異世界オメガ

さこ

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 アパートの前──地上に降り立った時から違和感はあったのだ。
 やけに肌寒い。

 甲板に出た時には寒さも暑さも感じなかったのにどうして地上で寒いんだ? いや、あんなに上空の屋外で適温だった方がおかしいのか。
 でもガー君だからなあ。
 隼百の認識は『ガー君はおかしい』だ。
 性格ではなく性能が。
 彼は船だ。飛空艇。なのに人格があるところからもう隼百の理解の範疇を超えている。超えているので、船での事象はどんな不思議でも全てそういうものかと雑に納得している。

 でも地上で寒い意味はわからん。暦の上では秋とは言うが、まだまだ暑い。今は暑くないけど。
 夜だからかな?
 その時の隼百は深く考えなかった。というより、気付いてしまったのだ。

 寒い。なら──貰ったスーツを着ても良いのでは?

 だって夏のはじめに異世界に来た隼百は厚手の服を持ってないのだ。このいかにも高級な仕立てが自分に似合わないのはわかってる。外になど着て出ていくなどもっての外。だからこれは部屋着にするしかないんじゃないかな。
 そうしよう。うん、他に選択肢は無い。仕方ないのだ。

 嬉しくなってあっさり疑問を忘れた。
 いそいそと抱えていたスーツを羽織ってみる。でかい。
 ふ、と漏れた満足の吐息が薄闇の中、白くけぶる。

 あったかい。
 包まれてる。

 ……言い訳をするならば、様々な事が起こりすぎてひとつの事だけを考えていられなかったのだ。疑問ならそれこそ、地上に降りる前からたくさんあった。ほんの数刻前の隼百はちょっとワクワクしていたし。

      †

 送り迎えはありがたいが、どういう手段で下に降りるんだろう?
 隼百のアパートの周辺に船が停泊できるようなスペースは無い。停泊ではなく着陸って言うべきだろうか? 飛空艇が降りる場所。……駐車場ならあるけど良いのか? でも船には車輪も無いし……本当に無いか? 無いよな? 何もかもわからない。だって隼百は自分を乗せている船の大きさも知らない。外観すら把握していない。甲板に出た時に多少なりとも観察できた筈だけど……覚えてない。あの時はいっぱいいっぱいだったから。
 ふっと疑問が浮かぶ。
 オレ、何であんなに余裕無かったんだろう?
 京都の夜景を思い出すと胸の奥がざわざわする。何で?

 ──多分、視線が合った。

 ぶわりと首のうしろに寒気に似た熱を感じる。
 ──目が合った? 誰と?

 いや無いだろ常識的に。あんなくらやみの、あの距離で。空とビルを隔てて視線が絡むなんて有り得ない。
 ──強い視線。──誰の?

 いや有り得ないんだってば。──さみしそう。悲しそう。
 ──あれは、誰?

 駄目だ。隼百はすぱんと思考を断ち切る。やめよう。保留で。置いとこう。
 それよりも着陸だ。大人気なく浮かれてしまう。乗り物ではしゃぐガキでもないが、動くでかい無機物、格好良い。

 けれどガー君から出口だと示されたのは先程も通った玄関だった。
 扉を開けたら地面だった。
 ……?
 さっき玄関を開けた時には甲板に出たのに。いや玄関を出たら甲板って方がおかしいんだけど。
 ああ、じゃあこれはおかしくはないのか。玄関から出て外ならば普通だ。
 いや違うよおかしくなくない!
 困惑したまま振り返ればそこは最近ようやく見慣れてきた景色だった。隼百の住むアパートの前。たった今出て来た出口は消えてなくなってる。そう。
 船が消えた。

      †

 そういうわけでスーツを羽織った藤崎隼百は考える。袖に腕を通すのは止めておこう。がんばって手を伸ばしても指がちょっと出るだけだったら虚しい。男として虚しい。
 じゃなくて、船消えた。
 仕組みはわからんけど見知らぬ技術だか魔法だかでこうなったのだろう。凄いな。……凄い。けど、

