異世界オメガ

さこ

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45 飴ちゃん

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 ロッカーを開けた拍子にバラバラと肩に降ってきたモノに考え事をしていた隼百はやとはびくっと身を震わせる。

 なにごと?
 見れば、転がり落ちてきたのはたくさんの袋。

「飴?」

 袋飴だ。やたらに多い。種類が多い。
 ミルク、コーヒーに紅茶。黒飴。果物系だけでもぶどうみかん桃マンゴーりんごパインに蜂蜜レモン。他は塩飴、ハーブ、コーラ味? ハッカ、喉飴にドロップ缶。棒キャンデー……ってこの世界にもチュッパチャップスあるんだな違うチャプスチャプス? バッタ物なのかそうじゃないのか隼百には判断がつかない。あ、飴以外もある。ガムにグミ、ウィスキーボンボンに……梅干し、スルメ?

「なんだァお前、菓子なんざ溜め込んで」 志知が呆れてロッカーを覗き込んでくる。「こんなに食べられるんか?」
「さあ?」
「あん?」
「オレのじゃないですよ。知らない間に入ってたんです。ひとりで消費出来る量じゃないですよねコレ」
「はあ? こええなそら」
 嫌そうに顔を歪めた志知に隼百は首を傾げる。
「怖い?」
「まぁたお前は……普通に怖いだろが。誰かが知らん間に勝手に自分のロッカー開けてんだぞ? そんで食い物入れられるとか」
「ロッカー間違えただけじゃないかな? おかしいのは開ける前にわかってたけど」
「はあ?」
「だってロッカーって同じ形が並んでるじゃないですか。オレの箱だけ外側にたわんでたの見えました」
「こんバカタレが!」

 志知の怒鳴りにぽかんとする隼百。
「急にどうしたんです?」
「どしたもこしたもねえ。気付いてたんならちったあ警戒して開けろや危ねえな!」

「飴が、危ない」

「バカにすんな! はァ飴だから良かったものの危険物でも入ってたらどうすんだ。あと、んなもの食うんじゃねえぞ!? 怪しいだろが」
「あー言われてみれば」
 隼百の反応に志知が溜息をつく。
「お前ホント、ボンヤリな……観察力はあるくせして危機感皆無なのどうにかせえや。いっつもいっつも」
「ヒドイな。いつもって言う程やらかしてませんよ」
「嘘つけえ、何度もあんだろ。こないだだって」
 続けようとした志知だが、ふ、と真顔になる。
「志知さん?」
「ど忘れした」
「ん?」
「…………おかしいな思い出せねえ、屋上以外にもあったろ、色々と…………色々? ……待て。ちいっと待て…………」

 志知が悩んでる間、隼百は淡々とロッカーの前に落ちた飴を拾う。それから腕時計を確認する。3分後にうなり声が耳に届いた。
「…………思い出せねえ」
「まあいいじゃないですか」
「よかねえよ気持ち悪い。まだボケる歳じゃねんだ」
「ボケてなくても忘れるのはよくある事ですって」
「若いもんが何を言ってやがる」
「若くはないですけど」
 隼百としては苦笑するしかない。

 志知は忘れた・・・のではなく、上書き・・・されたのかも。

 ……消された過去を覚えているコトってあるのかな?
 手首を鼻の前に持ってきて匂いを嗅ぐ。普通の腕時計だ。
 普通、ではないか。
 ブランド名はオメガ、通称が変装グッズである。けど真に要の機能はそこでもない。

 コレは一度は奪われ、再びこの手に戻ってきた隼百の命綱。

 脳裏に浮かぶのはこれを再び腕に嵌められた時の情景。触れられた手の温度。熱いと感じた。
 思い返すとまた手首が熱を持つ。
 ──どうして返してくれたのがなんだろう?
 隼百の為に取り戻してくれた?
 まさか。



