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15 カオスなんですが
しおりを挟む映像が切り替わった瞬間、警戒した来己は周囲に油断なく視線を走らせる。
これ──ハッキングだ。
施設内の各所に設置されている監視カメラの映像を中継する筈のモニターは、今は唯一つの映像で埋め尽くされている。
それはつまり、警備室を管理するシステムが外部の侵入を受け乗っ取られた事を示してる。……どうなんだこれ? あっては駄目なレベルでは?
来己はこの異世界についてまだ断片的な情報しか持っていない。でもここが『普通』の企業じゃない事は解る。少なくとも二重三重での防御が施されているだろうってのに『敵』は鉄壁の壁と捕獲の網をくぐり抜けコマンドを書き換え、司令塔の手足を勝手に操作してしまった。
目的は何だ?
一瞬で考えたのはそんな事だった。
すべてのモニター画面にどアップで映っているのは幼児だ。1歳程の女の子。
──それは見た者に緊迫感を覚えさせる姿だった。
だって今にも泣き出しそう。表面張力の限界まで潤ませた大きな瞳が、決壊ぎりぎりのところで堪えている。
『まま』
……コンピューターウイルスが使うなら充分ありうる「絵」だ。ハッカーが侵入成功をひけらかす為に選ぶ「絵」ってのはグロい方向に振り切っているか、エロいか、無意味か。要するに傾向なんて無くて、それを使った意味なんか理解しようとしたってわからないのがウイルスだ。
けど。
来己はちらりと眼鏡の糸目の表情を盗み見る。
読めない。
「迷子?」
「迷子じゃないでしょう先輩。にしても、かっわいいな……」
つい見たままの感想が漏れる。そう、すごく可愛い。子供というのはもう子供ってだけで可愛いものだけど。
大きな潤んだ印象的な黒目。バラ色の頬。きゅっと結ばれた唇。ちっちゃな手で自分より大きなぬいぐるみのシロクマを抱えてる。コアラかよ。道でこの子をのせたベビーカーとすれ違ったらきっと誰もが顔を緩ませるに違いない。
「えらいねえ、こはっちゃん」 と、異様な室長の声に耳を疑う。普段よりも1オクターブ高い声。「糸目でもママってわかるんだねえ。かしこいわあ」
……小動物とかと絡むと豹変する人っているけど!
「気が抜けるからそのいかにもおばちゃんな反応は止めろ」 眼鏡の糸目──仲嶋が頭痛を堪えるみたいに眼鏡外して眉間を押さえてる。「これ、こはがやったのか?」
幼児、こくんと頷く。
「かしこいわあ」
「……仲嶋さんのお子さんなんですか?」
「うっそ糸目と全然似てるところ無いな天使じゃん」 来己が濁した台詞を隼百がすぱんと言う。「ほんとに仲嶋さんって変装してるんだねえ。他の子もみんな凄い?」
隼百の台詞には緊迫感はまるで無い。そもそもこの人に緊迫感があった事は無い。
「はっ。うちの子はぜんぶ可愛くて賢いがそれがどうした」
仲嶋は当然のことを言うなと顎を逸らして偉そう。
「可愛いですね。アルファですね……」
来己の声は少し悄気てる。
「お。こはちゃんアルファかー」 こくん、と頷く幼児。ちゃんとこっちの話を聞いてる。「つよいな! 恐竜倒せるな!」
隼百が幼児に話しかけてる意味がわからない。
「あの、アルファとオメガの母親って、オメガってパターンが多いんですよ。ハッキングしたのがこの子ならそうかなって」
「ふうん。ライキ君は異世界の事なのに詳しいよな。オメガバースだっけ?」
呑気に感心した声を聞きながら来己は自分の考えに沈む。残念だな。オメガなら良かったのに。僕の番はどこだろう。本当に会えるのかな。
「そうだ、兄姉! 他の子も見たいです見せて下さい」
思いついた考えに身を乗り出す来己を仲嶋はスルーする。
「こは、すぐに帰るからちょっと待ってな。あとな。ママは他の奴のママじゃないぞ。こはのママだ」 こくんと頷く赤子。「……つか誰か、協会の中枢がハックされた事をちったあ問題にしろよ」
「そこ追求しない方がいいよー。協会の虎の子、マザーコンピューター管理下のシステムが赤子におもちゃにされてるだなんて失態、バレたら中央がうじゃうじゃ大挙してやってくるよー」
「黙っててくれ」
「あの……僕、仲嶋さんのご家族に逢いたいです。一度オメガをみてみたいんです」
「まあ止めておけ」 仲嶋はぞんざいな態度。「で。凄いこはが暴走しないように見ているはずのパパは、何をしているのかな? てめえわざと放置したな?」
『ぱぱ、ないないててって、てってる。ないないって』
「パパは居ないって言って、って言ってるって言ってるねえ」
「ちょっと先輩、なんで翻訳できるんですか」
「保育士になりたかった事があって」
「おい逃げんな」
仲嶋の低い声に、
『ひくっ』
幼児が怯えた。びくんとした反動でポロポロ涙をこぼして、止まらなくなってしまったらしい。そのまま『あー』と泣き出してしまう。
