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46 試練
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「巻き戻ってすぐ駆けつけたのは上出来」 隼百を抱いたトルマリンが薄く笑う。「でも不十分だね」
†
……えっと?
隼百は考え込む。
これはどういった状況だ?
点滅する照明の下、水族館バックヤードの男子更衣室という名の物置。狭くて小汚い空間で、無駄に端正な男ふたりが睨み合っている。
学芸員の志知は小動物みたいにぷるぷる震えているし、爲永の秘書の金針は気配を消してる。怯えの元凶は今起きた地震……ではなさそう。
──アルファだ。
隼百は異世界人なので常識には自信が無いが、わかる。肌がぴりぴり、ちりちりする。痛みと錯覚する程に空気が重いのは、アルファがふたりも揃っているからだ。
アルファは特別。
その位はわかる。オレだって学習したのだ。と、心の中で自らの成長に胸を張る。
でも、だ。
張り詰めた糸が切れる寸前のような異様な緊張感の中、首をひねる。
なんでこいつら睨み合ってんだ?
聞いちゃ駄目かな……駄目そうだな。聞きたい事、他にもあるんだけどなぁ。トルマリンが急に現れたのが不可解だし……トルマリンの神出鬼没はいつものコトだけど。それ言ったら『アルファさん』こと爲永晶虎が水族館に来た時点でおかしいのだ。正直、隼百としては爲永出現の時点で理解の許容量を超えている。なのにその後すぐに地震があって、追い打ちのトルマリン。……うん。考えるのが面倒になってきた。まず目の前の問題を片付けよ。腕をどかして足を踏み出す。
「こらこら、どこに向かってんの」
前に、トルマリンが隼百の腰を引き戻した。
「?」
「解せないって顔してるね隼百君」
そりゃ捕まえられたのが解せないからだよ。じとりと相手を睨む。
「人を猫の子みたいに持つなよ。どこも何も、ここオレの職場。仕事の邪魔をしないで欲しい」
「邪魔……仕事?」
「え、そんなポカンって不思議そうにする? 部外者に足止めされる筋合いは無いぞ」
「でも君、なにをしようとしてるのさ」
「片付け」
運が悪かったのか、間が悪かったのか。
先刻の地震でこれだけの惨事に遭ったのは多分、この物置状態の更衣室だけだろう。揺れはそこまで大きくなかった。安いロッカーの上に物を無理に積むから隣り合ったロッカーを巻き込んで派手に倒れたのだ。ここに物を押し込んだのは先日の崩落のせいで一時的な処置だったが、まさか地震が重なるとは。せめて固定しておけば。反省する。元々ごちゃごちゃしてた空間が更にカオスだよ。崩落の片付けも大変だったいや終わってもないのにまた片付けが増えるとか……考えるだけでクラクラしてくる。
特に悲惨なのはさっきまで隼百が立っていた辺りだ。空の水槽の破片が他の残骸と混じって足の踏み場も無い。ガラスは厄介な凶器だ。割れると無数の刃物と化す癖、透明だ。誤って誰かが怪我をしないようまず掃除機か? 頭の中でタスクを組んでいく。
「隼百君、今この状態でよくそんな余計な事考えられるよね」
「なに言ってるんだ。この状況だからこそだよ。さっさと片付けないと危ないだろ」
「……っざ」
「っえ?」
「ふざけんな! このバカが!」
予想外の方向から怒声が来た。
咄嗟に後ろに下がろうとして、出来なくて、隼百はみっともなく藻掻く。
なんで身体が動かない?
なんでオレ怒られてんの?
なんでか視界が滲んで前が見えない。見えないけど刺すような怒気でわかる。
晶虎さんが怒ってる。
耳元にフッ、と息が掛かった。
首を仰けば間近にぼやけた顔。トルマリン──そうだ彼に身体を抑えられてるんだったムカつく。
だって、こっちは笑ってる。
「ぶはっ、可哀想に」 笑うどころか吹き出してるし。「でもそこ、配線が切れて漏電してるから下手に動いちゃ駄目だよ隼百君」
「え」
「アルファさんは配慮が足りてないんじゃないかな? ほら隼百君が泣きそうだよ? 大事にしたい子を怖がらせちゃ駄目だよ」
違うし! 無神経はむしろトルマリンだろが! と反論したい。したいのは山々だが、
……喋れん。
下手に喋るとしゃっくりが漏れそうで。
眉間にぐっと力を込めてトルマリンを睨んでおく。……恨みは無いんだけど、なるべく瞬きをしないためだ。泣いてると誤解されるのは避けたい。
が、トルマリンは苦笑すると何を思ったかオレの頭を自分の胸に押し付けた。
むかっとする。なんだよ……匂いが違う。でもちょっとホッとしてる。これなら目から水が溢れてもバレない。
どうしよう。
オレ、怖いものが無いってのが取り柄なのに、最近は怪しくなってきてる。
晶虎さんは怖い。
身体が勝手に震えてきて、誤魔化すためにトルマリンにしがみつく。くそ。恥ずかしくて顔から火が出そう。自分がこんな感情を持っている事が、恥ずかしい。
だって、誰もあのひとをひとりの人として見てやらないのか、なんて偉そうに憤ってたオレがいちばん彼を怖がってる。
駄目すぎる。ほんと、駄目すぎる。
──嫌われるのが怖いとか。
隼百がひとり悶々と落ち込んでいる間にもアルファ同士の会話は続いてる。
「あれ? アルファさん。何か言いたそうだね。文句があるとか? ……あるわけがないよなあ? 俺は人助けに来ただけだ。にしても、いつも不機嫌そうだけど今日は格別だな。わかるわかる。自分がやりたかった役だもんなぁ。見せ場を奪って悪かった」 トルマリンはちっとも悪くなさそうにのたまう。「でも仕方がない。アンタじゃ間に合わなかった」
……なんか、めっちゃ煽ってね?
言葉を重ねられる毎に爲永の眉間の溝が深くなっていくのがわかる。見えないけどその程度、見なくたってわかる。話の内容はわからん。
わかるのは彼が怒ってるって事。
そこにトルマリンが絡んで険悪になってる。なんで?
……。
長い沈黙が落ちる。
トルマリンは相手の出方を待っているし、爲永は押し黙ったままだ。隼百の方がそわそわしてくる。
いっそ仲裁してみようか? 無理。晶虎さんを怒らせたのオレじゃん。でもこのまま誰も口を開かないのか? もしかして、ここで止められる人間はオレしかいないのでは? ……自分だけ。その考えは隼百の気力を少し上向きにさせる。けどすぐに冷静になる。確執の理由さえわからないのに仲裁なんて無理だ。所詮、オレはハズレのベータで、天上人たるアルファの諍いの蚊帳の外。……寄り添おうなんて、思うのすらおこがましい。自分の思考に傷ついて悲しくなってきたところで溜息が聞こえた。
「俺には関係ない話だ」
「はあ? 今更なに言ってるんだか。ねえ? 隼百君」
「……は、えっ?」
話を振られて変な声が出た。見上げればトルマリンは呆れ顔だ。
「無関係がわざわざこんな僻地にやってくると思うかい? 天下のアルファさんが」
人の職場を僻地呼ばわりするなよ。知るか。ふたりの会話が理解できない隼百に答えが出せるわけもない。トルマリンの呆れはオレに対してか? 違うな。彼の視線は爲永に注がれている。理解しがたいものを見る、怪訝そうな目。するとハッとした表情になる。
「え? ソレもしかして隠してるつもり? 無いよな。アンタだって自分があからさまに運命見つけた反応してるって自覚ぐらいあるだろ」
「……」
「オイオイまさかだろ。無茶苦茶意識してんの、ただ漏れだけど? 何なら最初からバレてる、ってわかってるよな。うちの船を相手に情報戦なんて無意味だし」 わざとらしく溜息。「ま、筒抜けだからこそこっちは上手い具合に利用されたんだけどね。ホント、形振り構ってられないからって清々しいぐらいに厚顔無恥な奴」
「……」
「ってちったあ会話する気ないのかよ? 俺ひとりで喋ってるの、虚しいんだけど、って……あァ」 口の端を引き上げる。「興味ない態度を押し通す程度には俺を警戒してるか」
全く返事をしない相手に気を悪くする事もなく、それどころか楽しそうにトルマリンは喋り続ける。
隼百は首を持ち上げてそんなトルマリンを観察する。首だけなのは他が動かないからだ。
……ん?
どうして動けないんだっけ?
動かない理由はわかる。拘束されているからだ。
わからないのは拘束され続けている理由。助ける為だったらもう開放してくれても良いのに、がっちり固められていて動けない。
まるで晶虎さんから引き離されているみたいな……いや!? ふっと浮かんだ考えに慌てる。なんじゃそら! 無いから!
