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第三十章 残滓
第四話 残滓
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「ほんに、容赦のない男じゃのう。彼は、お主の護衛を務める男じゃったのじゃろう」
白い灰になった男の残骸を見ながら、呆れたように大妖精は言った。
「私に逆らい、剣を向けた時点で護衛ではありません。彼の頭を冷やすためにも時間は必要でしょう」
「それが、灰にまで返してやることか? やることが極端じゃのう。灰になってしまっては反省もなにもないじゃろう」
ハァとご隠居様と呼ばれる大妖精はため息をついた。
「もう全ては終わってしまったことなのじゃ。レブラン、お主はもう決して手に入らないものを願い、そしてそれが叶わないからといって、怒りをぶつけようとしている。ぶつける先を探し続けている。まるで子供のようじゃ」
「私には怒る権利があります」
「バーナード騎士団長にぶつける謂れはない」
「関係ありません。私がそうしたいと望んだのなら、私はそうできる」
傲慢である。
相手の都合など知ったことはない。ただその怒りを鎮めたいから、相手を殺すと言っているだけだった。
大妖精は頭が痛かった。
いまだに、バーナード騎士団長は、自身の“器”に小さな妖精達がせっせと“神の欠片”を注いでいたことを知らない。
その知らないままの状態で、彼にはいて欲しかった。
知って、良いことなど一つもないからだ。
神々をも巻き込んだこの謀事など、矮小なる人間の身で知り得て何がいいだろうか。
事実を知った時には、彼は怒るはずだ。だが、その怒りのぶつける先は、妖精達に、神々に向かうのだろうか。天に向かって怒ろうとしても無駄な事である。
妖精達が、神々が、どうしてそんなことをしたのか。その理由を彼は知らない。理解できない。
それは遠い遠い昔、かつて喪われた神を想って為したことだとしても、彼にはそれを理解できない。
全て知らぬままでいた方が、きっと幸せだと思う。
「この場を引いてほしい」
大妖精は懐から細身の優美な杖を取り出した。
彼もまた、騎士団長を守るために戦うということに、レブランは苦笑した。
「誰もが、彼を守ろうとするのですね。いいでしょう」
レブランは輝く剣を、大妖精に向ける。
「貴方の屍を越えて、彼の元に行きましょう」
その時、二人の間にふわりと何かが舞い降りた。
溶けるような薄い、陽炎のように頼りないそれは、黒い小さな人形だった。
もはや羊の人形も連れておらず、犬達も連れていない。
大きさも、爪の先ほどの小さな小さなもので、見るからに頼りないものだった。
その小さな小さな人形は、一瞬、レブランと大妖精の前に姿を現し、次の瞬間、バーナード騎士団長のそばまで行くと、彼の身体に吸い込まれるようにして消えたのだった。
「…………………」
レブランとご隠居様は、呆然と立ち尽くしていた。
彼らはあの黒く、そしてあまりにも頼りない、その何かが放つほのかな輝きを、知っていた。
遠い昔に、緑の草原で、自分達に笑いかけてくれたあの御方の、その魂の輝きと重なるものだった。
「……………………空っぽになったという話だったじゃないか」
弱々しく詰るような声で、レブランは言う。
彼の手から、握られていた剣が滑り落ちた。
「それに、どうして父親の方に居るんだ」
「…………………ほんに小さな小さな」
ご隠居様の言葉が途切れる。
あれは、最後まで結局、バーナード騎士団長を自分から助けようと動いていた。もはやその想いだけが残されて、残滓のようになっている。
最初から、あの黒い小さな人形が動いているという話を聞いた時から、会いに行けばよかった。
後悔だけが、胸にこみ上げる。
彼は、いったいいつから、意識を持っていたのだろう。
“器”に注ぎ込まれた彼の魂の欠片は、欠片というただの力を持つものであった。
それらが意識を宿らせることなど、まだないと思っていた。
レブラン達は、神の魂の欠片が、“器”の中で、バーナード騎士団長の実らせる子の魂と混じり合うことで、その後、人の姿を取って蘇ると思っていた。
だけど、とうに意識を持ち、父親を守ろうとする子の魂と同化していた。そして、それは今や失われてただの残滓となっている。
残滓
そう、あまりにもか細い、霞のようなものでしかない。
だが、それから確かに、感じたのだ。
かつて憧れた、あの御方の存在を。
レブランは落ちた剣を拾い上げた。
そして深く息をついた。
無言のまま、クルリと一行に背を向けて、深い森の中へと歩いていき、やがてその姿が消える。
バーナードとフィリップは、一体何事だと思いながら、レブランが消えた方向を見つめる。やがて大妖精が疲れたような微笑みを浮かべ、こういうのを聞いていた。
「騒がせたかのう。ささ、バーナード騎士団長は病み上がりじゃ。家の中に入るのが良いぞ」
バーナードとフィリップ、そして大妖精達が屋敷の中へ入って行くのを見て、木々の間からネリアがするりと姿を現した。彼女は急いで、風に飛ばされて四散する前にと、灰となったゼトゥの身体をかき集めて袋の中に入れる。
以前の姿に復活するには相当時間がかかるだろう。
だが、復活してきたゼトゥに、バーナード騎士団長やバートが殺されなかった話をすれば、きっと喜ぶこと間違いない。
だが、ゼトゥが灰から復活してくるのは百年後くらいだろう。その頃には、バーナード騎士団長もバート少年もとうに亡くなっている。
彼らは助かったとはいえ、寿命で亡くなる。
