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5. 四つ目の約束(6000字強)
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部屋の片づけがやっと終わり、私はふぅっと一息ついた。
最近は大学院での研究に追われ、部屋の片づけをする暇なんてなかったもんな。最初はひどい散らかりようだったが、これなら男二人で飲む分には大丈夫だろう。
忙しかった学会の期間がやっと終わり、少し時間にゆとりができた私は、地元に就職した大学時代の友人の一人を誘って、今夜部屋で酒を飲む約束をしているのだ。
それにしても私の部屋で友人と酒を飲むなんて久しぶりだ。学部生時代のことを思い出す。あの頃は時間だけはたっぷりあって、よく友人連中と鍋をつついては将来の夢を語り合ったものだ。
私が大学院に進学し、友人たちも次々に都会へ就職していってからはそういう機会もめっきり減ってしまった。
さて、あとは、学部生時代よく飲んでいた安酒とおつまみを用意すれば即席の宴会場の出来上がりだ。といっても、あいつはこの安酒にいい思い出はあまりないかもしれないが。
冷蔵庫から安酒を取り出す時、ふと、その友人のことを思い出す。物忘れが激しく、すぐに約束を忘れてしまうその友人はよく教授に怒られていた。そのたびに、私たち友人連中は、励まし会と称し、この安酒を夜通し飲み続けたのだ。
昔みたいに朝まで飲むわけにはいかないが、明日は休日。仕事の愚痴であれ、昔話であれ、今日はとことんまで語り明かすぞ。
私はささやかな飲み会の準備を終えると、友人の到着を待った。
時間にルーズな友人にはめずらしく、彼は約束の時間ぴったりに現れた。もしかしたら、また約束のことをすっかり忘れているのかもしれないと思っていた私の予想は、いい意味で裏切られた。
友人を部屋にあげ、さっそく小さな宴会がはじまる。
学部生時代はちょっと抜けていて頼りがいのない男、というのが彼に対する印象だった。しかし、久しぶりに会った彼はなんだか自信に満ち溢れている気がする。地位が人をつくる、とはよく言うが、社会人になって彼も一皮むけたのだろう。彼が約束をきちんと守る男になっているのがなんだか嬉しく、自分ももっとしっかりしなければという気になってくる。
酒を酌み交わし、ひとしきり昔話に花が咲いたところで、友人は私に尋ねる。
「ところで、今日俺をここに呼んだということは、何か俺に助けてもらいたいことがある、ということだろう?」
学部生時代はレポートや宿題など、私の方が彼を手伝っていたというのに。
思ってもない質問に私は意表をつかれた。
「なんだやぶからぼうに。お前の好意は嬉しいが、今のところ、助けてもらうようなことはないよ、ありがとう。今日お前を呼んだのは昔のように部屋で飲み明かしたいと思ったからなんだ」
「ははは。隠すな隠すな。お前が俺に助けてもらいたいと思っていることは分かってるんだ。なんせ、この飲み会は四つ目の約束なんだからな」
友人は、絶対に私が助けを求めている、と確信しているように自信満々で言い切った。
「なんだよ、それは。助けがいることなんて本当にないんだ。四つ目の約束だかなんだか知らないが、ないものはない。単純に部屋で友人と飲みたい。それだけだよ」
「そんなはずないだろう。よく考えてみろよ。本当にないのか?」
友人があまりに自信たっぷりとしつこく聞いてくるので、なんだか本当に助けがいるような気がしてくる。
私は少し考え、前々から計画していたあることを思い出した。
「そういえば、今度大学院で試験があるのだが、そのためのノートの整理をまだしてなかったなぁ。試験にでそうな事柄を一枚の紙にまとめるのだ。いや、まぁ、一人でもできるのだが、お前が手伝ってくれるというなら、まぁ、ありがたいかな」
