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留学生
第52話 用務員
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「おはようございます!」
「今日も精が出ますね!」
「うむ。君達も勉学に励むとよい」
朝早くから中庭の掃除をしている男性に、生徒達――ほぼ全員女生徒――が次々と朝の挨拶を投げかける。
彼女達の顔は恋する乙女のそれだった。
男性に異性としての興味があって、声をかけている事は一目瞭然だ。
「学園の事で分からない事があったら、何でも私に聞いてくださいね!」
「あ!抜け駆けなんてずるい!分からない事があったら、私の方に聞いてください!あの子よりずっと丁寧に案内しますから!」
「何よ!私の方が丁寧に説明するわよ!」
彼はまだこの学園に来て日が浅いため、校内の事に詳しくなかった。
その事を皆知っているので、隙あらば自分が案内しようと、虎視眈々と女生徒達は牙を剥く。
――新しく雇われた、超絶イケメン用務員とのラブロマンスを夢見て。
「いえ!ここは私が案内します!」
「あんたは引っ込んでなさいよ!あたしが案内するから!」
いつの間にやら彼の周りには多くの女生徒達が群がり、誰が案内するかの争奪戦が始まっていた。
それは次第にヒートアップしていき、中庭に金切り声が喧々囂々と響き渡る。
「ははは。元気がいいのは良い事だ」
普通は引くような女子達の醜い言い争いではあるが、渦中の中心にいる人物は元気の一言で笑って片付けた。
そんな笑顔をみて、それまで争っていた女生徒達は争いを止め「きゃー」とか「ステキ!」と褒めそやす。
その光景を見た男子は間違いなく、心の中でイケメン死ねと怨嗟の声を上げた事だろう。
「貴方達。それ以上騒ぐ様なら、反省室に入って貰うわよ」
黒い制服を身に着けたメガネの生徒が、騒がしい女生徒の群れに声をかけた。
静かな声色ではあったが、そこには有無を言わせぬ凄みが籠められている。
それを察した女性陣は、蜘蛛の子を散らす様に消えていく。
「ん?君は確かハニーの側近の、茨城恵子君では無いか。ひょっとして……ハニーが帰って来たのかね!」
新任の用務員――アポロンは表情を輝かせ、茨城恵子に詰め寄る。
近すぎる顔を迷惑そうに茨城恵子は手で押しのけ、彼の問いに無情な答えを返した。
「まだです」
「残念ですが、最低一月は戻ってこないそうです」
茨城恵子の背後にいる赤いスーツの女性が、続いて口を開いた。
前髪を刈り揃え、おさげを腰まで伸ばした美しい女性だ。
ほっそりとしたスタイルに拘らず、その胸元だけは暴力的なまでに存在感を主張している。
彼女の名はクリュティエ・ニンフ。
アポロンの個人秘書を務める女性である。
「なんだと!?」
その言葉にアポロンは血相を変える。
彼の日本での滞在期間は一月の予定だ。
せっかく海を渡ってまで愛する女性に会いに来たにも拘らず、このままでは会えずにとんぼ返りになるかもしれない。
そう聞かされれば、血相を変えるのも当然だろう。
「彼女は今どこにいるのだ!?今すぐ私もそこへ向かう!」
「トップシークレットなので、お答えできません」
再び詰め寄るアポロンを躱し、茨城恵子は淡々と答えた。
彼を見つめるその眼は、驚く程に冷たい。
茨城恵子にとって、荒木真央は自身の全てだった。
そのため、主を煩わせるアポロンの事を彼女は、ゴキブリ以下の汚物野郎と認識しているためだ。
「クリュティエ!何とかならないのか!?」
「無理です。仮に居場所が分かったとして、ここから離れる事は出来ません」
アポロンは留学生を引率する名目で日本へとやって来ている。
その生徒達を放り出し、どこかへ行く事など許されるわけがない。
「だがしかし!?」
「ご安心ください。私もちゃんと仕事をしています。アポロン様が今の職務をきっちりと全うなされれば、何とか日を作ってギリギリには帰って来られるそうです」
職務というのは用務員の事だ。