 この腕時計は『隼百の死』というトリガーで発動し、五分前に巻き戻り、時を塗り替える。

 製作者は隼百と同じく異世界人。同じ・・と言っても天と地の差があるけれど。

 ハズレなんて呼ばれるみそっかすの隼百と違い、あちらは空飛ぶ船に住んでいる。どこのお伽噺だ。高度に発達した文明は魔法と見分けがつかないとかなんとかの実例。けど魔法だって使えるのだから彼らは来己がよく言うチートなのかもしれない。
 ちなみに隼百の認識では優秀なものにチートって単語はあまりしっくり来ない。不正の意味なので。

 本音は今すぐ持ち主に返却したい。高価な借り物、落ち着かない。高価とは言われてないけど、どう考えても……なあ。これがゲームなら終盤で手に入るアイテムだろうし、いわゆるアーティファクト? リアルなら国宝級? 真顔になる。ダメだこれ、深く考えたら負けなヤツ。

 トルマリンの変態が。ごめん悪気は無い。

 唐突に罵倒して即座に謝る心の中。つがいの安全の為だけにこんなものを生み出すのだからアルファって生き物はぶっ飛んでいる。
 オレが持っていていいものじゃない。

 でも持たされた。

 隼百は少なくとも7回以上は死んでいる、らしい。
 いま生きているのは死ぬ度に時を戻ってやり直しを繰り返しているからだ。自覚はない。
 死という事実自体が消えてしまうのだから自覚しようがない。
 でも嘘だとも思わない。なんていうか、心の芯の部分が事実だと知っている。

 だから志知にもリセットされた記憶がどこかに残っているのかもと思うのだ。

「しっかしなんで飴なんだぁ?」
 志知の台詞に我に返る。
「飴って言えば配るものじゃないですか?」
「大阪のおばちゃんかてこんなぎょうさん配らねえでや。嫌がらせじゃねえか?」
「飴で? どうやって」
「んや、わかんねけども」
「オレ別にダメージ受けてないですよ」

 会話の途中で隼百はふと背後を振り返る。
 バックヤードは狭い。ここは更衣室、とは名ばかりの物置だ。今は特に先日の崩落の余波で置き場所に困った書類入りの段ボールや空の水槽がロッカーの上にまでうず高く積まれ、雑多な印象半端ない。

 その戸口には金針が影のように控えている。

 そう。まだいるのだこの人。

 飴の犯人が彼だと疑ったわけではないけれど……いや、こんなところまでついてきてるのは不思議だけど、今は置いといて。
 ……置いとけないな?

 何でまだ居るんだろうかこの秘書さん。

 実はさっきから「お構いなく」とか言って帰る気配が全く無い。構うよ。なんで居座るんだ? 着替えにまでついてくるのは暇だからか? 暇? どう考えても暇じゃないよな? いくら疑問符を浮かべても答えをくれる人は誰もいない。

 ……この人なあ。
 気を抜くとそこに居るって事を忘れてしまう。
 志知が金針に関して言及してこないのがとても不思議だ。怖くて黙認しているのか、 追求を諦めているのか、はたまた──存在を忘れているのか。

 あり得ないけど、志知さん、一度も秘書さん見ないんだよな。正面からまともに見れば存在感がある人なのに。エリート秘書ってのは気配を消せるのか。
 そして金針は居るのに外に休憩に行った他の職員がまだ帰ってこない。これは『アルファさん』来訪の影響か? もう随分時間経つのに? いやだから置いといて。

 その金針が難しい顔をしてる。無表情に見えて眉が中心に寄っているのだ。

 どうした。
 隼百の視線に気付いた金針が会釈をしてくる。
「そちらはお約束の品です」
 喋った。
「やくそく?」
 ぽかんと復唱した隼百の隣では驚いた志知が無言で飛び上がっている。金針が神妙に頷いたが、隼百は仰け反った拍子に溢れた飴を慌てて抱えるプチカオス。
 でも良かった。犯人わかった。