嘘である。
学会発表に時間をとられ、勉強する暇がなかなかなかった私は、今度の試験で人生初のカンニングをすることを計画していたのだ。
さんざん迷ったが、ここで友人が手を差し伸べてきたのも何かの縁だろう。神さまが私にカンニングをするように言っているのだ。この機会を利用して、カンニングペーパーをつくってやれ。友人のしつこさが私の心の中の悪魔にささやきかけ、心の迷いを断ち切らせようとしてくる。悪魔のささやきと酒の力のせいで、つい口からそんな言葉が出てしまった。
「なんだ、そんなことか。簡単なことだ。俺に任せておけ。よし、善は急げだ。今からやってしまおう」
友人は私が助けを求めていると分かると身を乗り出して私の手を引く。
「今からやるのか? せっかく久しぶりに会ったのだからもう少し話してからやらないか?」
「いーや、だめだ。こういうのは早く終わらせた方がいいんだ。さぁ、手伝ってやるから早く準備しろ」
友人は半ば強引に私を勉強机に向かわせた。
こうもトントン拍子に話が進むとなんだか心の中の迷いがまた大きくなる。もともとカンニングは苦肉の策で、積極的にやろうとしていたものじゃない。だから今まで全く手をつけていなかったのだ。こうなると友人の善意を裏切っているようでなんだか辛い。しかし、乗りかかった船を降りるわけにもいかず、私はしぶしぶ友人とカンニングペーパーを作りはじめた。
カンニングペーパー作りは数時間を要した。
気付けば、もうすぐ友人が帰る時間になってしまっている。
友人は社会人になってしっかりと頼りがいのある男になっている、と最初は思っていたのだが、頭の良さまでは改善されていなかったらしい。しかし、不器用ながら一生懸命に私のためにノートをまとめてくれた。
「よし、これでもう十分だろう。ありがとう、助かったよ」
「いや、これはお前のためだけじゃない。俺のためでもあるんだ。なんせ、今日お前と会ったのは四つ目の約束なんだからな」
友人は安心したような顔で言った。
「四つ目の約束? なんだそれは。そういえばさっきも四つ目の約束だとか言っていたが、それは一体どういう意味なんだ?」
さっきも出てきた聞きなれない単語に興味を覚えた私は友人に尋ねた。
「ははは。いや、四つ目の約束というのは俺が便宜上そう呼んでいるだけで、実際にはもっとふさわしい言葉があるのかもしれないな。神さまの裁判、とでも言えばいいのかな。実は、社会人になってこの四つ目の約束のおかげで俺は変わったのだ。以前は頼りなく、自信のない男だった俺が自分でも驚くくらい立派になれた。それは、この四つ目の約束のおかげなんだ」
「なんだそれは。全く要領を得ないではないか。しかし、面白そうな話ではある。帰る時間まではまだ少しあるんだし、詳しく聞かせてくれよ。そんなところでやめられては今夜眠れなくなりそうだ」
「ははは。そうだな。それなら、この話をしてから俺はおいとまさせてもらおう」
そう言うと友人は四つ目の約束について語りはじめた。
社会人になりたての友人は、最初やはり仕事ができなかったらしい。
約束をすっかり忘れて失敗することが多く、先輩との食事の約束をすっぽかすなんてことは可愛いもので、大事な会議のことをすっかり忘れてしまい大目玉をくらったなんてことも日常茶飯事だったそうだ。
これではいけない、と思った友人は会社の先輩にどうしたらいいか相談する。
友人からの相談を受けたその先輩は友人にあることを提案した。
それは、一日にする約束の数を決めてしまう、というシンプルなものだった。例えば、一日で約束が三つある、と決まっていれば、もし約束を忘れてしまっても、そういえば二つ目の約束はなんだったかな、という風に数字で覚えることができ、いつも頭に留めることができるので、簡単に約束を思い出しやすくなるのではないか、ということだ。
