吾輩は時々、黒猫である。

やまとゆう

文字の大きさ
3 / 33
第1章 僕とボク

#3.

しおりを挟む
「ありがとう、また来てね♪」

真希が最後の客を見送り、今日の営業が終わった。その瞬間にスイッチが切れたように僕らは仕事の顔からオフの顔に分かりやすく変わる。もちろん1人を除いては。

 「お疲れ様。みんな今日もありがとうね。今日もオレの勘が冴え渡ったから大繁盛だったよ」
 「それを言うなら私たちの力のおかげでしょ?」
 「うん? あぁもちろんそれがあってだよ。いつもありがとうね」

フライドポテトや唐揚げなんかの食べ残しが上に乗る皿を片付け、酒なのか水滴なのか分からない雫がそこら中に飛び散っているテーブルを拭きながら師匠と真希や風花が今日の達成感を味わうように語り合っている。僕とロボ子は黙々とグラスを片付けたり掃除機をかけたりした。ふとロボ子の着ている綺麗な白い服に視線が行き、首元のレース柄が入った箇所にケチャップがついたような赤いシミがついているのが見えた。決して胸元が見えそうだったから見たわけではない。うん、たまたまだ。僕がそんな感情を抱くはずがない。

 「ゆ、優子。そこ、赤いシミが……」

言葉に詰まりながら僕がシミの部分を指差してそう言うと、ロボ子は一瞬言葉を理解するように動かなくなって、そしてまたすぐに動き出して今テーブルを拭いている布巾でそこを押さえた。

 「え、優子。そ、それ……」
 「ありがとうございます、不覚にも気が付きませんでした」
 「い、いや。それ、掃除用の布巾じゃ……」
 「構いません。すぐに水をつけなければと思ったので」
 「そ、そのシミ、いつからついていたのか分からないけど……」

僕は自分でも思うほど小さな声でみんなに聞こえないように配慮しながらそう言うと、彼女の動きが再び止まった。まるで彼女が活動しているスイッチの電源が落ちたのかと思う程、何も動かなくなった。

 「それもそうですね。帰ってからすぐに洗濯します」

再び電源が入ったようにロボ子の口が開いた。そうやって言ったロボ子の顔は、少し赤くなっているように見えた。それに早口になっていた気もする。僕の気のせいか? すると遠くで師匠がどっと声を上げて口を大きく開けて笑っていた。

 「ハハハ! 優子のそういうとこ、オレはめっちゃ好きだぞ!」

ロボ子の頬が確実に赤い。今はロボットじゃない表情に見える気がする。うん、むしろ「人間」の表情にしか見えない。冷静さを失っているのか、ロボ子の視線があちこちに動き回っている。

 「そういうとこってどういうとこですか?」
 「それは優子が知らなくていいとこだ。それに、知っても多分自分じゃ分からない」

飄々と話す師匠の声を受け止めたロボ子の動きがまた止まった。今度も長めのフリーズだった。ロボ子の頭上には、まるで動画を読み込む時に出てくる丸い輪っかがぐるぐるしているみたいに思えた。そして動画の読み込みが終わったようにまた突然動き出す。

 「考えても分かりませんでした」
 「うん、だろうな」
 「馬鹿にしていないならいいです」
 「してないしてない、するわけない!」

わざと感情を逆撫でしているように聞いてとれる師匠の言い方は、何故かその中に愛情も混じっているように聞こえるのが不思議だ。師匠のそんな言葉にも何か不思議な力が宿っているのかもと僕は思ってしまう。僕の周りには不思議な力を持っている「人」が多くいるように思えた。まぁ僕がダントツで一番不思議な力を持っていると自負はしている。

 閉店後のやりとりは、みんなそれぞれの自分を曝け出すように話している時間だからそれを見るのはなんとなく好きだ。もちろん、僕はみんなに本当の自分を曝け出す事なんて出来やしないが。たくさんあった後片付けも終わり、女の子たちもテキパキと帰り支度を整えて続々と帰っていった。みんなを見送ってから師匠と僕しかいなくなった空間で、今日の仕事の達成感を味わいながら思いきりうんと体を伸ばしてソファに寝転んだ。僕は仕事を終えて全力でリラックスをする瞬間が生きている時間のなかで一番好きだ。今日のこの瞬間も気持ちが良すぎて思わず「あー、やっぱりこのソファ最高だね」と声が出た。

 「おいおい、そこさっき掃除したばっかだぞ」
 「大丈夫だよ、僕そんなに汚れてないし」
 「しかもスーツのまま寝転びやがって。ったく、しょうがねえやつだな。人間でいる時も猫みたいにしやがって……。ほんじゃあオレも!」

僕の目の前で師匠が飛んだ。急に飛んだ。何の前触れもなく飛んだ。そして僕の寝転ぶソファにヒップドロップをしかけてきた。間一髪、僕は体を捻ってそれを躱した。その衝撃は予想していたよりも大きく、ソファがトランポリンのように沈んだ。それが僕の体にのしかかっていたらと思うと……、すごい勢いで血の気が引いた。