「この飴、金針さんのだったんだ。返すよ」
 抱えた飴を渡そうとするが、金針は首を横に振って受け取りを拒否した。
「全て藤崎様のために選ばれた物です。煙草を止めた口寂しさを少しでも解消して頂ければ、と」
「……?」
「……用意したのは私ではありませんので中身に関する苦言はお受けいたしかねますが」
「いやオレ、煙草をやめる宣言なんてしてないけど?」
 そんな決意をした覚えもない。
「ですがうちの代表に喫煙を禁止されていましたよね」
「うん?」
「……。あの方とした代用品を渡すという約束は覚えていらっしゃいますか? ……そう不思議そうに見つめ返さないで頂きたいのですが」 金針は数秒、黙り込む。ふむと頷く。「そうですね、ええ。納得しかねるという藤崎様のお気持ちは深く理解出来ます。先ほどもお伝えしましたが、代表は今後こちらの館長も兼任する形となります。上司の命令とでも考えて頂ければまだ楽に納得出来るのではないでしょうか」

 らく。

「ごめん言葉が頭に入ってこなくて、ちょっと待ってくれ。ええと?」

 ……秘書さんの指す代表ってのはひとりしかいない。
 爲永晶虎ためながまさと

 晶虎さんと飴?
 飴?

 あのひと、飴買ったのか?


 混乱する隼百を見つめる金針はどこか諦観した表情だ。秘書さんお疲れか?

 しかしそれよりこの飴、ずっと胸に抱えたままで邪魔なんだけどどうすれば?
 困る。これじゃロッカーに仕舞っておいた物が取り出せない。今欲しいのに。

「貴方があの方に従う必要はありませんがね」
「へ?」

 ロッカーの中身について考えてたからまた金針の言葉を聞き逃した。
 アノカタニシタガウヒツヨウハナイ?

 言葉を吟味して、考えて、隼百は首を傾げる。
「えっと。それは晶虎さんはオレの上司にはならないって意味かな?」

 上司の命令には従うものだ。従わなくても良いなら、イコール上司ではない。
 だよな。

 まあ、そんな気はしてた。
 だって忙しい人だし。皆が有り得ないとか言ってたし。
 ウチの水族館なんて館長が不在でも仕事は回るしアレだ、名前は貸すけど実質業務には関わらないとか普通にあり得る。別に良いんだけど。
 ……なんだろ? 床が見える。

 ああ、俯いているからだ。失礼のないよう顔を上げないと。
 と思うのに視線が勝手に下がってしまう。
 そして聞かなくても良い事まで聞いてしまう。
「晶虎さんはもうここには来ない?」

 ……。妙なこと聞いたな。無理にでも顔を上げてみれば金針の目が見開かれてる。

 いやどうした?

 大丈夫か声をかけようと迷ったところで彼は再起動した。

「大丈夫です上司です貴方の上司ですええ私としてはそのような肩書は不要寧ろ邪魔だと考えておりますがそこは複雑で面倒な方なので観念して付き合って頂けると有り難くああ話が逸れましたが二度と来ないなどという心配は杞憂である意味大丈夫とは言い難いのですが大丈夫です」
「いやそっちが大丈夫か?」
「失礼しました」 咳払いする金針。「少々動揺を。名前呼び……傍で耳にすると中々の衝撃ですね」
「衝撃? いやだって金針さんもそう呼べって言ってただろ。駄目なら止」
「どうぞそのままで」 ことばを遮る勢いにぽかんとしている隼百に金針が続ける。「代表を普通の人のように扱う方は貴重ですから」
「普通の人……」
「ご不満ですか?」

 金針のことばに呆れて隼百は目を眇める。
 ──のように、って。

「普通じゃないって言うなら金針さんだって意外性あるよ。もっと落ち着いた人だと思ってた」
「……私と代表を比べますか? アルファとベータを、同じ普通だと? 貴方が」

「オレの主観は関係ないよ。そもそも人外でもないんだ。スペックは高いだろうけど、晶虎さんだって普通に喜ぶだろ? 普通に落ち込むだろ? そういう、普通の人だってこと」

