吾輩は時々、黒猫である。

やまとゆう

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最終章 黒猫と「人」

#28.

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            ✳︎

 朝、カーテンの隙間から差す陽の光が悪戯をするように僕の顔を照らした。僕はゆっくりと起き上がって開ききらない瞼を摩り、いつものように階段を下りて顔を洗い朝食を食べようと準備をしていると、テーブルの上に書置きが置いてあるのに気づいた。頭がボーッとしたままその書き置きに目を通してみた。

 『ニケへ

改めて誕生日おめでとう。昨日はいい日になったか? 突然だが、オレは旅に出ることにした。何も言わずにここを飛び出すこんなオレをどうか許してくれ。そして、いつの日かここに戻ってくるオレを暖かく迎え入れてくれ。大丈夫。お前はもう立派な大人だ。オレは昨日のお前を見て安心したよ。お前やみんなが一緒ならそこでやっていける。オレは確信してる。じゃあなニケ! 行ってくる! 家を任せたぞ。』

そこには身勝手すぎる文章が師匠らしい乱雑な字で殴り書きされていた。

 「なんだよ、これ……!」

ボーっと夢と現実が行ったり来たりしていた頭が一瞬で切り替わり、僕は急いで部屋へ戻りスマホから師匠へ電話をかけた。

 『おかけになった電話番号は、現在使われていないか、電源の入っていない……』

時は既に遅かった。

 『師匠、どこにいるの?』

返信が来る気がしなかったけれど、僕は突然見えなくなった師匠の背中を必死で追いかけるようにメッセージを送った。突然の災害に直面したように僕の脳内は混乱が止まらなかった。たまらず僕は優子に電話をかけた。すると優子はすぐに電話に出た。

 『もしもし』
 『優子! 大変だ! 師匠が突然いなくなったんだ!』

少しの沈黙の後、僕の声とは正反対の風鈴のように綺麗で落ち着いた声でニケさんと呼ばれた。

 『師匠の話、知っていました』

僕に追い打ちをかけるように優子の声が届く。

 『え? そ、それはどういうこと?』
 『師匠がいなくなるということです』

僕はその冷淡にも聞いて取れる優子の声に初めて怒りを感じた。

 『どうして教えてくれなかったの?』

無意識に大きな声を出した僕の声を彼女は受け取りそのまま黙っていた。僕も彼女が話し始めるまで耳をすました。しばらく沈黙が続く。時計の秒針を刻む音だけが時間が止まっていないことを僕に教えてくれていた。

 『優子聞いてる?』
 『それが師匠のお願いだったから』

しびれを切らした僕の声と重なって優子の声が再び聞こえた。

 『え?』
 『オレはニケの誕生日会が終わったら1人で世界を回ろうと思う。ニケはもう十分大人になった。オレがいなくてももう大丈夫だ。お前たちもな。だからしばらく店をニケとお前たちに任せたいんだ。世界を見て回ることが琥珀さんの夢だったから。オレはその夢を叶えたい。だから、ニケもお前たちも納得は出来ないだろうけど分かってほしいって』
 『な、何だよそれ……』
 『ニケさん、扉を開けてくれる?』

すると、家の扉をコンコンと叩く音が聞こえた。

 『優子、来てるの?』
 『電話が来るだろうなと思って公園で待ってたの。とりあえず入れてくれる?』

優子はそう言うと電話を切った。僕は再び1階に下りて扉を開けた。そこには普段の華やかな服とは違う、グレーのパーカーにカーキのロングスカートを穿いた優子がいた。

 「おはよう。ニケさん」

気のせいかもしれないが、優子の目が普段よりも赤くなっているように見えた。

 「ニケさんの寝起き姿、初めて見た」

優子はそう言って笑うと僕の寝癖を撫でるように触った。いつか黒猫になっていた時に撫でられたのを思い出した。そういえば最近、ずっと黒猫になっていない。黒猫になれることも忘れていた。だが、今はそれどころじゃない。

 「師匠がいないんだ」
 「分かってる」

大黒柱を抜かれた建物のように今にも崩れそうな僕を、優しく包み込んでくれるように優子は僕を抱きしめてくれた。それと同時に金木犀のような優しくて落ち着く香りが僕の鼻に届いた。

 「今は辛いと思います。その気持ちは痛いほど分かる。だから、私があなたの側にいる。師匠の代わりになる自信は無いけれど」

僕の体に重心を預けながら顔を僕の体に埋めたまま優子は僕にそう言ってくれた。師匠と優子はやっぱり同じ匂いがした。

 「ニケさん、身長伸びたね」

僕は優子の背中にそっと手を回し、彼女には気づかれないように僕は泣いた。

 「ニケさん」
 「は、はい」
 「私には弱い所、見せて。私もニケさんに助けられた。1人だった私に手を差し伸べてくれた。あなたのおかげで友達ができた。私を変えてくれた。だから、今度は私がニケさんを全力で支える。1人で泣くのはダメ」

僕の強がりは優子の言葉で一瞬にして無くなった。僕は初めて声を上げて泣いた。初めて力いっぱい「人」を抱きしめた。そんな僕の体を、優子はいつまでも優しく撫でてくれた。
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