びっくりした。自分の妄想にびっくりした。
あり得ない考えのおかげで少し落ち着いてきた。息を吸って吐く。深呼吸。うん。
脳に酸素を送るだけでも心に余裕は生まれる。ここは空気が良いし。濃ゆくて、良い。傍のトルマリンの匂いが邪魔だけど。好きな匂いに集中する。
同じアルファでもトルマリンと爲永は対照的だ。
トルマリンは異世界人だ。直接聞いたわけじゃない。出身地すら知らないけど、爲永がこの世界唯一のアルファだから相対的に他のアルファは皆、異世界人と知れる。
──異世界人のアルファと、純世界産のアルファ。
──軽薄と無愛想。
──海賊と協会。
すう──。
もういっかい深呼吸。
──はあ。
うん。思考がクリアになる。
ひとつ、はっきりしている事がある。
前から感じてはいたけど……このふたり、すっげぇ仲悪い。
どんな因縁なのか、面倒だから聞く気はないが。
敵対関係ではあるんだろう。水と油でいかにも気が合わなそうだし。
でもそれだけじゃない。爲永を前にしたトルマリンは彼らしくない。一見、いつもと同じでヘラヘラ笑っているけど、その目の奥には怒りが宿ってる。
思い返してみれば爲永晶虎に関してトルマリンは最初からずっとこうだ。
笑顔で毒を吐く。
今も。
「まぁ確かにアンタの事は許してないけどね。地獄に落ちても自業自得って、ん? どしたの隼百君」
くいくいと腕を引っ張ってきた相手にトルマリンは首を傾げる。
「ちょっと聞きたいんだけど、いいか?」
「……大丈夫? 具合悪くなってないかい?」
「へ? 体調なら絶好調だけど」
「へえ」 垂れ気味の目がうっそりと細まる。「さすが隼百君。アルファ同士の睨み合いに割り込むなんて普通のベータは出来ないよ。神経が持たない」
「オレ、無神経って言われてる?」
「あはは凄いって話だよ。久しぶりだね。元気そうでよかった」
隼百に対しては屈託の無い笑顔を向けてくる。
「今挨拶かよ……いいけど。久しぶり。オレが元気で無事なのはトルマリンのおかげ。助けてくれてありがと」
「ふふ。白々しさを感じてるくせにきっちりとお礼を言える隼百君は良いよね」
「……白々しいお褒めをアリガトウ」
良かった。会話をしていると段々調子が戻ってくる。内心、ほっと息をついた隼百にトルマリンは苦笑する。
「仕方ないな。乗ってあげるよ。聞きたいことって?」
乗ってあげるって。止める為に話しかけたのバレてる。別に、疑問があるのだって嘘じゃないんだけど。
「どうしてトルマリンがここにいるんだ?」
「俺と隼百君の絆が強いからだね」
「寝言ほざいてんなよ」
軽く肩を竦めるトルマリン。
「勿論、君を助けるためだよ」
「……」
隼百はトルマリンをじっと見つめる。
聞きたいコトは山程あるが、呑み込んでひとつだけ問う。
「どうして間に合ったんだ?」
「針が戻る前を正確に知っていたから」
端的な質問には簡潔な返答。
「……ああそっか」
理解した。
トルマリンは間に合ったわけではない。
「オレ、また死んだのか」
「御名答」
トルマリンが指差したのは隼百の腕だ。──と、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。あれ金針さん? 気配を消して見守ってたのに思わず息が漏れたって表情をしてる。志知などは目を剥いている。……ああそうか。
彼らの反応のおかげでそれまで存在感を消していた物が隠蔽を解き、姿を現したのだとわかった。
銀色のベルトに、闇に沈みそうな黒の中で浮かぶ文字盤。
「散々繰り返しただけあって理解が早いよね、うん偉い偉い」
よく出来ました、とばかりに頭を撫でられる。
「……嬉しくない」
「俺が間に合うのは当然だよね。上書きされる前の過去に何があったか、俺は全てを知っている。ソレの制作者だからね」
知っているからこそ、対処出来るのだ。
トルマリンが指したのは腕時計だ。ハイブランドの機械式腕時計。
ただの機械式ではない。隼百の死をトリガーとして時を5分だけ巻き戻す、意味不明にぶっ壊れた機能がついている。
隼百の浮かべるイメージは古いゲーム機のリセットボタンだ。
死んで、セーブポイントからまたやり直し。
「……それ、は」 隼百は数秒言葉に詰まった後、がっくしと項垂れる。「ご足労をおかけしました……」
「えっ、嫌だな。いきなりの他人行儀は止めてよ。俺と隼百君の仲でしょ」
「友人以下の知り合い?」
「ヒドイ」
「……じゃなくて」
「うん?」
眼前に腕を突き出されたトルマリンが訝しむように首を傾げる。
「これでも悪かったと反省してるんだ。トルマリンだって忙しいのにまた余計な手間かけさせた。ごめん。これは返す、っぴ?」
喋り切れず、びくっとしたのは睨まれたからだ。爲永に。
「駄目だよー」 トルマリンが宥めるように笑って隼百の腕を押し戻す。「忘れてないかい? 君はこれがあるから五体満足でいられる。隼百君なんてちょっと放置したらすぐ死んじゃうよ勿体ない」
「いやあ? オレ、ハズレだし大してもったいなくはないでしょ、し」
再び不自然に途切れる台詞。やっぱり睨まれてる。
眼光が強い。照明が点滅する窓のない室内。爲永の表情は戸口からの淡い逆行を背負って分かり辛い。ただ目だけがぎらぎらと光っていて猛獣みたい。
救いを求めてトルマリンを見るが、駄目だ。こちらは観察するような目。てか完全に面白がってる。トルマリンは助けてくれない。
「……だっ、だってオレ」
溺れるように口を開いてから、言葉に詰まる。なにを言おうとしてたんだっけ? 言い訳を。なにを?
なにを間違えたかもわからないのにどう言い訳するのか。謝ったら許してくれる? 無理か?
でも、
でもなんで怒るんだ? 理由、あるか?
胸の奥からふつふつと湧き上がってくるのは反抗心だ。
オレは晶虎さんの親の敵か?
違う。無関係だ。むしろ知らない人だ。トルマリンには迷惑をかけたけれど、晶虎さんに対してはなにもしていないと言い切れる。だってロクに会話もしてない。考えるほどに腹が立ってきた。
──このひとには関係ないだろ。オレの生死なんて。
謝る必要はない。オレは間違えてない。
重圧に抗うように眉間に力を込めて茶色の瞳と目を合わせると逆にビクッとされた。
……。あれ? 怯んだ? 意外と効いてる。思ったより弱い?
ぶっはっ、と鼓膜に盛大に息がかかる。くそ、こっちはまた笑ってるし。
「なんだよ、もう」
トルマリンを振り返って隼百は目を見開く。予想外だ。笑ってるのに困った顔をしてる。
「知ってたけど、君は自分の命の扱いが軽すぎるね。そんなボンヤリと自分が死んでも勿体なくないとか言う? せめて深刻に返して?」
「……深刻に言ったって状況は変わらないだろ。積極的に死ぬ気はないけど、その運命ってのから逃れるのは無理そうじゃないか? せめてちょっとは和ませようって配慮なんだけど」
「配慮の方向性がおかしいね」
「そうかなぁ」
「君がそういう姿勢だからこそ、こっちに皺寄せが来るんだけど?」
「それは、申し訳ない」
今度は即座に謝った隼百にトルマリンは仕方がなさそうに溜息をつく。
「申し訳ないって思う気持ちがあるなら自分が死に好かれている原因を考えな」
「……原因」
「わからないのなら尚更、その時計は君が持っているべきだよね」
その言葉に隼百はぼんやりと実感する。アルファは人の上に立つ為の人種だ。決して命令ではなく口調も柔らかいのに、有無を言わせぬ圧がある。
でもそう言われても。そりゃオレだって事故に巻き込まれ続けている今の状態が異常だと理解している。でも……直答を避けて視線を彷徨わせると爲永と目が合った。頷かれた。
え。
気の所為か、見間違いだよな。まさか、いま睨み合ってた険悪な二人が足並みを揃えるなんて考えられないし──
「お前が持っておけ」
「うえっ!?」
「だよねえ? ほら。アルファさんも言ってるじゃん」
「制作者がこう言ってるんだ。二度と手放すな」
事前に示し合わせてたのかと疑いたくなる連携で畳み掛けられて隼百は怯む。
この一点に置いて、対立するアルファ二人が結託しているのは何なん。
しかし下手に追求するのはマズイ気がする。責められるのは隼百なのだ。
「わかった。また借りる……じゃない借ります。借りさせて頂きます」
触らぬ神に祟りなし。
「君はアルファさんの命令なら素直に聞くんだねえ」
にこやかにのたまうトルマリン。なんでだよ。違うよ。ふたりから怒られる勇気がないから従っただけだし! と言おうとして思い留まる。反論が情けない。
「間違えるな海賊。俺はこれに命令はしてない」
かわりに文句をつけたのは爲永だ。
やっぱり仲悪いな?