「……普通」
 呟いた金針は唐突にブハッと息を漏らした。
「なんで!?」

 笑われた。

「失礼」 苦しそうに謝るが、「貴方が本気で言っているのが分かったのでツボに入りました」
 くつくつと肩を揺らしている。
「ええ? オレは金針さんの笑いの沸点がわからない……」
「あの方を普通と表現する命知らずは貴方の他に居ませんよ」
 まだ笑ってるし。解せない。ちょっと喧嘩売ったつもりが何故たのしそうなのか。
「……そんなに変かな? そりゃオレは常識知らないけど」
「変ですが、悪くはありません」
「へ?」
「順調に親密度を育てていらっしゃる様子に安心致しました」
「え?」
 意味がわからず困った顔になる隼百に構わず秘書は続ける。
「ですが申し訳ありません、藤崎様には謝らないといけませんね」
「ん? 何を?」
「迂闊に大丈夫などと言ってしまいましたが新館長・・・は多忙な方でして……特に今はプライベートな時間も取り辛い。ですから再来の時期はお約束出来ません。こちらも出来る限りの調整をしますが……」

「それ、身体大丈夫なのか?」
「そこで代表の心配をされますか」
「尊敬は出来ないけど? 言っとくけど働きすぎって全然偉くないからな。身体壊してからじゃ遅いんだ。いくらアルファってので頑丈でも、壊れたものは元に戻らない」
「……忠告、肝に銘じ、代表にも伝えておきます」 何故か微笑む。「いつか再会は叶いますのでそう悲しい顔は止めて下さい。罪悪感が刺激されます」
「? 悲しい顔なんてしてないけど」
「無自覚ですか」
「何に?」

「お気になさらず」 すん、と真顔に戻る金針。「代表に従う必要が無いと言ったのは、我々が異世界の方々に命令出来ないからです。協会の規定ですので」
「へ?」
 何事もなかったかのように話を戻してきた。
「もちろん界渡りの皆様は優秀なので要望を持ちかける事はあります。ですがそれは懇願、取引といった種類のもので命令には成り得ません。全く違うルールで生きてきた方々にこちらの都合を押し付けて良い道理はありませんから……どうかしましたか?」
「……どうかって?」
「顰め面ですよ」
「……いや。その方針は立派だけど無謀じゃないか? 外の人間ばかりを優遇すれば内に不満が溜まるよ。異世界人なんて身も蓋も無い言い方すりゃ、外来種だろ」
「外来種」 金針はおかしそうに片方の眉を上げる。「当人が言いますか」
「事実だよ」
「……藤崎様は御自分にはシビアな視点をお持ちで」
 金針は呆れたような溜息をひとつ。「身も蓋も無い、でしたか? それを界渡りの方々の立場で言うならば召喚は誘拐でしょうに。我々が貴方の身柄に責任を持つのは当然です」
「けど異世界人だって色々いるだろ? もしタチの悪い奴らが居たらどうするんだ? 召喚者の優遇って制度を良いように利用されて、税金増えて民衆に不満が溜まって体制が崩壊するとかありそうじゃん? ……いや政府じゃないから税金関係ないか? オレが言いたいのは」
 つたなくてうまく言いたい事が言えない隼百だ。もどかしい思いでいるのに金針がまた笑う。

「誰の立場の心配をしているのです?」

「え」
「問題ありません。害を成すような存在は討伐対象になるだけですから」
「と……?」
「貴方にはそういう力も意図も無いのでしょう?」
「お、おお」
「でしたら大丈夫です」
「お、おお」

 いま物騒な単語が聞こえたような……とうばつ。
 討伐って言ったか?

 至れり尽くせりの接待か、討伐?