教師は不要との事なので、在校中、アポロンは雑用係として働くよう言われていた。
荒木真央の言伝によって。
本来ならギリシアの教育機関のトップである彼がする様な仕事では無かったが、愛する女性が求めたと言う事で、アポロンはその仕事を喜んで引き受けている。
「本当か!」
「ええ、貴方が問題を起こさず真央様の命を全うされればの話ではありますが」
茨城恵子は片手でクイッ眼鏡を動かす。
その口元は心なしか歪んでおり、まるで何かを企んでいる様にも見えた。
「はっはっは!ならばハニーに伝えてくれたまえ!このアポロン、君への愛にかけて必ずや職務を全うすると!」
だがアポロンははそんな彼女の表情には全く気付かない。
何故なら、彼の頭の中は恋と言う名のお花畑が満開だからだ
「分かりました。伝えておきます」
抑揚なく彼の言葉に返事を返し、茨城恵子は踵を返して去っていく。
「本来なら、一月まるまるハニーと愛を語らいたかったのだがな。まあ彼女は忙しい身だ。私は夫として安心して彼女が帰って来られる様、ハニーの城を守るとしよう」
用務員が学園を守る必要などない。
そもそも学園は別に危機になど瀕していない訳だが、ハニーが自分にこの仕事を任せた以上、何か大きな意味がある筈だ。
そうアポロンは考えていた。
現実は単に鬱陶しいから冷遇されているだけなのだが、恋とは恐ろしい物だ。
彼の頭にその発想は微塵も無かった。
「そう言えば、3人はどうしている?」
アポロンはふと、引率して来た生徒の事を思い出しクリュティエに尋ねた。
一応彼も教育者だ。
自分の用件が済めば、思い出し位はする。
「ゲオルギオスとアメルは問題なくやっている様です。ただ……エヴァが少々問題を……」
「問題?何かあったのか?」
「どうやら、運命の相手を見つけたらしく。その男性を巡ってのトラブルを抱えている様でして……全く困った物です」
留学してきて早々に色恋で騒ぐなど、ギリシアの評判を下げるような行為だ。
その問題行動に、クリュティエは溜息を吐く。
有名女優である事の驕りから、トラブルを起こしやすい人物だとは彼女も理解していた。
だがまさか留学初日にキングにちょっかいをかけて撃退された挙句、しかもその相手に恋をするなど、流石の彼女も想像だにしていない事態だ。
「ほう、あの自分至上主義の高慢な彼女が恋をね」
「ですから、彼女は連れてこない方が良かったと申したのです」
留学生に彼女が選ばれたのは、ひとえにその能力の高さからだ。
性格に難があるためクリュティエは反対していたのだが、荒木真央に優秀な生徒を見せて「どうだい?私の生徒は優秀だろう?」と格好つける為だけに、アポロンはエヴァをごり押しで連れて来ていた。
「素晴らしい!!」
「はっ?」
アポロンが急に叫んだ事で、クリュティエは眉根を顰める。
何が素晴らしいのか?
その意味が理解できなかったからだ。
「恋は素晴らしい!我が生徒がそれに気づいた事は喜ばしい事だ!色恋で揉めている?大いに結構!それこそ青春よ!」
「……」
「クリュティエ、君は恋をした事がないから分からないだろう?だが恋とは本当に素晴らしい物だ。彼女が恋をしたというのなら、我々は教育者として温かく見守ってやるべきだ。そうだろう?」
彼女は教育者ではなく、アポロンの秘書だ。
それに恋をした事もある。
それも目の前の男に対し、現在進行形で。
その余りに無神経な一言に、彼女はいっそこの場で暴れまくってアポロンの目的を滅茶苦茶にしてやろうかとさえ考える。
だが実行はしない。
――何故なら、それをすれば自分が嫌われてしまうからだ。
「用があるので……私はこれで失礼させて頂きます」
泣きそうになる程のやるせない気持ちをぐっとこらえ、クリュティエは悟られない様にその場を離れた。
「ふむ……様子が変だったな」
去っていくクリュティエの背中を見て、アポロンが異変に気付く。
彼は少し首を捻って考え込み。
そして出した答えは――
「あの日か。女性という物は大変な物だな。辛い様なら、休暇を出してやらんと」
果たして、彼女の気持ちがアポロンへと届く日が来るのだろうか?