 「あっぶないな! ケガしたらどうすんの!? てか、ケガじゃすまないよ!? 今の!」
 「流石だな! なら、こうしてやる!」

身動きのとれない僕を、師匠はすかさず器用に足でロックして凄まじい勢いで僕の脇腹をくすぐり始めた。その指先に耐えられる術を僕が持ち合わせているはずもない。師匠は何でも知っている。もちろん、僕の弱点も。

 「ほれほれ! どうした黒猫ちゃん! ドMなのかぁ!? 黒猫ちゃんよぉ!」
 「ば、馬鹿にするな……!」

僕のエネルギーを全て吸っていくように師匠は僕をくすぐる。ダメだ、やっぱり師匠には敵わない。くすぐられ続けた僕は過呼吸になりそうなほど疲れ果てて肩で息をして必死に体に酸素を取り入れる。師匠はそんな僕を見て大きな声で笑い声を上げる。

 「な、何でこんなことするの?」

必死に呼吸を整えながら僕の隣で寝転ぶ師匠の顔を睨むように見つめた。すると師匠は、にかっと音が出そうなほどの笑顔を僕に向けた。

 「そんなの決まってんだろ。お前が可愛いからだよ!」

師匠はウソをつかない。何でも本当の事を言う。僕が師匠を好きな大きな理由の1つだ。そして師匠は言われた方が確実に恥ずかしくなる言葉を平然と伝えてくる。動揺しているのがバレないように、僕はあえて「ふーん」とそっけなく答えた。心の中は師匠の言葉を聞いた途端にポカポカと暖かくなった。体は師匠のせいでポカポカどころの騒ぎではないけれど。

 「おいおい、ニケよぉ! いくら可愛いお前でもよ! どさくさに紛れておっぱい触ってんじゃねえぞぉ!」

もみくちゃにされていて気づかなかった。僕の右手はいつの間にか師匠の大きな胸の膨らみに触れていた。僕は熱湯の入ったやかんから手を離すような速度で手を離した。

 「た、たまたまだ……! それに師匠がくっついてきたからだろ!」
 「ふっふふ、やっぱニケも男の子でガキだねぇ」

 今日はいつもより多く師匠のムカつく顔を見た気がする。あ、それと同時に僕は師匠に大切にされているんだと実感した日でもあった気がした。なんだかんだありながら、僕は今のこの環境はとても気に入っている。ここにいると、僕も「人間」でいてもいいんだという暖かい気持ちが生まれる。ずっとここにいたくなる。まぁたまには黒猫になりたいのは譲れないけれど。今日も「人間」の役割をしっかり終えた僕はベッドに飛び込むように転がりそのまま毛布にくるまると、一瞬で眠りに落ちていった。その夜、僕は師匠とロボ子が楽しそうに笑い合う夢を見た。ロボ子が笑っていたから夢だとすぐに分かった。その笑顔を見ていると、何だか僕も笑いたくなった。でも、僕は自分の笑顔が好きじゃないからロボ子に笑顔を見られたくなくてやめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

背徳のミラールージュ(母と子 それぞれが年の差恋愛にのめり込んでいく鏡写し)

MisakiNonagase
恋愛
24歳の市役所職員・中村洋平には、自慢の恋人がいた。2歳年上の小学校教師、夏海。誰もが羨む「正解」の幸せの中にいたはずだった。 しかし、50歳になる母・美鈴が21歳の青年・翔吾と恋に落ちたとき、歯車は狂い出す。 ​母の恋路を「不潔だ」と蔑んでいた洋平だったが、気づけば自分もまた、抗えない引力に引き寄せられていた。  その相手は、母の恋人の母親であり、二回りも年上の柳田悦子。 ​純愛か、背徳か。4年付き合った恋人を捨ててまで、なぜ僕は「彼女」を求めてしまうのか。 交差する二組の親子。歪な四角関係の果てに、彼らが見つける愛の形とは――。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

もしもゲーム通りになってたら?

クラッベ
恋愛
よくある転生もので悪役令嬢はいい子に、ヒロインが逆ハーレム狙いの悪女だったりしますが もし、転生者がヒロインだけで、悪役令嬢がゲーム通りの悪人だったなら? 全てがゲーム通りに進んだとしたら? 果たしてヒロインは幸せになれるのか ※3/15 思いついたのが出来たので、おまけとして追加しました。 ※9/28 また新しく思いつきましたので掲載します。今後も何か思いつきましたら更新しますが、基本的には「完結」とさせていただいてます。9/29も一話更新する予定です。 ※2/8 「パターンその6・おまけ」を更新しました。 ※4/14「パターンその7・おまけ」を更新しました。

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

処理中です...