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38 京都
しおりを挟む『ではデッキにどうぞ。ご要望の京都──今ならば夜景をお見せしますよ』
「は? 嘘、もう着いたのか?」
京都を見たいなんて世迷い言を隼百が口走ったのはたった今。
船がいくら速くても車ほどの速度は出ないし、何処へでも行くと言っても陸の真ん中にはたどり着けない。
ほんと、とんだ我が儘を言ったものだと反省したところ。
なのに着いた?
たまたま近くに停泊していたのか、それとも隼百を拾った地下駐車場付きビルから遠くに移動してないだけか? ……あのビル、海に近かったんだろか。隼百は外を見ないままに連行されたし、気絶してしまったし、あそこが京都だった事しか知らない。
いや、ガー君の性能が隼百の想像を越えているパターンもあるのか。
隼百がぐるぐると考えているとそそっと近付いてきた円が顔を覗き込んでくる。
「隼百はあの白衣の持ち主が誰か知ってる?」
え? 急に何だ? 焦る。
「オレの」
「じゃなくてね、元の持ち主が誰──」
「今はオレのだけど」
警戒心マックスで答える。隼百がこの世界に来た時、裸だったから譲られたもの。どこぞのロッカーに置き忘れられていた白衣。あれは自宅に置いてきてしまった。円には見せてもいないのになんであの白衣なんて言えるんだ?
……着てる姿を見たことがある? 誰が着てる姿……いや。
あれは、オレのだし。
──他のものはいらない。だいじょうぶだから。
胸の内の、奥の奥から必死に訴えてくるのはたぶん、自分の声。自分なのに意味不明。
──せめて、抜け殻だけ、ちょうだい。
意味不明だけど無視できない。
一拍の間。
「そっかー」
円が斜めに傾いた。その様を見てトルマリンが片眉を上げる。
「円さん? どうかしましたか?」
「あ、うん。なんだろ。この感情」
苦しそうに胸を押さえる円に隼百が焦る。
「え? 大丈夫か?」
顔色は悪くないけど心配になる。しかしトルマリンは全てを承知しているとでも言いたげな、したり顔。
「わかりますよ。円さん」
「なにがわかるんだよ」
「じゃあ俺からもひとつ聞こうかな。隼百君の抱えてるそのスーツは誰のかな?」
今度はトルマリンが聞いてくる。
まだ奪おうとしてるのか? 布を守るように腕に抱く。
「オレの」
「そっか、そっか」
「……なんなんだよ?」
「ふ、ふっ、ごめん。何かに執着する隼百ってのが珍しくて可愛くてつい」
可愛い人に可愛いと言われても困惑するだけなんだけど、ツボに嵌まったのか円は笑い続けてる。
憮然とする隼百に円が笑いを収めて言う。
「甲板に移動しようか」
†
想像を越えている、が正解だった。
船と言われなければ人の家と変わらない廊下を通り、玄関から出たらそこが甲板だった。
強い風は感じない。海の在処は黒くてわからなかった。
眼下に広がる地上の明かりは碁盤の目。
流石に夜景ではどの明かりが何処なのか、京都タワーぐらいしかわからない。向こうの暗い部分は山だろうか。
『隼百はなかなか良い場所を選びましたね。ここ京都は高い建築物が禁止されている事もあり、空から見た景色は他のどの都市とも違って独特ですよ』
船であるガー君が得意げに言う。
隼百の知る京都の歴史とそう変わらないようだ。
本来漆黒であるはずの闇の中に、細かいあかりが瞬いてる。それがどこまでも広がっている様は壮大で、あの明かりのひとつひとつが街灯で、家庭で、職場で、たくさんの命がある。それは当たり前だけれどもとても不思議で──隼百の目は吸い寄せられるようにある一点に辿り着く。いままでの感慨すべてを忘れてじっと見つめる。
