異世界オメガ

さこ

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19 水族館

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「只今戻りました」

 今の隼百の勤務先は水族館だ。
 水族館勤務。と聞くといかにもおしゃれで格好良い響きだが、有名どころを想像して来るとがっかりする。
 海浜公園に併設された小さな建物で、出来てからもう10年は経っているのに地元民からの馴染みは薄い。未だにこの地に節操なく出来ては消える雑多な施設のひとつだという認識がされている。
 そのうち潰れるだろう、と。
 そもそもこの海浜公園自体、市が頓挫した事業の跡地だ。

 大昔ここに、海を埋め立てて塩田施設が作られた。これが不幸にも出来た途端に焼失。新天地は再建もされず、長らく放置された。目的を失った跡地にはろくな予算も出ず、その後の事業でも失敗が続く事となる。

 ──といった歴史があるのだが、実は隼百の元の世界でもこの地は同じ経緯を辿ってる。だから『知っている』のだ。
 細かい部分は違うのだけど……まあ置いといて。

 この水族館は持て余した土地の活用を模索するうちに出来たものだ。コンセプトからして後ろ向きの低予算。
 体験型学習施設と銘打っており、現在は小学生定番の遠足コースになっている。毎年同じ所に来るので人気はイマイチ。と来場した小学生当人に聞いた。

 迫力ある壁一面の大水槽なんてものは、ここには無い。
 海のトンネルを潜るような映えも、勿論無い。
 イルカショーも、アシカショーも無い。
 壁一面に描かれた水中の絵だったらある。
 でもこれ本物の水槽じゃないって事を無視すればなかなか見事だ。

 青の色彩がメインの大胆な構図。
 海中に見立てた壁にはクラゲに珊瑚、サメ、エイ、イカやカニに──名前がわからない。たくさん、色とりどりの魚が生き生きと描かれている。
 天井に広がっている青は、海とは別の青色だ。

 紺碧の海の上にある、蒼の空。

 空に浮かぶのは雲と、鳥に、船。羽根の生えた人。
 船は海にあるべきなのになぜ宙に浮いているのか。首をかしげる隼百に小学生が教えてくれた。

 ──海賊だから空を飛ぶんだよ。

 さっぱりわからないけれど、考えてみればここは異世界だ。空飛ぶ海賊がいたって不思議じゃない。隼百にはどこまでが空想でどこまでが現実なのかは判断出来ない。学芸員さんに聞いたら教えてくれるだろうか。

 実際に館内にある展示は地味なもので、色気の無い四角い水槽が近辺の水域エリアごとに並べられている。かと思えば南米の魚なんかも唐突に泳いでいて多国籍だ。
 地元在住の愛好家から飼育できなくなったペットを寄贈されるらしい。おかげでテーマが行方不明。
 解説のパネルはいつから同じものを使っているのか黄ばんでいる。
 港に来る漁師が時折、網にかかった珍しい魚を提供してくれるけど、そういった臨時の展示ともなるとその解説は古びたパネルでもなく、細かい字の手書きだ。

 展示自体は、隼百は好きだ。魚は元気だし、水草の状態も良いし、大きすぎない水槽が逆に面白い。
 海の箱庭みたいだ。
 けど職人気質な学芸員の書いた解説は……どこぞの論文か、研究発表かと錯覚する程に小難しい。これ子供は読まない。

 管理している学芸員は真面目なのだ。真面目すぎて融通が利かないところはあるけれど。
 でも水族館がショボいのは低予算以前の問題で、経営陣のやる気の無さが大きいと隼百は思う。

 当初、隼百に割り振られた仕事は受付業務だった。
 販売コーナーのPopを変えてグッズに手を加えたところ、お客さんの反応は上々だったけど受付からは外された。
 売店も兼ねた受付には魚や水槽のポストカードが販売されていたからついでに「学芸員さんポストカード」を手書きで作ったのだ。趣味誕生日のデータ解説つきで。隼百は魚の解説は勿論出来ないが、人を見てれば人柄がわかる。飼育員さんが身近に感じられると好評だったんだけど、『受付さんのポストカードは無いんですか?』とか聞かれた場面を館長に見られたのはまずかった。

 現在の仕事は雑用全般。
 水槽のガラス面の掃除。空の水槽の清掃、ろ過層の掃除、館内清掃、トイレ掃除、草刈り、お茶入れから駐車場の誘導。餌の下準備の手伝い。
 学芸員さんからは時間毎の水槽の温度の定期点検、水質チェックを教えてもらった。

 魚は好きでも嫌いでもないし、本来なら倍率が高い水族館勤務に興味はなかったけれど……ぶっちゃけ楽しい。
 食い物としか認識していなかった生き物も、毎日間近で見ていれば可愛く見えてくる。しかも水。洗濯機ですら見てると時間を忘れるものなのだ。水と生き物。アクアリウムはその両方を併せ持つのだから、そりゃ飽きないよなあ。