喧嘩に興味の無い隼百はぼんやり聞き流す。
声が好きなんだよなぁ。たとえギスギスした空気だろうが、喋ってくれるなら耳が幸せだ。
「は、どの口が。アルファさんの口から出た言葉なんて、すべからく命令だよ。本人にそのつもりがなくても周囲にはそう受け止められる」
「……」
「ほらほらそうやって息をするように威圧してくんのはどうかと思うよー? アルファの俺には効かないけど」
トルマリンは隙あらば煽ってくる。密かにしゅんとする隼百だ。また黙っちゃった。
てか晶虎さん、あえてトルマリンに反論しないようにしてないか?
今更だけど、彼らの力関係をマジメに考えてみる。
協会と海賊。この世界において、絶大な権力を握っているのは『この世界最後のアルファ』である爲永晶虎をトップに据えている協会だ。……いや逆か。
爲永晶虎が在籍しているからこそ、協会に権力がある。『海賊』が実際犯罪行為をしているのかどうか、隼百は知らないが、賊と呼ばれてる以上は秩序から外れた存在だろう。反乱分子であり、捕らえるべき対象。つまり立場が強いのは爲永の方だ。でも弱みを握られているのか、負い目でもあるのかこの場で優位に立っているのは──
「うん? なんだい?」
袖をつんつんと引っ張るとトルマリンは甘い笑みを見せてくる。大変胡散臭い。
「喧嘩を止めてくれ」
室内にぴりっと緊張が走る。
「随分とストレートに言うね」
「ここ職場だって言ってるだろ。皆、怯えてるから迷惑なんだよ。見ろよ志知さんなんて顔が土気色」
言いながら指すと、顔色を更に悪くした当人と目が合った。口がパクパクしてる。なになに? 余計なこと言うな?
「隼百君」 にこ、と笑うトルマリン。「でも俺に言う? 怖い顔で威圧してんのはアルファさんだよ」
「アンタは笑顔で威圧してんだろ」
片眉を上げたトルマリンは直ぐにああ、と合点したように頷く。
「確かに。それにここのベータ達は免疫が無いんだったね。アルファ同士の睨み合いなんて傍に居るだけでもキツイか。ごめんね」 意外と素直に謝罪してくる。「まあ隼百君は平気そうだけど」
ヒトコト多かった。
「オレはトルマリンの人柄を知ってるし。怖いわけがないだろ」
「俺の人柄?」 馬鹿にしたように鼻を鳴らす。「ちょっと優しくしたら絆されてくれるんだ。隼百君は騙し易いんだねえ」
コイツは何を言ってるんだ。
「どこが騙してるんだよ。見たまんまだろ」
「……見たまま?」
「トルマリンってチャラいしウザいし、ワザと誤解されるように誘導してるところあるけどオレ、アンタが人を守ろうとするところしか知らない」
トルマリンが目を瞬く。
「……少しときめいたんだけど」 ぼそっと呟いた後、なにが楽しいのかまたくつくつと笑い出す。「そう射殺しそうな目で睨むなよ。言われたろ? 殺気を控えろって」
「? 睨んでないよ」
「隼百君じゃなくてね……ぶっ、面白」
くっくっくっく、と肩を揺らして細かく振動する身体。
トルマリンの笑いのツボがわからない。
「それよりいい加減離して欲しい」
「ああ。ごめんごめん、うっかり忘れてた」
よく言うよ。悪びれない態度が釈然としないが、やっと開放してくれる気になったのにはホッとする。
「しかし君、呆れるぐらいに緊迫感が無いよねえ」 トルマリンこそ、うだうだだらだらしてるじゃねえか。なんて突っ込みは声に出さなかったのにまるで心の声が聞こえたように顔を顰める。「アルファ相手に物怖じしないって事だけじゃないよ。たった今、死にかけたって自覚ないでしょ」
「そりゃあるよ。統計だとオレが死にかけるのは3日に1度の割合なんだって」
答えながら指を一本一本剥がしていく。だってこの腰に回った腕、いつどかしてくれるのかわからない。どかしてくれるまで待てないし。
間があった。
「だね。それが、何」
「死んだ直後はいちばん安全だろ。確率的に」
再び間。
「はあっ!?」 鼓膜がキン、とした。耳元で叫ぶのは遠慮してほしい。「今じゃないから緊迫感が無いって言うつもりか? 待って、そういう問題!?」
「人間、ずっと緊張し続けるのは無理だよ」
まぁ3日後になったところで隼百が恐怖に打ち震えるかと言えばそうでもない気がするが、バカ正直に申告する必要はない。怒られるのはもう懲りた。
はあぁ、と肩を上下させるトルマリン。溜息つかれた。
「……いま、しみじみ実感したよ。君は自分の運命と向き合うべきだ。まず、しっかりと向き合って考えな」
「死ぬ原因なら考えたけど」
「早いね!? 秒で答えを出せとは言ってないんだけど!?」
「さすがに秒は無理だよ。単に、いつも考えてたから答えが出せるってだけ」
「へえ。一応、考えてたんだ君」
ひどくね?
「オレだって闇雲に無謀なわけじゃないし」
「……ふうん?」
「トルマリンはちょっと疑り深いな」
「隼百君? 俺だけじゃないからね」
はあ? どういう意味だ。抗議しようと顔を上げて、たまたま晶虎さんと目が合ってびくっと身を引く。なんとも言えない表情で隼百を見ている。
……いや、ここにいる全員が同じ懐疑的な目を隼百に向けている。
アウェイ。
「それで君の見つけた答えはなんだい?」
トルマリンが問う。
「オレは死ぬべきなんだと思う」
静かになった。
と言うか『水を打ったような』と表現する程の沈黙に訝む。視線が痛い? あれ? なんで皆してオレを見ているん……我に返る。しまった。
自分の考えを整理するのに忙しくて、取り繕うの忘れてた。我ながら、今の発言はおかしい。言い方。もっと言い方ってものがあるのに。
……あああ。せっかく緩みかけていた腕が動かなくなってるし。いや動く。指が! 指が戻ってくる!?
「それは、どういう意味だ?」
えっ?
口を開いたのは爲永だ。さっきから黙秘か? ってぐらいに喋らないし興味ないって態度を貫いてる癖に、唐突に怒ってくる。くっそう段々、慣れてきたぞ。いや慣れない。泣きそう。なんなん。
てかトルマリンは解放して欲しいオレの気持ちに気付かないのか? ……じゃないな。
「どういう意味かな?」
今度はトルマリンに聞かれる。なんなん。
胸の前に組まれた腕をカリカリ引っ掻くが、無視される。もー。
「オレだって最初は自分が巻き込まれてると思ってたんだ。でも、不自然だよな」
「うん? 隼百君、唐突に話を変えてくるね」
「唐突じゃないし、つながってるよ。オレの周囲で事故事件が頻繁に起きているって言いたい。それって本来なら起こらなかった災害じゃないのか? 本来、死んでいた人間がまだ生きてるから、運命が辻褄を合わせようとしてる。そう考えられないか」
「……強制力って言いたいのかい?」
「名前は知らないよ。どっちにしろ、そういう現象は原因が消えれば終わるし、消えない限りは終わらない」
「君の存在が原因、ね。俺の使った言葉と同じなのにニュアンス、全く違うね」 トルマリンは溜息。「そっちじゃないんだけど」
そっち? じゃあ正解はどっちだよ。突っ込みに口を開きかけて、止めた。
聞いたところで隼百の考えは変わらない。
この状態が続いたら、きっといつか、誰かを巻き込んでしまうだろう。
「オレは無関係な人を巻き込むつもりは無いんだ」
この腕時計を改造したのはトルマリンだ。管理者もトルマリン。だから死のトリガーが発動する度に彼が対処しにやって来る。知る立場であるが故に、見捨てられないんじゃないかと隼百は思う。別の思惑もあるかもしれないが、結局のところ、助けるという選択をする根本にあるものは善意でしかない。
それは──有難いより、居心地が悪い。そこまでされる、自分の価値が見出せない。
自分の為に無理をして欲しくない。──誰にも。
しかし見捨てる、という選択も相手の負担になるか。
「オレの死はオレだけの責任だ。赤の他人が負う義務なんて、無い。なにひとつ無いよ」
隼百は隼百なりに真摯に言葉を重ねる。けれど、どうやらその誠意は誰にも伝わっていないみたいだ。周囲の反応が鈍い。トルマリンは心底呆れた様子だし、爲永の眉間には更に皺が増えている。
……おかしいな? どう言えば響いてくれるんだ。
「えっとその、誓っても良い。オレは死に際に助けに来てくれないからって恨まないし、呪ったりもしない」
「随分嬉しくない誓いだなぁ」
ぽすんと手が頭に乗せられた。わしゃわしゃと髪を掻き混ぜてくる。
「うんうん、隼百君は俺の苦労と負担を労ってくれるつもりなんだね」 ……待て。中年相手に子どもに話かけるようなこの対応は皮肉か? 大人扱いする価値がないってか?「でもどうせなら頑張って救ってるって褒めて欲しいな。俺、褒められて伸びるタイプなんだよね」
「褒める、とは」
戸惑う隼百の髪をひとすくい。トルマリンはなぜか戸口の方を見ながら言う。
「試しに褒めてみて」
なんて? 眉を顰めてトルマリンを見るが、期待を込めた目で待っている。
「……さすがトルマリン。カッコイイ。天才開発者」
「ふふ。棒読みでも全然気にならないよ。俺は他のアルファよりも頼りになるかい?」
「なるなる。すごくなる」
「……ふふふふ」
ご満悦である。
こんな雑な褒め方で良いのか?