『よくわかりましたね』
「?」
『ハヤトの見つめているそちらが協会です』
「……きょうかい?」
『隼百の攫われたビルの所在地です。アルファ協会日本支部京都本店』
「ああ、地下駐車場の」
『自覚はないのですね』
「……なあ、ガー君」
『はい』
「船って空を飛ぶのか?」
『勿論、飛びますよ。この世界のどこでも構いません、お連れしますと私は言いましたよね? 飛行できればこそ、それを可能にしているのです』
「そっか」
隼百は夜景から視線を外さずつぶやく。
もう船が空を飛ぶくらいでは驚かなくなってきた。
慣れてきた──ってワケではない。
ちょっと今、落ち着いて驚く事が出来ないだけだ。思考が邪魔される感じ。何だろこれ。ざわざわする。
胸のあたりが、ざわざわする。首の後ろが、チリチリする。
隼百の視線は「京都本店」とやらがある一点から動かない。
──動かせない。
寒くもないのに腕を組んで自らの身体を抱く。そうしたらずっと両手で握っていた布の存在を思い出した。鼻先に持っていくと得体の知れない不安がすうっと凪いでいく。
うん、落ち着く。
「……こっちのが匂いが濃いな」
ずっと吸ってたい。
「うん。良かった」 と満足そうなトルマリンの声。「スーツは奴の普段着だからね。白衣より断然使い込まれている。隼百君が喜んでくれたならこちらも奪った甲斐があったというものだよ」
「寝間着の方が良くね?」
ぼそっと横槍を入れてきたのは仲嶋満暁。相方のトルマリンがやれやれ、と首を振る。
「パジャマなんて格好悪いじゃないか」
「トルマリンさんはわかってない。俺は仲嶋に同意する」
「ええそんな」
「でもあの人多分、殆ど寝ないんじゃないかなあ」
「はッ、不健康か。許せねえな」
「待って。そこで満暁が憤る理由ある? 関係ないよね」
「あるわ! アルファはしっかり寝ろ! 寝てベッドに匂いをつけろ!」
「えっ」
「わかる。寝てないシーツはテンションすごい下がる。寝具は濃いのが良いのに」
「だろ!? 寝具ってのは睡眠時間が長いからこその寝具で、意味があんだよ」
「わかる。仲嶋はなにが好き?」
「枕。抱き心地も良いし最高」
「良いよね……枕本体の抱き心地が捨てがたいけど持ち運び簡単な枕カバーも良いんだ」
「あーわかる」
「……ときどき勝手に洗濯されてへこむ」
「へこむ」
『そのように嘆かれましても衛生管理は必須ですから聞けません。ミツアキはトルマリンの出した洗濯物を私から隠す行為は程ほどにお願いします』
「やだよ」
「ん?」
と、やりとりをろくに聞いてもいなかった隼百がここで我に返る。……えっと? オレは何を喋ったんだっけな?
振り返った光景に首を傾げる。
わかり合ってるオメガふたりと、長い脚を折り曲げしゃがみ込んでいるアルファ。
「なにをしてるんだ?」
どうやらトルマリンは顔を伏せて震えている。
「悶えてるんだね」 円がしごく冷静に教えてくれる。「そういえば隼百は高い所は大丈夫? 見たところ平気そうだけど」
円がついでのように聞いてくる。
「いや。平気とか言う以前に吃驚したよ。船って言うから海の上かと思っていたら、空って」
隼百のふわっとした感想に仲嶋が眉を寄せる。
「言うほど吃驚してねえよな。藤崎は器がデカイのか? 鈍感なだけか?」
「身も蓋も無くないか? 鈍感って……否定出来ないけど」
「出来ないのかよ」
「あはは。隠したつもりはなかったけど言いそびれてたね」 夜の京都を見下ろしながら円が言う。「ガーデン君は飛空艇なんだ」
ガーデン?