「あっずりい、こはを盾にすんな! だっこしろだっこ」
すると赤子の背後から腕が伸びて抱き上げる。画面に残ったのはシロクマだ。
複数の画面にシロクマだけが映っているシュール。
「今の腕は誰かな?」
「旦那でしょ……一応、奥さんの言うことは聞くんですね」
「奥さん言うな」
「けどこれ凄いな! 監視カメラがテレビ電話みたいになってる」
隼百が訳のわからないところで興奮してる。
「テレビ電話ってなんです?」
「オレが子供の頃、未来の電話はこうなるって言われてたの。スマホみたくちっさくなったのは想定外だから」
「? 固定テレビで電話する利点ってあまりないですよ? 電話なのに持ち運べないじゃないですか」
「電話を持ち運ぶって発想が無かったんだよ昔は」
「先輩おじいちゃんみたいです」
「おじっ」
来己は仲嶋に向き直る。
「……あの、ごめんなさい。僕、家族が見たいだなんて口走ったのは失礼でした。つい、我を忘れて。簡単に見せる訳ないですよね」
片眉を上げる糸目。
「……まぁな?」
「でも、思ったんですけど、なんならあなたが変装解いてくださるだけでも良いんです。ちょっとだけでもお願い出来ませんか?」
「アルファ君大丈夫か? 欲望只漏れで図々しさが隠せてないぞ」
「オレ段々わかってきたわ。ライキ君ってオメガが関わるとちょっと人が変わるよな」
「仕方ないじゃないですか僕はずっとオメガに憧れてるんですよ! 本物のオメガを見たいです!」
「番がいる俺なんかを見物してどうすんだよ。オメガなんざ、焦らなくてもこの先、会う機会いくらでもあるだろ。まして君なら──って言いたいところだが……あー……。オメガは番のアルファが隠すから一般社会じゃ、殆ど見かけないな、うん……まァ、家族晒すよりマシか」 と糸目がにっと笑う。「いいぜ。後でな」
『はああ!?』
画面の向こうから知らない男の叫びが聞こえたが、仲嶋は綺麗に無視してる。
「ちょ、いいの? 仲嶋さん。画面の向こうから悲鳴が聞こえてる」
「気のせいじゃねえ? パパはいないんだそうだ」
『んっ、ま!』
するとまた画面の前に幼女が這い戻ってきた。存分にあやしてもらったのか、すっかりご機嫌だ。慌てて引き戻そうとする手からうまく逃れてる。
「この子って例の誕生日の子ですか?」
「違うよ。琥珀は下から2番目……ああ3番目か」
「子供の数が曖昧なんですか!?」
「ちょっと大丈夫かよ?」
「間違えてないよ。それより、どうせそっちで話を聞いてたよなパパ? 剣崎が変装グッズってうるさいん──」
「……?」
台詞の途中で仲嶋が見えなくなった。
目の前にいたのに。
咄嗟に転んだのかと思って下を見たけれど、倒れてはいない。きょろきょろと辺りを見回す。状況が理解できない。
「……仲嶋さん?」
忽然と消えてしまった。
いや……よく見れば、仲嶋の立っていた場所に装飾品がひとつだけ落ちているのがわかった。余計に謎が深まる。
『おま、急に何する!』
「……え?」
仲嶋の声がモニターの向こう側から聞こえてきた。画面の中に引き込まれるホラーを思い出す。
『君こそひどい。それお腹の中にいるって事だよね。聞いてないんだけど』
『いま言っただろ』
──あこれ痴話喧嘩だ。
『本当に君はもう…………ねえ、閉じ込めさせて?』
画面に映っているのはあくまでシロクマだ。
『色々すっとばしてなんでそうなる! ……あっバカ来るな。ちょ、こは助け』
シロクマが揺れる。
「……なにごと」
シロクマ見つめて呟く隼百。画面の向こうからの応答はない。ただ、ガタガタと物を倒す音。無言での攻防。なぜか伝わる緊迫感。漏れ聞こえる掠れた声、荒い息。画面に向かって伸びた手が見えた。ふつりとシロクマの絵が消え、元の監視カメラの映像に戻った。
──最初から、何もなかったように。
「なにごと?」
もういちど聞いてみる隼百。
肩を竦める室長。
「これが転移だよ」
「それ知ってる、異世界によくある技術だ」
「よくは無いぞ」
「……大丈夫ですか? あれ」
あれ。
と言っただけで伝わった様だ。
「そうは言っても旦那の懐は広いよ。仲嶋君は社会に触れさせないで育児だけさせておくとノイローゼになるタイプだからね。難儀な事だ」
「難儀とか言うわりに室長さん、すごく満足げですね」
「ちゃんと貸してくれたからね」
仲嶋の居た場所に残された、それを拾い上げる。
「貸してくれたって……これ?」
「変装グッズだよ」
「……」
「……」
「メーカー名」
耐えきれなかったのか、へらっと隼百が笑う。
ブランドのロゴに受けたのか。元の世界にもあるけども。
オメガの腕時計だ。
どう見ても変装グッズには見えなかった。
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