「……情緒が無いってまどかが嘆いてた言葉の意味がわかった気がする」

 ぼそりと呟けば、
『おや』 すぐ傍で応答があった。『ハヤトは派手な着陸の方をお望みでしたか。近所迷惑というものを考えて隠蔽を優先したのですが、失敗でしたね。よろしい。ハヤトのためにやり直しましょう』
 待て待て。
「遠慮します」 つい敬語になった。「それよりガー君、まだ居たんだ? ほんたいから離れても平気なのか」
 頭を掻いて目の前の青年、ガー君を見遣る。

 どうしてかこの世界では田舎に行くほど異世界らしさが薄くなる。隼百の前に立つ青年の背後には隼百にも馴染み深い田舎の景色が広がっている。路地のコンクリートは闇に沈んでいて黒い。崩れかけた廃屋の前にあるのは地域のゴミ捨て場。その先にあるのは新築の一戸建て。娘夫婦と同居だそうだ。虫の音は脇の田んぼから聞こえてくるのだろう。どこかの家の庭から漂ってくる金木犀の香り。なるべく間隔を開けて設置されている街頭から届く乏しいあかりの下にが人の姿で立っている。そうやって客観的に見ると不思議だ。
 人の姿でも緑の髪、緑の瞳というパーツで田舎の風景からは浮いているのだけれど、嵌まってもいるのだ。

 ガー君は首を横に振る。
『離れてはいませんよ。本体もここにいます。今は隠蔽をかけてあるのです。万能な私は偽装も得意ですから! 誤解のないように付け加えさせて頂きますが勿論この身体で本体から離れるなど造作もありません』
 しかし隼百はその謎かけのような返答を聞いてない。
 ガー君の背後に立った人影に釘付けだ。
「仲嶋さんが糸目になってる!?」

 いつの間にか中肉中背、眼鏡。いかにも平凡なベータが立っている。

「私は元からこうですが?」 糸目が弧を描いて笑みの形をつくる。「藤崎様とお揃いですね」
「え? おそろってはないよな?」
「スーツを着用していらっしゃいます」
「あ-それか……はは」 指摘されて恥ずかしくなる。油断した。外で着るのは止めておこうと決心した側から羽織った自分がいけないんだけどまさか見送りに出てきてくれると思ってなかった。「えっと、糸目だと口調まで変えるんだな。ひさびさに仲嶋さんの変装姿を見たよ」
 話をそらした隼百に仲嶋は肩を竦める。
「背広を着てこの格好した時の俺は営業だ。雑な言葉遣いじゃ不自然だろ」
「今もう崩れてるけどな!? ……そもそも初めて会った時の仲嶋さんは勤務中だったけど途中から敬語、崩れてた気がする」
「あー。ま、気分?」
「……仲嶋さんらしい」
「ハハー」 と意地悪そうに口の端を上げる。「ムカつく?」
「嬉しいよ」
「あ?」
「うん、仲嶋さんって親しくなる程にぞんざいになるじゃん。心許されてるって感じがする。いまさら他人行儀にされたら嫌だよ」
「……あ、そ」
 糸目なので非常に解り辛いが隼百にはわかる。仲嶋は照れている。新たな発見だ。オメガって糸目でも可愛いのか。

 にしても何で変装してるんだ? それも気分だろうか? 隼百の疑問を察したのだろう、仲嶋は溜息。

「言いたい事はわかってる。田舎の深夜なんざ全員寝てる」
「仲嶋さん、それは偏見」
「誰も見てないんだよ。なのにこんな変装して自意識過剰だと思ってるだろ。いい大人が恥ずかしいよな」
「いや別に」
「思うよな?」
「あ、うん」
 圧が強い。
「な? 正直、俺だってたかが見送りに武装する必要はないと思っ──」
「駄目だよー?」
「ぷあっ!?」
 変な悲鳴を出したのは隼百。