「あ、ガー君の名前か」
「それも教えてないのか。ガーデン君、自己紹介ぐらいしなよ」
『最近の私は飛空艇と呼ばれるのです。無粋なんですよね』 物憂げな表情を作ったガー君が言う。この緑の髪をした青年の姿は果たして船の本体なのか、端末なのか。『機能が限定されて聞こえるではないですか。私の正式名称は緑の庭園ですが、呼び換えるのならば空中庭園か、いっそガー君やガーデン君と称される方が好みです。でなければ船。無論、海賊などは論外ですよ』
「えーと? こだわりがよくわからない」
「俺も全然わからない。でもうちのガーデンは機動力ならどこにも負けないよ」 控えめな円にしては自信ありげに微笑む。「ピンチになったら俺達の存在を思い出して。いつでも呼んで。そしたら隼百の側に飛んでいく」
「いや遠慮するけどさ」
愕然とした表情になったのがガー君だ。
『何故断りますか? 私が不要ですか? ハヤトは私が嫌いですか』
「違うから……いや、へこむなよ。ごめん、違うから」 慌てて手を横に振る隼百。「これ以上迷惑かけたくないってだけ」
『では呼んでください』
「あ、うん」 勢いにとりあえず頷く。「……どうしてそこまでしてくれるんだ?」
「変な意味はないから大丈夫」 円がにこやかに言う。「隼百を助けるのはちゃんと打算があるからだよ」
「そんな爽やかな打算があるか」
「打算なんだよ。隼百には健やかでいてくれないと困る」
健やか。
健やかってなんだろう。思わず隼百は考える。
オレは今、健やか? 違う気がする。
──自分の中には隙間がある。
生まれた時から、もしかしたらその前からずっとある隙間。すっかり馴染んで苦も無いけれど、穴が空いた風船みたいなものだ。どうやったって膨らまないし、満たされない。そんなオレの健やかさとは? と、思考の深淵に嵌まり込みそうになった隼百だが、
『言質は取りましたからね』
ガー君の台詞に目を瞬く。
「え? 取られたか? 今ので何を?」
『取りました。何かあった時には障害物を排除して隼百の元に駆けつけます』
「え」
「良いよね?」
と円。
「う、うん」
揃って圧が強い。
まあいいか。大した約束をしたわけでもない。
「さてと」 気持ちを切り替えよう。隼百は軽く首を振ってパンと手を合わせる。「治療までしてくれてありがとな。貴重な体験させてもらった」
「隼百はどうして話を無理矢理まとめてるのかな?」
「もう帰るから」
『おや』 ガー君が静かな緑の瞳を向けてくる。その奥に見えるのは感情ではなく、深淵。『地上の京都に興味は御座いませんか?』
「無いけど」
『常に新しいものを取り込み続けて尚、古都でもある都市の有り様はきっと隼百にとっても面白く、意義がありますよ。興味が出て来たのではありませんか?』
「いや、もう充分」
再度断る。我ながら頑なだなと呆れるけども、隼百は京都に来たかったわけじゃない。だから京都と口走ってしまった自分が不思議だし。なんかこう、夜景だけで満足したし。
近付くのはこわい。
一旦は出した勇気みたいなものは、もうすっかり萎んでる。
「観光はしないけど、駅の近くにでも降ろしてくれるとありがたい」
『ハヤトは私がいるのに交通機関を使おうとするのですか? 私の機動力は示したつもりですが』
「家や職場まで送ってくれるっての? 結構遠いんだけど」
『あの水族館程度でしたら造作もありません』 場所まで知ってるのかよ。『勿論、ハヤトのアパートの位置も把握しておりますから送りましょう。どうぞ有能な私を褒め称えてください』
「え? うん」 隼百は緑の青年の頭を撫でる。緑の髪は自分よりも高い位置にあったけれど、思っていたよりさらさらふわふわしていて気持ちが良かった。体温は高めだ。「ありがとうな」
「……」
「……」
「……」