「対応の振り幅でけえな!」

 叫んだ隼百に金針は薄く笑う。
「全てが同じ対応なわけがないでしょうに。相手によってこちらの出方も変わるというだけです」
「な、るほど」
 物騒で不穏なのに納得してしまう。

 召喚でやって来るのは元よりこの世界に居ない存在だ。
 再び居なくなった・・・・・・ところで誰も困らない。
 能力のない隼百でも戸籍を貰ったり生活できるように援助して貰ったけれど、それは反抗の意思を見せなかったから。
 なるほど。オレも害を成す存在になったら討伐されるのか。
 ……。

 ま、その時はその時か。
 あっさりと気持ちを切り替える。道を踏み外さない自信があるわけじゃない。けれど気負いもない。
 そこには失望も落胆も無い。

「貴方はどうぞ貴方の思うままに。貴方の自由が損なわれるのはこちらの本意ではありません」

「え?」

 掴んだ、と思っていた答えが急にわからなくなった。
 自分はいつでも切り捨てられるような取るに足りない存在で、だから気紛れに親切にしてくれている。
 そのはずなのに。

 へらりと笑う。笑い飛ばせば冗談にできる気がして。
「サポート体制すごいな」
「……それはどういった意味でしょうか?」
「えっと、だから役に立たないオレにも真摯に寄り添ってくれるところがすごいなって」

「藤崎様だからです」

「へ」
「私共では不可能なので」 ふ、と遠くを見つめる。「ずっと、壁を壊してくれる存在を待っていました」
「なんでオレ?」
 胸に湧き上がってくるのは安堵ではなく、不安だ。
「既存の概念に囚われないのが異世界人ですから」
 答えになってない答えをくれる。

 意図的なのか、圧倒的に言葉が足りていない。

 それを隼百に託す理由がわからない。

「……期待するなら普通の異世界人にしろよ」
 ぼやきに金針は薄く微笑む。
「藤崎様は普通ではない、と?」
「なんでそうなる。逆だよ。他の人は特別な能力を持ってるんだろ?」 他の異世界人──と言うか、アルファか。来己は隼百と同郷だけどオリンピック選手を凌ぐスペックを持っているし、トルマリン……は知らないけどその子供ならわかる。アルファの赤ちゃん、賢かった。嘉手納の室長も異世界人のアルファで当然優秀。オメガにしても円を見てると別格だ。彼らには現状を変える能力がある。『壁を壊す』ことを期待するなら普通、そちらだろう。「オレはハズレだから違うよ」
「なぜハズレなどと思われるので」
「皆も言ってるし」
 ほう、と興味深そうに返す金針。
「どなたが?」
「どなたでもないよ。だって召喚で集めてるのはアルファとオメガだろ? だからオレはハズレ。まっとうな召喚でもなかったしな」

「貴方が考えるまっとうな召喚とはどんなものですか?」
「そりゃ……」 追求が強いな。教師のような口調でぐいぐい来る。「まず魔法陣で召喚されるのが大前提だろ? って……その顔は違うのか?」
「魔法陣の召喚自体が自然の法則を捻じ曲げた出逢いです。見方を変えれば藤崎様が唯一の正式な召喚と呼べるかもしれません」
「アンタなに言ってんだ?」
「誤解があるようですがあの召喚の儀式はアルファとオメガを集めているわけではありません。アレは結果であって、目的ではない」
「……へ?」

「ただひとり」

 そこで言葉を切った金針は隼百を静かに見つめて言う。
「ただひとりを喚び出せていれば、そこで終わっていた筈のものです」
「……」

 わけがわからない。金針の主張には迷いがない。

 藤崎隼百の可能性を確信している。

 反論が続けられない。そもそもなんで自分は必死に抵抗してるんだろうか。



「話は終わったんか?」
「志知さん」
 沈黙が気不味くなってきたところで口を開いたのはそれまで空気に徹していた志知だ。

「新館長さま、残念だな。まだ若いしこれからの人だから仕方ないけども」
「……若い?」
 残念?
「若いだろが。まだ学生の歳だぞ。まだ就任したばっかだに交代しちまうんだろ?」
「ん? ああ」 勘違いに気付く。志知が言う新館長とは爲永晶虎ではなく来己の方だ。「……そうかライキ君、来なくなるのか」
「そうかって、忘れてやるなよ」