ほらあ。晶虎さんからの視線が痛い。ほんと仲悪いな。
と、手首を持ち上げられた。腕時計の上に手のひらが被さる。
「……トルマリン?」
ぽわり、ぽわりと揺らぐ光。手と手の隙間から光が漏れていて、思わず見入ってしまう。はじめてなのに見覚えのある、懐かしい白い光……タンポポの綿毛みたい。コレは、なんだ? 綿毛の光は戸口に向かって飛んでいって爲永のいる辺りで見えなくなった。
「心して聞けよ。さっきのアンタが体験したのは中途半端な開放だ」
「……」
隼百の手元に視線を固定していても、トルマリンが話しかけている相手は隼百ではない。
「巻き戻った事実を知っただけ。わかるだろう? それだけじゃ足りない。──救えない」
「頼む」
眼前に繰り広げられた光景に隼百はただ目を見開く。咄嗟に理解できない。
晶虎さんが膝を折った。
「──俺に、観測者の眼をくれ。対価なら、」
「いいよ」 あっさり答えたのはトルマリン。「ていうか、今やったよ。その手続き。権利の譲渡」
「……なんだと?」
頼んで、了承された。だのにこの驚愕の表情は何だ?
「元からそのつもりで来たからね」
対して、答えるトルマリンは実につまらなそう。
話についていけない隼百はただ爲永を凝視してしまう。驚いている晶虎さんは新鮮……じゃない、そういうコトじゃない。
この様子だと頼みを断られると思ってたんだよな? それほど無茶な要求をしたのか? それとも、彼らの間柄は頼み事が許される関係ではない?
わからない事だらけだが、ひとつだけはっきりしてる。
今このひと、躊躇いもなく土下座しようとしてた。
「──おめでとう」 トルマリンは爲永に優しく微笑む。「アンタにはこれから挽回の機会がいくらでも訪れるだろう。良かったな」
「……くそが」
爲永が吐いた悪態に隼百の方がビクッとする。一方のトルマリンを見れば寿ぐ言葉とは裏腹に爲永を映す瞳の色はぞっとするほど冷たい。
「不満なら止めるかい? こっちは構わないよ。安心していい。情が湧いたから、見捨てる事はない。手駒として持っておく分には悪くないしね」
「ひょぇ」
志知が思わずといった風に悲鳴を漏らした。金針に至ってはずっと気配を消し続けてる。
……まあ。わかるけど。
アルファの本気の睨み合い、迫力エゲツナイ。
ただ、隼百としては怖いよりも置いてかれた気分のが強い。一触即発。今にも殺し合いが始まりそうな空気の中、首を仰いで困る。
身長、足りてない。
オレ、ふたりの視界にも入ってない。頭上の様相は怪獣決戦。今度こそ止められない気がする。
……けれど懸念に反し、争いなんてものは起こらなかった。
爲永は拳を握りしめる。トルマリンを睨みつけていた目を閉じ、息を吐く。
「……感謝する」
……え?
「縋るなよ。こっちだって万能じゃない。結末を変える夢のような手札は持ち合わせてない。うちのガーデンの見立てでは因縁、だそうだけど?」
「……」
返答が無い事に構わず、トルマリンは続ける。
「要は、自業自得」
「……」
がくんと視界が揺らいで隼百は混乱する。
「へれ?」
腰を引かれて後ろに戻された。
解せない。引き戻されたのに元の場所から動いてない。
「危なっかしいなあ」 とトルマリン。「君、いま無意識に動いたでしょ。足元はよく見ないと転んで怪我するって言ったでしょ」
「は? んなこと、してないし」
でも自分の視線の先に答えを知る。目が離せないのだ……ああそうか。
彼に駆け寄ろうとして阻まれたのかオレ。
どうして駆け寄ろうとしたんだ? ぎゅっと心臓のあたりを掴む。胸が痛かったからだ。焦る。──何で邪魔されてんだろう、あの側に行きたいのに。いやなに考えてんだ? 落ち着けオレ。でも焦燥感だけが増していく。
だって、打ちひしがれてる。──たすけないと。思いだけが先行していて、後からなぜ? を考える。
──だって後悔してる。苦しんでる。忘れてないから壊れてんだ。もういいのに。終わった事なのに。
そう。彼は壊れてる。助けないと──違う。
オレが、守りたいのに。
ああもう、自分がわからん。思考がぐちゃぐちゃだ。
と、ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられて我に返った。隼百はじとっと目を細め相手を睨む。
「……さっきから人をぬいぐるみ扱いしてないか?」
「うんうん、隼百君って精神安定剤っぽいよねえ。衝突を和らげるてくれる緩衝材にもなる」
「嘘言え。全然和んでないだろ」
「あー、はいはい」
「わっ!? 急にっ!?」
抱き込むように拘束されてたのを突然離されたからバランス崩す。たたらを踏んだ隼百の視界の端、爲永の手がぴくりと上がって下がるのが見えた。
? 視線が絡んだ、と思ったらフイッと逸らされる。
むか。
転ぶ寸前、襟を引っ張られてすとんと立たされた。横倒しのロッカーの上に。
「っ、だから猫の子じゃないって!」
「アハハごめんねー? さっきから君を離せって五月蝿くって」
「くそ、うるさくして悪かったけど! 嫌ならさっさと解放すりゃ良かったろ!」
叫ぶと、トルマリンがじっと隼百を見つめてる。
「ご機嫌斜め」
「へ?」
「嫌な事でもあったかい?」
「……いや、別に」
「そう」 ふっと雰囲気を和らげる。「無言の圧って存外、やかましいんだよね。会話に加わる勇気も無いのに女々しいったらない」
無言?
「話が噛み合ってなくないか?」
「隼百君は全然五月蝿くないって事だよ。むしろ大人しいぐらい。可愛いからもっときゃんきゃん吠えてくれて構わないのにねえ」
「へ……は?」
ドン引く隼百に目を細めてトルマリンは続ける。
「ま、茶番はこの辺でおしまいにしようか」
パンパン、と話を区切るようにトルマリンが手を叩く。
「……グダグダさせた当人が言うなよ」
ぼやいたが、トルマリンは全く意に介さず鼻歌混じりに瓦礫と化した足元を蹴り崩し始めた。うちの備品を……自由すぎる。ぶすっとしてるうちに床が現れて隼百は今更気付く。足を下ろす場所すら埋まってた事に。
なんだ。破壊してたわけではなく、通り道を作ってたのか。
と、トルマリンで遮られて見えなくなった。晶虎さんの姿が。……隠すな。
「アンタはこれから何度、地獄を経験するだろうね」
背中しか見えないトルマリンが語る。
地獄。
随分物騒な単語だ。
「いい気味だ。──と嘲笑してやりたいところだが、そういう気分にもなれないのが頭が痛いんだよな」
「さっきからなんの話だ?」
思い切って口を挟んでみるが、駄目か。トルマリンは振り返ってはくれない。
なんだか奇妙だ。嫌ってるのに、無言の相手に話しかけ続けてる。まるでいま伝えないといけないと考えてるように彼はひとりで喋り続ける。
言われている爲永の表情は見えない。
「番の死を見る地獄なんて一度でも経験するものじゃない」
まるで番の死を経験したみたいな言い方。けどおかしい。トルマリンの番はとても元気な人だ。返答が無いとわかっていたが、疑問は口から溢れていた。
「トルマリンの番って仲嶋さん以外にいたのか?」
あ、凄い勢いで振り返った。
「ちょっ、怖いコト聞かないでくれるかな!? 浮気なんてするわけありません」
「そりゃそうか」
トルマリンは仲嶋さんを溺愛してるもんなあ。
「かんべんして……」
「ごめんて」
でも違和感が拭えない。
なら、どうしてこの腕時計が存在するのか。どうしてトルマリンはこんなアイテムを作る気になったのか。──必要があったからだ。
──必要って?
考え込んでいるうちにトルマリンがまた何事かを爲永に言い放っていたが、それは隼百の耳を素通りする。
「精々頑張るんだな。これは試練だ」
†
……えっと?
隼百は考え込む。
これはどういった状況だ?