これを聞いて納得した友人はさっそくその案を試してみることにした。
友人は自分の脳のキャパシティを考え、一日にする約束の数を三つに限定した。
どんな日も、休日でさえ、約束を三つする習慣を身につけた。大事な会議などの約束は優先し、すでに三つ約束がある日は食事の約束を断った。急に大事な約束が入ってしまった時は、今している約束の一つを断り、いつでも三つ約束がある状態をキープするようにした。
これが友人にハマったらしい。約束をすっぽかすようなことは全くなくなっていった。となれば、どんどん仕事ができるようになってくる。仕事ができるようになると、どんどん仕事が面白くなっていき、自分に対する自信もどんどん深まっていった。
そんな生活を続けていたある日のことである。
会社での仕事が終わり、自宅へと帰っている途中でのこと。
ふと、頭にある約束が思い浮かんだ。そういえば中学の時の同級生が久しぶりに地元に帰ってくるので、食事をしよう、と言われていたのだ。
しかし、今日はすでに三つ目の約束を終えている。どうやら約束の数を間違えてしまっていたらしい。そう思った友人は今更その約束を断るわけにもいかず、同級生との約束の場所へと向かった。
その道中、またあることを思い出す。そういえば、その同級生はもうすぐ誕生日だった。約束の時間まではまだあることだし、どうせならちょっとしたものをプレゼントとして買っていってあげよう。
友人は、近くの雑貨屋さんでちょっとおしゃれな携帯灰皿を買い、包装してもらうと、それを持っていくことにした。
約束の時間に約束のレストランへ着くとに同級生はもうすでに席に着いていた。
懐かしい昔の話に花が咲き、おいしい料理を食べていると、同級生は友人にこうもらした。
「そういえば、地元に帰る時、家に携帯灰皿を忘れてしまってね。外でたばこを吸う時に困っているんだ」
「なんだって? 実は今日お前に誕生日プレゼントをあげようと携帯灰皿を買ってきたんだ」
実にいいタイミングだった。
友人は買ってきた携帯灰皿を同級生へと渡す。
「本当か。ありがとう。実は結構困っていたんだ。助かったよ。しかし、悪いな。あっ、それではお返しというわけではないが、地元の商店街の福引券を代わりにあげるよ。どうせ、もうすぐ都会の方へ帰らないといけないから持っていても仕方ないからさ」
その日は大いに盛り上がり、友人は久しぶりに楽しい夜を過ごすことができた。
さて、翌日である。
同級生にもらった福引券を使い、商店街で福引を引くとなんと特賞が当たったのだ。今までくじ引きの類で良い目にあったことのなかった友人は驚きつつも喜んだ。
またある休日のことである。
いつものように三つ目の約束を終え、家に帰ろうと大通りを一人で歩いていた時のこと。
ふと、また頭の中にまた四つ目の約束が思い浮かんだ。そういえば、インターネットの通販で買った商品のお届け時間が今日の夕方だった。
また約束の数を数え間違えてしまったか。
このまま歩いて帰っていては間に合わない。少々高くつくがタクシーで帰ることにするか。そう思った友人はタクシーをとめ、家まで送ってもらうことにした。
タクシーに行き先を告げ、携帯電話に目をやろうと目線を下に下げると、座席の下になにか小さく光っているものがある。目を凝らしてよく見てみるとそれは硬貨だった。
友人はそれを見てハッとした。もしかすると、四つ目の約束というのは神さまが俺に与えてくれたご褒美なんじゃないだろうか。
この前の四つ目の約束の時に福引で特賞を当てていたこともあり、友人は内心喜びながらその硬貨をこっそりポケットへ入れた。
さて、タクシーが家に着き、友人は支払いをするために財布をポケットから取り出そうとした。
その時である。