「な、なんだよ。皆でこっち見るなよ」
『ハヤトの褒め方は斬新ですね』
「駄目だった?」
『悪くはありません』
「そうか? なら良かった。正直、船で送ってくれるのは嬉しい。格好良いから」
『任せてください』
「本当、隼百はゆっくりしていく気が皆無だよね。残念だけど希望は聞くって言っちゃったしなあ。ところで隼百」 何故か円が不安そうに顔色を窺ってくる。「実際にアルファとオメガの番を見た感想はどうかな?」
「感想?」
不思議な質問だった。
「どう、かな。嫌悪感とかある?」
「? ないけど」
意図がわからないままに答える。なんで聞く? 疑問符を浮かべる隼百に円が言葉を続ける。
「隼百が育った世界はオメガもアルファもいないんだろ? 先入観を持っていない人は番を見てどう感じるのかなって」
「あー……色眼鏡の無い相手の反応が知りたいって意味なら参考にはならないぞ」
「どうして?」
「オレも別にフラットじゃあないんだよ。オレの生きてきた常識じゃ、そもそも男同士が無い」
元の世界でも同性カップルはいる。けれど、それを簡単に受け入れるような世の中ではなかった。
「こっちにも無いけど」
と円。
「え、うそ」
同性で子供も出来る世界で、なんでさ。
「男と男、女と女が番うのは正しくないし、許されないって考え方は昔からあるよ。オメガが忌避される理由のひとつだね」
「そこ変わらないのかよ……許されないって、傲慢な意見だなあ。神様気取りか」
「かみさまきどりって……意外だな。隼百が苛烈だ」
「普通に思った事を言っただけじゃん。それに、そこはオメガだけのせいじゃないだろ」
その理論で言えばアルファも同じく忌避される筈だ。
けれど円は隼百の台詞に不思議そうに目を瞬く。
「アルファは被害者だから」
「? どっちかと言えば加害者じゃないか?」
隼百に胡乱な目を向けられた垂れ目の色男は「ん?」と首を傾げた。どうやら口を挟まずにこちらを見守っているようだが、愉しそうなのが胡散臭い。あんな被害者はいない。
円の方は首を捻ってる。
「隼百の視点って斬新だな……」
「そうかなあ?」
「円さん」 とここでトルマリンが口を開く。「まだ虐げられていた頃の名残が抜けてませんね。そこは隼百君の感性が正しいですよ?」
はっとする円。
「またやった。自分を卑下するのってもう性分だよなあ」
「ゆっくりで構いません。いつも言っていますけれど育った環境で培われた意識を変えるのは大変ですからね」 円に向けて語るトルマリンはとても丁寧。「地上も最近は大分、状況は変わってきています。オメガが住み易くなるまではまだまだ時間を頂く事にはなりますが」
ぽかんと不思議そうに眺めてた隼百に、円が苦笑する。
「俺は地上の人たちとの接触が少なくて自分の世界の事にもちょっと不案内なんだ。隼百に意見を聞いたのは、久々のお客さんから話が聞きたかったってのもある」
「円はずっと船で暮らしてるのか?」
聞けば円は静かに笑う。
「外は俺達にとってはまだ危険が多くてね」
「……いろいろ大変なんだな」
間。
へにょりと眉を下げて落ち込む円。
「じゃなくて。気付かなくてごめん、それじゃあ隼百に仲嶋とトルマリンさんのやり取りなんて見せちゃいけなかったな」
ん?
「そっかオレ、嫌悪感を抱く方の立場なのか」
言われてその発想すら無かった自分に思い至る。
男同士は無い、と元の世界の常識を円に教えたのは隼百なのに。
──元の世界で同性同士のカップルが嫌悪感を持たれていた事は知っている。けれど隼百自身はその感情を理解出来ない。って事に今、気が付いた。身近ではなかったし、単に考えた事が無かったのだ。
「隼百って……」
「いやオレが呆れられるの!?」
頭が痛そうに見つめてくる円の視線が痛い。理解を示しただけなのに理不尽!