 だって仲嶋の背後からトルマリンがぬっと現れたのだ。
 その背中はでかいアルファが隠れられるようなサイズではないんだが?
「地上は危険だ。どこに人目があるか分かったものじゃない。オメガは狙われやすいのを忘れちゃいけないでしょ」
「人目がドコにあんだよこの節穴」 
「アルファってみんな心配性だよね」
 もうひとり、仲嶋の背後から出て来た。円だ。

 ……うん。隼百は謎の追求を早々にあきらめた。そして気がつく。

「円は変装しないんだな」
 出会ったオメガが少ないので標準がわからない。
「しないよ。オメガが全員地上で変装すると誤解した? ないから。こんな過剰防衛アイテムを平気な顔でつけられるのは仲嶋ぐらい。ってごめん、隼百も借りてた事があるね」
「あの変装グッズが? ……過剰防衛?」
 変装グッズと紹介されたから隼百もついそう呼んでしまうけど、冠する名前は絶対間違えてる。件の腕時計には変装よりもっとおかしい機能が付属しているのだ。確かに過剰防衛だろうよ。時間が戻せるとか、防衛手段としてはありえない。というか円の口ぶりでは隼百の知らない機能もありそうだ。そういえば元館長に奪われたんだよな。……あれ?
 ……奪われたんだよ。
 つい失念してたが、事実を思い出してゾッと青くなる。
 いいのか? それ。

 良くはないだろう、どう考えても貴重品だ。ゲームだったら終盤に手に入るレベルの強装備。なのにトルマリンや仲嶋からは一切咎める空気を感じない。一言も責められてないし、返せとも言われていない。むしろ気軽に話題に出してくるから深刻さが薄れてた。
 それは多分、この人達が出来ない相手に要求しないからだ。
 例えるなら犬に貸した金を返せと迫っても無駄。それと同じ事。

 ……探そう。

 心の中だけで密かに決意する。まずは元館長の行方からか。彼、どうなったんだっけ? ループに囚われて、逃げて、その後は?

「隼百? 寒い?」
「え?」
「震えてる」
「あー……そうか? 体調が悪かった頃に比べたら全然、天国みたいに楽だよ。寒さごときで堪えるって変だな」
「それは正常。身体が健康になった証拠なんだよ。ただ体調を急に整えた反動が来てるからちょっと普段よりも過敏になってるかも。そうだな。大体二、三ヶ月もしたら慣れる……」
 円が不意に言葉を止める。果たして隼百が慣れる日が来るのか? って考えたんだと思う。隼百も考えた。……うーん。そこまで寿命があるかなあ。
「そんなもんか」 だから流してもういっこ気になった事を聞く。「妙な変装をさせない円のつがいさんは常識的なんだな。ってトルマリンが過保護すぎるだけか」
「常識的か。ふふ」
 素直に話題に乗ってくれた円だが、番については否定も肯定もしない。
「……」
 そして仲嶋は視線をそらして沈黙を守ってる。どうした?
 戸惑ってトルマリンに目を向けると相手はふ、と微笑む。
「アルファとしてはいつだって自分の番を閉じ込めて隠したいんだよ。でもつがいには敵わない」 仲嶋の背をさりげなく支えつつ、「番がこうと決めて主張したらこっちは逆らえないんだよねえ」
 どこか諦観した様子。
「ふうん?」

 円はあまり地上に降りないが、降りる時は変装なんてしない。仲嶋は変装をしてでも普通の社会人をやっている。
 どちらのオメガも自分の意志を通してる。
 でも、相手のアルファの意向を無視してるわけじゃないってコトか。

 変なの。

 改めて不思議になる。ツガイってなんなんだろ。隼百の世界には存在しない観念。夫婦と同じか? 違うか? わからない。けど見てればわかる。彼等はお互いを尊重し、大切にし、想い合っている。
 ──知らなかった。

 身体は治ったのに心臓が痛い。胸の辺りがぎゅっとして辛い。変なの。
 羨ましいわけじゃない。
 羨ましいと思うにはそれを少しでも自分に当てはめてみる気持ちがないと駄目なのだ。自分にはおこがましい。
 ちゃんと知ってる。自分に価値が無いのを。求めたって捨てられる。
 ──捨てられる以前に拾われない。