確かにポケットに入れてあった財布がないのだ。慌てて他のポケットやカバンの中を確認するのだが、どこにも財布がない。朝、家を出る時はたしかにポケットに入れたはずなのに。と、いうことはどこかで落としてしまったらしい。
なんだ、四つ目の約束は神さまからのご褒美なんかじゃないじゃないか。やはりただの約束の数え間違いだったか。
友人は突然の不運にがっかりした。
しかし、その友人の考えとは裏腹にそれからも三つ目の約束の後に、四つ目の約束を思い出す、ということがたびたび起きた。
最初は、ただ約束を数え間違えていた、と思っていた友人も、こう四つ目の約束を経験してしまうとどうやらただの数え間違いではない、ということにだんだん気づいてきた。そして、その経験から、四つ目の約束が起きた時、必ず良いことか悪いことのどちらかが起こる、という法則も分かってきた。
友人はその法則を解き明かすために、それぞれの約束で起きたことを思い返し、分析した。その結果、面白い結論を得ることができたのだ。
つまり、四つ目の約束は神さまの裁判なのだ。その約束の途中、善行をした場合、その善行の何倍もの良いことが起こる。しかし、道徳に反する行為を行ってしまうと、その悪行の何倍もの悪いことか降りかかってくるのだ。
これに気づいた友人は四つ目の約束が起こった時、可能な限り善行を行うことにした。善行を行ってさえしまえば、その何倍もの見返りを得ることができるのだ。もはや、こうなってしまえば四つ目の約束は神さまからのご褒美である、と言っても過言ではない。
ここまで話すと、友人はすぅっと一息呼吸を整えると私の方を向きなおした。
「と、まぁ、そういうわけだ。俺がお前を手伝ったのは何もお前のためだけじゃない。俺にとっても良いことだったのさ。と、いうことだから別に感謝しなくてもいいぞ」
「なるほど。そういうわけだったのか。なんともまぁ不思議な話だ。しかし、お前の話を聞いているとなんだか嘘とも思えないな」
私はなんともまぁ、キツネにつままれたような気分だった。
「さて、善行も行ったことだし、もう帰る時間だ。俺はそろそろおいとまさせていただくか」
「あ、あぁ」
友人はすっくと立ちあがると玄関に向かって歩き出す。私は友人を見送るために立ちあがると、何も言えずに、友人のそばに立った。何も言えない私に向かって友人は笑いながら声をかける。
「それじゃあ、また、一緒に飲もうじゃないか。また、いつでも連絡してきてくれ」
「あ、あぁ。そ、そうだな。できれば今度はゆっくり飲もう」
実はあの紙はカンニングペーパーなんだと言えるはずもなく、私は友人に力なく答える。友人は笑いながら頷くと、玄関から外へと出ていった。
部屋に一人残された私は友人と協力して作ったカンニングペーパーを見つめていた。
善行を行えば何倍もの見返りが、悪行を行えば何倍もの災いが身に降りかかる、四つ目の約束、か。
カンニングペーパーを作る、ということはやはり悪行の内に入るのだろうか。と、すれば友人には今ごろ何か災いが起こっているかもしれないのだ。
私のせいで、親しい友人に迷惑をかけてしまうことになる。先ほど、不器用ながら私を手伝ってくれたあの友人に。
ええい。私は意を決するとカンニングペーパーをぐしゃぐしゃに丸めるとゴミ箱へ放り投げた。丸めた紙が勢いよく飛びこんできたことでゴミ箱はカラカラと音を鳴らす。
迷いは吹っ切れた。やはりカンニングなんていうことはやってはいけない。当たって砕けろだ。自分の力でなんとかしてやるさ。友人に悪いことが起きてまで、友人を捨ててまで、試験に合格しようなんて思えない。
これで友人にはなにか良いことが起こるはずだ。私にカンニングをやめさせる、ということはどう考えても善行なんだから。
全く、持つべきものは友達だな。今度会った時に、この見返りに何が起きたのか聞いてみよう。私のおかげなんだから、今度飲む安酒は友人に用意させてやるさ。できれば、今度はゆっくり飲むために三つ目の約束で会いたいものだ。