「ちょっとわかってきた。隼百の寛容さって、危機感の無さから来てるんじゃないかな。やっぱり心配になってきたよ。気持ち悪いと感じるのも、嫌うって行為も立派に防衛本能なんだよ? 隼百は自分を守る機能がバグってるよねえ」
「いやおっさんになるまで生きてこられたから。つか嫌われるって感情まで理解しようとする円は偉いなあ」
「……コレ、野放しにして大丈夫なのかなあ」
野放しって、言い方。円は年上に対しての礼儀を忘れてると思う。円だけじゃなく、この船ではあきらかに隼百が最年長なのに皆、隼百を同年代か年下のように扱う。まあ気にしないんだけど。
「大丈夫。オレはしがない一般人だから。何も悪いことしないから」
「隼百は一般人ではないけどね。どっちかと言えば生まれたての雛。……まだ生まれてない卵か?」
「いやどの観点から見たらそうなるんだ」
『着きましたよ』
「は?」
『ハヤトの自宅の上です』
「もう!?」
新幹線でも2時間弱の距離なのに!? いや、新幹線から降りてまたバスでまた1時間かかる。乗り換えの時間を考えると下手するとプラス1時間。田舎は交通機関の本数から少ないのだ。地味な不便、異世界でも変わらない。
それが雑談中に着くとか。
眼下の地上を見てみれば、確かにそこはもう京都ではなかった。
闇は闇。だけれど、さっきと比べて明らかに光源が少ない。
こうして夜景を見比べてみれば京都は古都でも都会なんだな、と実感する。
田舎は海と山が近い分、暗闇の率が多い。
自宅を空から見たのは初めてで、どこが目的地かさっぱり見当が付かなかった。
『さあハヤト、存分に褒めてください』
目の前に頭を差し出してきたガー君を撫でていると他の面子が一瞬無言になる。
「……馴染んでるなあ」
「驚異的な速さで馴染みましたね」
「これで到着して終わりなんて勿体ないよ。ガーデン君の移動は情緒が無いのが欠点だよな」
円の嘆きに仲嶋が肩を竦める。
「良いじゃん、情緒はどうでも。俺はもう歩くのすら面倒」
オメガふたりの感想がズレてる……隼百は心の中で突っ込む。都会から秒で田舎の家に着いちゃうのは情緒とかそういう問題じゃないからな。
ちなみに口に出さなかったのは「隼百だってズレてる」と言い返されそうだからだ。自覚ぐらいはある。
『速く着くのがご不満ですか? 便利も過ぎると運動不足になると言いますからね。ですが大丈夫です。必要があれば私が船の中でいくらでも運動させてあげましょう。私が管理している以上、船員の運動不足はあり得ません』
「ハッ……お前はそういう奴だよ」
吐き捨てる仲嶋。対照的に円はぽやっと首を傾げてる。
「あれ? 廊下が異様に長い時があるけど、もしかして俺、ガーデン君に運動させられてたのか?」
『目的地までの距離が伸びたところで一向に気が付かない円の実直さはとても好ましいです』
「俺、馬鹿にされてる?」
『長所です』
これで最後だからと思うとしみじみと眺めてしまう。
ひとことでオメガと言ってもそれぞれに性格があるんだよな。円は一見おとなしい。仲嶋さんはどこまでもやる気なさげで斜に構えてる……なんて思った、次のやり取りで背筋を伸ばす。
『ただ、ミツアキはそろそろ休んだ方が良いでしょう』
「それは、俺も同じ意見」 返事をしたのは仲嶋本人ではなく、トルマリンだ。「満暁は無理してるよね」
「うるせえな。見送りぐらいはするってひゃっ」
「全く。さっきから機嫌悪いのは辛いからだろ」
「いま思い出した」 隼百は仲嶋を見上げる。「仲嶋さん、妊婦さんだった」
見上げたのはいわゆるお姫様抱っこをされているからだ。隼百と目が合った仲嶋はふて腐れた顔。
「その呼び方はすんな」
「呼び方が嫌なんだ? どういう風に変えれば良い?」
まっすぐに問われて仲嶋が怯む。
「に……子持ちししゃも?」 なんでそうなった。「……的な?」
誤魔化した。
「仲嶋さん……思いつかなかったならそう言ってくれて良いんだよ?」
「うぐ」 に。ってのは妊夫とでも言いかけたか、それが嫌だったから別の言葉を探したのか……仲嶋さんのセンスとは。「あー自分で言っといてなんだが、ひどいな」
自覚はあるのか、落ち込んだ様子の仲嶋はトルマリンの肩を膝で突く。承知したように縦に抱え直すトルマリン。仲嶋は逆らわずにしがみついて、そのまま番の首筋に顔を埋めてしまった。
この間、無言。流れるような作業。
「……。仲嶋さん、平気?」
「あー」
肯定か? 否定か? なんか深呼吸してる。
にしても。