ゼトゥはもう二度と、彼らと会うことはない。
そのことが少し、可哀想だと思うネリアだった。
白い灰になった男の残骸を見ながら、呆れたように大妖精は言った。
「私に逆らい、剣を向けた時点で護衛ではありません。彼の頭を冷やすためにも時間は必要でしょう」
「それが、灰にまで返してやることか? やることが極端じゃのう。灰になってしまっては反省もなにもないじゃろう」
ハァとご隠居様と呼ばれる大妖精はため息をついた。
「もう全ては終わってしまったことなのじゃ。レブラン、お主はもう決して手に入らないものを願い、そしてそれが叶わないからといって、怒りをぶつけようとしている。ぶつける先を探し続けている。まるで子供のようじゃ」
「私には怒る権利があります」
「バーナード騎士団長にぶつける謂れはない」
「関係ありません。私がそうしたいと望んだのなら、私はそうできる」
傲慢である。
相手の都合など知ったことはない。ただその怒りを鎮めたいから、相手を殺すと言っているだけだった。
大妖精は頭が痛かった。
いまだに、バーナード騎士団長は、自身の“器”に小さな妖精達がせっせと“神の欠片”を注いでいたことを知らない。
その知らないままの状態で、彼にはいて欲しかった。
知って、良いことなど一つもないからだ。
神々をも巻き込んだこの謀事など、矮小なる人間の身で知り得て何がいいだろうか。
事実を知った時には、彼は怒るはずだ。だが、その怒りのぶつける先は、妖精達に、神々に向かうのだろうか。天に向かって怒ろうとしても無駄な事である。
妖精達が、神々が、どうしてそんなことをしたのか。その理由を彼は知らない。理解できない。
それは遠い遠い昔、かつて喪われた神を想って為したことだとしても、彼にはそれを理解できない。
全て知らぬままでいた方が、きっと幸せだと思う。
「この場を引いてほしい」
大妖精は懐から細身の優美な杖を取り出した。
彼もまた、騎士団長を守るために戦うということに、レブランは苦笑した。
「誰もが、彼を守ろうとするのですね。いいでしょう」
レブランは輝く剣を、大妖精に向ける。
「貴方の屍を越えて、彼の元に行きましょう」
その時、二人の間にふわりと何かが舞い降りた。
溶けるような薄い、陽炎のように頼りないそれは、黒い小さな人形だった。
もはや羊の人形も連れておらず、犬達も連れていない。
大きさも、爪の先ほどの小さな小さなもので、見るからに頼りないものだった。
その小さな小さな人形は、一瞬、レブランと大妖精の前に姿を現し、次の瞬間、バーナード騎士団長のそばまで行くと、彼の身体に吸い込まれるようにして消えたのだった。
「…………………」
レブランとご隠居様は、呆然と立ち尽くしていた。
彼らはあの黒く、そしてあまりにも頼りない、その何かが放つほのかな輝きを、知っていた。
遠い昔に、緑の草原で、自分達に笑いかけてくれたあの御方の、その魂の輝きと重なるものだった。
「……………………空っぽになったという話だったじゃないか」
弱々しく詰るような声で、レブランは言う。
彼の手から、握られていた剣が滑り落ちた。
「それに、どうして父親の方に居るんだ」
「…………………ほんに小さな小さな」
ご隠居様の言葉が途切れる。
あれは、最後まで結局、バーナード騎士団長を自分から助けようと動いていた。もはやその想いだけが残されて、残滓のようになっている。
最初から、あの黒い小さな人形が動いているという話を聞いた時から、会いに行けばよかった。
後悔だけが、胸にこみ上げる。
彼は、いったいいつから、意識を持っていたのだろう。
“器”に注ぎ込まれた彼の魂の欠片は、欠片というただの力を持つものであった。
それらが意識を宿らせることなど、まだないと思っていた。
レブラン達は、神の魂の欠片が、“器”の中で、バーナード騎士団長の実らせる子の魂と混じり合うことで、その後、人の姿を取って蘇ると思っていた。
だけど、とうに意識を持ち、父親を守ろうとする子の魂と同化していた。そして、それは今や失われてただの残滓となっている。
残滓
そう、あまりにもか細い、霞のようなものでしかない。
だが、それから確かに、感じたのだ。
かつて憧れた、あの御方の存在を。
レブランは落ちた剣を拾い上げた。
そして深く息をついた。
無言のまま、クルリと一行に背を向けて、深い森の中へと歩いていき、やがてその姿が消える。
バーナードとフィリップは、一体何事だと思いながら、レブランが消えた方向を見つめる。やがて大妖精が疲れたような微笑みを浮かべ、こういうのを聞いていた。
「騒がせたかのう。ささ、バーナード騎士団長は病み上がりじゃ。家の中に入るのが良いぞ」
バーナードとフィリップ、そして大妖精達が屋敷の中へ入って行くのを見て、木々の間からネリアがするりと姿を現した。彼女は急いで、風に飛ばされて四散する前にと、灰となったゼトゥの身体をかき集めて袋の中に入れる。
以前の姿に復活するには相当時間がかかるだろう。
だが、復活してきたゼトゥに、バーナード騎士団長やバートが殺されなかった話をすれば、きっと喜ぶこと間違いない。
だが、ゼトゥが灰から復活してくるのは百年後くらいだろう。その頃には、バーナード騎士団長もバート少年もとうに亡くなっている。
彼らは助かったとはいえ、寿命で亡くなる。
ゼトゥはもう二度と、彼らと会うことはない。
そのことが少し、可哀想だと思うネリアだった。
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