最近は大学院での研究に追われ、部屋の片づけをする暇なんてなかったもんな。最初はひどい散らかりようだったが、これなら男二人で飲む分には大丈夫だろう。
忙しかった学会の期間がやっと終わり、少し時間にゆとりができた私は、地元に就職した大学時代の友人の一人を誘って、今夜部屋で酒を飲む約束をしているのだ。
それにしても私の部屋で友人と酒を飲むなんて久しぶりだ。学部生時代のことを思い出す。あの頃は時間だけはたっぷりあって、よく友人連中と鍋をつついては将来の夢を語り合ったものだ。
私が大学院に進学し、友人たちも次々に都会へ就職していってからはそういう機会もめっきり減ってしまった。
さて、あとは、学部生時代よく飲んでいた安酒とおつまみを用意すれば即席の宴会場の出来上がりだ。といっても、あいつはこの安酒にいい思い出はあまりないかもしれないが。
冷蔵庫から安酒を取り出す時、ふと、その友人のことを思い出す。物忘れが激しく、すぐに約束を忘れてしまうその友人はよく教授に怒られていた。そのたびに、私たち友人連中は、励まし会と称し、この安酒を夜通し飲み続けたのだ。
昔みたいに朝まで飲むわけにはいかないが、明日は休日。仕事の愚痴であれ、昔話であれ、今日はとことんまで語り明かすぞ。
私はささやかな飲み会の準備を終えると、友人の到着を待った。
時間にルーズな友人にはめずらしく、彼は約束の時間ぴったりに現れた。もしかしたら、また約束のことをすっかり忘れているのかもしれないと思っていた私の予想は、いい意味で裏切られた。
友人を部屋にあげ、さっそく小さな宴会がはじまる。
学部生時代はちょっと抜けていて頼りがいのない男、というのが彼に対する印象だった。しかし、久しぶりに会った彼はなんだか自信に満ち溢れている気がする。地位が人をつくる、とはよく言うが、社会人になって彼も一皮むけたのだろう。彼が約束をきちんと守る男になっているのがなんだか嬉しく、自分ももっとしっかりしなければという気になってくる。
酒を酌み交わし、ひとしきり昔話に花が咲いたところで、友人は私に尋ねる。
「ところで、今日俺をここに呼んだということは、何か俺に助けてもらいたいことがある、ということだろう?」
学部生時代はレポートや宿題など、私の方が彼を手伝っていたというのに。
思ってもない質問に私は意表をつかれた。
「なんだやぶからぼうに。お前の好意は嬉しいが、今のところ、助けてもらうようなことはないよ、ありがとう。今日お前を呼んだのは昔のように部屋で飲み明かしたいと思ったからなんだ」
「ははは。隠すな隠すな。お前が俺に助けてもらいたいと思っていることは分かってるんだ。なんせ、この飲み会は四つ目の約束なんだからな」
友人は、絶対に私が助けを求めている、と確信しているように自信満々で言い切った。
「なんだよ、それは。助けがいることなんて本当にないんだ。四つ目の約束だかなんだか知らないが、ないものはない。単純に部屋で友人と飲みたい。それだけだよ」
「そんなはずないだろう。よく考えてみろよ。本当にないのか?」
友人があまりに自信たっぷりとしつこく聞いてくるので、なんだか本当に助けがいるような気がしてくる。
私は少し考え、前々から計画していたあることを思い出した。
「そういえば、今度大学院で試験があるのだが、そのためのノートの整理をまだしてなかったなぁ。試験にでそうな事柄を一枚の紙にまとめるのだ。いや、まぁ、一人でもできるのだが、お前が手伝ってくれるというなら、まぁ、ありがたいかな」
嘘である。
学会発表に時間をとられ、勉強する暇がなかなかなかった私は、今度の試験で人生初のカンニングをすることを計画していたのだ。
