異世界オメガ

さこ

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16 洗濯機

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 ぐるぐるまわるっては半回転する水の動きって、どうして延々と眺めてしまえるのか。ばちゃばちゃ跳ねる水の流れは涼しげだ。……あ。排水される。

 ごうん、ごうん。ゴトゴトゴトゴト。

 脱水の始まった洗濯機の音で異世界に来た最初を思い出す。
 屋外に設置された古い洗濯機は時折がごんがごんと歩き出しそうな勢いで景気よく揺れている。
 煙草を銜たまま口から煙を吐けば、驚くほどの早さで視界の端に流されていった。
 耳にはぼぼぼぼという派手な風の音。
 どこかから届く、蝉の声。

 のどかだ。

 嘘だ。
 正直言って直射日光がキツイ上、風が強すぎて煙草を吸うどころじゃない。じんわりと滲み出てくる汗も温ぬるく湿しめった風に瞬く間に流されていく様がもう、暑いのか涼しいのか分からなくなってきたクソ暑い。

 世の中、こちらの世界でも喫煙者に厳しく出来てるらしい。喫煙可の場所はやはり少ない。
 せめて屋根の下を希望したいところ──と手でひさしを作って、
 腕時計が目に入って思考が止まった。

「……オメガ、ねえ」
 高級腕時計なんてのを自分が持たされる日が来るとは、人生わからないものである。
 そう思う機会がまだあるってところが、本当わからない。
 だというのに、この時計の中は外見そとみよりも断然高価な機能が詰まっているのだそうだ。恐いよ。だったら一体この借り物は総額幾らになるのか、考えてはいけない気がする。外したい。
 溜息のかわりに煙を吐く。

 そりゃ室長さんに任せるとは言ったけど。

 確かに隼百は中央と関わるのは面倒とか言ったし、何でか隠れてたいって気持ちがずっとある。どうして、何から隠れたいのかは自分だってわからない。
 隠れんぼの、あの落ち着かなくてソワソワする感じに似た……鬼に見つけられて鬼にされるのが怖くて、でも本気で本当に怖いのはもし見つけてもらえなかったら? って事だったりして。だって、もう飽きて帰ってしまったかもしれない。オレの存在なんて忘れて。恐怖にふっと我に返る。変だな。最近やたらと大昔の記憶を刺激される感じがある。
 何にしろ、変装したいとはひとことも言ってない。
 でも気付けばそういう話になっていた。だから騙されたわけでは、ない。
 隼百は成り行きを見てただけだ。抵抗もしなかった癖に、求めてたのはコレじゃないとか後から文句を言うのはフェアじゃないだろう。でも──。
 腕が重い。ここまでしてくれなくても良かったのに。そもそも変装って人と会うのが前提じゃないか?
 今さら新しく人と関わるつもりは無い。自分なんかが誰かと出会ったって、別れるだけなのに。少しばかり寿命が伸びたってそれは変わらない。
 再び煙草の煙を吐く。
 室長。ライキ君。仲嶋さん。
 結局、この世界に来てから知り合いが増えたよなあ。

 彼らの事は嫌いじゃない。もっと言えば、好ましく思う。うん……もっと一緒にいたらきっと皆好きになる。

 だからもう、二度と会いたくない。


 ところで変装しても隼百は糸目にはならなかった。
「どんな外見がいい? この時計をつけると好きな容姿に変装できるんだよ」
 腕時計を拾った室長にそう聞かれたので、
「変装の希望なんて無いですよ」
 隼百としては変装するつもりは無いと伝えたつもりだった。
「じゃあベースはそのままで、ちょっと健康に見える程度にしておこうか」
 いやそれもう変装じゃないよね? ……良いのかそれで。
「オレが仲嶋さんの外見になるわけじゃないんですね」
「悪目立ちは避けるんだろう? 君が糸目サラリーマンになったらベータの召喚者が出た事実ごと隠す事になる。大きな嘘は綻びが出てバレやすいじゃないか。だからそれはしない」
「技術的には出来るんですか?」
「出来るよ。覚えておくといい」
「……覚えてって?」
「いざという時の為にね。さあ、調整して付けてあげるからおいで。人前では外しちゃ駄目だよ」
「え。なんでです?」
「誰だって人前では裸にならないだろう? それと同じだよ。だから腕時計は外しちゃ駄目だよ」
 聞き分けの無い子に言い聞かせるみたいに室長は言う。
「それ、ここの常識ですか?」
「あ? そうそう常識常識。腕時計を外すのは裸と同じくらい恥ずかしいんだよ。わかったかい?」
「適当ですよね?」
「わかったね」
「はい」
 押し切られた。

「異世界人の君の、この世界の地位は真っさらだ。なんなら名字も名前も好きに決めて構わないよ」
 戸籍も貰った。名を変えたいとか、先祖がどうで変えたくないとかのこだわりは無いので親からもらったそのままで。運転免許はまた講習と試験を受けないと取れないそうで、代わりに送迎タクシーチケットは使い放題。小市民にはブルジョアすぎて使えない。
 ……何というか、帯に短したすきに長しといった部分がちょこちょこある。
「うん。仲嶋君がいたらもっとスムーズに手続きが出来るし気が効くからもっと上手くやってくれるんだけどねえ」
 ──そう。後で詳細を詰めると言っていた仲嶋と再会する事は無かった。