点滅する照明の下、水族館バックヤードの男子更衣室という名の物置。狭くて小汚い空間で、無駄に端正な男ふたりが睨み合っている。
学芸員の志知は小動物みたいにぷるぷる震えているし、爲永の秘書の金針は気配を消してる。怯えの元凶は今起きた地震……ではなさそう。
──アルファだ。
隼百は異世界人なので常識には自信が無いが、わかる。肌がぴりぴり、ちりちりする。痛みと錯覚する程に空気が重いのは、アルファがふたりも揃っているからだ。
アルファは特別。
その位はわかる。オレだって学習したのだ。と、心の中で自らの成長に胸を張る。
でも、だ。
張り詰めた糸が切れる寸前のような異様な緊張感の中、首をひねる。
なんでこいつら睨み合ってんだ?
聞いちゃ駄目かな……駄目そうだな。聞きたい事、他にもあるんだけどなぁ。トルマリンが急に現れたのが不可解だし……トルマリンの神出鬼没はいつものコトだけど。それ言ったら『アルファさん』こと爲永晶虎が水族館に来た時点でおかしいのだ。正直、隼百としては爲永出現の時点で理解の許容量を超えている。なのにその後すぐに地震があって、追い打ちのトルマリン。……うん。考えるのが面倒になってきた。まず目の前の問題を片付けよ。腕をどかして足を踏み出す。
「こらこら、どこに向かってんの」
前に、トルマリンが隼百の腰を引き戻した。
「?」
「解せないって顔してるね隼百君」
そりゃ捕まえられたのが解せないからだよ。じとりと相手を睨む。
「人を猫の子みたいに持つなよ。どこも何も、ここオレの職場。仕事の邪魔をしないで欲しい」
「邪魔……仕事?」
「え、そんなポカンって不思議そうにする? 部外者に足止めされる筋合いは無いぞ」
「でも君、なにをしようとしてるのさ」
「片付け」
運が悪かったのか、間が悪かったのか。
先刻の地震でこれだけの惨事に遭ったのは多分、この物置状態の更衣室だけだろう。揺れはそこまで大きくなかった。安いロッカーの上に物を無理に積むから隣り合ったロッカーを巻き込んで派手に倒れたのだ。ここに物を押し込んだのは先日の崩落のせいで一時的な処置だったが、まさか地震が重なるとは。せめて固定しておけば。反省する。元々ごちゃごちゃしてた空間が更にカオスだよ。崩落の片付けも大変だったいや終わってもないのにまた片付けが増えるとか……考えるだけでクラクラしてくる。
特に悲惨なのはさっきまで隼百が立っていた辺りだ。空の水槽の破片が他の残骸と混じって足の踏み場も無い。ガラスは厄介な凶器だ。割れると無数の刃物と化す癖、透明だ。誤って誰かが怪我をしないようまず掃除機か? 頭の中でタスクを組んでいく。
「隼百君、今この状態でよくそんな余計な事考えられるよね」
「なに言ってるんだ。この状況だからこそだよ。さっさと片付けないと危ないだろ」
「……っざ」
「っえ?」
「ふざけんな! このバカが!」
予想外の方向から怒声が来た。
咄嗟に後ろに下がろうとして、出来なくて、隼百はみっともなく藻掻く。
なんで身体が動かない?
なんでオレ怒られてんの?
なんでか視界が滲んで前が見えない。見えないけど刺すような怒気でわかる。
晶虎さんが怒ってる。
耳元にフッ、と息が掛かった。
首を仰けば間近にぼやけた顔。トルマリン──そうだ彼に身体を抑えられてるんだったムカつく。
だって、こっちは笑ってる。
「ぶはっ、可哀想に」 笑うどころか吹き出してるし。「でもそこ、配線が切れて漏電してるから下手に動いちゃ駄目だよ隼百君」
「え」
「アルファさんは配慮が足りてないんじゃないかな? ほら隼百君が泣きそうだよ? 大事にしたい子を怖がらせちゃ駄目だよ」
違うし! 無神経はむしろトルマリンだろが! と反論したい。したいのは山々だが、
……喋れん。
下手に喋るとしゃっくりが漏れそうで。
眉間にぐっと力を込めてトルマリンを睨んでおく。……恨みは無いんだけど、なるべく瞬きをしないためだ。泣いてると誤解されるのは避けたい。
が、トルマリンは苦笑すると何を思ったかオレの頭を自分の胸に押し付けた。
むかっとする。なんだよ……匂いが違う。でもちょっとホッとしてる。これなら目から水が溢れてもバレない。
どうしよう。
オレ、怖いものが無いってのが取り柄なのに、最近は怪しくなってきてる。
晶虎さんは怖い。
身体が勝手に震えてきて、誤魔化すためにトルマリンにしがみつく。くそ。恥ずかしくて顔から火が出そう。自分がこんな感情を持っている事が、恥ずかしい。
だって、誰もあのひとをひとりの人として見てやらないのか、なんて偉そうに憤ってたオレがいちばん彼を怖がってる。
駄目すぎる。ほんと、駄目すぎる。
──嫌われるのが怖いとか。
隼百がひとり悶々と落ち込んでいる間にもアルファ同士の会話は続いてる。
「あれ? アルファさん。何か言いたそうだね。文句があるとか? ……あるわけがないよなあ? 俺は人助けに来ただけだ。にしても、いつも不機嫌そうだけど今日は格別だな。わかるわかる。自分がやりたかった役だもんなぁ。見せ場を奪って悪かった」 トルマリンはちっとも悪くなさそうにのたまう。「でも仕方がない。アンタじゃ間に合わなかった」
……なんか、めっちゃ煽ってね?
言葉を重ねられる毎に爲永の眉間の溝が深くなっていくのがわかる。見えないけどその程度、見なくたってわかる。話の内容はわからん。
わかるのは彼が怒ってるって事。
そこにトルマリンが絡んで険悪になってる。なんで?
……。
長い沈黙が落ちる。
トルマリンは相手の出方を待っているし、爲永は押し黙ったままだ。隼百の方がそわそわしてくる。
いっそ仲裁してみようか? 無理。晶虎さんを怒らせたのオレじゃん。でもこのまま誰も口を開かないのか? もしかして、ここで止められる人間はオレしかいないのでは? ……自分だけ。その考えは隼百の気力を少し上向きにさせる。けどすぐに冷静になる。確執の理由さえわからないのに仲裁なんて無理だ。所詮、オレはハズレのベータで、天上人たるアルファの諍いの蚊帳の外。……寄り添おうなんて、思うのすらおこがましい。自分の思考に傷ついて悲しくなってきたところで溜息が聞こえた。
「俺には関係ない話だ」
「はあ? 今更なに言ってるんだか。ねえ? 隼百君」
「……は、えっ?」
話を振られて変な声が出た。見上げればトルマリンは呆れ顔だ。
「無関係がわざわざこんな僻地にやってくると思うかい? 天下のアルファさんが」
人の職場を僻地呼ばわりするなよ。知るか。ふたりの会話が理解できない隼百に答えが出せるわけもない。トルマリンの呆れはオレに対してか? 違うな。彼の視線は爲永に注がれている。理解しがたいものを見る、怪訝そうな目。するとハッとした表情になる。
「え? ソレもしかして隠してるつもり? 無いよな。アンタだって自分があからさまに運命見つけた反応してるって自覚ぐらいあるだろ」
「……」
「オイオイまさかだろ。無茶苦茶意識してんの、ただ漏れだけど? 何なら最初からバレてる、ってわかってるよな。うちの船を相手に情報戦なんて無意味だし」 わざとらしく溜息。「ま、筒抜けだからこそこっちは上手い具合に利用されたんだけどね。ホント、形振り構ってられないからって清々しいぐらいに厚顔無恥な奴」
「……」
「ってちったあ会話する気ないのかよ? 俺ひとりで喋ってるの、虚しいんだけど、って……あァ」 口の端を引き上げる。「興味ない態度を押し通す程度には俺を警戒してるか」
全く返事をしない相手に気を悪くする事もなく、それどころか楽しそうにトルマリンは喋り続ける。
隼百は首を持ち上げてそんなトルマリンを観察する。首だけなのは他が動かないからだ。
……ん?
どうして動けないんだっけ?
動かない理由はわかる。拘束されているからだ。
わからないのは拘束され続けている理由。助ける為だったらもう開放してくれても良いのに、がっちり固められていて動けない。
まるで晶虎さんから引き離されているみたいな……いや!? ふっと浮かんだ考えに慌てる。なんじゃそら! 無いから!