さんざん迷ったが、ここで友人が手を差し伸べてきたのも何かの縁だろう。神さまが私にカンニングをするように言っているのだ。この機会を利用して、カンニングペーパーをつくってやれ。友人のしつこさが私の心の中の悪魔にささやきかけ、心の迷いを断ち切らせようとしてくる。悪魔のささやきと酒の力のせいで、つい口からそんな言葉が出てしまった。
「なんだ、そんなことか。簡単なことだ。俺に任せておけ。よし、善は急げだ。今からやってしまおう」
友人は私が助けを求めていると分かると身を乗り出して私の手を引く。
「今からやるのか? せっかく久しぶりに会ったのだからもう少し話してからやらないか?」
「いーや、だめだ。こういうのは早く終わらせた方がいいんだ。さぁ、手伝ってやるから早く準備しろ」
友人は半ば強引に私を勉強机に向かわせた。
こうもトントン拍子に話が進むとなんだか心の中の迷いがまた大きくなる。もともとカンニングは苦肉の策で、積極的にやろうとしていたものじゃない。だから今まで全く手をつけていなかったのだ。こうなると友人の善意を裏切っているようでなんだか辛い。しかし、乗りかかった船を降りるわけにもいかず、私はしぶしぶ友人とカンニングペーパーを作りはじめた。
カンニングペーパー作りは数時間を要した。
気付けば、もうすぐ友人が帰る時間になってしまっている。
友人は社会人になってしっかりと頼りがいのある男になっている、と最初は思っていたのだが、頭の良さまでは改善されていなかったらしい。しかし、不器用ながら一生懸命に私のためにノートをまとめてくれた。
「よし、これでもう十分だろう。ありがとう、助かったよ」
「いや、これはお前のためだけじゃない。俺のためでもあるんだ。なんせ、今日お前と会ったのは四つ目の約束なんだからな」
友人は安心したような顔で言った。
「四つ目の約束? なんだそれは。そういえばさっきも四つ目の約束だとか言っていたが、それは一体どういう意味なんだ?」
さっきも出てきた聞きなれない単語に興味を覚えた私は友人に尋ねた。
「ははは。いや、四つ目の約束というのは俺が便宜上そう呼んでいるだけで、実際にはもっとふさわしい言葉があるのかもしれないな。神さまの裁判、とでも言えばいいのかな。実は、社会人になってこの四つ目の約束のおかげで俺は変わったのだ。以前は頼りなく、自信のない男だった俺が自分でも驚くくらい立派になれた。それは、この四つ目の約束のおかげなんだ」
「なんだそれは。全く要領を得ないではないか。しかし、面白そうな話ではある。帰る時間まではまだ少しあるんだし、詳しく聞かせてくれよ。そんなところでやめられては今夜眠れなくなりそうだ」
「ははは。そうだな。それなら、この話をしてから俺はおいとまさせてもらおう」
そう言うと友人は四つ目の約束について語りはじめた。
社会人になりたての友人は、最初やはり仕事ができなかったらしい。
約束をすっかり忘れて失敗することが多く、先輩との食事の約束をすっぽかすなんてことは可愛いもので、大事な会議のことをすっかり忘れてしまい大目玉をくらったなんてことも日常茶飯事だったそうだ。
これではいけない、と思った友人は会社の先輩にどうしたらいいか相談する。
友人からの相談を受けたその先輩は友人にあることを提案した。
それは、一日にする約束の数を決めてしまう、というシンプルなものだった。例えば、一日で約束が三つある、と決まっていれば、もし約束を忘れてしまっても、そういえば二つ目の約束はなんだったかな、という風に数字で覚えることができ、いつも頭に留めることができるので、簡単に約束を思い出しやすくなるのではないか、ということだ。
これを聞いて納得した友人はさっそくその案を試してみることにした。
友人は自分の脳のキャパシティを考え、一日にする約束の数を三つに限定した。
