麗しの殺し屋御殿

妃月未符

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第1幕 ~レモンドーナッツと味わいたいもの~

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 深夜。
 華はキッチンに水を飲みにやってきた。
 明日はレモンドーナッツ作りが控えているから早く起きなくてはならないが、環境が変わったばかりでどうも寝付けない。

 流しで喉を潤しながら、脳内に様々なことが去来する。

 考えてみたら今の自分はかなり異様な環境に身を置いている気がする。

 強い人たちに守ってもらえると、反射的に飛び込んでしまったが。

 男性たちが無償で住まいを提供してくれるなど、はたから見れば騙されているか、なにかに利用されようとしているとしか思えないかもしれない。

 それも全員殺し屋。
 
 でもなぜか。

 今日一日過ごしてみて、恐怖心も危機感すらも、まったくわいてこなくて。

 それどころか、新鮮で、快い感情が胸を駆け巡り――。

「夜に考え事はあまりおすすめしませんね」

「うっ、げぷっ、ごほごほ……」

 真夜中に急に話しかけられて、冗談ではなく心臓が縮んだ。

 隣で湊が微笑んで人差し指を立てている。

「時に、止まらなくなりますから」
「湊さん、どうして……」

 この時分に彼は寝間着ですらなく、紫紺のシャツとスラックスにきちんとベルトを締めている。


「実は私、屋敷の番犬係を仰せつかっているのです。仕事柄、報復をたくらむ不届き者が襲ってくることもありますので」

「そ、そうですか……」

 改めて、きちんと危機感は持たなくてはと思う。

「でも毎晩ですか? それは身体にも障るんじゃ」

「ご心配なく」
 そう言うと、少しだけ笑顔に苦みが混じる。

「——夜という時間帯と、眠ることがあまり得意ではなくて。こちらに来たばかりの頃、所在なくいた私に碧さんが与えてくださった役職でして」

「そうだったんですか……」

 自然、深入りはしないでおこうと思う。
 精神的な問題かとなんとなく思い至ったのは、華にも覚えがある感覚だからだ。

「夜って、不安になりますよね。明日のこととか、未来のこと……それだけじゃなく、過去にあった色々な闇まで発掘しだしてしまって……」

 ものすごい黒化石を掘り起こしてずっしんと心にのしかかられてしまったことも一度や二度ではない。

「そうですね。夜の闇は本来の自分を浮き彫りにするとも言いますし、華さんもくれぐれもご自身の闇に呑まれぬよう、用心くださいませ」
「ほんとですね」

 胸に手をあて紳士のように言う湊に、華も神妙に頷いてしまう。
 なんだか同士を見つけた感覚になり、ほっとしたあと。

「あ。そういえば……」

「ちょっと、ここで待っていてもらってもいいですか」

 湊に断り、一度自室に戻ると華は昼間文机の引き出しにしまった手帳を手に取る。

 自室の扉は開けたままになっていて、そこから湊の声がする。
「華さん? なにか大事なご予定でも思い出されたのですか」
「ええっと」
「では未来のために、本日はごゆっくりお休みください。屋敷の安全は私が保障いたしますので」

 紳士らしく、扉を完全に開くことはせずに去ろうとする湊に駆け寄ると、華はその手を掴む。

「いいえ。あとちょっとだけ起きています」

 驚いたように振り返る彼に、華は笑いかけた。

「湊さん。番犬さんのお仕事ついでに、ちょっとだけつきあってくれませんか? たしかこのマンション、最上階に素敵なベランダがありましたよね。そこまで」

「それはかまいませんが……」

 言外に理由を問う彼に片眼を閉じてみせる。

「理由は、ひみつです。さ、早く」
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