びっくりした。自分の妄想にびっくりした。
あり得ない考えのおかげで少し落ち着いてきた。息を吸って吐く。深呼吸。うん。
脳に酸素を送るだけでも心に余裕は生まれる。ここは空気が良いし。濃ゆくて、良い。傍のトルマリンの匂いが邪魔だけど。好きな匂いに集中する。
同じアルファでもトルマリンと爲永は対照的だ。
トルマリンは異世界人だ。直接聞いたわけじゃない。出身地すら知らないけど、爲永がこの世界唯一のアルファだから相対的に他のアルファは皆、異世界人と知れる。
──異世界人のアルファと、純世界産のアルファ。
──軽薄と無愛想。
──海賊と協会。
すう──。
もういっかい深呼吸。
──はあ。
うん。思考がクリアになる。
ひとつ、はっきりしている事がある。
前から感じてはいたけど……このふたり、すっげぇ仲悪い。
どんな因縁なのか、面倒だから聞く気はないが。
敵対関係ではあるんだろう。水と油でいかにも気が合わなそうだし。
でもそれだけじゃない。爲永を前にしたトルマリンは彼らしくない。一見、いつもと同じでヘラヘラ笑っているけど、その目の奥には怒りが宿ってる。
思い返してみれば爲永晶虎に関してトルマリンは最初からずっとこうだ。
笑顔で毒を吐く。
今も。
「まぁ確かにアンタの事は許してないけどね。地獄に落ちても自業自得って、ん? どしたの隼百君」
くいくいと腕を引っ張ってきた相手にトルマリンは首を傾げる。
「ちょっと聞きたいんだけど、いいか?」
「……大丈夫? 具合悪くなってないかい?」
「へ? 体調なら絶好調だけど」
「へえ」 垂れ気味の目がうっそりと細まる。「さすが隼百君。アルファ同士の睨み合いに割り込むなんて普通のベータは出来ないよ。神経が持たない」
「オレ、無神経って言われてる?」
「あはは凄いって話だよ。久しぶりだね。元気そうでよかった」
隼百に対しては屈託の無い笑顔を向けてくる。
「今挨拶かよ……いいけど。久しぶり。オレが元気で無事なのはトルマリンのおかげ。助けてくれてありがと」
「ふふ。白々しさを感じてるくせにきっちりとお礼を言える隼百君は良いよね」
「……白々しいお褒めをアリガトウ」
良かった。会話をしていると段々調子が戻ってくる。内心、ほっと息をついた隼百にトルマリンは苦笑する。
「仕方ないな。乗ってあげるよ。聞きたいことって?」
乗ってあげるって。止める為に話しかけたのバレてる。別に、疑問があるのだって嘘じゃないんだけど。
「どうしてトルマリンがここにいるんだ?」
「俺と隼百君の絆が強いからだね」
「寝言ほざいてんなよ」
軽く肩を竦めるトルマリン。
「勿論、君を助けるためだよ」
「……」
隼百はトルマリンをじっと見つめる。
聞きたいコトは山程あるが、呑み込んでひとつだけ問う。
「どうして間に合ったんだ?」
「針が戻る前を正確に知っていたから」
端的な質問には簡潔な返答。
「……ああそっか」
理解した。
トルマリンは間に合ったわけではない。
「オレ、また死んだのか」
「御名答」
トルマリンが指差したのは隼百の腕だ。──と、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。あれ金針さん? 気配を消して見守ってたのに思わず息が漏れたって表情をしてる。志知などは目を剥いている。……ああそうか。
彼らの反応のおかげでそれまで存在感を消していた物が隠蔽を解き、姿を現したのだとわかった。
銀色のベルトに、闇に沈みそうな黒の中で浮かぶ文字盤。
「散々繰り返しただけあって理解が早いよね、うん偉い偉い」
よく出来ました、とばかりに頭を撫でられる。
「……嬉しくない」
「俺が間に合うのは当然だよね。上書きされる前の過去に何があったか、俺は全てを知っている。ソレの制作者だからね」
知っているからこそ、対処出来るのだ。
トルマリンが指したのは腕時計だ。ハイブランドの機械式腕時計。
ただの機械式ではない。隼百の死をトリガーとして時を5分だけ巻き戻す、意味不明にぶっ壊れた機能がついている。
隼百の浮かべるイメージは古いゲーム機のリセットボタンだ。
死んで、セーブポイントからまたやり直し。
「……それ、は」 隼百は数秒言葉に詰まった後、がっくしと項垂れる。「ご足労をおかけしました……」
「えっ、嫌だな。いきなりの他人行儀は止めてよ。俺と隼百君の仲でしょ」
「友人以下の知り合い?」
「ヒドイ」
「……じゃなくて」
「うん?」
眼前に腕を突き出されたトルマリンが訝しむように首を傾げる。
「これでも悪かったと反省してるんだ。トルマリンだって忙しいのにまた余計な手間かけさせた。ごめん。これは返す、っぴ?」
喋り切れず、びくっとしたのは睨まれたからだ。爲永に。
「駄目だよー」 トルマリンが宥めるように笑って隼百の腕を押し戻す。「忘れてないかい? 君はこれがあるから五体満足でいられる。隼百君なんてちょっと放置したらすぐ死んじゃうよ勿体ない」
「いやあ? オレ、ハズレだし大してもったいなくはないでしょ、し」
再び不自然に途切れる台詞。やっぱり睨まれてる。
眼光が強い。照明が点滅する窓のない室内。爲永の表情は戸口からの淡い逆行を背負って分かり辛い。ただ目だけがぎらぎらと光っていて猛獣みたい。
救いを求めてトルマリンを見るが、駄目だ。こちらは観察するような目。てか完全に面白がってる。トルマリンは助けてくれない。
「……だっ、だってオレ」
溺れるように口を開いてから、言葉に詰まる。なにを言おうとしてたんだっけ? 言い訳を。なにを?
なにを間違えたかもわからないのにどう言い訳するのか。謝ったら許してくれる? 無理か?
でも、
でもなんで怒るんだ? 理由、あるか?
胸の奥からふつふつと湧き上がってくるのは反抗心だ。
オレは晶虎さんの親の敵か?
違う。無関係だ。むしろ知らない人だ。トルマリンには迷惑をかけたけれど、晶虎さんに対してはなにもしていないと言い切れる。だってロクに会話もしてない。考えるほどに腹が立ってきた。
──このひとには関係ないだろ。オレの生死なんて。
謝る必要はない。オレは間違えてない。
重圧に抗うように眉間に力を込めて茶色の瞳と目を合わせると逆にビクッとされた。
……。あれ? 怯んだ? 意外と効いてる。思ったより弱い?
ぶっはっ、と鼓膜に盛大に息がかかる。くそ、こっちはまた笑ってるし。
「なんだよ、もう」
トルマリンを振り返って隼百は目を見開く。予想外だ。笑ってるのに困った顔をしてる。
「知ってたけど、君は自分の命の扱いが軽すぎるね。そんなボンヤリと自分が死んでも勿体なくないとか言う? せめて深刻に返して?」
「……深刻に言ったって状況は変わらないだろ。積極的に死ぬ気はないけど、その運命ってのから逃れるのは無理そうじゃないか? せめてちょっとは和ませようって配慮なんだけど」
「配慮の方向性がおかしいね」
「そうかなぁ」
「君がそういう姿勢だからこそ、こっちに皺寄せが来るんだけど?」
「それは、申し訳ない」
今度は即座に謝った隼百にトルマリンは仕方がなさそうに溜息をつく。
「申し訳ないって思う気持ちがあるなら自分が死に好かれている原因を考えな」
「……原因」
「わからないのなら尚更、その時計は君が持っているべきだよね」
その言葉に隼百はぼんやりと実感する。アルファは人の上に立つ為の人種だ。決して命令ではなく口調も柔らかいのに、有無を言わせぬ圧がある。
でもそう言われても。そりゃオレだって事故に巻き込まれ続けている今の状態が異常だと理解している。でも……直答を避けて視線を彷徨わせると爲永と目が合った。頷かれた。
え。
気の所為か、見間違いだよな。まさか、いま睨み合ってた険悪な二人が足並みを揃えるなんて考えられないし──
「お前が持っておけ」
「うえっ!?」
「だよねえ? ほら。アルファさんも言ってるじゃん」
「制作者がこう言ってるんだ。二度と手放すな」
事前に示し合わせてたのかと疑いたくなる連携で畳み掛けられて隼百は怯む。
この一点に置いて、対立するアルファ二人が結託しているのは何なん。
しかし下手に追求するのはマズイ気がする。責められるのは隼百なのだ。
「わかった。また借りる……じゃない借ります。借りさせて頂きます」
触らぬ神に祟りなし。
「君はアルファさんの命令なら素直に聞くんだねえ」
にこやかにのたまうトルマリン。なんでだよ。違うよ。ふたりから怒られる勇気がないから従っただけだし! と言おうとして思い留まる。反論が情けない。
「間違えるな海賊。俺はこれに命令はしてない」
かわりに文句をつけたのは爲永だ。
やっぱり仲悪いな?
喧嘩に興味の無い隼百はぼんやり聞き流す。
声が好きなんだよなぁ。たとえギスギスした空気だろうが、喋ってくれるなら耳が幸せだ。
「は、どの口が。アルファさんの口から出た言葉なんて、すべからく命令だよ。本人にそのつもりがなくても周囲にはそう受け止められる」
「……」
「ほらほらそうやって息をするように威圧してくんのはどうかと思うよー? アルファの俺には効かないけど」
トルマリンは隙あらば煽ってくる。密かにしゅんとする隼百だ。また黙っちゃった。
てか晶虎さん、あえてトルマリンに反論しないようにしてないか?