どんな日も、休日でさえ、約束を三つする習慣を身につけた。大事な会議などの約束は優先し、すでに三つ約束がある日は食事の約束を断った。急に大事な約束が入ってしまった時は、今している約束の一つを断り、いつでも三つ約束がある状態をキープするようにした。
これが友人にハマったらしい。約束をすっぽかすようなことは全くなくなっていった。となれば、どんどん仕事ができるようになってくる。仕事ができるようになると、どんどん仕事が面白くなっていき、自分に対する自信もどんどん深まっていった。
そんな生活を続けていたある日のことである。
会社での仕事が終わり、自宅へと帰っている途中でのこと。
ふと、頭にある約束が思い浮かんだ。そういえば中学の時の同級生が久しぶりに地元に帰ってくるので、食事をしよう、と言われていたのだ。
しかし、今日はすでに三つ目の約束を終えている。どうやら約束の数を間違えてしまっていたらしい。そう思った友人は今更その約束を断るわけにもいかず、同級生との約束の場所へと向かった。
その道中、またあることを思い出す。そういえば、その同級生はもうすぐ誕生日だった。約束の時間まではまだあることだし、どうせならちょっとしたものをプレゼントとして買っていってあげよう。
友人は、近くの雑貨屋さんでちょっとおしゃれな携帯灰皿を買い、包装してもらうと、それを持っていくことにした。
約束の時間に約束のレストランへ着くとに同級生はもうすでに席に着いていた。
懐かしい昔の話に花が咲き、おいしい料理を食べていると、同級生は友人にこうもらした。
「そういえば、地元に帰る時、家に携帯灰皿を忘れてしまってね。外でたばこを吸う時に困っているんだ」
「なんだって? 実は今日お前に誕生日プレゼントをあげようと携帯灰皿を買ってきたんだ」
実にいいタイミングだった。
友人は買ってきた携帯灰皿を同級生へと渡す。
「本当か。ありがとう。実は結構困っていたんだ。助かったよ。しかし、悪いな。あっ、それではお返しというわけではないが、地元の商店街の福引券を代わりにあげるよ。どうせ、もうすぐ都会の方へ帰らないといけないから持っていても仕方ないからさ」
その日は大いに盛り上がり、友人は久しぶりに楽しい夜を過ごすことができた。
さて、翌日である。
同級生にもらった福引券を使い、商店街で福引を引くとなんと特賞が当たったのだ。今までくじ引きの類で良い目にあったことのなかった友人は驚きつつも喜んだ。
またある休日のことである。
いつものように三つ目の約束を終え、家に帰ろうと大通りを一人で歩いていた時のこと。
ふと、また頭の中にまた四つ目の約束が思い浮かんだ。そういえば、インターネットの通販で買った商品のお届け時間が今日の夕方だった。
また約束の数を数え間違えてしまったか。
このまま歩いて帰っていては間に合わない。少々高くつくがタクシーで帰ることにするか。そう思った友人はタクシーをとめ、家まで送ってもらうことにした。
タクシーに行き先を告げ、携帯電話に目をやろうと目線を下に下げると、座席の下になにか小さく光っているものがある。目を凝らしてよく見てみるとそれは硬貨だった。
友人はそれを見てハッとした。もしかすると、四つ目の約束というのは神さまが俺に与えてくれたご褒美なんじゃないだろうか。
この前の四つ目の約束の時に福引で特賞を当てていたこともあり、友人は内心喜びながらその硬貨をこっそりポケットへ入れた。
さて、タクシーが家に着き、友人は支払いをするために財布をポケットから取り出そうとした。
その時である。
確かにポケットに入れてあった財布がないのだ。慌てて他のポケットやカバンの中を確認するのだが、どこにも財布がない。朝、家を出る時はたしかにポケットに入れたはずなのに。と、いうことはどこかで落としてしまったらしい。