それは神のみぞ知る事であった。
「今日も精が出ますね!」
「うむ。君達も勉学に励むとよい」
朝早くから中庭の掃除をしている男性に、生徒達――ほぼ全員女生徒――が次々と朝の挨拶を投げかける。
彼女達の顔は恋する乙女のそれだった。
男性に異性としての興味があって、声をかけている事は一目瞭然だ。
「学園の事で分からない事があったら、何でも私に聞いてくださいね!」
「あ!抜け駆けなんてずるい!分からない事があったら、私の方に聞いてください!あの子よりずっと丁寧に案内しますから!」
「何よ!私の方が丁寧に説明するわよ!」
彼はまだこの学園に来て日が浅いため、校内の事に詳しくなかった。
その事を皆知っているので、隙あらば自分が案内しようと、虎視眈々と女生徒達は牙を剥く。
――新しく雇われた、超絶イケメン用務員とのラブロマンスを夢見て。
「いえ!ここは私が案内します!」
「あんたは引っ込んでなさいよ!あたしが案内するから!」
いつの間にやら彼の周りには多くの女生徒達が群がり、誰が案内するかの争奪戦が始まっていた。
それは次第にヒートアップしていき、中庭に金切り声が喧々囂々と響き渡る。
「ははは。元気がいいのは良い事だ」
普通は引くような女子達の醜い言い争いではあるが、渦中の中心にいる人物は元気の一言で笑って片付けた。
そんな笑顔をみて、それまで争っていた女生徒達は争いを止め「きゃー」とか「ステキ!」と褒めそやす。
その光景を見た男子は間違いなく、心の中でイケメン死ねと怨嗟の声を上げた事だろう。
「貴方達。それ以上騒ぐ様なら、反省室に入って貰うわよ」
黒い制服を身に着けたメガネの生徒が、騒がしい女生徒の群れに声をかけた。
静かな声色ではあったが、そこには有無を言わせぬ凄みが籠められている。
それを察した女性陣は、蜘蛛の子を散らす様に消えていく。
「ん?君は確かハニーの側近の、茨城恵子君では無いか。ひょっとして……ハニーが帰って来たのかね!」
新任の用務員――アポロンは表情を輝かせ、茨城恵子に詰め寄る。
近すぎる顔を迷惑そうに茨城恵子は手で押しのけ、彼の問いに無情な答えを返した。
「まだです」
「残念ですが、最低一月は戻ってこないそうです」
茨城恵子の背後にいる赤いスーツの女性が、続いて口を開いた。
前髪を刈り揃え、おさげを腰まで伸ばした美しい女性だ。
ほっそりとしたスタイルに拘らず、その胸元だけは暴力的なまでに存在感を主張している。
彼女の名はクリュティエ・ニンフ。
アポロンの個人秘書を務める女性である。
「なんだと!?」
その言葉にアポロンは血相を変える。
彼の日本での滞在期間は一月の予定だ。
せっかく海を渡ってまで愛する女性に会いに来たにも拘らず、このままでは会えずにとんぼ返りになるかもしれない。
そう聞かされれば、血相を変えるのも当然だろう。
「彼女は今どこにいるのだ!?今すぐ私もそこへ向かう!」
「トップシークレットなので、お答えできません」
再び詰め寄るアポロンを躱し、茨城恵子は淡々と答えた。
彼を見つめるその眼は、驚く程に冷たい。
茨城恵子にとって、荒木真央は自身の全てだった。
そのため、主を煩わせるアポロンの事を彼女は、ゴキブリ以下の汚物野郎と認識しているためだ。
「クリュティエ!何とかならないのか!?」
「無理です。仮に居場所が分かったとして、ここから離れる事は出来ません」
アポロンは留学生を引率する名目で日本へとやって来ている。
その生徒達を放り出し、どこかへ行く事など許されるわけがない。
「だがしかし!?」
「ご安心ください。私もちゃんと仕事をしています。アポロン様が今の職務をきっちりと全うなされれば、何とか日を作ってギリギリには帰って来られるそうです」
職務というのは用務員の事だ。
教師は不要との事なので、在校中、アポロンは雑用係として働くよう言われていた。
荒木真央の言伝によって。
本来ならギリシアの教育機関のトップである彼がする様な仕事では無かったが、愛する女性が求めたと言う事で、アポロンはその仕事を喜んで引き受けている。