 志知に呆れられる。でも言われてみれば来た早々に解任って……気のせいかあの子、保護対象の異世界人かつ学生でアルファなのに理不尽に大人に振り回されているような。

 忘れてたわけじゃないのだ。ただ、
 いつの間にか爲永晶虎の事を考えていただけで。
 気付けば彼が思考の大半を占めている。どうしてなのか、わからない。

「あの方、もう来ねえってコトだろ? そら、わかってたこっだけんども。ウチみたいなちっせえ水族館にアルファだなんて、そらけったいな話だもんなぁ。いっときでも館長やってくれただけでも奇跡だし、長くいらっしゃるわけがねえか。こんな田舎、なんも面白いもん無えし」
「そうですね」

 そうだよな。
 こうして志知さんだってライキ君を気にしてる。つまりアルファってのは人の関心を集める存在なのだ。オレが晶虎さんを気にしてもおかしくはない。
 ……。
 でもオレ、晶虎さん以外のアルファにはそこまで惹かれないな。いや惹かれるって、言い方。違うから。

「なあ、ところでまさとってのは誰だ?」

 うん?
 しまった己の思考に沈んで上の空だった。隼百が顔を上げるとなにか一方的にまくしたてていた志知が落ち着かなげに目を彷徨わせている。
 えっと、誰って言ったか? まさとが誰?

「志知さんの方が詳しいじゃないですか。晶虎さんは新しい館長でアルファさん」
「待て、ちょっとだけ待て」
「両手で耳を塞いでたら聞こえませんよ」
「ちょっと深呼吸してっから」
「うん?」

 あれ? さっきからの志知の主張の違和感にやっと気がつく。考えてみれば新しい館長が誰か、まだ明言はされていない。でも志知だってこれまでの会話から察しているはずだ。『アルファさん』の秘書のあるじは誰か? 『アルファさん』しかいない。

 何で全力で気づかない努力してるんだ?

 答えを求めてうろりと視線を彷徨わせていると、目が合ったのは金針だ。彼が苦笑する。

「無理もありませんよ。これは常識を持った人間なら理解に苦しむ事態です」
「……そういうもんか?」
 無意識に眉が寄ってしまう。大袈裟な。
「事態を理解していないという点では藤崎様も大差無いかと」
「オレは志知さんとは違うよ」
「なんでおらぁ突然けなされてんだなや」
 耳から手を離した志知がぼやく。

 モヤモヤする。
 有名なのに名前も知られていないのかな? 皆から『アルファさん』と呼ばれる人。
 名字だって惠崎さんからしか聞いてないんだよな。
 名前を口にしてはいけないあの人かよ。

 ……なんでオレに教えてくれたんだろ。名前。

「おい聞いてんのか? また上の空じゃねえかよ」
「彼も色々思うところがあるのでしょう」
「はあ……げっ、第一」
「げ?」
「そ、そのっ大変失礼をば」
「畏まらないで結構ですよ。これから長い付き合いになるでしょうから。今後は主人共々よろしくおねがい致します」
「……ひっ」

 しかしどうしよう。ひとつ懸念事項が出来てしまった。
 無視したって良い。でも別に続けてるのにこだわりがあるわけじゃないし、飴もくれたし。
 いや飴もらって今までの習慣変えるのか? それは意識しているみたいで恥ずかしい。でもなあ。

 オレ煙草、止めるべきか?