なんだ、四つ目の約束は神さまからのご褒美なんかじゃないじゃないか。やはりただの約束の数え間違いだったか。
友人は突然の不運にがっかりした。
しかし、その友人の考えとは裏腹にそれからも三つ目の約束の後に、四つ目の約束を思い出す、ということがたびたび起きた。
最初は、ただ約束を数え間違えていた、と思っていた友人も、こう四つ目の約束を経験してしまうとどうやらただの数え間違いではない、ということにだんだん気づいてきた。そして、その経験から、四つ目の約束が起きた時、必ず良いことか悪いことのどちらかが起こる、という法則も分かってきた。
友人はその法則を解き明かすために、それぞれの約束で起きたことを思い返し、分析した。その結果、面白い結論を得ることができたのだ。
つまり、四つ目の約束は神さまの裁判なのだ。その約束の途中、善行をした場合、その善行の何倍もの良いことが起こる。しかし、道徳に反する行為を行ってしまうと、その悪行の何倍もの悪いことか降りかかってくるのだ。
これに気づいた友人は四つ目の約束が起こった時、可能な限り善行を行うことにした。善行を行ってさえしまえば、その何倍もの見返りを得ることができるのだ。もはや、こうなってしまえば四つ目の約束は神さまからのご褒美である、と言っても過言ではない。
ここまで話すと、友人はすぅっと一息呼吸を整えると私の方を向きなおした。
「と、まぁ、そういうわけだ。俺がお前を手伝ったのは何もお前のためだけじゃない。俺にとっても良いことだったのさ。と、いうことだから別に感謝しなくてもいいぞ」
「なるほど。そういうわけだったのか。なんともまぁ不思議な話だ。しかし、お前の話を聞いているとなんだか嘘とも思えないな」
私はなんともまぁ、キツネにつままれたような気分だった。
「さて、善行も行ったことだし、もう帰る時間だ。俺はそろそろおいとまさせていただくか」
「あ、あぁ」
友人はすっくと立ちあがると玄関に向かって歩き出す。私は友人を見送るために立ちあがると、何も言えずに、友人のそばに立った。何も言えない私に向かって友人は笑いながら声をかける。
「それじゃあ、また、一緒に飲もうじゃないか。また、いつでも連絡してきてくれ」
「あ、あぁ。そ、そうだな。できれば今度はゆっくり飲もう」
実はあの紙はカンニングペーパーなんだと言えるはずもなく、私は友人に力なく答える。友人は笑いながら頷くと、玄関から外へと出ていった。
部屋に一人残された私は友人と協力して作ったカンニングペーパーを見つめていた。
善行を行えば何倍もの見返りが、悪行を行えば何倍もの災いが身に降りかかる、四つ目の約束、か。
カンニングペーパーを作る、ということはやはり悪行の内に入るのだろうか。と、すれば友人には今ごろ何か災いが起こっているかもしれないのだ。
私のせいで、親しい友人に迷惑をかけてしまうことになる。先ほど、不器用ながら私を手伝ってくれたあの友人に。
ええい。私は意を決するとカンニングペーパーをぐしゃぐしゃに丸めるとゴミ箱へ放り投げた。丸めた紙が勢いよく飛びこんできたことでゴミ箱はカラカラと音を鳴らす。
迷いは吹っ切れた。やはりカンニングなんていうことはやってはいけない。当たって砕けろだ。自分の力でなんとかしてやるさ。友人に悪いことが起きてまで、友人を捨ててまで、試験に合格しようなんて思えない。
これで友人にはなにか良いことが起こるはずだ。私にカンニングをやめさせる、ということはどう考えても善行なんだから。
全く、持つべきものは友達だな。今度会った時に、この見返りに何が起きたのか聞いてみよう。私のおかげなんだから、今度飲む安酒は友人に用意させてやるさ。できれば、今度はゆっくり飲むために三つ目の約束で会いたいものだ。
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