 一応彼の職場離脱に加担した自覚があるのか、室長が自ら様々な事後処理をしてくれた。
 ──そこからの経緯はあれよあれよと言う間に過ぎていき、就職先の希望を聞かれ第1希望がそのまま通り、職を得た。

 本当は働く必要なんて無かったし、最初は療養できるホスピタルを紹介されたけど丁重にお断りした。人と関わりたくないなら一番の方法なのに、それは嫌で、自分も矛盾してる。

 仕事は単純に前職と同じにした。イベント業。イベントというか複合施設での勤務。

 埋め立て地であるこの海浜公園にはキャンプ場やらテニスコート、野球場、ドッグランなど、屋外施設の類が無節操にある。元は塩田から始まった、陸続きの小島。現在は雑な言い方をすれば芝生の広場だ。時折音楽フェス、イベント会場にも使われる。過去には異世界召喚場所にも選出されたそうだ。自分の経験が使いものにならなくてもこの手の業務は幅広いから設営スタッフでもやることはあるし、まあ暇にはならないだろうとの目論見。

 結果は、施設屋上の吹きっさらしにいる現在。

 しゃがみ込んだ隼百の床の側にあるのは雑巾を洗う為のちいさな洗濯機。ここにはちょっとした日陰があるのだ。
 サボっているわけではない。
 施設屋上での洗濯を仰せつかったのだけど、下に戻ろうとしたら扉が開かなかったのだ。
 どうやら内側から鍵がかけられている。

 せめてもの抵抗で、禁煙と言われたここで煙草を吸っている。とは言え、しっかり灰皿が設置されてるから喫煙不可と言われた事込みで嫌がらせだろうけどね。

 手持ちの煙草も切れ、箱を握り潰した隼百は物干しにかけておいた白衣を取ってきて頭から被る。海辺で周囲に高い建物も無いここは日陰が少ない。丁度日よけになるのを持っていて良かった。
 何となく気に入って、嘉手納支所を出てからもずっと羽織ってる。ただ煙草を吸ってる時は匂いがつかないように脱いで側から離してた。

 膝を抱えて、その布の中に潜り込んだみたいな姿勢に少し落ち着く。


 面接の時の事をぼんやり思い出す。
「──こんな田舎に異世界人がいらっしゃるとは珍しい」
 初っ端から機嫌良く喋ってたのは市長さんで、面接とは言っても就職すること自体は決定。という対面の場には人事担当だけではなく地方の役人まで来てた。市の総轄する施設だからわからないでもないが、現場には関係のない人間だ。
 田舎じゃなかったらよくいるのか異世界人。
 一方、直接の担当から伝わってきたのは困惑だ。大量の汗をタオルで拭いながら、せかせかと言う。
「大変名誉なお話ですが、私どものような田舎の施設にアルファの方が来て頂くのは退屈ではございませんか? 本当に何もないところですから」
「その点は心配は無いよ。彼はアルファじゃないからね」
「まさかオメガですか? それはちょっと」
「ベータだ。この子はこの世界の事は詳しくは知らないから気をつけてあげてくれ」
 すると担当も市長も絶句した。ので喋ってもいいかなと、
「オレ、この子って年じゃ」
 室長に抗議しかけたら再起動した市長さんに横から遮られた。
「ベータですか? 召喚で来るのはアルファか番のオメガでしょう?」
「ああちょっとした手違いでね」 室長はなんでもない風に言う。「あまり吹聴したい話ではないからね。そちらでもひとつ、おおっぴらにしないように頼む」
「何だ。私が出る幕ではなかったではないか」
 急速に興味を失った市長と、
「面倒は御免ですよ」
 思わずと言った風に漏らした担当。
「面倒でも、うちの要請には従って貰うよ」
 室長はにべもない。強引だな?
「……承知致しました」

 ──先に室長が退出した後、
「天上の方々は厄介事ばかり押し付けてくるので困ります」
「ベータを馬鹿にしてるのさ」
 あからさまな悪口を言っているのが気になったけど。

 この世界に来てから一月すぎた。
 隼百が異世界からの召喚者の上ベータでコネ入社だいう話は今は社内で公然の秘密だ。不自然な時期の入社がいかにも怪しかったからか、速攻で情報が漏れたのだ。秘密を知るのはあの時に立ち会った役人と担当しかいないけど。まあコネ入社には違いない。

 そんなわけで、今日はVIPが来ているから失礼があってはいけない、お前は顔を出すなと言われ、はいと返事をしたはずだけれど、まさか屋上に締め出しを食らうとは。
 どうも日本語得意じゃない人みたいに扱われている。
 ああ、それで悪口を平気で側で言うのかと納得した。


 放置されて早、小一時間だろうか。ぼーっと考えて、思い出す。うっかり。時計持ってたよ。見れば三時間ぐらい経ってる?
 喉が渇いた、かなあ。
 水はちゃんとある。洗濯機あるし。ただ飲むのが面倒。

 ふっと気が遠くなって、次に目を開いたら糸目の眼鏡が目の前にいた。

「気軽に死にかけるのは止めて欲しいんだけどなあ」
 やけにチャラい調子で言う男は物珍しそうに隼百を見下ろしている。


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