 と余所事を熟々考えながら水族館管理事務所に辿り着いた。
 屋上に閉じ込められ、喫煙所で休憩したら医務室に押し込まれ、健康をアピールして──ようやく戻って来た。

 けどそこで隼人を出迎えたのは、冷たい視線と沈黙だった。

      †

 水族館のスタッフは全員集めても二桁いかない。
 この規模の水族館の中でいちばんお金をかけて豪華なのはどこかと言えば、水槽ではない。
 水族館の顔である、入り口の展示でもない。
 かと言って裏の設備システムでもない。
 事務所、だ。

 定時を過ぎた事務所に残っていたのは5人。
 机に向かっているのが3人、残りのひとりはソファーに凭れており、ひとりはソファーの側で立ち尽くしている。
 普段よりも一層暗い表情で話していた職員らは、隼百が姿を表した途端に会話をピタリと止めた。
 沈黙。とは言ってもその反応は二手に分かれてる。
 心配そうな者と、好意的な者──ではなく、

 隼百を睨み付けてくる者と、視線を逸らす者。

 隼百は首をかいて、ソファーにふんぞり返る男の側まで歩く。本革のシングルソファーは輸入物。
「館長、藤崎隼百、只今戻りました」 再び名指しで声をかけてみたが、相手はムッツリ押し黙ったまま返事をしない。「館長? 聞こえてます? もしかして耳が遠くなりましたか? 若く見えますけど……まあ、そうですよね。オレも寄る年波には勝てません」
 隼百が言葉を重ねていく毎に、無視をしている人物の顔が赤くなっていき、他の職員の顔は青くなっていく。

「……換気したいな」
 ぽつりとした呟きに、
「え?」
 思わず反応した女子社員ににっと笑う。
「空気。澱んでるでしょ?」
「あ、いえ……」
 赤面する女子社員。隼百が何か返す前に横から声がかかる。
「こんな時に女タラシてんじゃねえよ」
「あ。良かった、オレの声、聞こえてるんですね館長さん。透明人間になったのかと思いました」
 舌打ちされた。

 ギョロリとした目の、50代後半。日焼けで肌は黒い。小柄だが、体格は逆三角形の体育会系。小洒落た金のピアスにネックレス、と外見はサーファーみたいだ。でも喋ると印象が違う。隼百は嫌われていた学生時代の数学教師を思い出した。忘れ物した女生徒を一年中同じネタで責め続け、揚げ足取りに執心していた、あの感じ。
 ひとことで言うとねちっこい。
 彼がこの水族館の館長である。いい年なのになんでか陰で『坊ちゃん』と呼ばれてる。
 喫煙所での情報によれば、彼は由緒正しいアルファの家の御曹司で、偉い政治家だった人の孫で、世が世ならば何ちゃらだとか。地元では彼に表立って逆らう人間は居ないのだとか──色々と教えられたけどよく覚えてない。
 それよりも、異世界人が来ると聞いて隼百を強引に自分の所属にしたのがこの人なのだそうだ。
 普段から何かにつけてアルファの人材が欲しいと周囲に零していたらしい。隼百がベータと後から知って「ハズレじゃないか!」と叫んだとか。隼百の『ハズレ君』呼びはそこから始まっている。

「にしたってよくも平気な顔で戻ってきたなぁ?」 館長は初っ端で無視した癖に今度は隼百の全身を隈無くまなめ付ける。「あァ、異世界人には責任感や恥ってものが無いんだな」
「責任感? どういう意味です?」
 何かあったのか? ……隼百は対面した当初から館長に目の敵にされている。居るだけで絡まれるから何事かがあったのか無かったのか、よくわからん。
「はっ。簡単な言葉も解らないときたよ。あァ異世界人ってだけで一括りにしちゃ、アルファの方々に失礼だよな。皆、そう思うだろ? ひどいのはハズレのコイツだけだ。異世界人の癖して何の特徴も取り柄もありゃしない」
「はあ……」

 アルファを招いた筈なのにやって来たのは凡人だった、とネチネチ責められるのはいつもの事で、隼百はすっかり慣れてしまった。アルファの価値がわからない隼百には罪悪感がないので嘲笑されても痛くない。
 ……まあ、神経が太いとはよく言われるけど。

 隼百は昔から、自分に向けられる悪意には強い。

 これ程度なら『慣れてる』と感じてしまう。
 おかしな話だ。
 家族とはそこそこ円満、友人にもそこそこ恵まれた。
 誰かから虐げられた記憶は持っていない。なのに──

 気のない返事をする隼百に、館長と話をしていたもうひとりがズカズカと近づいてくる。
 と思った時には隼百は尻餅をついていた。
「……志知さん?」
「煙草臭いんだよ」

 隼百の肩を小突いたのは志知という学芸員で、館長とは真逆の縦長でひ弱そうな定年間近。普段は真面目で気が弱く、殆ど口も開かない。
 大人しい相手の豹変に驚いている隼百を、志知は親の敵のような顔で睨みつける。

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