「本当か!」
「ええ、貴方が問題を起こさず真央様の命を全うされればの話ではありますが」
茨城恵子は片手でクイッ眼鏡を動かす。
その口元は心なしか歪んでおり、まるで何かを企んでいる様にも見えた。
「はっはっは!ならばハニーに伝えてくれたまえ!このアポロン、君への愛にかけて必ずや職務を全うすると!」
だがアポロンははそんな彼女の表情には全く気付かない。
何故なら、彼の頭の中は恋と言う名のお花畑が満開だからだ
「分かりました。伝えておきます」
抑揚なく彼の言葉に返事を返し、茨城恵子は踵を返して去っていく。
「本来なら、一月まるまるハニーと愛を語らいたかったのだがな。まあ彼女は忙しい身だ。私は夫として安心して彼女が帰って来られる様、ハニーの城を守るとしよう」
用務員が学園を守る必要などない。
そもそも学園は別に危機になど瀕していない訳だが、ハニーが自分にこの仕事を任せた以上、何か大きな意味がある筈だ。
そうアポロンは考えていた。
現実は単に鬱陶しいから冷遇されているだけなのだが、恋とは恐ろしい物だ。
彼の頭にその発想は微塵も無かった。
「そう言えば、3人はどうしている?」
アポロンはふと、引率して来た生徒の事を思い出しクリュティエに尋ねた。
一応彼も教育者だ。
自分の用件が済めば、思い出し位はする。
「ゲオルギオスとアメルは問題なくやっている様です。ただ……エヴァが少々問題を……」
「問題?何かあったのか?」
「どうやら、運命の相手を見つけたらしく。その男性を巡ってのトラブルを抱えている様でして……全く困った物です」
留学してきて早々に色恋で騒ぐなど、ギリシアの評判を下げるような行為だ。
その問題行動に、クリュティエは溜息を吐く。
有名女優である事の驕りから、トラブルを起こしやすい人物だとは彼女も理解していた。
だがまさか留学初日にキングにちょっかいをかけて撃退された挙句、しかもその相手に恋をするなど、流石の彼女も想像だにしていない事態だ。
「ほう、あの自分至上主義の高慢な彼女が恋をね」
「ですから、彼女は連れてこない方が良かったと申したのです」
留学生に彼女が選ばれたのは、ひとえにその能力の高さからだ。
性格に難があるためクリュティエは反対していたのだが、荒木真央に優秀な生徒を見せて「どうだい?私の生徒は優秀だろう?」と格好つける為だけに、アポロンはエヴァをごり押しで連れて来ていた。
「素晴らしい!!」
「はっ?」
アポロンが急に叫んだ事で、クリュティエは眉根を顰める。
何が素晴らしいのか?
その意味が理解できなかったからだ。
「恋は素晴らしい!我が生徒がそれに気づいた事は喜ばしい事だ!色恋で揉めている?大いに結構!それこそ青春よ!」
「……」
「クリュティエ、君は恋をした事がないから分からないだろう?だが恋とは本当に素晴らしい物だ。彼女が恋をしたというのなら、我々は教育者として温かく見守ってやるべきだ。そうだろう?」
彼女は教育者ではなく、アポロンの秘書だ。
それに恋をした事もある。
それも目の前の男に対し、現在進行形で。
その余りに無神経な一言に、彼女はいっそこの場で暴れまくってアポロンの目的を滅茶苦茶にしてやろうかとさえ考える。
だが実行はしない。
――何故なら、それをすれば自分が嫌われてしまうからだ。
「用があるので……私はこれで失礼させて頂きます」
泣きそうになる程のやるせない気持ちをぐっとこらえ、クリュティエは悟られない様にその場を離れた。
「ふむ……様子が変だったな」
去っていくクリュティエの背中を見て、アポロンが異変に気付く。
彼は少し首を捻って考え込み。
そして出した答えは――
「あの日か。女性という物は大変な物だな。辛い様なら、休暇を出してやらんと」
果たして、彼女の気持ちがアポロンへと届く日が来るのだろうか?
それは神のみぞ知る事であった。
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