 ……。わかんないや。溜息をつき、飴を退けてロッカーから目的の荷物を取り出したところで金針から声がかかった。
「それは何です?」

 思わず後ろ手にそれを隠す。後ろ暗い事は無いけれど条件反射だ。
「藤崎様?」
「スーツだよ」
「……」
 金針が隼百の隠した手元を見つめてる。
「普通のスーツだけど?」
 念を推して言う。……なんで見てくるんだよ。
 ロッカーに入ってた衣類を取り出しただけだ。飴がもっさり詰まっているよりも自然だろうが。おかしいところは何もない。

「えっと」 隼百は口ごもる。「……オレが持ってたらおかしいかな?」
「いいえ」
 ゆるく微笑まれた。
「えっと」
 えっと、以外の言葉が出てこない。

 これはバレてる。
 どう考えても隼百のものではないとバレてる。そりゃ似合わないし量販店の吊るしなんかとは仕立てが別格だし、手触りからして違うし、そもそもサイズ合わない。
 でもオレが貰ったもん。文句言われる筋合いは無い。

「そちらの白衣の方も見覚えがあります。懐かしいですね」 
「え?」
「嘉手納支所の室長は魔法陣狂いで、召喚魔法研究の最前線にいる方です」
「え? うん」  
 さらっとヒドくね?
「その研究は長く続けられております。うちの代表も深く携わっており一時期は頻繁にあちらに通っておりました」
「……晶虎さん、嘉手納にいた事があるのか」


 そこ・・は隼百がこの世界に落ちてきた場所だ。


 もしかしてちょっとは縁があるのかな。ぼーっと金針の言葉を吟味していた隼百はハッとする。

「この白衣、晶虎さんのか!?」
「はい」
「え……意外。でも似合うかも」
「一番先に気になるのがそこです?」

 ってこのスーツもか!? だって匂いが同じだ。いやそんな匂いが分かるってオレ犬か!? 本来匂いに敏感な体質じゃない。そもそも根本的な問題、なんでオレはコレに執着してるんだろう?

 ……わかんない。

 これ考えたらダメなやつ。答えなんて求めても意味はない。……なんでそう考えるんだろ? とにかくダメだ。わかんないのに焦燥感が募る。
 思考が靄がかかったみたいになる。


 ──だって、知ってるから。

 近づいたらいけないって、ちゃんとわかってる。
 わかってた。

 運命とは手が届かないもの。

 出逢ってはいけない。
 スタートラインにすら立ってはいけない。でも、
 せめて、

 残り香を抱きしめるだけは許して欲しくて──。

 ──。


 気づけば強い力で布を握り締めてた。慌てて手で伸ばす。
 シワ! シワになる! アイロンは嫌だ! ただでさえ薄い匂いが消えたらどうすんだ!?
 いやもうほぼ消えてるけど残っていると信じる気持ちが大事なんだってあれオレ混乱してる? 焦って慌てて、ダメージが入ってないコトに安心して、首を傾げる。
 オレなにを考えてた?

 と、──ドクン。

 ? 心臓が跳ねた。



「何故ここに居らっしゃるのです」

 戸惑う耳に届いたのは金針の硬い声。
「予定と違います。貴方に無駄な時間はありませんし、私も暇ではないのですが?」

 金針が隼百の後方、戸口に向かって苦言を呈している。
 誰に? と考える間もなく新たな声が聞こえた。


「──時計が巻き戻った」

「っふぇ」
 変な声が漏れて隼百は思わず腕の中の服をぎゅうと抱き込む。
 ……な、なんか、腰に来た。
 不機嫌でもいい声。
 不意打ちは止めて欲しい、赤面するじゃないか。指なんて震えてるし。隣を見れば志知も全身をブルブルと震わせている。
 よかったオレと同じ。

 どうしたんだろ? たった今、来られないって聞いたばかりなのに。

「どういう意味ですか? 代表、こちらからの観測は不可能の筈では……まさかジャックしたのですか? ……いや、船に対してそれは不可能に近い」

 挨拶も何もかもをすっ飛ばして繰り広げられてる話の内容はわからないけれど不穏だ。
 ジャックって人の名前? と気軽に聞ける空気ではない。

「奴らの思惑だろうが、それはどうでもいい」

 その声に金針が身体をずらして姿が見えた。想像した通りの人物がいた。

 爲永晶虎。

「……」
 隼百を見て目を逸らした。
 なんだよ。
 まあ、挨拶する義理も無いけどさ。あきらかに取り込み中に部外者が口を挟むべきじゃないし。
 たいして気にもせず独りの考えに沈む。