 いや待て。ストップ。
 びっくりした。後ろ向き全開さにびっくりした。何だろ今の。暴走? 思考って暴走するのか? ちょっと落ち着こう。
 深呼吸して目を彷徨わせたら、ちいさいのと目が合った。
「あ」

 トルマリンの後ろにまだふたり、隠れてた。隼百と目が合ったちいさいののちいさい方があわあわと焦って口を開く。

「あのぼくたち、おにいちゃんなのできょうだいをだいしょうして」
「めの、だいしょうじゃなくて代表」
 背の高い方に指摘され、ちいさい方がかなしげに眉を下げる。
「いえなかっただけ」
「……」

 子ども達とは一度目の寝起きの時に対面したきり。記憶は曖昧だ。
 確か、ちいさいほうが兄でオメガ、背の高いのが弟でアルファだったか?
 脳内で答え合わせをしながら見守る。
 弟にぎゅっと手を握られて兄はスー、ハーと深呼吸をして隼百を見上げる。

「だいひょうして見おくり」
 言えた。

「うん、ありがとな」
「う、うん!」
 ……可愛いなこの生き物。挨拶だけなのに滅茶苦茶やりきった顔してるのが可愛い。隣でホッとしてる弟も可愛い。
「あ、コオロギ!」
 と。急に走り出そうとしたこどもにびっくりした。親に首根っこを押さえられ、弟に服の袖を掴まれておにいちゃんは止まった。

「……すまん」 息子の頭を抱えて溜息を吐く糸目の仲嶋。「こいつら玄関を見張ってたらしいな。勝手について出てきたんだよ。どうやってガーデンを出し抜いたんだか」
 謝る親の背を労うようにちいさな手が撫でる。弟君だ。
「出し抜けるわけないだろ。説得して協力してもらっただけ」
「エン、小賢しい真似をするなと」
「めのが挨拶したいって言ったから仕方ないんだよ」
「……仕方なくはないぞ?」
 眉間に皺を寄せてつぶやく親の袖をぎゅっと掴んだのは兄。
「飛び出してごめんなさい。あいさつ、駄目だった?」
 つぶらな瞳に見上げられた仲嶋さんの表情は見えなかった。けど肩で溜息をついた後、ガシガシと雑にふたりの頭を撫でる。子供達の頭がぐらぐら揺れてるが、兄弟はまんざらでもなさそう。
「キセ達にはひみつな。うるせえから」
「うん!」

 へえ。
 隼百はすっかり感心してしまった。見た目はまるで似てないのに親子に見える。
 可愛いオメガのおかあさんでも、糸目地味眼鏡のサラリーマン姿でも、きょうだいにとっては同じらしい。



 空に向かって大きく手を振る。

 あの子たちに向けたパフォーマンスだ。相手が大人だけなら隼百だってこんな真似はしない。
 ……でもこれ子供達、ちゃんと見てくれてるんだろか?
 じゃないと夜中にひとりで手を振り回してるだけのおっさんになるんだが。
 不審者だよ。
 不意に喉の奥から笑いが漏れてきた。どういうわけかツボに嵌って余計におかしくなってきて、笑いはそのうち発作になる。くつくつ笑って、ぜいはあと肩で息をして、ようやく実感する。

 疲れるほど笑える。
 苦しくないし、どこも痛くない。

 それだけの体力があるのだ。

 首を支えてもういちど空を見上げる。
 見送る隼百のために姿を見せてくれたのだろう。

 船がいる。

 雲のない、ひろく晴れ渡った夜空。
 あかるくまるい月を背景に船が浮いている光景はなかなかに異世界だ。
 シルエットはどことなくクジラっぽい。親指くらいの大きさの船。結局最後まで船の大きさを把握できなかった隼百には、アレが近いか遠いのかはわからなかった。



────────────

地上に戻ってきました。……前回から話が進んでない不思議。
てか少し長くなって半分に切ったので続きはそのうち!
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