアを悩ませる、切っても切れぬ因縁。
「……副隊長、帰ったらまず水浴びしてくださいね。」
帰城の準備を始めるジミルが、こともなげにそう言う。
血に染まった男の身体は、もはやその程度では拭えぬほどの強烈な臭いを放っていた。
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