今更だけど、彼らの力関係をマジメに考えてみる。
協会と海賊。この世界において、絶大な権力を握っているのは『この世界最後のアルファ』である爲永晶虎をトップに据えている協会だ。……いや逆か。
爲永晶虎が在籍しているからこそ、協会に権力がある。『海賊』が実際犯罪行為をしているのかどうか、隼百は知らないが、賊と呼ばれてる以上は秩序から外れた存在だろう。反乱分子であり、捕らえるべき対象。つまり立場が強いのは爲永の方だ。でも弱みを握られているのか、負い目でもあるのかこの場で優位に立っているのは──
「うん? なんだい?」
袖をつんつんと引っ張るとトルマリンは甘い笑みを見せてくる。大変胡散臭い。
「喧嘩を止めてくれ」
室内にぴりっと緊張が走る。
「随分とストレートに言うね」
「ここ職場だって言ってるだろ。皆、怯えてるから迷惑なんだよ。見ろよ志知さんなんて顔が土気色」
言いながら指すと、顔色を更に悪くした当人と目が合った。口がパクパクしてる。なになに? 余計なこと言うな?
「隼百君」 にこ、と笑うトルマリン。「でも俺に言う? 怖い顔で威圧してんのはアルファさんだよ」
「アンタは笑顔で威圧してんだろ」
片眉を上げたトルマリンは直ぐにああ、と合点したように頷く。
「確かに。それにここのベータ達は免疫が無いんだったね。アルファ同士の睨み合いなんて傍に居るだけでもキツイか。ごめんね」 意外と素直に謝罪してくる。「まあ隼百君は平気そうだけど」
ヒトコト多かった。
「オレはトルマリンの人柄を知ってるし。怖いわけがないだろ」
「俺の人柄?」 馬鹿にしたように鼻を鳴らす。「ちょっと優しくしたら絆されてくれるんだ。隼百君は騙し易いんだねえ」
コイツは何を言ってるんだ。
「どこが騙してるんだよ。見たまんまだろ」
「……見たまま?」
「トルマリンってチャラいしウザいし、ワザと誤解されるように誘導してるところあるけどオレ、アンタが人を守ろうとするところしか知らない」
トルマリンが目を瞬く。
「……少しときめいたんだけど」 ぼそっと呟いた後、なにが楽しいのかまたくつくつと笑い出す。「そう射殺しそうな目で睨むなよ。言われたろ? 殺気を控えろって」
「? 睨んでないよ」
「隼百君じゃなくてね……ぶっ、面白」
くっくっくっく、と肩を揺らして細かく振動する身体。
トルマリンの笑いのツボがわからない。
「それよりいい加減離して欲しい」
「ああ。ごめんごめん、うっかり忘れてた」
よく言うよ。悪びれない態度が釈然としないが、やっと開放してくれる気になったのにはホッとする。
「しかし君、呆れるぐらいに緊迫感が無いよねえ」 トルマリンこそ、うだうだだらだらしてるじゃねえか。なんて突っ込みは声に出さなかったのにまるで心の声が聞こえたように顔を顰める。「アルファ相手に物怖じしないって事だけじゃないよ。たった今、死にかけたって自覚ないでしょ」
「そりゃあるよ。統計だとオレが死にかけるのは3日に1度の割合なんだって」
答えながら指を一本一本剥がしていく。だってこの腰に回った腕、いつどかしてくれるのかわからない。どかしてくれるまで待てないし。
間があった。
「だね。それが、何」
「死んだ直後はいちばん安全だろ。確率的に」
再び間。
「はあっ!?」 鼓膜がキン、とした。耳元で叫ぶのは遠慮してほしい。「今じゃないから緊迫感が無いって言うつもりか? 待って、そういう問題!?」
「人間、ずっと緊張し続けるのは無理だよ」
まぁ3日後になったところで隼百が恐怖に打ち震えるかと言えばそうでもない気がするが、バカ正直に申告する必要はない。怒られるのはもう懲りた。
はあぁ、と肩を上下させるトルマリン。溜息つかれた。
「……いま、しみじみ実感したよ。君は自分の運命と向き合うべきだ。まず、しっかりと向き合って考えな」
「死ぬ原因なら考えたけど」
「早いね!? 秒で答えを出せとは言ってないんだけど!?」
「さすがに秒は無理だよ。単に、いつも考えてたから答えが出せるってだけ」
「へえ。一応、考えてたんだ君」
ひどくね?
「オレだって闇雲に無謀なわけじゃないし」
「……ふうん?」
「トルマリンはちょっと疑り深いな」
「隼百君? 俺だけじゃないからね」
はあ? どういう意味だ。抗議しようと顔を上げて、たまたま晶虎さんと目が合ってびくっと身を引く。なんとも言えない表情で隼百を見ている。
……いや、ここにいる全員が同じ懐疑的な目を隼百に向けている。
アウェイ。
「それで君の見つけた答えはなんだい?」
トルマリンが問う。
「オレは死ぬべきなんだと思う」
静かになった。
と言うか『水を打ったような』と表現する程の沈黙に訝む。視線が痛い? あれ? なんで皆してオレを見ているん……我に返る。しまった。
自分の考えを整理するのに忙しくて、取り繕うの忘れてた。我ながら、今の発言はおかしい。言い方。もっと言い方ってものがあるのに。
……あああ。せっかく緩みかけていた腕が動かなくなってるし。いや動く。指が! 指が戻ってくる!?
「それは、どういう意味だ?」
えっ?
口を開いたのは爲永だ。さっきから黙秘か? ってぐらいに喋らないし興味ないって態度を貫いてる癖に、唐突に怒ってくる。くっそう段々、慣れてきたぞ。いや慣れない。泣きそう。なんなん。
てかトルマリンは解放して欲しいオレの気持ちに気付かないのか? ……じゃないな。
「どういう意味かな?」
今度はトルマリンに聞かれる。なんなん。
胸の前に組まれた腕をカリカリ引っ掻くが、無視される。もー。
「オレだって最初は自分が巻き込まれてると思ってたんだ。でも、不自然だよな」
「うん? 隼百君、唐突に話を変えてくるね」
「唐突じゃないし、つながってるよ。オレの周囲で事故事件が頻繁に起きているって言いたい。それって本来なら起こらなかった災害じゃないのか? 本来、死んでいた人間がまだ生きてるから、運命が辻褄を合わせようとしてる。そう考えられないか」
「……強制力って言いたいのかい?」
「名前は知らないよ。どっちにしろ、そういう現象は原因が消えれば終わるし、消えない限りは終わらない」
「君の存在が原因、ね。俺の使った言葉と同じなのにニュアンス、全く違うね」 トルマリンは溜息。「そっちじゃないんだけど」
そっち? じゃあ正解はどっちだよ。突っ込みに口を開きかけて、止めた。
聞いたところで隼百の考えは変わらない。
この状態が続いたら、きっといつか、誰かを巻き込んでしまうだろう。
「オレは無関係な人を巻き込むつもりは無いんだ」
この腕時計を改造したのはトルマリンだ。管理者もトルマリン。だから死のトリガーが発動する度に彼が対処しにやって来る。知る立場であるが故に、見捨てられないんじゃないかと隼百は思う。別の思惑もあるかもしれないが、結局のところ、助けるという選択をする根本にあるものは善意でしかない。
それは──有難いより、居心地が悪い。そこまでされる、自分の価値が見出せない。
自分の為に無理をして欲しくない。──誰にも。
しかし見捨てる、という選択も相手の負担になるか。
「オレの死はオレだけの責任だ。赤の他人が負う義務なんて、無い。なにひとつ無いよ」
隼百は隼百なりに真摯に言葉を重ねる。けれど、どうやらその誠意は誰にも伝わっていないみたいだ。周囲の反応が鈍い。トルマリンは心底呆れた様子だし、爲永の眉間には更に皺が増えている。
……おかしいな? どう言えば響いてくれるんだ。
「えっとその、誓っても良い。オレは死に際に助けに来てくれないからって恨まないし、呪ったりもしない」
「随分嬉しくない誓いだなぁ」
ぽすんと手が頭に乗せられた。わしゃわしゃと髪を掻き混ぜてくる。
「うんうん、隼百君は俺の苦労と負担を労ってくれるつもりなんだね」 ……待て。中年相手に子どもに話かけるようなこの対応は皮肉か? 大人扱いする価値がないってか?「でもどうせなら頑張って救ってるって褒めて欲しいな。俺、褒められて伸びるタイプなんだよね」
「褒める、とは」
戸惑う隼百の髪をひとすくい。トルマリンはなぜか戸口の方を見ながら言う。
「試しに褒めてみて」
なんて? 眉を顰めてトルマリンを見るが、期待を込めた目で待っている。
「……さすがトルマリン。カッコイイ。天才開発者」
「ふふ。棒読みでも全然気にならないよ。俺は他のアルファよりも頼りになるかい?」
「なるなる。すごくなる」
「……ふふふふ」
ご満悦である。
こんな雑な褒め方で良いのか?
