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第3章 故郷
#37
しおりを挟むいつか言おうと思っていた。けれど、先延ばしにしてなかなか言えずにいた。彼女が顔を青ざめながら話すまで。僕はそれが申し訳なく思い、誤魔化すようにへへへと笑った。
「ごめんね。隠すつもりは無かったんだけど」
「い、いえ。私の方こそどういう感情なのか自分でもイマイチ分からなくて……」
「そうだよね。まぁ僕もけっこうトラウマだからあんまり思い出さないようにしてたんだ。でも今日、久々に故郷の人に会えたから昔の思い出が込み上げてきたんだよね。あのジュースも美味しかったしね」
「……はい。あれはとても美味しかったです」
寂しそうな顔をする雫さんの顔は、僕の胸をぎゅっと締め付けた。
「ねぇ、雫さん」
「は、はい! 何でしょう……?」
「来週、行かない? 川野町」
「ら、来週ですか?」
「うん。タイミングよく大型連休でクライアントの予約も今週の土曜日でひとまず全部終わるじゃん? だから、クライアントからすると突然のお休みが何日間か入っちゃうんだけど……。どうかな?」
少しずつ目を潤ませる雫さんが力強く僕を見つめた。
「わ、私は先生が良いのであればご一緒したいです……!」
「へへ。決まりだね」
笑顔を雫さんに向けると、僕を真似するように雫さんもへらっと笑った。その笑顔は僕の張りつめていた体全体を解きほぐしてくれるようだった。
「さっきSNSで色々川野町のこと、見てたんだけどさ……。けっこう色々街並みは変わってるけど、昔あった老舗の旅館とか食堂とかは残ってる所もあったんだ。紹介できそうな店もあるから雫さんも楽しみにしててほしいな」
「はい……! もちろんです!」
「ありがとう。あぁ、今もう一回、あのバッティングセンターに置いてあった炭酸のジュースが飲みたくなってきたよ」
「はい、私もあのリンゴの炭酸ジュースが飲みたくなってます」
「あれ、ほんとに美味しいよね。作り方教えてほしいよ」
「先生、さすがにあの味は再現できないと思います」
「分かんないよ。やる前から諦めるより、やってみて諦めるのは全然違うからね」
「なんかカッコイイこと言ってますけど、多分作れませんよ」
「むー。雫さんは現実的だなぁ」
そんなことを言って笑い合っていると、僕は無性にリンゴのケーキが食べたくなった。それに呼応するように、そして自分を主張するように僕の腹が鳴った。
「ねぇ、雫さん。お腹空かない? リンゴのケーキ作ろうと思ったんだけど」
「え? こんな時間にですか?」
「僕、まだ起きてるつもりだけど。食べるなら2人分作るよ」
「……食べます」
ムスッとした顔、小さな声でYESと答える雫さんを見た僕は、たまらなく彼女の頭を撫でたくなった。2人でテキパキと役割分担をこなし、予想以上に早く作れたリンゴのケーキを2人で全く同じタイミングで口の中に入れた。お互いがお互いを褒め合うように向かい合いながらテーブル越しにハイタッチを交わした。気のせいかもしれないけれど、雫さんの頬がリンゴのように赤くなっているように見えた。
*
『クライアントの皆様へ。
いつもありがとうございます。Tsukakokoです。突然ですが、来週の連休は営業を休止させていただきます。事前にお知らせをするわけでもなく、急にお伝えする形になってしまい申し訳ありません。再来週からは通常通り営業しますので、今後もご利用をよろしくお願いいたします。 院長 麻倉斗和 副院長 碓氷雫』
文章をSNS、メールで発信すると、瞬く間に返信のメールやメッセージ、拡散通知が絶え間なくスマホから鳴り続ける。クライアントには突然の報告になってしまい申し訳ない気持ちで心が少し重くなった。だからその分、雫さんと一緒に故郷へ行ってしっかりと体を充電して戻ってこようと思う。
「おはようございます。先生、通知いっぱい来てますね。私のスマホ、朝からバッテリー無くなりそうなんですけど」
「おはよう。はは。思っていた以上にクライアントからの影響があったね。僕らが大切にされていることが分かって嬉しいよね。あ、僕のスマホ夜中に充電終わったから使っていいよ」
「ありがとうございます。でも、バッテリーが無くなりそうなのは私が充電し忘れたのが原因っていうのをツッコんでほしかったです」
「自分からバラしちゃうところが僕は雫さんっぽくて好きだよ」