「楽にさせたいだけなら他にやりようがあるんじゃないか?」
隼百はトルマリンを軽く睨む。口を挟んでしまったのは、普段の仲嶋が変装をしてでも地上で社会人をするような人だからだ。人並みに羞恥心はあるだろう。なのに抱っこって。
仲嶋がよく怒っているのは悪阻の影響かもしれないが、構い過ぎもあるだろう。
可哀想じゃん。
「そうだねえ」
トルマリンはただ、苦笑する。
「でもオメガにはこれが最善なんだよね」 意外な方向から援護発言が来た。円だ。「番の匂いは落ち着くから」
「……へえ?」
「落ち着くって言うか、酔うってのに近いかな。副作用が無いのに沈静効果があるから優秀なんだよ。しかも嗅いでると幸せになる」
怪しい発言である。隼百の常識では変態だ。でも、
「……わかる気がする」
思わずつぶやく。
「ほんと?」
喜色満面で問い返すから我に返って隼百はぶんぶんと首を振る。
「いや、わかんない」
変態でも可愛いオメガだから許される。自分はダメだろ。
「……やっぱり隼百も気持ち悪いかな?」
そう聞かれてやっと、隼百は円の質問の意図に気が付く。そういうことか。
オメガもアルファも、隼百にとって未知のものだ。だから隼百としてはただ受け入れるだけ。良いも悪いもない。
けど円は違う。
嫌悪感はあるかな? 気持ち悪いかな? ──一見、軽い問いかけの中にあるのは、拒絶されるかもしれないという諦めと不安。
だったら答えは決まってる。
「いや。円は結構常識的だし、普通だろ」
「ふ……つう?」
「ああ。オメガとかアルファとかベータとか、いろいろ聞かされてたけどさ、話してみると皆案外普通に人間だなって」
体質や性能が普通かどうかは置いておいて、根本の考え方は理解できる。
『ではハヤト、私はどうです?』
「ガー君の考え方はさっぱりわからんから人間ではないな」
『正しいですね。理解できるものイコール普通、というハヤトの捉え方は雑ですが』
「ふふっ」
「なんで!?」
円が吹き出した。笑われた意味がわからない。
「ありがと。普通って言われて気が楽になった」
「そう、か?」
「オメガはあまり普通って言われないよ。でも、俺はオメガの自分が嫌いってわけじゃないんだ」 と隼百に視線を固定したまま円は独りごちる。「……想いって魂に刻まれるのかな。確かに気持ちは体調に影響するけど……それって怖い事だけど、同時に救いでもある」
えーと?
「どしたんだ? 抽象的すぎてわかんないんだけど」
聞き返しても円からの説明は無くて、
「仲嶋だって隼百の行動に安心したんじゃないかな。いつになく素直に甘えてるから」
円につられてそちらを見ると、くつくつ笑っているトルマリンが目に入る。
「ねえ満暁、言い方を変えても事実は変わらないよ」
「……言うな」
「何を? 満暁は俺に孕まされて可愛い赤ちゃんを身籠もっているっていう事? あ、ほら無言で蹴りを入れない。落ちたらどうするの」
「降ろせば良いだろばか」
拒絶の台詞とは裏腹に仲嶋の腕はトルマリンの背中にまわされているし、しがみついてるし、ぐりぐりと頭を肩に押しつけている。
「ぐずぐずだな。言葉と態度が合ってない。疲れてるねえ」 笑いながら、あやすように抱いた背中を叩く。「見送りはさせてあげるから。終わったらベッドまで運ぶから、寝な」
「……まあ、オレの言葉なんかでほっと出来たなら、良いんだけど」
「言葉? ああ、そうだね、うん」
今は常識的な円も、番の前では仲嶋と似たような状態になるんだろか。そこまで考えて隼百は根本的な問題に気が付く。
円にも番が居るんだよな?
彼らのホームにいるのに隼百は円のアルファを見ていないし、話題にも出てこない。単に不在なのか、隼百と会う気が無いのか……紹介されないのだから、聞くのは野暮か。
最後まで騒がしい面子と別れ、地上に降り立った隼百がまず驚いたのは季節が変わっていた事だった。
────────────
船は世間から切り離された空間です。船の常識を参考にすると世間の非常識になります。大変です。
感想拍手ブクマなどの反応、ありがとうございます。モチベーションを頂いております。
そんで仲嶋君の名前が「絶滅危惧種オメガ」の方と違っているとご指摘頂きました。ええ……はい、出してました。忘れてました。
両方正しいです。そのうち補充エピソードにして絶滅危惧種オメガの番外編で付け足しますね。
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