ほらあ。晶虎さんからの視線が痛い。ほんと仲悪いな。
と、手首を持ち上げられた。腕時計の上に手のひらが被さる。
「……トルマリン?」
ぽわり、ぽわりと揺らぐ光。手と手の隙間から光が漏れていて、思わず見入ってしまう。はじめてなのに見覚えのある、懐かしい白い光……タンポポの綿毛みたい。コレは、なんだ? 綿毛の光は戸口に向かって飛んでいって爲永のいる辺りで見えなくなった。
「心して聞けよ。さっきのアンタが体験したのは中途半端な開放だ」
「……」
隼百の手元に視線を固定していても、トルマリンが話しかけている相手は隼百ではない。
「巻き戻った事実を知っただけ。わかるだろう? それだけじゃ足りない。──救えない」
「頼む」
眼前に繰り広げられた光景に隼百はただ目を見開く。咄嗟に理解できない。
晶虎さんが膝を折った。
「──俺に、観測者の眼をくれ。対価なら、」
「いいよ」 あっさり答えたのはトルマリン。「ていうか、今やったよ。その手続き。権利の譲渡」
「……なんだと?」
頼んで、了承された。だのにこの驚愕の表情は何だ?
「元からそのつもりで来たからね」
対して、答えるトルマリンは実につまらなそう。
話についていけない隼百はただ爲永を凝視してしまう。驚いている晶虎さんは新鮮……じゃない、そういうコトじゃない。
この様子だと頼みを断られると思ってたんだよな? それほど無茶な要求をしたのか? それとも、彼らの間柄は頼み事が許される関係ではない?
わからない事だらけだが、ひとつだけはっきりしてる。
今このひと、躊躇いもなく土下座しようとしてた。
「──おめでとう」 トルマリンは爲永に優しく微笑む。「アンタにはこれから挽回の機会がいくらでも訪れるだろう。良かったな」
「……くそが」
爲永が吐いた悪態に隼百の方がビクッとする。一方のトルマリンを見れば寿ぐ言葉とは裏腹に爲永を映す瞳の色はぞっとするほど冷たい。
「不満なら止めるかい? こっちは構わないよ。安心していい。情が湧いたから、見捨てる事はない。手駒として持っておく分には悪くないしね」
「ひょぇ」
志知が思わずといった風に悲鳴を漏らした。金針に至ってはずっと気配を消し続けてる。
……まあ。わかるけど。
アルファの本気の睨み合い、迫力エゲツナイ。
ただ、隼百としては怖いよりも置いてかれた気分のが強い。一触即発。今にも殺し合いが始まりそうな空気の中、首を仰いで困る。
身長、足りてない。
オレ、ふたりの視界にも入ってない。頭上の様相は怪獣決戦。今度こそ止められない気がする。
……けれど懸念に反し、争いなんてものは起こらなかった。
爲永は拳を握りしめる。トルマリンを睨みつけていた目を閉じ、息を吐く。
「……感謝する」
……え?
「縋るなよ。こっちだって万能じゃない。結末を変える夢のような手札は持ち合わせてない。うちのガーデンの見立てでは因縁、だそうだけど?」
「……」
返答が無い事に構わず、トルマリンは続ける。
「要は、自業自得」
「……」
がくんと視界が揺らいで隼百は混乱する。
「へれ?」
腰を引かれて後ろに戻された。
解せない。引き戻されたのに元の場所から動いてない。
「危なっかしいなあ」 とトルマリン。「君、いま無意識に動いたでしょ。足元はよく見ないと転んで怪我するって言ったでしょ」
「は? んなこと、してないし」
でも自分の視線の先に答えを知る。目が離せないのだ……ああそうか。
彼に駆け寄ろうとして阻まれたのかオレ。
どうして駆け寄ろうとしたんだ? ぎゅっと心臓のあたりを掴む。胸が痛かったからだ。焦る。──何で邪魔されてんだろう、あの側に行きたいのに。いやなに考えてんだ? 落ち着けオレ。でも焦燥感だけが増していく。
だって、打ちひしがれてる。──たすけないと。思いだけが先行していて、後からなぜ? を考える。
──だって後悔してる。苦しんでる。忘れてないから壊れてんだ。もういいのに。終わった事なのに。
そう。彼は壊れてる。助けないと──違う。
オレが、守りたいのに。
ああもう、自分がわからん。思考がぐちゃぐちゃだ。
と、ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられて我に返った。隼百はじとっと目を細め相手を睨む。
「……さっきから人をぬいぐるみ扱いしてないか?」
「うんうん、隼百君って精神安定剤っぽいよねえ。衝突を和らげるてくれる緩衝材にもなる」
「嘘言え。全然和んでないだろ」
「あー、はいはい」
「わっ!? 急にっ!?」
抱き込むように拘束されてたのを突然離されたからバランス崩す。たたらを踏んだ隼百の視界の端、爲永の手がぴくりと上がって下がるのが見えた。
? 視線が絡んだ、と思ったらフイッと逸らされる。
むか。
転ぶ寸前、襟を引っ張られてすとんと立たされた。横倒しのロッカーの上に。
「っ、だから猫の子じゃないって!」
「アハハごめんねー? さっきから君を離せって五月蝿くって」
「くそ、うるさくして悪かったけど! 嫌ならさっさと解放すりゃ良かったろ!」
叫ぶと、トルマリンがじっと隼百を見つめてる。
「ご機嫌斜め」
「へ?」
「嫌な事でもあったかい?」
「……いや、別に」
「そう」 ふっと雰囲気を和らげる。「無言の圧って存外、やかましいんだよね。会話に加わる勇気も無いのに女々しいったらない」
無言?
「話が噛み合ってなくないか?」
「隼百君は全然五月蝿くないって事だよ。むしろ大人しいぐらい。可愛いからもっときゃんきゃん吠えてくれて構わないのにねえ」
「へ……は?」
ドン引く隼百に目を細めてトルマリンは続ける。
「ま、茶番はこの辺でおしまいにしようか」
パンパン、と話を区切るようにトルマリンが手を叩く。
「……グダグダさせた当人が言うなよ」
ぼやいたが、トルマリンは全く意に介さず鼻歌混じりに瓦礫と化した足元を蹴り崩し始めた。うちの備品を……自由すぎる。ぶすっとしてるうちに床が現れて隼百は今更気付く。足を下ろす場所すら埋まってた事に。
なんだ。破壊してたわけではなく、通り道を作ってたのか。
と、トルマリンで遮られて見えなくなった。晶虎さんの姿が。……隠すな。
「アンタはこれから何度、地獄を経験するだろうね」
背中しか見えないトルマリンが語る。
地獄。
随分物騒な単語だ。
「いい気味だ。──と嘲笑してやりたいところだが、そういう気分にもなれないのが頭が痛いんだよな」
「さっきからなんの話だ?」
思い切って口を挟んでみるが、駄目か。トルマリンは振り返ってはくれない。
なんだか奇妙だ。嫌ってるのに、無言の相手に話しかけ続けてる。まるでいま伝えないといけないと考えてるように彼はひとりで喋り続ける。
言われている爲永の表情は見えない。
「番の死を見る地獄なんて一度でも経験するものじゃない」
まるで番の死を経験したみたいな言い方。けどおかしい。トルマリンの番はとても元気な人だ。返答が無いとわかっていたが、疑問は口から溢れていた。
「トルマリンの番って仲嶋さん以外にいたのか?」
あ、凄い勢いで振り返った。
「ちょっ、怖いコト聞かないでくれるかな!? 浮気なんてするわけありません」
「そりゃそうか」
トルマリンは仲嶋さんを溺愛してるもんなあ。
「かんべんして……」
「ごめんて」
でも違和感が拭えない。
なら、どうしてこの腕時計が存在するのか。どうしてトルマリンはこんなアイテムを作る気になったのか。──必要があったからだ。
──必要って?
考え込んでいるうちにトルマリンがまた何事かを爲永に言い放っていたが、それは隼百の耳を素通りする。
「精々頑張るんだな。これは試練だ」
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何度も読み返して頂いている……ありがとうございます。更新が遅いのが申し訳ないですが、ちゃんと続きます。やっと話すようになったばかりで途切れたりはしないのでよろしくおねがいします。遅いですが!
更新待ってます!すっごく面白かったです。文章が美しく儚くて消えてしまいそうで、とても惹きつけられました。
今はちょっとづつ書き溜めてます。亀です。ようやく話が動きそうな……感想有り難いです!
すごく面白いです。
続きを読ませていただけると
本当にすっごく嬉しいです
ありがとうごさいます!!
励みになります。ペース遅くてすみませんですが続き頑張ります!