笑いながら彼女に充電器を差し出すと、彼女は何も言わずに僕の目から目線を外さずに奪い取るように充電器を取って力強くコンセントにそれを差した。フォン、と充電が始まった音が聞こえたのと同時に僕も1日が始まる電源を入れた気持ちになって椅子から立ち上がった。
「いただきます」
「いただきまーす」
昨日の夜に作ったリンゴのケーキを朝食代わりに食べ、体をウォーミングアップするように仕事前の準備をこなしていく。タブレットに入っている今日来店するクライアントの情報は完璧、バインダーに挟んである資料も準備万端。雫さんの方も普段以上にテキパキとメイクやら髪の毛やらを仕上げていく。僕も普段より早く起きたからか、いつもより頭が回転してくれているおかげもあり、あっという間に準備が整った。
ピンポーン。
今日の1人目のクライアントは久しぶりの京子ちゃんだ。いつも施術の15分前に来てくれる彼女は、今日も予約時間のきっかり15分前にインターホンを鳴らした。以前に人命救助という名目の出張マッサージをした日からざっと3ヶ月くらいは経ったはずだ。あの頃は心身ともにストレスが溜まっていたようで、随分体全体が固くなっていたけれど、その後の彼女はどうなっているだろうか。
「おはよう。京子ちゃん。ようこそ。Tsukakokoへ」
『おはようございます。先生。今日もよろしくね』
「こちらこそよろしく。今から行くね」
「はーい!」
インターホンに映る彼女の表情や届く声色は、随分とリラックス出来ていて以前見た時よりもだいぶ状態は良さそうだった。玄関の方へ足を動かしドアのロックを開けると、彼女は僕を見た瞬間、子どものような明るい笑顔を僕に向けた。
「先生、お久しぶりです!」
「京子ちゃん。久しぶり。3ヶ月ぶりくらいだね。元気?」
「うん。おかげさまでストレスも少なくていい日々を過ごせてるよ。それに、先生の顔が見れたから余計に元気出たかも」
「お、それは良い傾向だね。僕も京子ちゃんに会えて嬉しいよ。じゃあ今日も始めさせてもらうね。こちらへどうぞ」
「はーい! よろしくお願いします」
僕の後をついてくる京子の足音からは確かにリズムを含んでいるような充実感を感じる軽やかな音が僕の耳に届く。施術室のドアを開けると、雫さんがその目力のある大きな瞳を京子ちゃんに向けたまま、力強く頭を下げた。
「おはようございます。京子ちゃん。ようこそTsukakokoへ」
「おはよう。雫ちゃん。今日もよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
そう言い終えてからゆっくりと頭を上げた雫さんは、そのまま再び京子ちゃんと目が合い、雫さんに駆け寄り、その勢いのまま雫さんの腕に手を伸ばした。
「久しぶりに見る雫ちゃんは特に可愛い! 今日も推しが尊いなぁ」
「いつから私は京子ちゃんの推しになったんですか。あなたの推しは先生でしょ」
「違う違う。私の推しは雫ちゃんと先生だよ、2人とも。結構前から言ってたつもりなんだけどな……、じゃあ施術前のスリーショットだけいただきますね! はい、チーズ!」
初めからジャージのポケットに忍ばせてあったのか、京子ちゃんが素早くスマホのカメラを私たちに向けた。急に向けてくるものだから多分、私は目を瞑っている気がする。
「ふふ! いい写真! もちろん、流出はしないからね!」
むふーと満足げな顔をして京子ちゃんは、手元にあるスマホの画面を私に見せつける。ほら、やっぱり。私は思いっきり目を瞑っていた。先生はというと……、すごく自然な笑顔だった。
「ちょ、ちょっと京子ちゃん! 私、目瞑ってる! 撮るならちゃんと撮ってください!」
「ふふふ。この自然な感じがいいんです! 撮り直しは受け付けません」
終始、京子ちゃんに主導権を握られたまま彼女の施術が始まろうとしていた。自由奔放(皮肉を込めて)な彼女だが、やっぱりどこか憎めない。複雑な感情のまま、私は施術を始められる準備ができた。
「それじゃ京子ちゃん。施術を始めようか」
「はい。よろしくお願いします!」
一際明るい彼女の声が部屋に響き渡り、私はそれと同時に施術時間をカウントするタイマーとエアコンの電源をオンにした。すると、3分もしないうちに京子ちゃんの好きな柑橘系の爽やかな香りが部屋中に漂い始めた。
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