 ジャックが人の名前じゃないのなら電波ジャック的な? 話を理解してるわけじゃないが、端々の単語から心当たりはある、気がする。居るよな。そっち関連にやたらに強い知り合い。

「船って海賊船か?」

「……」
 ほとんど独り言に近いつぶやきに視線を感じて目を上げれば、見えたのは茶色の瞳。

 やっぱ迫力あるなあ。
 ──と、じっと見返したのが嫌だったのか、今度は顔ごと視線を逸らされた。
 むう。

「……おおよその事情は理解しました」 顔色の悪い金針が挑むように主に向き直る。「ですがそれは貴方がここにいる理由にはなりません」
「……」

 どうやら秘書の返答はお気に召さなかったらしい。不機嫌そうだったのが、更に圧が増したのが隼百にもわかった。だって隣の志知が苦しそう。呼吸が浅くなり、額に脂汗が浮かんでいる。空気が重い。
 隼百は眉を下げて首の後ろを掻く。

 オレはこの感触、嫌いじゃないんだけど。
 空気は透明。普段存在なんて意識しない。なのに今は質感が増して、綿の塊にでもなったみたい。これがアルファの威圧か。
 掴めそう。

 ……まァ綿は綿でも濡れた綿みたいにぐっしょりした重苦しさなんだけど。
 もったいないな。ふわふわになったらもっと皆に受け入れられると思うのに。
 乾かしたい。

 あと眉間の皺が一段と深くなっているのが気に食わない。
 伸ばしたい。

 勝手なことを考えている隼百だが、そこは枠の外にいる部外者なりの気軽さだ。……疎外感もあるかも。
 だって爲永は金針を睨んでる。
 秘書に用があって戻ってきたのかな。別にここで話さなくても良いのに。

「何故だ?」
 地の底から響くような低い声に金針の顔色が悪い。
「……終わった事だからです。時が巻き戻り、その書き換えの観測が成功したにしろ、いつもと同じではないですか。今対処は必要はな」
 がぼっ、という音。

 ずっと見ていたのについてけなくて目を疑う。金針が首から吊り下げられていた。
「えっ? ちょっ!?」
 片腕一本で。

 気安い間柄じゃなかったのか?


 秘書の首を絞める爲永晶虎の暗い眼差し。

「──書き換わっただと誰が言った?」



 くら、とたたらを踏んで、隼百は驚く。身体が傾いだのだ。
 ついにオレもまっとうにアルファの圧がわかった!?
 一瞬高揚を覚えるが、揺らぎ続ける視界のおかしさに周りを見る。ガタゴト、キシキシと鳴る器具類。
「……地震?」
 威圧のせいではなく、地面が揺れているのだ。

「ひええくわばらっ」
 へっぴり腰なのに意外な俊敏さを見せたのは志知で、真っ先にその場を飛び退いている。震度はそこまで大きくないのにな? と気を抜く隼百の眼前にロッカーがまとめて傾いて迫ってくるのが見えた。

 ああそうか。

 安物のロッカーの上に大量に物を乗せたらそりゃ、不安定だよな? スローモーションなのはそれだけ思考が高速で回っているから──って不味いなこれ走馬灯というやつでは。
 思考と違い、身体はぴくりとも反応できない。

 がしゃん、ぱりん。どすん。軽い音と重いものが砕ける複数の音。
 衝撃は無く、ぐるりと視界が変わってめまいがする。


「部下を責めてる場合じゃないよねぇ?」

 第三者の声が響く。
 隼百の耳元で。

「巻き戻ってすぐ駆けつけたのは上出来」 隼百を抱いたトルマリンが薄く笑う。「でも不十分だね」

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感想 3

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