吾輩は時々、黒猫である。

やまとゆう

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第1章 僕とボク

#7.

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            ✳︎ 

 「師匠、やりたいことできた」
 「おう、おかえり。どうした急に? 料理人でも目指すのか?」

そこが特等席と化しているソファに寝そべっている師匠は、しししと意地悪そうな笑顔を僕に向けた。

 「なんでだよ。目指さないよ」
 「違うのか? オレ、ニケの作るビーフシチューは店で出しても絶対売れると思ってるんだけどな」
 「いやいや、師匠それは褒めすぎだから」
 「本当の事だよ。まぁこれ以上言うと、お前が調子に乗りすぎて今日の仕事に支障きたすかもしれないからこの辺にしとくけどさ!」
 「なんだそれ」
 「ハハ」

そんな事は自分では考えもしなかった。師匠が僕の料理を褒めてくれるなんて。最初は僕が作ったものには文句と悪口しか言わなかったかし、半分以上も残していたくせに。けれど、師匠の予想外の言葉に僕はとても嬉しくなった。それと同時にやりたい事が一瞬変わってしまいそうにもなった。だが、そんな軽い心意気ではダメだと、自分に喝を入れた。

 「それで、お前は何がやりたいんだ?」
 「んー、まだ言わない」 
 「あん?」
 「まだ自分の中で何も形になっていないから言わない。けど、何かを始めたって事は師匠に分かってほしかったから言った」

それを聞いた師匠はうーん?まぁ分かったよ、と首を傾げながらも声を発さずに口をぱくぱくと動かして僕に笑顔を向けた。僕には今の口の動きが「がんばれよ」って言ったように見えた。違ったら恥ずかしいから言わないけれど。

 「ん? 師匠今の何?」
 「まだお前が言わないなら、オレもまだ言葉は届けない。けど、どんな事を始めたとしてもオレはニケを応援してるよ」

 師匠の言葉はいつだって暖かい。すぐムカつく顔をしてくるし、トッピングでニンニクマシマシのラーメンを食べた直後に僕の顔の前で思いっきり息を吐いてくる事もある。僕が猫舌と分かっているのにグツグツに煮込まれた味噌煮込みうどんを作ってくる事も少なくない。数えきれないほどの仕打ちをされた(本人が言うにはそれも愛情表現らしい)。けれど、師匠のそういう所を含めても、どうしたって嬉しく思う僕がいる。上手くは言えないけれど、簡単に言うなら愛されているって事なんだと思う。愛、というのが僕にはあんまりよくは分からないけれど、多分そんな感じだ。そうは思っていても照れくさくて、絶対にそれを本人に伝える事は出来ない気がする。

 「ありがとう。師匠ならそう言ってくれると思ってた」
 「ただし、罪は犯すなよ?」
 「罪?」
 「社会のルールを破ったらダメだぞ!」
 「当たり前じゃん、何言ってんの」
 「ハハ、まぁニケはビビリだからそういうの出来ないだろうけど」
 「また馬鹿にしただろ」
 「してないよ。ニケはニケのままでいつまでもいてくれよ」

師匠の発した今の言葉に、僕は何か儚さみたいな寂しい気持ちが乗っているような違和感を感じた。その後にニヤニヤと笑っていたからあんまりそれを深追いしようとは思わなかった。それに、不機嫌そうな顔をしたのを少し申し訳なく思った。でも今の流れは師匠が悪い。うん、絶対そうだ。僕は気にしないふりをして続けた。

 「僕は僕だよ。いつまでも」
 「うん、それでいい。あぁ久々に黒猫になったニケが見たいな。触りたいな。最近見てないから急に恋しくなってきたよ!」
 「師匠は僕が朝起きる頃にはもう出かけてるもんね。その後、よく黒猫になるんだよ。師匠はいつもどこに行ってるの?」

僕の言葉に声では反応しなかった師匠は、僕に顔を隠すように背中を向けた。

 「ニケがやりたい事を教えてくれたらオレも教えてやるよ」
 「なんだそれ。ズルい」
 「ハハハ! まぁ罪は犯してないから安心しろよ!」
 「朝っぱらから犯罪を起こされててたまるか」
 「それもそうだ。まぁなんだ、ニケ。オレもお前も自分らしく生きてこう。たまに自分の中に溜まったストレスって名前の空気を抜いて萎ませて、小さくなってフニフニになった風船みたいにのんびりしてな」

不器用な比喩表現に師匠らしさが出ていて何だか笑えた。今、僕は笑いたかったから素直に笑った。僕は本当に久しぶりに笑った。

 「ニケの自然な笑顔、久しぶりに見たよ。その笑顔が好きになるのは絶対オレだけじゃないよ。てか、案外近くにそういう子がいたりしてな」

そうやって茶化して僕の髪をくしゃっと撫でた師匠は自分の部屋へと向かっていった。僕は鏡の前に立ち笑顔を試してみた。絶対さっきのと違う。顔の筋肉には不自然な力が入っている。やっぱり笑顔なんて意識して出来るもんじゃない。無茶な挑戦はやめておこう。ただ、さっきの師匠の言葉で本当に自分の中に溜まった空気みたいなのが抜けて体が軽くなった気がした。まるで「人間」の体のまま、黒猫の体重になったみたいに体が軽い。

 「やっぱ師匠はすごいや」

僕はその軽くなった体を動かして部屋に戻った。改めて師匠の偉大さを実感しながら僕は机の中にあるノートとペンを取り出した。やりたい事の第一歩も踏み出すことが出来た。
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